俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
会場は、都内でも有数の一流ホテルの最上階。床から天井まで続く大きな窓の向こうには、宝石を散りばめたような壮大な夜景が広がっており、弦楽四重奏の優雅な調べが招待客たちの喧騒を上品に包み込んでいる。
その会場の隅、煌びやかなシャンデリアの光も、どこか遠慮がちにしか届かない一角。そこは今日の主役である『特四』以外の、いわば「その他大勢」の職員たちが手持ち無沙汰にグラスを傾ける、吹き溜まりのような場所だった。
警備部、公安部、捜査一課。所属も年齢も、そしてこの祝勝会に抱く感情もバラバラな数人の男たち。彼らはテーブルに並べられた、豪勢な料理には目もくれない。今日の主役たちを遠巻きに眺めながら、不平不満とも羨望ともつかない湿っぽい溜息を吐き出していた。
「おい、見たかよ」
最初に口火を切ったのは、連日の張り込みでくたびれたスーツを無理やり着こなしてきた、捜査一課所属の刑事だった。名を田所。彼はローストビーフの乗った皿を片手に、まるで手強いホシでも睨みつけるかのように、苦々しげな表情である一点を凝視している。
「特四の橘圭一。あの、若造の隊長だよ」
彼の険しい視線の先には一流ブランドのタキシードを、まるで生まれたときから着慣れていたかのように自然に着こなす、一人の優男がいた。橘圭一。その線の細い優美な立ち姿はこの場において、むしろ異質なほどの存在感を放っているように感じられる。
そしてその彼を中心に、まるで輝かしい恒星に引き寄せられた惑星のように。この世のものとは思えないほど美しい女性たちが、片時も離れずに寄り添っていた。
「ああ、見てる見てる。見たくなくても目に入る、っつーの」
田所の隣でヌルくなった安物のビールを呷っていたのは、公安部の鈴木だった。彼は、学生時代から叩き上げで、エリート街道とは無縁の人生を送ってきた。その捻くれた視線が、橘の非の打ち所のないエリート然とした佇まいに突き刺さる。
「なんだってんだ、あの状況は。ハーレムか? ここは警視庁の祝勝会だろ? どっかのIT長者の誕生パーティーじゃねえんだぞ…」
彼らの目には、信じがたい、そしてあまりにも理不尽な光景が映っていた。
一人は背中が大胆にカッティングされた、夜の闇を溶かし込んだような黒いロングドレスの美女。モデルもかくやという完璧なプロポーションで、常に橘の半歩後ろに控え、まるで熟練の秘書のように彼の身の回りの世話を焼いている。
橘がグラスを空ければ、どこからともなく新しいシャンパンを持って現れ、橘に話しかけようとする人間がいれば、まず彼女が値踏みするような鋭い視線を向ける。その鉄壁のガードぶりは、まさに守護女神そのものだった。
一人は太陽のような鮮やかなオレンジ色のミニドレスを纏った、快活な美女。しなやかな脚が惜しげもなく晒され、彼女が動くたびに周囲の視線が釘付けになる。彼女は常に橘の腕に自分の腕を絡め、その豊満で柔らかそうな胸をこれ見よがしに押し付けるようにして、屈託なく笑っている。
「隊長、あーん♡」
そう言って皿の上のオードブルを、甲斐甲斐しく橘の口元へと運んでいる。橘がそれを口にすると、自分のことのように嬉しそうに飛び跳ねる。その、あからさまで、しかし嫌味のない猛アピールは、周囲の男たちの心を、嫉妬で黒く塗りつぶすには、十分すぎる威力を持っていた。
そしてもう一人は儚げな水色のドレスに身を包んだ、清純派の美女。彼女は少し離れた場所から、熱のこもった瞳でじっと橘を見つめている。橘がふと彼女の方に視線を向けると、はにかむように微笑み絹のような頬を桜色に染める。
そのいじらしいまでの姿は男の庇護欲を、これでもかと掻き立てる。先程も橘が人混みから離れてテラスに出ると、いつの間にか彼の隣に現れ、夜風で冷えないようにと自分のショールを差し出さんばかりに、心配そうに寄り添っていた。
「…おかしいだろ、どう考えても」
田所はローストビーフを、噛みちぎるように口に入れた。肉の味など、もはや分からなかった。
「あいつ、確か俺たちより年下だぞ。キャリア組っつっても、まだ20代の若造じゃねえか。なんであんな国宝級の美女たちが三人も、あいつ一人のために甲斐甲斐しく尽くしてんだよ」
「あいつの親父が、警察庁の次長らしいぜ」
鈴木が、吐き捨てるように言った。
「七光りもいいところだ。どうせ親の権力で、自分の好みの女だけを集めて、ハーレム部隊でも作ったんだろうよ。けっ、腐ってやがる…ッ」
「…いや、それだけじゃないだろ」
それまで黙って話を聞いていた警備部のベテラン、斎藤。重々しく口を開いた。彼はこの中で最年長であり、数々の修羅場を潜り抜けてきた男だ。その目は単なる嫉妬ではなく、獲物の本質を見極めようとする鑑定家のように冷静だった。
「よく見てみろ、お前ら。あの女たちの、橘を見る目を」
斎藤に言われ田所と鈴木は、再び橘たちのいる方へと視線を向けた。
「あれは、ただの部下の上司に対する目じゃねえ。ましてや、権力に媚びてる人間の目でもない」
斎藤は、ウイスキーグラスを静かに傾けながら、続けた。琥珀色の液体が、彼の深い皺の刻まれた顔を映している。
「あれは狂信だ。心酔、と言ってもいい。まるで、神か教祖でも見るような目だ。あの女たちは心の底から本気で、あの橘圭一という男に惚れ込んでいるんだよ」
その言葉に、田所と鈴木は返す言葉もなかった。確かにそうだ。彼女たちの瞳には、計算や打算の色が見えない。そこにあるのは純粋で盲目的で、そしてどこか常軌を逸した熱狂的な光だけだった。
「……だとしたら、余計に分からねえ」
田所は、ぐしゃりと音を立てて頭をかきむしった。整えられていない髪が、更にに乱れる。
「あいつのどこに、あそこまで女を心酔させる要素があるってんだ? 何か、特殊なフェロモンでも出てるのか? それとも俺たちには見えない、とんでもないカリスマ性でも持ってるのか?」
彼の混乱は、この場にいる男たちの総意でもあった。橘圭一という男は、確かに整った顔立ちをしている。だが世の中にはもっと彫りの深い美男も、野性的な魅力を持つ男もいる。彼らには橘がその他大勢のイケメンとどう違うのか、まるで判別がつかなかった。
「あるいは…」
鈴木が、悪巧みでもするように声を潜めて言った。その目は、少しだけ少年のような光を宿しているようにも見えた。
「裏の顔が、とんでもなく凄いとか。例えば俺たちが知らないだけで、実は伝説の傭兵だったとか、世界を救ったスパイだったとか…な」
「ハッ! 馬鹿を言えよ。んなわけあるか。少年漫画の読みすぎだ」
田所はそう一蹴したが、その声にはいつものような力強さがなかった。完全に否定することも、出来なかっのだ。そうでなければ、このあまりにも現実離れした光景の説明がつかない。自分たちの常識が、目の前の男たった一人によって根底から覆されているような、居心地の悪い感覚があった。
彼らの嫉妬と憶測と妄想は、アルコールと共にどんどんエスカレートしていく。もはや、本人を貶める言葉よりも、己の欲望を投影した願望が口をついて出始めていた。
「くそっ…! あの『あーん』、俺もされてえ…!」
「あの黒ドレスの美女に冷たく見下されながら、お酌してもらいてえ…!」
「俺はあの水色ドレスの子に『あなただけが頼りです』って、上目遣いで言われたいな」
男たちはいつしか橘圭一という存在を通して、己の叶わぬ欲望を吐露し始めていた。その声は祝勝会の喧騒に紛れて、誰に届くこともなく虚しく響いた。
その時だった。腹の出た一人の高官が、見るからに上機嫌な様子で、しかし千鳥足で橘に絡み、銀座へ繰り出そうと誘いをかけているのが見えた。その手は、馴れ馴れしく橘の肩に置かれている。
「おいおい、マジかよ、あのジジイ」
「空気を読めってんだ。今、最高の雰囲気だっただろうが」
男たちが眉をひそめた、その瞬間。彼らは、確かに見た。三人の美女たちの表情が、一瞬で凍りついたのを。
さっきまでの蕩けるように甘い笑顔が、嘘のように消え失せた。代わりに絶対零度の殺意にも似た光が、その瞳に宿ったのを。会場の温度が、数度、下がったような気さえした。高官は酒に酔って、何も気づいていないようだった。だが、その背後に立つ三人の美女が放つオーラは、明らかに尋常なものではなかった。
(…こわっ)
田所と鈴木の、心の声が、奇しくも一致した。
(あの女たち本気で、あのジジイを社会的に…いや、物理的に殺しかねない目をしているぞ…)
結局、橘が困ったように完璧な笑みでその場をうまく収め、高官は上機嫌なまま秘書に連れられて去っていった。嵐は何事もなかったかのように、過ぎ去った。
だが、男たちの、橘に対する評価は、この一件で、完全に変わっていた。七光りの、幸運なだけの若造ではない。あの殺意をむき出しにした美女の姿をした猛獣たちを、眉を下げた微笑み一つでいともたやすく手懐けてみせた。
あれは、ただ者ではない。とんでもない手腕と器と、そして何か自分たちには計り知れない「何か」を、あの男は持っている。
「…くそっ」
田所はいつの間にか空になった皿を、カチャンと音を立ててテーブルに置いた。
「なんだかもう、嫉妬する気も失せたぜ」
「ああ…」
鈴木も、力なく頷いた。
「住む世界が違いすぎる。俺たちとは、根本的に何かが違うんだ」
男たちは、再びグラスを傾けた。その酒の味は先程よりも、ずっと苦く感じられた。
彼らは生涯、知ることはないだろう。彼らがあれほどまでに羨み畏怖した男が、内心で人生で最大級の冷や汗をかきながら「特別な訓練って、なんだよ…!?」という地獄の尋問を受けていたことなど。
そしてその地獄が、これから更に本格化することも。
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