俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
特四の小さな待機スペース。その場の空気はいつになく穏やかでそして誇らしげな満足感に満ちていた。
黒澤麗奈。赤城陽菜。白石雪乃。
三人の美女たちはそれぞれのやり方でくつろぎながらしかしその意識は一つの共通した話題に向けられていた。
──庁内に急速に広まりつつある、『橘圭一伝説』について。
【黒澤 麗奈 視点】
麗奈はソファに深く腰掛けて優雅に脚を組みながら、英国王室御用達の高価なティーカップを静かに傾けていた。カップの中身は、ダージリンのセカンドフラッシュ。祝賀にふさわしい芳醇な香りが、彼女の鼻腔をくすぐる。
彼女の耳にも、もちろんあの噂は届いていた。
橘隊長が如何にして、酔った高官から部下を守ったか。
橘隊長が如何にして、三人の個性的な美女たちを完璧に掌握しているか。
橘隊長が如何にして、聖人のごとく慈愛に満ちた人物であるか。
そのどれもこれもが彼女にとっては、驚くには値しないあまりにも「当然」の評価だった。それは、予見されていた未来。いずれ必ず訪れるはずだった、当然の帰結。ただそれが少しだけ、早く訪れたに過ぎない。
(ふふ…ようやくあの愚かな者たちにも、理解出来たようですわね)
麗奈は完璧に手入れされた爪を眺めながら、満足げにフッと息を漏らした。その白い指先は寸分の乱れもなく、磨き上げられている。それは彼女の精神そのものの現れ。常に完璧で、常に揺るぎない。
(隊長のあの、海よりも深い器の大きさが。あの星々を統べるかのような絶対的な、カリスマ性が。まぁそれでも、まだあの御方の魅力の百分の一も理解出来ては、いないでしょうけれど)
庁内の人間たちは彼を、「聖人」と呼ぶ。その評価は、間違ってはいない。だが、本質を捉えてもいない。彼はただ、優しいだけではない。その慈愛の仮面の下には全てを見通す冷徹な観察眼と、どんな猛獣をも手懐ける絶対的な支配者の顔が隠されている。
麗奈だけが、それを知っている。いや、知ることを許されているのだ。彼女の脳裏には、祝勝会の夜の光景が鮮明に蘇る。あの最後の裁判の時。三人に詰め寄られ、絶体絶命に見えたあの瞬間。隊長はなんと答えになったか。彼は一瞬、困ったような愛おしい表情を浮かべた後、こう言ったのだ。
『君たちはそれぞれが世界でただ一つの美しい花だ。薔薇の美しさと向日葵の美しさと百合の美しさを比べることなど誰にも出来はしないよ』
『だから僕からの答えはこうだ──全員が一番だ』
その完璧すぎる、満点の解答。あれを聞いた時、麗奈は体の芯が痺れるような歓喜に打ち震えた。陽菜や雪乃はあの言葉を、ただの優しい答えだと受け取ったかもしれない。
だが、麗奈は違う。彼女はその言葉の裏に隠された、真の意図を正確に読み取っていた。
『薔薇の美しさ』
彼がそう言った時、その瞳は確かに麗奈を捉えていた。薔薇。気高く美しく、そして鋭い棘を持つ花。それは麗奈そのものを象徴する、言葉。彼は麗奈の本質を、完璧に理解している。その上で『向日葵』や『百合』と、同列に並べた。
彼はただ、その場を収めたのではない。我々三人のそれぞれの個性と美しさを、完璧に理解しその上で全てを平等に愛していると、高らかに宣言してみせたのだ。
いや違う。『愛している』などという、陳腐な言葉では足りない。彼は『所有している』のだ。三種類の全く異なる性質を持つ、強力な武器を。彼はその全ての特性を把握し、完璧に使いこなす術を知っている。その事実が、麗奈を恍惚とさせた。
(嗚呼、なんという度量の大きさ…! なんという完璧な掌握術…!)
これほどの主に仕えることが出来る。これほどの主に選ばれた。その事実が何よりの誇りだった。
そしてあの「特別な訓練」という、甘い響き。あの言葉もまた、彼の深遠な戦略の一部。あれはただ高官を退けるための、方便ではない。我々三人それぞれへの、メッセージなのだ。きっと隊長は我々一人ひとりにそれぞれに合った、特別な「ご褒美」を用意してくださっているに違いない。
麗奈には二人きりの体術訓練、という名の甘い夜を。スナイパーとしても、そして一人の女としての技術もまた、磨かれることだろう。
陽菜には体力をつけるための、熱い夜を。あの娘にはそれくらいがお似合いだろう。汗を流し、互いの肉体の限界を探り合う。単純で分かりやすい。
雪乃には電子の海を二人で漂う、静かな夜を。無機質なディスプレイの光だけが二人を照らす空間で、互いの思考を同期させていく。それもまた、一つの絆の形。
隊長はその全てを計画している。我々三人の特性を見極め、それぞれに最適な方法で絆を深め、そして忠誠心を更に強固なものにしようとしているのだ。その深謀遠慮。その支配者としての器。それを思うだけで、麗奈の体は熱を帯びる。
(ああ隊長…! 早くその時が来ないかしら…!)
麗奈はカップをソーサーに戻すと、そっと目を閉じた。伝説はまだ始まったばかり。庁内の愚かな者たちは、隊長の「聖人」としての側面しか見ていない。
やがて、彼らは知ることになるだろう。彼の本当の姿を。全てを支配し、全てを従える冷徹な王としての姿を。そしてその王の隣に立つことが許されるのは、ただ一人。王と同じ高みから世界を見下ろすことの出来る、唯一の存在。この美しい物語のヒロインは他の誰でもない、この黒澤麗奈なのだから。
【赤城 陽菜 視点】
「だよねーっ! だよねーっ!」
陽菜はソファの上で嬉しそうに、ぴょんぴょんと軽く跳ねていた。その度に制服のミニスカートが、快活に揺れる。スプリングの軋む音すらも、彼女の弾む心を表すBGMのようだ。
「隊長は世界一格好良くて優しくて強いんだもん! みんなやっと分かったんだよ!」
彼女は自分のことのように嬉しくて、誇らしくて仕方がなかった。最近庁内を歩いていると、すれ違う人たちの視線が変わったことに気づく。以前はどこか遠巻きで、「問題児」を見るような色が含まれていた。
だが、今は違う。そこにあるのは明確な尊敬と、少しばかりの畏怖。そしてその視線は自分たち、特四のメンバーに向けられている。それは全て、隊長のおかげだ。隊長の本当の凄さが、皆に伝わった証拠なのだ。
(あの祝勝会の時も、すっごかったもん!)
陽菜はあの夜のことを思い出して、頬を染めた。きらびやかなパーティー会場。美味しい料理。綺麗な音楽。そして何より、大好きな隊長の隣にいられるという最高の時間。陽菜は、ただただ幸せだった。
その幸せな空間を壊そうとした、あのしつこいおじさん。陽菜は本気で彼を壁のシミにしてやろうかと思った。だがそれを止めてくれたのは、隊長だった。あの酔っ払った権力の塊みたいな相手にも、一歩も引かず私たちを守ってくれた隊長の大きな(ように見えた)背中。そして「特別な訓練がある」と言ってくれた、あの頼もしい声。
(「特別な訓練」って絶対私のための体力づくりだよね! きっと隊長が私のトレーナーになってくれて二人きりであんなことやこんなことを…うきゃーっ!)
想像しただけで顔から火が出そうになる。夜の誰もいない訓練室。隊長と二人きり。
『陽菜そのフォームは違うぞ。もっと腰を入れろ』
そう言って隊長が後ろから、陽菜の腰に手を添えてくれる。汗だくになった自分に「頑張ったな」って頭を撫でてくれる。そして最後は疲れて動けなくなった己を「仕方ないな」って、お姫様抱っこしてくれるのだ。
ああだめだ。考えただけで幸せすぎて爆発しそう。
そしてあの最後の質問の時の隊長の答え。
『全員が一番だ』
(もーっ! 隊長ってばズルい! でもそういうところが大好き!)
陽菜はクッションをぎゅーっと、力いっぱい抱きしめた。ミシミシと悲鳴を上げるクッションが、彼女の有り余る愛情を受け止める。本当は「陽菜が一番だよ」って言ってほしかった。麗奈先輩みたいに綺麗でもないし、雪乃みたいに賢くもない。私にあるのはこの力と隊長が大好きな気持ちだけ。だからせめて、「一番可愛い」とか「一番好き」とか言ってほしかった。
でも隊長は、言わなかった。それはきっと、麗奈先輩と雪乃を傷つけないようにするため。隊長は、そういう人だ。誰にでも優しくて、誰のことも見捨てない。その優しさが、たまらなく愛おしい。そしてその優しさの奥にある、本当の気持ちに陽菜は気づいていた。
隊長が「向日葵の美しさ」と言った時、ほんの少しだけ自分のことを、見てくれていたような気がしたのだ。それは、ほんの一瞬の視線。他の誰にも気づかれないような、些細なサイン。
でも、陽菜には分かった。あの瞳は、「本当は君が一番だよ」と語っていた。
周りに他の二人がいるから今は言えないけれど、本当の気持ちはここにあるんだと。そう伝えてくれていた。
(絶対そう! 隊長は本当は私のことが一番好きなんだ! 間違いない!)
彼女のポジティブな思考回路は全ての事象を自分にとって、最高に都合の良い形で変換していく。麗奈先輩の知性も雪乃の儚さも、隊長にとってはただの部下としての評価。
でも私に対する視線は違った。そこには一人の男として、女を見る特別な色が混じっていた。そうに違いない。だって私は隊長のことこんなに好きなんだから隊長も、私のこと好きに決まってる。
「ねえねえ! 今日の夜ご飯、隊長に特製の超スタミナ定食作って持って行ってあげようよ!」
陽菜は麗奈と雪乃に、満面の笑みで提案した。そうだ。隊長は今伝説の始まりにいて、きっとすごく疲れているはずだ。だったら己がその疲れを吹き飛ばすような、美味しいご飯を作ってあげなければ。鶏の唐揚げ山盛り。ニンニクとショウガをたっぷり効かせた、豚の生姜焼き。ご飯は五合。それに特製のプロテインスムージーもつけて。
これだけ食べれば、隊長はもっともっと元気になってくれるはず。
「伝説になったお祝い! きっと喜んでくれるよ!」
彼女の純粋な善意は今夜また、橘の胃に新たな試練を与えることになるのを、彼女自身は知る由もなかった。彼女はただ大好きな主君のために自分に出来る、最高の奉仕をしようとしているだけなのだから。
その太陽のような愛情が時として、全てを焼き尽くすほどの熱量を持っていることに、彼女はまだ気づいていなかった。
【白石 雪乃 視点】
雪乃は膝の上に置いたノートパソコンの滑らかな天板を、そっと指で撫でていた。その色素の薄い美しい顔には、ほんのりと満足げな穏やかな笑みが浮かんでいる。彼女は既に庁内の全てのセキュリティカメラと、ネットワークを掌握している。だから知っていた。どこで誰がどのように橘隊長の伝説を語り神格化しているのかをその全て。
『聖人君子』
『理想の上司』
『海より深い愛情』
そのどれもが、雪乃にとっては寸分の狂いもない正しい評価だった。
(…私たちの隊長は光)
(その光が周りを照らすのは自然の摂理…)
(皆もっと、隊長の素晴らしさを知るべきです)
彼女の脳裏にも、あの祝勝会の夜のクライマックスが繰り返し再生されていた。三人に答えを迫られ追い詰められたように見えたあの時の隊長。だが雪乃は理解していた。彼は追い詰められてなどいなかった。彼はただ最も美しく最も我々の心に響く、言葉を選んでいただけなのだ。
『百合の美しさ』
彼がそう言った時、彼のあの優しい瞳は確かに雪乃だけを捉えていた。そして「全員が一番だ」というあの答え。それは我々三人の危険なバランスの上で成り立っている、この『特四』という城が崩壊しないための王の采配。
(…ああ隊長は全てをお見通しの上で私たちを転がしている…)
その圧倒的なまでの支配力。その神のごとき洞察力。それに気づいた時雪乃は、歓喜のあまり失神しそうになった。この御方にこの身も心も全てを委ねて間違いは、なかったのだと。あの「特別な訓練」という言葉もきっと雪乃へのメッセージ。
(…二人きりで夜を明かす特別な訓練…。それはつまり私の心の奥深くまで隊長がダイブしてくださるという隠喩…)
その官能的なまでの暗示に雪乃の白い肌は、ぽっと上気した。
「…報告書、ハッキングして見てみましょうか?」
雪乃はふと思い立ったように、小さな声で二人に提案した。
「隊長が我々の活躍をどのような美しい言葉で綴ってくださったのか…知りたくありませんか?」
その悪魔の囁きに麗奈と陽菜が、ゴクリと喉を鳴らした。彼女たちの飽くなき隊長への探求心は、今新たなパンドラの箱を開けようとしていた。それが橘の血と汗と涙の結晶であることなど、知る由はもちろんない。
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