機動戦士ガンダムSEED - The Children of Mendel - 作:坂井雄二
背後から、軽やかなブーツ音が響いた。
振り返るまでもなく、気配でわかった。
あの豪快で、でも人をよく見ている軍人の姿がそこにあった。
「キラ・ヤマトとオルフェ・ヤマト」
その名を呼ばれた瞬間、場の空気が凍ったように静まった。
ムウ・ラ・フラガ大尉が、静かに、けれど確かな重みをもって歩み寄ってくる。
「マードック軍曹が怒ってるぞ、自分の機体ぐらい、自分で整備しろってな」
軽口めいたその言葉に、キラもオルフェも反応できなかった。
いや、できなかったのではなく、言葉を選ばなければならなかった。
そんな沈黙が、わずかに流れる。
「……僕の、機体?いや、その、機体って――」
「そういう言い方になるってことだよ」
ムウが真っ直ぐに2人を見据える。
ふだんの軽妙な調子とは違い、その瞳の奥には戦場を知る者だけが持つ覚悟がにじんでいた。
「実際、あれには君たち2人しか乗れないんだ。なら、しょうがないだろ」
「……でも、僕らは……僕たちは、軍人でも、兵士でもないんです……」
キラの声がかすれる。
オルフェも俯いたまま、握り締めた拳に爪が食い込む。
「いずれまた戦闘が始まったとき、今度は黙って見てるだけか?あそこで死んでいく仲間を?それとも、できるのにやらずに死ぬか?」
ムウの声に、誰もが言葉を飲み込んだ。
居住区の空気が重くなるのを感じる。
「今、この艦を守れるのは……俺とお前たちだけなんだぜ」
一拍。
「君たち2人には、出来るだけの力を持ってるだろ?なら、出来る事を――やれよ」
しん、と音のない沈黙が場を包み込む。
イングリットがゆっくりと歩み出て、キラとオルフェの肩にそっと手を置いた。
その手は、どこか震えていた。
目元には不安が滲んでいる。
「……だったら、私が……私がストライクに乗る。キラもオルフェも、こんな事で――」
その言葉を遮るように、キラが顔を上げる。
「……ダメだ、姉さん」
その声は震えていたが、確かな意志を宿していた。
「僕には……僕たちには、姉さんをあんな戦場に出すなんて、できないよ。だから……僕がやる。姉さんは――絶対に……」
オルフェも同じように顔を上げ、イングリットを見つめた。
「俺たちの誰かがやらなきゃならないなら、あの機体のことを一番分かってる俺たちがやるしかない。でも、姉さんにはやらせたくない。それだけは……俺も、譲れない」
イングリットは息を呑んで2人の瞳を見つめ返すと、小さく、でも確かに頷いた。
ムウはそれを黙って見守ると、少しだけ口元を緩めた。
「そうだ。それでいい。――悩んでる時間なんて、もうないんだからな」
「この船は……どこへ向かってるんですか?」
静かに投げかけられた問いに、ムウが肩をすくめながら答える。
「ユーラシアの軍事要塞さ。まっすんなり入れればいいけどね、って感じかな」
ムウはそう言い残して軽く手を振ると、その場を離れていった。
ムウがユーラシアの軍事要塞へ向かっているとだけ告げて去っていったあと、その場に残された一同には、言葉にできない焦燥が立ち込めていた。
艦内に響く足音も、誰の声も耳に入らず、ただ互いの存在を確認するように視線だけが交差していく。
「……キラ、どうするの?」
ミリアリアの小さな声が沈黙を破った。
彼女の視線はまっすぐにキラへと向けられていたが、その問いは、きっとその場にいる誰にも向けられていた。
キラは黙ったまま、手の中で握っていた膝が震えているのを感じながら、目を伏せる。
「ここでじっとしてても、また同じことが起きるだけだよな……」
トールが静かに言うと、サイとカズイがうなずく。
「でも、俺たちは……軍人じゃない。戦えるわけじゃない」
「それでも……何か、できることがあるはずだろ?」
オルフェが小さく頷いた。
「何もできないなんて思いたくない。僕らにも、支えられる場所があるなら……」
「ええ。きっと、あるわ」
イングリットが静かに言いながら、居住区に設置されている端末に手を伸ばす。
そして皆に視線を向けると、やわらかく問いかけるように言った。
「ブリッジに通信を入れるわ。私たちが手伝いたいって、ちゃんと伝えましょう。文句を言われても、それでも……言わなきゃ始まらない」
誰も反対しなかった。むしろ、その言葉に導かれるように、全員がうなずいた。
イングリットは息を整え、端末の通信ボタンを押した。
「こちらは居住区にいる民間人です。ヘリオポリスからマリューさんと一緒にいた学生です。ブリッジに伝えてください――私たちは、この艦のために出来る限りのことをしたいと考えています」
数秒の沈黙が続く。けれど、その向こうから返ってきたのは、はっきりとしたチャンドラの声だった。
『こちらブリッジ。……艦長に伝えます』
「ありがとう」
短く返すと、イングリットは端末を閉じた。
その顔には、少しだけ張りつめた表情の中に、ほんの僅かな安堵が混じっていた。
「さあ、あとは……待ちましょう。でも、どんな返答でも、ちゃんと受け止めて、次に進むための準備をしましょう」
イングリットの言葉に、キラもオルフェも、ミリアリアたちも、改めて背筋を伸ばした。
それぞれがまだ震える心を抱えながらも、誰一人として目を逸らすことはなかった。
イングリットはキラへとゆっくりと歩み寄り、その隣にしゃがみ込む。
やがて、そっとその肩に手を添えた。
「……キラ。もしキラやオルフェが、もう乗りたくないって思ってるなら、私が代わりに行くわ」
その言葉に、隣にいたオルフェが驚いて顔を上げる。
キラは、目を見開いたまま一瞬動けず、やがてかすかに首を横に振った。
「だめだよ、姉さん。姉さんには……そんなこと、させられない」
言葉に宿るのは、恐れでも迷いでもなく――深い、想いだった。
「でも、あなたが……また苦しむのを見たくない。今度は、私にだって――」
イングリットの声を、キラが遮るようにそっと微笑む。
「僕が苦しむのは、僕が決めたことだから。誰かを守るために、何かを選ぶのなら、それは僕自身でなきゃいけないんだと思うんだ。……姉さんがそうやって僕を守ってくれたみたいに、今度は僕が、誰かを守りたい」
イングリットは、黙ってその言葉を受け止める。キラの目は揺れていなかった。強くも優しくもあった。
その横で、オルフェが静かに息を吐いた。
「……やっぱりキラは、そう言うと思ってたよ。なら、俺も一緒に行く」
キラがゆっくりとオルフェの方を向く。
互いに言葉は交わさずとも、視線だけで通じ合っていた。
「キラだけに背負わせるなんて、兄として嫌だ。あの機体――ゴールドフレームは、偶然出会ったけど、僕に課せられた意味がある気がする」
キラが軽く笑った。
「じゃあ、僕たち二人で……やれるだけのこと、やろう」
オルフェもうなずく。
「うん。逃げずに、ちゃんと――向き合おう」
イングリットは二人の背中に目を向けると、かすかに微笑んだ。
「……わかったわ。なら、私は信じて待ってる。絶対に、無事で戻ってきて」
「もちろん」
「……約束するよ」
二人の決意は、もう誰にも揺らぐことはなかった。