俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
──でも隊長だけは違ったんです!
陽菜の脳裏にあの日の、埃っぽい訓練場の光景が鮮やかに蘇る。
警察学校は、なんとか卒業した。卒業できたのは、ただ彼女のその規格外の身体能力が評価されたからに他ならない。
体力測定ではあらゆる記録を軽々と更新し、教官たちを唖然とさせた。格闘技の授業では屈強な男性教官ですら手加減を懇願するほどだった。その圧倒的なまでのフィジカルモンスターっぷりは、良くも悪くも伝説となった。
しかしその一方で。
筆記試験はいつもギリギリ。協調性や規律を重んじる集団行動は、いつも最低評価。彼女にとって集団行動とは自分の力を極限まで抑え込み、周囲の脆弱な人間たちに合わせるという、苦行でしかなかったからだ。
それでも、自分は警察官になった。亡くなったおじいちゃんとの約束だったから。
『その力で人を守る人間になれ』
その言葉だけを胸に抱いて。それが、彼女の人生の全てだった。
だが、現実は厳しかった。最初に配属された交番勤務では、彼女の善意は常に最悪の結果を招いた。道に迷ったお年寄りの手を引けば、その腕を脱臼させ。喧嘩の仲裁に入れば、両者をまとめて病院送りにし。ただそこにいるだけで、地域の住民を怖がらせてしまった。
『あの交番の新人さん、熊でも倒しそうよね』
『そうね。頼もしいとは思うけれど…ちょっとね』
『全くだわ。可愛い顔してるのに、怖いわよ』
そんな陰口が彼女の耳に届かない日は、なかった。そして、決定的な事件が起きた。自転車泥棒を捕まえようとして、その自転車ごと犯人をパトカーに叩きつけて大問題になった。
犯人は全治三ヶ月の重傷。パトカーは廃車。自転車は原型を留めない、鉄屑と化した。彼女はただ、犯人を捕まえようとしただけだった。だが結果として彼女には、傷害と器物損壊の容疑で始末書の山が築かれた。
次に配属された機動隊では、その有り余る力がついに役立つ時が来たかと思った。そこは力の強さが正義となる世界のはず…だった。しかしそこでも、彼女は孤立した。
訓練で力をセーブするという概念が、彼女にはなかった。デモ隊の制圧訓練では屈強な教官たちが束になって構える、ジュラルミンの大盾を素手で握り潰し。テロリストのアジトへの突入訓練では、訓練用の分厚い鉄の扉をノックするように、デコピンでひっくり返した。
同僚の男たちは最初は驚き、その規格外のパワーに目を輝かせた。だが、それもやがては、気味の悪いものを見るそれに変わりした。そして最後には、彼女を女として見ることをやめた。
彼らにとって陽菜は、もはや同僚ではなかった。それは人間の形をした兵器。感情のない、戦闘マシーン。
『化け物』
『女サイボーグ』
『人間サイズの重機』
あだ名は変わっても、向けられる視線の種類は同じだった。
誰も彼女を食事に誘わない。
誰も彼女に笑顔を向けない。
誰も彼女に恋の話をしない。
陽菜は、孤独だった。ここでも自分は、一人ぼっちだ。己のこの力は、人を怖がらせるだけの呪われたもの。
おじいちゃんの言葉が、脳裏をよぎる。
『人を守る力』
嘘だ。この力は人を傷つけ、人を遠ざけるだけじゃないか。彼女は訓練が終わった後、一人でトレーニングルームのサンドバッグを殴り続けた。『ドゴォッ』という轟音と共にサンドバッグが千切れ、飛び中身の砂が虚しく舞う。
その光景が、まるで自分の心のようだった。強すぎる力のせいで、中身が空っぽになっていく。もう警察官を辞めようか。実家に帰って誰にも会わず、静かに暮らそうか。
そう諦めかけていた時、彼女に辞令が下った。
『特殊凶悪犯対策課 第四係への異動を命ず』
一枚の紙切れが、彼女の未来を決定した。そこに書かれた無機質な文字列。陽菜はその辞令を、何度も読み返した。だがそこに、希望を見出すことはできなかった。
特四。
新設された謎の部隊。その名前を聞いた時、陽菜の脳裏に浮かんだのは期待ではなかった。諦観だった。庁内ではすでに噂が流れていた。各部署で持て余された規格外の、「問題児」たちを集めるための特別な部署が作られると。
それはエリート部隊などではない。それは隔離施設だ。社会という精密機械に馴染めない規格外の部品を、一時的に収容しておくための廃棄場。そこが自分のような「問題児」を集めるための隔離施設であることは、陽菜にもなんとなく分かっていた。
結局自分はどこへ行っても、厄介者なのだ。
(あははは…もう、どうでもいいや)
彼女はそう思っていた。交番でも機動隊でも、彼女は必死だった。認められたかった。受け入れられたかった。普通の女の子として扱われたかった。だがその願いは、ことごとく打ち砕かれた。
もう、疲れた。誰かに期待することも期待されることも。どうせここでも、同じことの繰り返しだ。新しい場所。新しい同僚。新しい上司。彼らも最初は、物珍しそうに自分を見るだろう。そして自分の力を目の当たりにして驚き、やがて怯えそして遠ざかっていく。
その光景はもう、見飽きた。期待するだけ、無駄だ。
そして、特四での初めての実践訓練の日。彼女はまた、同じ過ちを繰り返してしまった。模擬戦の相手役だったベテラン教官。
『遠慮せずにかかってこい!』と豪語していたその男を軽く投げ飛ばしたつもりが、その教官は体育館の壁を突き破り、隣の倉庫まで飛んでいってしまった。コンクリートの壁に空いた、人間型の穴。その向こう側で白目を剥いて、気絶している教官。
訓練は中断。体育館は水を打ったように静まり返る。響き渡るのは壁の破片がパラパラと崩れ落ちる、乾いた音だけ。沢山もの冷たい視線が、陽菜に突き刺さる。
そこにはもう、驚きすらない。ただただ厄介なものを見るような、色だけがあった。
『またか』と顔をしかめる、教官たちの呆れた表情。その視線が、陽菜の心を抉る。嗚呼、またやってしまった。また、皆を怖がらせてしまった。ごめんなさい。本当に…ごめんなさい。
陽菜は俯き、唇をキツく噛み締めた。涙がこぼれ落ちそうになるのを、必死でこらえた。ここにも、私の居場所はない。期待を捨てたはずなのに、心のどこかでまだ信じていた自分が馬鹿だった。ここならあるいは、っと。だが現実は、どこまでも行っても同じだった。
その時だった。一人の男が、彼女の元へと歩み寄ってきた。カツカツという、革靴の音。その音は静まり返った体育館に、やけに大きく響いた。それはこの特四の隊長だという、橘圭一その人だった。彼は壁に大穴を開けて気絶している教官には目もくれず、ただ真っ直ぐに陽菜のことだけを見ていた。
その行動自体が、異常だった。普通ならまず、気絶した教官の元へ駆け寄るはずだ。なのにこの男は、まるで教官など存在しないかのように、陽菜だけを見つめている。
(お、怒られる…っ)
陽菜は身を固くした。今度こそ終わりだ。これだけの失態を犯したのだ。もう、弁解の余地はない。
(は、ははは…っ、『化け物め! 出ていけ!』って言われるんだ)
そう覚悟した。今まで何度も、言われてきた言葉。もう慣れたはずだった。だが今この瞬間、その言葉を言われることを陽菜は心の底から恐れていた。何故かは、分からない。ただこの人にだけは、そう言われたくなかった。けれど彼の口から発せられた言葉は、陽菜の予想とは全く違うものだった。
「──すごいパワーだな」
その声には驚きと非難の色など微塵もない、純粋な感嘆の響きがあった。陽菜は驚いて、顔を上げた。橘は少し困ったように笑いながら、しかしその優しい瞳で陽菜の目を真っ直ぐに見つめて言った。その視線は彼女の心の奥底まで、見透かすようだった。彼女が隠していた孤独も悲しみも、その全てを受け止めるような深い色をしていた。
その言葉が、陽菜の孤独だった心を救った。
「君のその力はきっと、たくさんの人を守るために使えるはずだ。期待しているよ、赤城 陽菜 隊員」
──その瞬間。陽菜の世界が変わった。雷に打たれたような衝撃。全身の細胞が、歓喜に打ち震えるのを感じた。
(…うそ、今この人…)
(私のこの呪われた力を…『すごい』って言ってくれた…?)
(『人を守るために使える』って…? 『期待している』って…?)
生まれて初めてだった。自分のこの忌まわしいだけの力を、肯定されたのは。それもただ、肯定されただけじゃない。おじいちゃんが言ってくれたように、『人を守るため』の力だと信じてくれた。そして『期待している』と、言ってくれた。
今まで誰からも、期待などされたことがなかった。ただ問題を起こさないようにと、それだけを望まれてきたこの陽菜が。この人は分かってくれる。この力の本質を。この力の本当の価値を。そして、この力に苦しんできた私の心を。
(…この人だ)
陽菜は確信した。目の前に立つこの華奢で優しくて、少し頼りなげなこの人こそが。
(私の本当の力を分かってくれる、たった一人の!! 私の主君だ!!!)
おじいちゃんが亡くなってから、ずっと探していた。自分のこの全ての力を捧げるに値する主を。その主君にようやく、出会えたのだ。この人のためなら陽菜は、なんだってできる。どんな敵だって倒せる。どんな壁だって壊せる。この人を守るためなら、この身がどうなってもいい。むしろ、この身を捧げたい。この有り余る力の全てを、この人のために使いたい。
「ひ、陽菜。き、君はね、そのままでいいんだよ?」
回想が終わる。目の前にはあの時と同じように、優しい少し困ったような笑顔を浮かべる橘隊長がいた。陽菜は大きな瞳にいっぱいの涙を溜めながら、最高の笑顔を彼に向けた。
その笑顔はもはや、悲しみの色など微塵も含んではいなかった。長年彼女を覆っていた孤独という分厚い雲は、完全に晴れ渡っていた。そこにあるのは絶対の信頼と、どこまでもまっすぐな愛情だけ。それはまるで生まれたての雛鳥が、初めて見た親に向けるような無垢で純粋な眼差しだった。
「──だから隊長!」
「ハァイ!」
彼女の声は力強くそして喜びに満ちていた。もう迷わない。もう俯かない。自分の力の使い道を、ようやく見つけたのだから。
「私のこの力はぜーんぶ隊長のためにあるんです! 隊長が敵に襲われたら私が守ります!」
「そ、そうか! そ、そそそれは頼もしいよ!」
その言葉に嘘偽りは一切ない。もし隊長に銃口が向けられるなら、陽菜は躊躇なくその銃弾の前に立つだろう。彼女の筋肉は鋼鉄よりも硬い。銃弾など蚊に刺された程度にしか感じない。もし隊長が爆弾を仕掛けられた車に乗せられたなら、陽菜は走る車に追いつき、その鉄の塊を素手でこじ開けて彼を救出するだろう。
どんな脅威もどんな暴力も、陽菜の前では無力だ。何故なら隊長の、最強の盾だから。
「隊長が悲しい顔をしてたら、その原因を私が全部ブッ飛ばします!」
「ぶ、ブッ飛ばす…」
もし隊長を悩ませる書類の山があるなら、陽菜はその書類もろともデスクを粉砕するだろう。もし隊長を侮辱する人間がいるなら、陽菜はその人間を物理的にこの世から消し去るだろう。
たとえその原因が些細なことであっても、陽菜には関係ない。隊長を悲しませるものは、全てが悪。悪は全て、滅ぼさなければならない。これこそが、絶対的な正義。
「だから…だから! これからもずっと! 私を使ってください! 隊長の最強の剣として! 盾として!」
「」
彼女はそう言うと、椅子から立ち上がり橘の目の前でビシっと敬礼した。指先まで力のこもった完璧な敬礼。そのダイナマイトな胸が誇らしげに、ぐっと張られる。制服のワイシャツがはち切れんばかりに張り詰め、その圧倒的な存在感を際立たせた。
その姿は、もはや孤独な怪物などではなかった。敬愛する主君に絶対の忠誠を誓う、勇ましく美しい一人の女騎士だった。
彼女はようやく見つけたのだ。
自分の存在意義を。自分の力の意味を。
この人のためなら、どんなことでもできる。
この人の笑顔を守れるなら、どんな罪でも背負える。
それが彼女の全て。
それが彼女の正義。
その力がいつか主君自身を滅ぼしかねない諸刃の剣であることなど、陽菜は知る由もなかった。
■
【おまけ : 当時の橘の反応集】
(うわ、やべえ可愛い女が来た…)
(うわ、やべえ破壊神が来た…)
「君のその力はきっと、たくさんの人を守るために使えるはずだ。期待しているよ、赤城 陽菜 隊員」(化け物ちゃん頼むから!? そのパワーを、そこらの人間や備品に向けるんじゃなくて!! せめて! せめてなんかこう…凶悪犯とかテロリストとか、そういう『人を守る』っていう大義名分のある、まともな方向に使ってくれ!!? 頼む!! そうでもしなきゃ俺の胃が、もたないんだよ!!)
【おまけ : 現在の橘の反応集】
「よく話してくれたな、陽菜」(まあ、こいつはこいつで、目の保養にはなるんだが…うわ、イイ匂い! 髪の毛サラサラだなァ。マシュマロもデカいと来た…嗚呼クソっ、揉みくちゃにしてェ。なぁ、たまにはイイだろ? なんなら押し倒して俺の色で染めてやるよ! 慰謝料もらってないからナァ!!!)
「うわあああああん! た、隊長ぉぉぉぉっ!」
「むぅ…!? むぅぅぅッ!!?」(窒息する。柔らかい。幸せだ…いや、死ぬ!! 死んじゃう!! お、俺が悪かったから!! だから…た、助けてェェェェ!!!)
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