俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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「うふふ♡」

ひぇ…!!?


黒き薔薇の戦略 - (麗奈 視点)

 祝勝会の日取りが決まった、数日前。

 

 黒澤麗奈は、都内でも有数の高級ブティックが軒を連ねる、銀座の並木通りにいた。もちろん、一人だ。集団での行動は非効率的で、好きではない。特に、あの二人──思考回路が単純な陽菜と、行動原理が不可解な雪乃と、目的を同じくして買い物など、考えただけでも頭が痛くなる。

 

 

『祝勝会には各自、隊員にふさわしい華やかな服装で参加するように』

 

 

 上層部からの、その通達。麗奈はそれを聞いた瞬間に、理解した。これは、ただのパーティーではない。これは、戦いだと。橘圭一隊長の、隣に立つ資格があるのは誰なのか。彼の唯一無二のパートナーとして。その夜、彼をエスコートする栄誉に浴するのは誰なのか。それを決めるための、代理戦争。そしてその勝敗を分ける最大の要因は、言うまでもなく『ドレス』だった。

 

 麗奈はショーウィンドウに飾られた煌びやかなドレスの数々を、冷徹なまでの分析眼で見つめていた。

 

 

(陽菜は、どうせ自分の元気さだけが取り柄だと勘違いしている。きっとオレンジか黄色か、そんな太陽のような単純な色を選ぶでしょう。デザインは動きやすいという理由をつけて、肌の露出が多い短い丈のミニドレス。子供っぽくて、下品だわ)

(雪乃は、人目を引くことを恐れる。フリフリのレースが多用された、淡い色の可愛らしいドレスを選ぶはず。守ってあげたいと思わせるための、あざとい戦略。見え透いています)

 

 

 ならば自分が選ぶべき道は、一つしかない。他の二人の「子供っぽさ」を完全に凌駕する、圧倒的なまでの「大人の女」の魅力。隊長は、本当は理解しているはずだ。気高く聡明な男性の隣に立つべきは己と同じ知性と気品と、そして洗練された色香を兼ね備えた成熟した女性であることを。

 

 その条件を満たすのはこの特四において、黒澤麗奈をおいて他にいないと。

 

 彼女の足は一軒の、完全予約制のオートクチュールメゾンで止まった。重厚なドアを開けると、静かなクラシック音楽と上質な香水の香りが彼女を迎える。

 

 

「いらっしゃいませ、黒澤様。お待ちしておりました」

 

 

 支配人らしき老紳士が、深々と頭を下げる。麗奈は、この日のために事前に入念なリサーチを済ませていた。そして、電話で自分の求めるドレスのイメージを詳細に伝えてあったのだ。

 

 案内されたVIPルーム。その中央に、一体のマネキンが、彼女のためだけの一着を纏って静かに立っていた。それは、漆黒のロングドレスだった。シルクとベルベットを織り交ぜた、深淵のような黒。光を吸い込み、夜そのものを纏うかのような圧倒的な存在感。フロントは、鎖骨のラインを美しく見せるシンプルなボートネック。

 

 しかし、そのドレスの真価は背面にこそあった。腰のくびれの、更に下まで。大胆ながらも計算され尽くした曲線で、大きくカッティングされた背中のデザイン。そこから覗く滑らかな肌は、どんな宝石よりも雄弁に女の美しさを物語るだろう。身体のラインを寸分の狂いもなくトレースし、歩く度に裾がまるで生き物のように優雅な波を描く。

 

 

(……完璧ね)

 

 

 麗奈はドレスに近づき、その滑らかな生地にそっと指で触れた。これならば、勝てる。いや、勝つのではない。格の違いを、見せつけるのだ。

 

 そして、祝勝会の夜。

 

 麗奈は計算通り、会場にいる全ての人間を魅了していた。彼女が歩けば視線が集まり、彼女が微笑めばため息が漏れる。

 

 彼女は知っていた。自分の美しさが、ただの造形美ではないことを。それは鍛え上げられた肉体と、揺るぎない精神から滲み出る一種の『権威』なのだと。

 

 艶やかな黒髪は、高い位置で結い上げたポニーテールに。うなじから首筋、そして肩甲骨へと続く滑らかな曲線。それは日々の鍛錬によって削ぎ落とされた、無駄のない機能美の極致。大胆に開いたドレスの背面は、その完璧なラインを、絵画のように切り取っていた。

 

 彼女の肌はまるで上質な白磁のように滑らかで、シャンデリアの光を浴びる度に淡い光沢を放つ。切れ長の瞳は理知的な光を宿しながらも、その目尻にある泣きボクロが見る者に官能的な余韻を残した。

 

 彼女が纏う、漆黒のドレス。それは彼女の白い肌とのコントラストを際立たせるための、完璧な選択。そしてそのドレスから伸びる、しなやかな脚を包む黒のストッキング。その上品な透け感は彼女の脚線美をより一層、煽情的に見せていた。

 

 男たちは、欲望の視線を向けてくる。女たちは、嫉妬と羨望の視線を向けてくる。そのどちらもが、麗奈にとっては心地の良いBGMに過ぎなかった。彼らの視線は自分の美しさが、この空間を支配していることの何よりの証明。他の二人がどれだけ子供じみたアピールをしようとも、この成熟した『女』だけが放つことの出来る絶対的なオーラの前では、霞んで消える運命なのだ。

 

 だが、そんなものはどうでもよかった。彼女の瞳が捉えているのは、たった一人。タキシードを少し窮屈そうに、しかし見事に着こなしている、橘圭一隊長、その人だけだった。彼女はシャンパングラスを手に、優雅な足取りで彼の元へと向かう。

 

 

「お待たせいたしました、隊長。今宵のあなたは、一段と素敵ですわ」

 

 

 努めて落ち着いた声で、そう告げる。内心では彼のその姿に心臓が高鳴っていたが、それを表情に出すほど彼女は未熟ではない。案の定、陽菜が腕に絡みつき、雪乃が遠くから熱い視線を送っている。

 

 

(愚かなこと…)

 

 

 麗奈は内心で嘲笑した。そんな、子供じみたアピールで隊長の心が動くとでも思っているのか。本当の勝負は、ここからだ。

 

 彼女の戦略は、シンプルかつ効果的だった。『橘圭一の、完璧なパートナーとして振る舞うこと』。彼女は常に橘の半歩後ろに立ち、彼の視線の動き、グラスの傾き、会話の相手、その全てを把握した。彼がグラスを空ければすかさずウェイターを呼び止め、彼の好きな銘柄のシャンパンを絶妙なタイミングで差し出す。

 

 上層部の退屈な自慢話に彼がうんざりした表情を見せれば、さりげなく会話に割り込み、「隊長、あちらで○○様がお呼びのようです」とスマートに彼をその場から救出する。

 

 他の部署の身の程知らずな女が彼に色目を使おうものなら、その前に立ちふさがり、「隊長は今、お話中ですの。ご遠慮いただいて?」と絶対零度の微笑みで牽制する。彼女のその完璧な立ち振る舞いは周囲の人間には「橘隊長のできる秘書、あるいは公私にわたるパートナー」として映っていた。

 

 もちろん、彼女自身へのアプローチも絶えなかった。

 

 

「麗しいお方だ。よろしければ、一杯いかがですかな?」

 

 

 下心丸出しの男が、ぬるりとした視線を向けてくる。麗奈は完璧な淑女の笑みを浮かべ、しかしその瞳には一切の感情を乗せずにこう返すのだ。

 

 

「申し訳ございません。私は今、隊長の護衛中ですの。いかなる時も、彼の側を離れるわけには参りません」

 

 

 その言葉は相手を撃退すると同時に、すぐ隣にいる橘への強力なアピールでもあった。

 

 

(聞こえましたか、隊長? 私はいつでも、あなたのものです。あなただけの、ものですから♡)

 

 

 全ては、計算通りに進んでいた。陽菜の物理的なアピールも、雪乃の精神的な揺さぶりも、この洗練された「大人の女」の戦略の前では児戯に等しい。そう…あの酔っ払った高官が現れるまでは。

 

 

「銀座へ繰り出さんかね?」

 

 

 その無神経な一言。麗奈の完璧な微笑みが、ぴしり、と音を立てて凍りついた。

 

 

(……なんですって?)

(この男は今、隊長を私から引き離そうと…? しかも私たちも一緒に、だと? まるで、隊長が私たちを侍らせているかのような、その言い草…ッ)

 

 

 許せない。彼女の頭の中で、何かがぷつりと切れた。一瞬、本気でこの男の首筋に手にしたフォークを突き立てようかと考えた。だが、その殺意は橘隊長の慌てたような、しかし的確な一言によって寸でのところで霧散した。

 

 

「特別な訓練が控えておりますので!」

「…ぇ」

 

 

 麗奈は高官が去った後、橘を見つめた。その言葉の意味を、反芻する。特別な訓練。二人きりの、特別な…? そのあまりにも甘美な可能性に、麗奈の心臓が再び激しく高鳴り始めた。先程までの殺意は、一瞬にして熱烈な期待へと変わる。

 

 

「……隊長。今の、どういう意味ですの?」

 

 

 彼女は、熱を帯びた瞳で彼に問いかけた。

 

 

「『特別な訓練』とは、一体どのような…?」

 

 

 その言葉は、まるで魔法の呪文だった。麗奈の頭の中で、先程までの殺伐とした思考が、一瞬にして甘美な妄想へと塗り替えられていく。

 

 

(特別な…訓練…)

 

 

 そうだ。隊長はただの鈍感な男ではない。彼は誰よりも聡明で、そして誰よりも深く物事を考えていらっしゃる御方。あの高官を退けるためだけなら、もっと他の言い方もあったはずだ。なのに何故、あえて「訓練」という意味深な言葉を選んだのか。

 

 

(まさか隊長は、この状況を逆手にとって…? このパーティーの後、私と二人きりになるための口実を…?)

 

 

 その可能性に思い至った瞬間、麗奈の心臓が、トクン、っと大きく跳ねた。彼の少し慌てたような、困ったような表情。あれは、照れ隠し…? 周囲の目がある手前、あからさまな誘いができず、自分にだけ分かるように秘密のサインを送ってくださったというのか…? 

 

 

 (ああ、なんてこと。なんて策士なのかしら、私たちの隊長は)

 

 

 麗奈の脳裏に、これから起こるであろう『特別な訓練』の光景が鮮やかに映し出される。

 

 場所はきっと、このホテルの最上階にあるスイートルーム。煌びやかなパーティー会場の喧騒から逃れ、二人きりになった静かな部屋。窓の外には、宝石を散りばめたような夜景が広がっている。

 

 隊長はまず、こうおっしゃるのだろう。

 

 

『今夜は疲れただろう』

 

 

 隊長は、己の肩を優しくマッサージしてくださる。それは、「潜入任務における緊張緩和訓練」という名目で。彼の大きくて温かい手が肌に触れる度にきっと、蕩けてしまいそうになる。

 

 

 そして、次は体術の訓練。

 

 

『敵に捕らされた際の、護身術を教えよう』

 

 

 そう言って後ろから優しく抱きしめる形で、手解きをしてくださるに違いない。彼の逞しい腕が己の体に絡みつき、耳元で彼の低い声と呼吸が聞こえる…。

 

 嗚呼…そんな訓練、まともに受けられるはずがない。

 

 

(…もうっ、隊長ったら、本当に、仕方のない御方…♡)

 

 

 クールな仮面の下で、麗奈の頬がカッと熱を帯びるのが分かった。こんな回りくどいことをしなくても、麗奈という女がいつだって隊長の全てを受け入れる準備ができていることくらい、お見通しのはずなのに。

 

 それでもこうして「訓練」という大義名分を用意してくださるのは、きっと隊長なりの気遣いと優しさ。そして少しばかりの、男性としての意地悪な遊び心。

 

 

 (いいでしょう、隊長。そのまどろっこしい、甘い駆け引き。今夜は、とことんまで付き合って差し上げますわ)

 (さあ聞かせてください、隊長。あなたと私の今宵の甘く、そして激しい『特別な訓練』の、詳細な計画を♡)

 

 

 麗奈はその黒いドレスの奥で来るべき至福の時を想い、静かに熱く心を燃え上がらせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (麗奈の目が怖い!! な、何だよ…俺ナニか変なこと言ったか…!!?)




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