俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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審判の時だ……もうヤダァ、おうち帰りたいよォ…うぅ。


審判の時 - (三人集結 視点) (橘視点)

 祝勝会の喧騒が、ピークに達しようとしていた頃。一人の男を巡る水面下の戦争もまた、最終局面を迎えようとしていた。

 

 

「隊長♡」

 

 

 きっかけは、陽菜の無邪気な一言だった。彼女は橘の腕に自分の腕を絡ませたまま、その豊満な胸をぐりぐりと押し付けた。柔らかく圧倒的な弾力を持つ、二つのマシュマロ。仕立ての良いタキシードの生地を押し潰し、その存在を力強く主張する。

 

 ジャケット越しに伝わる、隊長の華奢な腕の感触。その体温。その存在。その全てが、陽菜を幸福の絶頂へと導いていた。彼女にとってそれは、計算などではない。ただもっと隊長にくっついていたいという、純粋な愛情表現。

 

 ただそれだけ。

 

 だが、そのあまりにもストレートで物理的なアピールは、会場の空気を一変させるには十分すぎた。

 

 祝勝会は表向き、和やかに進んでいた。橘は各方面から賞賛の言葉を浴び、その度に完璧な笑顔で応じていた。その隣には常に、三人の美女がいる。

 

 黒いドレスの女は彼の影のように寄り添い、その身の回りの全てを完璧にサポートする。

 水色のドレスの女は少し離れた場所から彼だけを熱心に見つめ、その存在自体が一種の静謐な空間を作り出している。

 そしてオレンジ色のドレスの女は彼の腕に絡みつき、太陽のように輝いていた。

 

 その光景は一つの完成された、絵画のようでもあった。

 

 

「ねえねえ! そろそろ教えてくださいよ〜! 『特別な訓練』ってなんですか〜?」

 

 

 陽菜の元気な声が、会場の喧騒を突き抜けた。その一言は静かな水面に投じられた、巨石だった。完璧に保たれていた均衡が、音を立てて崩れ始める。

 

 彼女は悪気なく問いかける。純粋な好奇心。大好きな隊長と二人きりになれるかもしれないという、淡い期待。その言葉に、深い意味などない。だがその言葉に含まれる『特別』という響きは、他の二人にとっては聞き流すことのできない猛毒だった。

 

 その言葉に、それまでそれぞれのやり方で橘にアプローチを続けていた、麗奈と雪乃がぴくりと反応した。

 

 麗奈の動きが止まる。彼女はそれまで橘に話しかけようとしていた別の高官との間にさりげなく割り込み、その会話の流れを絶妙にコントロールしていた。その完璧な淑女の仮面の下で、陽菜の一言が鋭い棘のように突き刺さる。

 

 彼女の美しい唇が僅かに引き結ばれ、シャンパングラスを持つ指先に力が込められる。絶対零度の視線が、陽菜の腕と橘の腕が絡み合う一点に集中した。さながらその視線は獲物の急所を正確に捉える、スナイパーのスコープ。彼女の周りの空気の温度が、数度下がったように感じられた。黒いドレスが放つ威圧感が増し、夜の闇が更に深くなる。

 

 雪乃もまた反応した。陽菜の声が届いた瞬間、彼女の白い肩が微かに震えた。潤んだ瞳が見開かれ、その中に戸惑いと不安そして微かな怒りの色が宿る。

 

 周囲の男たちが遠巻きに固唾を飲んで、その光景を見守っている。

 

 

(始まった…)

(なんだあの状況…天国か? 地獄か?)

(橘隊長、頑張れ…! いや羨ましいから早く爆発しろ!)

 

 

 外野たる男たちを他所に、三人の美女たちは互いの顔をゆっくりと見合わせた。その視線が火花を散らす。

 

 麗奈の瞳が陽菜にこう語りかけていた。

 

 

(いつまで隊長に馴れ馴れしく、腕を絡めているのかしら? この脳筋ゴリラは…ッ)

 

 

 その視線は極寒の氷刃。陽菜の太陽のような輝きを凍てつかせようとする、絶対零度の侮蔑。麗奈は自らの立ち位置に、絶対の自信を持っていた。自分こそが隊長の右腕であり、公私に渡る最高のパートナー。知性と気品、そして洗練された色香。そのどれもが、他の二人を圧倒している。

 

 なのに…この娘はどうだ? ただ本能のままにじゃれつき、隊長の腕にその巨大な果実のような膨らみを押し付けるだけ。己の豊満マシュマロをだ。その行為は下品で、浅はか。そして何より、隊長の品位を貶めている。

 

 麗奈の完璧に計算された世界に存在する、許されざるバグ。それが赤城陽菜だった。黒いロングドレスが放つ静かな威圧感が、陽菜のオレンジ色の輝きを呑み込もうとする。

 

 陽菜の瞳が麗奈にこう言い返していた。

 

 

(麗奈先輩こそ、ねちっこいんですけど〜? 隊長が困ってるじゃないですか!? 気づいてます〜?)

 

 

 陽菜の視線は、真夏の太陽そのもの。麗奈の氷を溶かし尽くさんばかりの、純粋な敵意。陽菜には、麗奈の計算高い振る舞いが理解できなかった。

 

 

 なぜ好きな人の隣にいるのに、そんなに澄ましているのか。

 なぜもっと、素直に好きだと伝えないのか。

 

 

 麗奈先輩のやり方は、隊長を縛り付けているだけ。私のこの温もりこそ、隊長を癒せるのだ。そう陽菜は思い、そしてフンっと鼻で笑った。オレンジ色のミニドレスが放つ生命力に満ちたオーラが、麗奈の静的な闇に真っ向から勝負を挑む。

 

 

 そして、二人の視線が雪乃にこう問いかけていた。

 

 

(貴女いつの間にそんなポジションを確保しているの…!?)

(や、やるじゃん先輩…っ)

 

 

 麗奈にとっては、想定外の伏兵。陽菜にとっては、いつの間にか背後を取っていた不可視のゴースト。

 

 テラスで孤独を演じ、隊長の庇護欲を掻き立てる。そのあざとくも、効果的な戦術。そして今や彼女は、隊長の正面という最も重要なポジションを確保している。そのか弱い姿で隊長の良心に直接訴えかけるそのやり方は、麗奈の戦略とも陽菜の直情とも違う異質な脅威だった。

 

 黒き夜と真昼の太陽が同時に、白き月に敵意を向ける。雪乃は二人の視線を受け止めながらも、その瞳で静かにこう反論していた。

 

 

(…これが心と心の、繋がりです…フッ)

 

 

 雪乃の視線は静かな湖面。二人の激しい感情を映し込みながらも、決して揺らがない。麗奈のやり方は支配。陽菜のやり方は破壊。どちらも隊長の心を本当に理解してはいないと、雪乃は断言する。

 

 隊長が必要としているのは、彼の光を静かに受け止めその影に寄り添う存在。彼の言葉にならない痛みや孤独を、無言のままに理解する共感者。それは他の二人には、決して出来ない。

 

 雪乃という「デキる女」だけが、果たせる役割。二人が物理的な距離を競っている間に、雪乃は精神的な距離を完全に掌握していた。淡い水色のドレスが放つ儚げな光は二つの強烈な光を吸収し、中和するブラックホールのような引力を持っていた。

 

 

 バチチチチッ…!!! 

 

 

 見えない火花が三人の間で激しく弾け飛ぶ。橘圭一を中心に形成された三角形。その頂点に立つ三人の女神(悪魔)たちの間で、高密度なエネルギーが渦を巻く。

 

 会場のBGMの音量が一瞬、小さくなったようにさえ感じられた。それは錯覚ではない。三人が放つ圧倒的なプレッシャーが物理的に空気を震わせ、音波すらも捻じ曲げていたのだ。

 

 周囲の人間は息を呑む。誰もがこの異常な空間の中心で、ただ一人だけ笑顔を浮かべる男から目が離せない。彼の周りだけ、時空が歪んでいるかのようだった。

 

 そしてついに、その時は来た。静寂を破り審判の開始を告げたのは、やはり麗奈だった。彼女は陽菜や雪乃の存在などまるで意に介していないかのように、優雅に一歩前に出る。

 

 橘の手を、そっと両手で包み込んだ。その手は少しひんやりとしていて、まるで上質なシルクのよう。しかしその繊細な指先は決して逃がさないという、鋼の意志を伝えていた。麗奈はうっとりとした表情で、彼を見上げる。その完璧な角度計算され尽くした視線。切れ長の瞳が潤み泣きボクロが、妖艶な色香を放つ。

 

 

「さて隊長」

 

 

 その声に陽菜も雪乃もぴたりと動きを止める。三人の視線が再び、橘一人に集中した。にこやかな、しかしその瞳の奥には一切の笑みの色がない三つの美しい顔。それは最後の晩餐に臨む聖人を見つめる、三人の使徒のようであり。あるいはこれから始まる解体ショーを前に、獲物を見定める三体の捕食者のようでもあった。

 

 

「「「私たちの中で」」」

 

 

 三人の声が奇跡のように重なった。ソプラノとメゾソプラノとアルト。それぞれ異なる音色が、完璧なハーモニーを奏でる。それは教会の賛美歌のように神聖で、そして同時に地獄の釜が開く前の不気味な静けさを伴っていた。

 

 その神聖な不協和音を引き継ぎ、麗奈が尋問の口火を切る。

 

 

「今日のドレス、誰が一番隊長のお好みに合っていますか?」

 

 

 その問いはまるで、精密なメス。彼女は知っている。男という生き物が如何に視覚に弱いかを。この黒のロングドレスがもたらす、圧倒的なまでの『大人の女』の記号。大胆に開いた背中が描き出す官能的なライン。黒ストッキングが包む完璧な脚線美。

 

 これらは全て男の本能に直接訴えかけるための、戦略兵器。この問いに隊長が「君のドレスだ」と答えた瞬間、麗奈の勝利は確定する。それは他の二人の子供じみた魅力を隊長自身が否定したという、何よりの証明となるのだから。

 

 麗奈の問いが終わるか終わらないかのうちに、陽菜が畳みかける。

 

 

「誰が一番綺麗ですか!? ねえ隊長!」

 

 

 陽菜の問いは戦略などではない。それは純粋な欲求の爆発。彼女は自分の全てをこの一言に込めた。太陽を閉じ込めたオレンジ色のミニドレス。生命力に満ち溢れた、ダイナマイトボディ。はち切れんそうな胸元。ミニスカートから伸びる健康的な素足。

 

 そして何より、隊長が大好きだという気持ちが溢れ出すこの笑顔。これら全てをひっくるめて、「綺麗」だと認めてほしい。小難しい理屈じゃない。好きか嫌いか。綺麗かそうじゃないか。答えはもっとシンプルであるべきだと、彼女は信じている。その真っ直ぐすぎる瞳が、橘の心の壁を物理的にぶち抜こうとする。

 

 そして最後に雪乃が、とどめを刺す。彼女は橘のジャケットの裾を掴んだまま、その小さな顔を少し俯かせた。長いまつ毛が震え、か細い声が鼓膜を揺らす。

 

 

「…誰のお酌が一番嬉しかったですか…?」

 

 

 その問いは、前の二つとは全く質の異なる毒針。ドレスや見た目といった外面的な評価ではない。行為そのものに込められた、『心』を問うている。祝勝会の間、雪乃は誰よりも隊長の体調を気遣い、誰よりも彼の心の安寧を願ってお酌をした。(と彼女は信じている)そのささやかな献身。その見返りを求めないはずの奉仕。その価値を、今ここで証明してほしい。

 

 もし隊長が「君のお酌だ」と言ってくれたなら、それは他の二人の派手なアピールよりも、雪乃の静かな愛情が勝ったという証になる。潤んだ上目遣いが、橘の良心と罪悪感を的確に抉りにかかる。

 

 それは質問ではなかった。それは踏み絵だ。それはこの世で最も残酷な裁判。陪審員は目の前の三人の悪魔(美女)。そして被告人は橘圭一、ただ一人。逃げ場はない。黙秘権もない。彼に許されているのは、ただ一つ。自らの死刑執行方法を、その口で選択することだけだった。

 

 

(……終わった)

 

 

 橘の脳裏に、その三文字が走馬灯のように駆け巡った。

 

 

(俺の人生、ここで終わりだ…!!!)

 

 

 三方向から突きつけられた、あまりにも残酷な質問。それは彼の思考を完全に停止させた。右耳からは、陽菜の元気な声が鼓膜を叩く。「誰が一番綺麗ですか!?」と。

 

 左耳からは麗奈のシルクのような声が脳を侵食する。「誰のドレスがお好みですか?」と。

 

 そして正面からは雪乃の、か細い声が心の臓を直接掴む。「誰のお酌が嬉しかったですか…?」と。

 

 三つの問いはそれぞれが独立していながら、完璧な連携で彼の逃げ道を塞いでいた。

 

 

(どうするどうするどうするどうするどうする!!?)

 

 

 彼の貧弱なCPUが悲鳴を上げて、高速で回転を始める。あらゆる可能性をシミュレートする。生き残るための、ただ一つの正解を。だが、導き出される結論はどれも同じだった。

 

 絶望。ただそれだけ。

 

 

(ケース1:麗奈を選ぶ)

 

 

「やはり、君のドレスが一番だ。大人の魅力があって素晴らしい」

 

 

 そう答えた瞬間を想像する。麗奈は満足げに微笑むだろう。その黒い瞳が勝利の輝きに満ち、「やはり隊長は分かっていらっしゃる」とでも言うように、うっとりと彼を見つめる。

 

 だがその幸福な時間は、一瞬で終わる。まず、右腕に激痛が走る。陽菜が絡めていた腕に込められた握力が、橘の骨を粉砕するからだ。

 

 

「へえ〜…隊長はそっちが好みなんだ〜?」

 

 

 その太陽のような笑顔は完全に消え失せ、代わりに能面のような無表情がそこにある。彼女はきっと何も言わない。ただ静かに橘の腕を握り潰し、その痛みが彼の全身を駆け巡るのを楽しむだろう。

 

 そして正面。雪乃は静かに涙を流す。

 

 

「私のセンスは、隊長のお眼鏡に叶いませんでしたか…」

 

 

 そのか細い声は、周囲の人間の同情を誘うだろう。そして彼女は、ふらりと窓際へ歩み寄る。

 

 

「私の存在価値は…もう…」

 

 

 そう呟いてこのホテルの最上階から美しい夜景に向かって、その儚い身を投げるに違いない。そうなれば橘は部下を自殺に追い込んだ鬼畜上司として、社会的に抹殺される。陽菜に腕を砕かれ、雪乃に社会的に殺される。それが麗奈を選んだ場合の未来。

 

 

(ケース2:陽菜を選ぶ)

 

 

「陽菜、君が一番綺麗だよ。太陽みたいで見ていて元気になる」

 

 

 そう答えた瞬間を想像する。

 

 

「きゃー! 本当ですか隊長! 嬉しい! きゃ♡」

 

 

 陽菜は満面の笑みで飛び跳ね、その豊満なマシュマロを更に強く橘に押し付けてくるだろう。その背後で。麗奈の纏う空気が、絶対零度を下回る。

 

 

「…そうですか。隊長はああいう『子供っぽい』のがお好みなのですね」

 

 

 その声には、何の感情も含まれていない。だがそれがら何よりも恐ろしい。彼女は何も言わず、その場を去るだろう。そして橘の知らないところで、完璧な計画を立てる。

 

 明日の朝食。彼の口にするもの全てに致死量に満たないが、一生苦しむことになる神経毒を完璧な分量で混入させる。あるいは彼のキャリアを終わらせるためのスキャンダルを捏造し、彼の父親である次長の耳に入れるかもしれない。彼女の知的な復讐は、橘が決して逃れられない蜘蛛の巣のように張り巡らされる。

 

 そして雪乃は? 

 

 結果は同じだ。彼女は自分の存在を否定されたと感じ、静かに消えることを選ぶだろう。陽菜の腕の中で束の間の幸福を味わいながら、麗奈の知的な罠と雪乃の静かな自決によって人生を終える。それが陽菜を選んだ場合の未来。

 

 

(ケース3:雪乃を選ぶ)

 

 

「…雪乃。君のものが一番美味しかった。君の気持ちが、一番嬉しかったよ」

 

 

 そう答えた瞬間を想像する。雪乃の顔がぽっと桜色に染まるだろう。

 

 

「…本当、ですか…? 嬉しい…です…♡」

 

 

 彼女は幸せそうに俯き、橘のジャケットの裾をさらに強く握りしめる。だがその幸福な光景は、地獄への序曲に過ぎない。

 

 

「「へえ〜」」

 

 

 左右から、麗奈と陽菜の声が重なる。その声は笑っているのに、全く笑っていない。二人はアイコンタクトを交わし、瞬時に合意形成を成すだろう。

 

 

『この男は危険だ』と。

『我々二人を差し置いて、あのか弱い女を選ぶとは見る目がない』と。

『ならば我々で管理し教育し、再プログラムする必要がある』と。

 

 

 その日の夜、橘の部屋のドアが音もなく開けられる。そして己は、二人の美女によってどこかへ連れ去られるのだ。そこはきっと窓のない地下室。二度と日の光を浴びることはない。

 

 麗奈による精神的な調教と、陽菜による物理的な調教が永遠に続く。己は彼女たち二人だけのペットになる。雪乃のささやかな勝利は橘にとっての、永遠の監禁生活の始まりを意味する。それが雪乃を選んだ場合の未来。

 

 

(詰んでる…!!? 完全に詰んでるじゃないか…!!!)

 

 

 どの選択肢を選んでも、待っているのは確実な『死』。あるいは死よりも辛い何か。橘は顔面蒼白になりながら、必死で脳を回転させた。何か、この絶望的な状況を打開する一言はないのか。あの時のような、奇跡の一言は。

 

 

「皆で食べよう」と提案した、あの朝食会のように。

「特別な訓練がある」と誤魔化した、あの高官への対応のように。

 

 

(後者はダメだった!!! 「特別な訓練がある」を言わなくければこんなことには…っ。そもそも! 俺は悪くない! 無実なんだ! 悪いのはハゲ高官だ! 悪いのは美女の姿をした悪魔だ! 断言する…俺は悪くない!!!)

 

 

 とにかく、今回も何かあるはずだ。この三つの問いを全てクリアし、誰も傷つけず、そして何より自分が生き残るための完璧な解答が。

 

 

(そうだ…質問を分解しろ…!)

 

 

 彼は思考を切り替える。麗奈の問いは「ドレスの好み」。陽菜の問いは「見た目の美しさ」。雪乃の問いは「行為への感謝」。それぞれが異なるジャンルの問いだ。ならば一人ずつに、異なる答えを返せばいいのではないか? 

 

 

(麗奈には「君のドレスはセンスが良くて素敵だ」と答え)

(陽菜には「君の笑顔は誰よりも輝いていて綺麗だ」と答え)

(雪乃には「君の心遣いは何よりも心に染みた」と答える…)

(これだ! これしかない!)

 

 

 一筋の光明が見えた気がした。彼は震える唇を必死で動かし、その完璧な解答を口にしようとした。

 

 だが彼の口から出てきたのは、声にならない空気の漏れる音だけだった。

 

 

「あ…え…その…」

 

 

 ダメだ。声が出ない。三人の視線が彼を縛り付けている。麗奈の黒い瞳がら彼の知性を試すように射抜く。陽菜の大きな瞳が、彼の本心を暴こうとするように見つめる。雪乃の潤んだ瞳が、彼の良心に訴えかけるように揺れる。その期待と圧力に満ちた視線の中で、橘の意識はゆっくりと白く染まっていくのだった。

 

 脳が思考を放棄する。胃がその活動を停止する。全身の血が氷のように冷たくなっていく。

 

 彼の人生を賭けた、最後の裁判。その判決が下されるのは、彼がこの地獄から意識を取り戻した、少し未来の話である。




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