真紅の道、久遠まで続かんことを   作:織葉 黎旺

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「もう一本ー!」

 

 秋の河川敷は、スポーツの秋という言葉を体現するような様相であり、ジャージ姿の生徒たちで溢れ返っていた。

 彼ら彼女らの間を切り裂くように、一陣の風が過ぎ去っていく。

 

「ねえ、今のって……!」

 

「あのトリプルティアラの……!」

 

 重い踏み込みと、それと対称的な軽いフットワーク。優雅に巻かれた鹿毛と堂々たるフォームは、見間違えようがない。

『貴婦人』ジェンティルドンナ、その人だった。

 

「……ッ、はあッ…………!」

 

 その少し後ろを、ロードバイクが駆けていく。ペダルの音もベアリングの回転も、のどかな河川敷には似つかわしくない速度であり、とてつもない気迫を放っていた。

 

「ねえ、今のって……!?」

 

「ジェンティルさんを追ってた……よね……?」

 

 顔を見合わせた二人は、『いや、ないない』と否定した。いくらランニングだろうと、あの速度のウマ娘を追いかけるなんて──

 

 *

 

 静かに汗を拭う淑女の傍で、ジャージの男が荒い息を吐いていた。

 

「きょ、今日も追い越せなかった……」

 

「お可愛い速さですこと」

 

 ジェンティルドンナと、そのトレーナーである。今日は気分転換を兼ねて、学園付近の河川敷をランニングしていた。

 契約してすぐの頃は、ジェンティルドンナの速さに追いつけず歯痒い思いをしたものだが、彼女と共に鍛えた日々の甲斐あって、今では少し後ろに喰らいつけるレベルにはなってきた。日々回転数(ケイデンス)は上昇中である。

 

「ほんとは俺が引っ張ってペースジョグしなきゃいけないんだけど……」

 

「ヒトの身では厳しいかしら?」

 

「いや、明日こそは!」

 

「そうね。(わたくし)のトレーナーなら、先導(エスコート)できるくらいでないと」

 

「肝に銘じます……」

 

 息巻き、すぐ消沈するトレーナーを見て、ジェンティルドンナは不敵に笑った。

 

「少なくとも、明日は無理ですわね」

 

「えっ」

 

「休息日ですもの」

 

 トレーナー自身が設定した事だというのに、完全に失念していた。毎日トレーニングにレースにと明け暮れている二人だが、筋肉の超回復のためにも、完全な休息日が必要なのである。

 

「貴方、何か予定はございまして?」

 

「一応、ある」

 

「そう」

 

 濁した回答に、ジェンティルドンナは淡白な返答をした。

 

「ジェンティルは?」

 

「買い物でもしようかしら」

 

 陶器のように滑らかな頬を撫でながら、彼女は言った。その言葉から見るに、まだ明確な予定はないらしい。

 

「そっか、いい休日になるといいな」

 

「ええ、そうね」

 

 

 

 翌日。ガラガラと響いた、開くはずのない扉の音に、トレーナーは思わず振り向いた。

 

「失礼。やはりここにいましたのね」

 

 そこにいたのは、腕を組んでいるジェンティルドンナだった。真紅の瞳はトレーナーに向けられている。

 

「ジェンティル、休みなのにどうしたんだ?」

 

「貴方こそ、お休みなのに何をなさっているの?」

 

「次のレースの対策が立てたくてさ。息抜きがてら、出走バの記録を見てた」

 

「ふうん」

 

 彼女は少しだけ目を細めると、トレーナーの手元のタブレットを取り、一瞥して、興味を失ったように置き直した。

 

「不要ですわ」

 

「へ?」

 

 あのストイックな貴婦人の言葉とは思えず、トレーナーは思わず聞き返した。

 

「必要ないと言ったのよ。正々堂々、『力』でねじ伏せればいいだけでしょう?」

 

「そうは言っても、俺にできることはやらないと。君の、隣に並ぶために」

 

「それでしたら、他にやるべきことがありますわ」

 

「あっちょっと!」

 

 PCの電源を落として、ジェンティルドンナはトレーナーを立たせる。

 

「行きたい場所があるの。付き合ってくださる?」

 

 *

 

 ジェンティルドンナに連れて行かれたのは、ハイブランドが軒を連ねる通り。

 

「最近、冷えてきたでしょう? 秋服や、冬用のコートを見たいのよ」

 

「なるほどね」

 

 自分の役割は荷物持ちらしい。まあ息抜きとしては丁度いいだろう、と彼女の隣を歩く。

 

「このカーディガン、色合いが素敵ですわね。ああ、でもこのワンピースも美しい」

 

 こうしてアパレルを物色する様子を見ると、貴婦人と名高きジェンティルドンナも、一人の女の子なのだとトレーナーは思う。

 

「よろしいかしら。この籠のモノ、すべて会計してくださる?」

 

 もっとも、買い方は二つ名に相応しいそれだが。五桁六桁の服が、次々とレジスターに通されていく様は、何度見ても慣れない。

 

「あら、この鉄球ケースは新作ね。これなら先程のカーディガンにも合いそうです」

 

 服に合うアイテムを選ぶのも女の子らしい──と思いかけて、ギリギリで踏みとどまった。トレーナーも最近毒されてきたせいで忘れていたが、普通はまず鉄球を持ち歩かない。

 かくいうトレーナーも、片手に鉄球を提げているのだが。

 

「貴方の鉄球ケースも、だいぶ古くなったわね」

 

「もう三年目だからね」

 

 トレーナーはそう言って苦笑する。この仕事に就いた頃にはまったく想像していなかったが、鉄球とも長い付き合いになってしまった。

 

「このケース一つずつ、クレジット一括で会計して頂戴」

 

 ジェンティルドンナは、スタスタとレジに向かって会計を始めた。先程話していたカーディガンに合うケースと、同型の別色のケースの二つ。

 会計をスマートに済ませた後、彼女はハイブランド特有の質のいい紙袋をトレーナーに渡した。

 

「ああ、持っておくよ」

 

「それもそうだけれど、違います」

 

 鈍いトレーナーを見かねてか、袋からケースを出し、彼の片手に提げさせる。

 

「そちら、差し上げますわ」

 

「えっ、それは駄目だよ。なら払わせてくれ」

 

「気にする必要はございません。強者()()()()()、強者の施しは受けるもの」

 

「大事なのは、受けた恩をどう返すか──ってことか?」

 

 微笑は肯定だった。対等故のやり取り、或いは駆け引き。

 次に何かのイベントがある時の、三倍返しのプレッシャーを感じながら、トレーナーは「ありがとう。大切に使わせてもらう」と既に持っていた鉄球を入れ替えた。

 

「ほほほ。これからも、存分に鍛えて頂かないと」

 

 言いながら、ジェンティルドンナも手に持つ鉄球ケースの中身を入れ替えた。古い方は新品の紙袋に入れていたので、トレーナーも同じようにして、それから紙袋を受け取る。

 

「やはりいい具合ね」

 

 青いラインの入ったトレーナーの鉄球ケースと、桃色のラインの入ったジェンティルドンナのケースは、丁度対称的──というか、ほぼほぼペアルックと言って差し支えなかった。

 それを意識しているのかいないのか、わからないままに二人は店を後にした。

 

「買い物はもういいの?」

 

「ええ。荷物は家の者に運ばせますわ」

 

 予め連絡していたのだろう。彼女が通りで手を上げると、黒塗りの高級車が止まり、トレーナーが持っていた荷物を執事が次々と受け取っていく。手ぶらになったところで執事は窓越しに頭を下げ、車は去っていった。

 

「てっきり一緒に帰るのかと思った。何か用事あるの?」

 

「そうね、何がいいかしら」

 

 意味深な微笑を浮かべて、ジェンティルドンナはこちらを見る。もしかして、とトレーナーは髪を掻いて言った。

 

「あー、ジェンティル。よかったら、もう少し出かけないか?」

 

「ふふ、喜んで」

 

 *

 

 元いた通り沿いに歩いていくと、緩やかな坂を越えた先に、都心にしては広々とした公園があった。

 木々は徐々に赤く色づいており、落ち葉は道沿いに薄らとカーペットのごとく広がっている。

 

「風が気持ちいいな」

 

「そうね」

 

 風はさらさらとジェンティルドンナの髪を靡かせ、同時に紅葉を運んだ。側頭部に髪飾りのように付いたソレを、トレーナーはくすりと笑って外す。

 

「小さい秋だね」

 

「お可愛いこと。貴方にも、ほら」

 

 彼女のしなやかな指がトレーナーの頭に伸びて、秋が手の中に収まった。林檎を思わせるような、甘い香りがした。

 

「栞にでもしようかな」

 

「それも素敵ね」

 

 紅葉を見つめるジェンティルドンナを見て、トレーナーは「やはり君には、赤がよく似合う」と言った。

 高貴と、神聖さを象徴する色。いま着ているのがシックな黒のワンピースだからというのも勿論あるが、落ち着いた鹿毛にも、色白な肌にも、赤という色が映えていた。

 

「レディの顔をまじまじと見つめるなんて、不躾でしてよ」

 

「ごめん、見惚れてたよ」

 

「ふっ……次からは気をつけることね」

 

 いつかにも、似たやり取りをしたことがあった。あれは確か、彼女とパーティーに招かれた際のことだった。

 どうだろう。自分は、あの頃よりも強く──隣を歩けるほど強く、なっただろうか。

 

「なんだか懐かしいな」

 

「ええ」

 

 貴婦人は目を細める。あの時から、随分色々なことがあった。

 トリプルティアラに宝塚記念。ジャパンカップ二連覇に、有馬記念。取ってきたトロフィーは数知れず、その活躍は留まることを知らない。

 

「君のおかげだよ。どうにか力になりたくて、虚勢を張って喰らいついているうちに、ここまで来られた。俺は、君の走りに魅せられっぱなしだ」

 

「自分の手柄と仰ればいいのに、自信がないのは相変わらずね」

 

「そこまで傲慢じゃないし、卑屈でもないよ。ただ──そうだな、君にお礼が言いたかっただけだ」

 

 人に教えることは自分の学びにも繋がるというが、ジェンティルドンナというウマ娘を指導して、トレーナーは本当に多くの物を学んだ。社交界などのことだけではなく、彼女自身の言葉や立ち振る舞いに、見習えないところなんてなかった。

 

「君と契約して──君を諦めなくてよかった。これからも、君のトレーナーとして隣を歩きたい」

 

「こちらこそ、喜んで」

 

 ジェンティルドンナはスカートの裾を掴んで恭しくお辞儀をし、それからトレーナーにそっと手を差し伸べる。困惑する彼に、彼女はくすりと微笑んだ。

 

「あら、隣を歩いてくださるのでしょう?」

 

「ええ。エスコートさせていただきます」

 

 恭しくお辞儀して、男は貴婦人の手を取る。たしかな温もり。寄り添う二人の歩く紅葉の絨毯は、どこまでも続いていた。

 

 

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