俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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雪乃パートも前半後半に分けてお送りします。橘視点ですが、彼女の視点みたくなっている描写もあるかもしれません。読んでてご不満あるようでしたら、どうぞ遠慮なく申してくださいませ。しかし今回の場合では作者としては満足している出来前…やはり心配なので遠慮なく申してくださいますと幸いです。


雪乃パート・前半:価値なき私の存在証明 - (橘視点)

 赤城陽菜がまるで嵐のように隊長室を去っていった、その日の夕暮れ時。一日の終わりを告げるオレンジ色の光が窓から差し込み、室内の埃をきらきらと照らし出していた。

 

 橘圭一は二人の美女からの連続した精神攻撃(カウンセリング)によって、完全にHPがゼロになっていた。麗奈の重厚な過去。陽菜の破壊的な過去。どちらも彼の精神を確実に、削り取っていった。

 

 彼は抜け殻のように椅子に座り、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。もう何も、考えたくなかった。胃薬も精神安定剤も、もはや気休めにしかならない。彼の心は完全に、無防備な更地と化していた。

 

 

(…もう今日は誰も来るな)

 

 

 そう心の中で祈った、その瞬間だった。何の気配もなく。何の物音もなく。彼の目の前にすっと一つの影が現れた。それはまるで、最初からそこにいたかのように。あるいは部屋の影が濃くなって、人の形を成したかのように。あまりにも自然に、あまりにも静かに。

 

 

「…隊長」

 

 

 そのか細い囁き声に橘は『びくうぅっ!』っと、心臓が喉から飛び出すかと思うほど驚いた。それは耳元で直接囁かれたような錯覚を覚えるほど近く、そして幽玄な響きを持っていた。

 

 

「ゆ、雪乃!? い、いつからそこに!?」

 

 

 橘は椅子から飛び上がりそうになるのを、必死でこらえた。

 

 

「…さっきです」

 

 

 さっきとはいつからだ。一分前か? 十分前か? あるいは陽菜がこの部屋で大声で自分の忠誠を叫んでいたあの時から、ずっとこの部屋の隅に潜んで全てを聞いていたのか? 

 

 だとしたら彼女は、どれほどの隠密能力を持っているというのだ。麗奈の気配遮断とは、また違う。まるで存在そのものが、希薄になるような恐ろしさが彼女にはあった。橘の背筋を冷たい汗が、つうっと流れ落ちた。

 

 白石雪乃はそこに立っていた。色素の薄いプラチナブロンドの髪が、夕陽を受けて金色に輝いている。その髪はまるで光そのものを編み込んだ、絹糸のようだ。少し大きめのブレザーを萌え袖気味に着こなし、その華奢な体がさらに小さく見える。その儚げな佇まいは、この世の者とは思えない妖精のようだった。触れたら消えてしまいそうな危うさと、どこか人間離れした神聖さ。

 

 そして橘の視線は吸い寄せられるように、彼女の足元へと向かった。白いニーハイソックス。その純白は彼女の無垢さを、象徴するかのようだ。そしてそのニーハイソックスと制服のミニスカートとの間に広がる、絶対領域。

 

 夕陽のオレンジ色に照らされた、そのわずかな素肌の空間は普段よりもなぜか強く背徳的な光を放っていた。さながら聖域に迷い込んでしまったかのような罪悪感と、見てはいけないものを見てしまったという興奮を、同時に橘に与える。彼女のその無防備さが無自覚に男の庇護欲と、そして同時に仄暗い独占欲を掻き立てるのだ。

 

 

(や、やばい…! こいつのこの雰囲気は色々な意味でやばすぎる…!)

 

 

 橘のクズな本能が警鐘を鳴らす。

 

 

「あの、隊長…」

 

 

 彼女は俯き自分の指先を見つめながら、ぽつりぽつりと語り始めた。その声は鈴虫の鳴き声のように、繊細で耳を澄まさなければ消えてしまいそうだ。

 

 

「お二人の話を聞いて…私もお話しなければならないと、思いました」

 

 

 その言葉に橘の心臓が、どくんと大きく跳ねた。お二人の話。つまり麗奈と陽菜の、あのクソ重い身の上話のことだ。それを聞いて私も話さなければならないと思った? なぜだ。なぜそんな義務感を抱く。これはなにかのノルマか? 悲劇のヒロイン選手権でも開催されているのか? だとしたらやめてくれ。俺は審査員じゃない。ただの被害者だ。

 

 

「…」

 

 

 橘は何も言えなかった。ここで『いやもういいよ』『また今度にしてくれ』などと言えばどうなるか。彼女のその儚げな瞳が更に曇り、『…私のお話は聞くに値しないということですね』などと言い出しかねない。そして次の瞬間には懐から拳銃でも取り出して、自分の頭にズドンしかねないのだ。

 

 

(せめてカッターナイフで手首を〜、にして欲しい。それもダメだけども)

 

 

 橘にはその光景が手に取るように、容易に想像できた。そうなれば麗奈や陽菜が、黙ってはいないだろう。『隊長を悲しませるとは万死に値する』とばかりに雪乃を問い詰め、特四は内部から崩壊する。その責任は全て監督不行き届きの隊長である、己が取らされることになる。ダメだ。絶対にそれだけは避けなければ。

 

 橘は聖人の仮面を貼り直し、ゆっくりと頷いた。その動きは、スローモーションのようだった。これから始まる第三の地獄を覚悟して、身を固くするしかなかった。

 

 

(来るか…! ラスボスがついに来たか…!)

 

 

 雪乃の告白は麗奈の激情とも、陽菜の悲壮とも違う。底の見えない深い深い湖の水面に小石を一つまた一つと落としていくような、静かながらも底知れない絶望に満ちていた。

 

 その静けさが逆に、橘の心を締め付ける。嵐ならまだ、身構えようもある。だが音もなく忍び寄る水は気づいた時には、足元をすくい呼吸を奪い全てを飲み込んでいく。

 

 

「私には…生まれた時から名前がありませんでした」

「……ハァ?」

 

 

 橘の口から思わず、間の抜けた声が漏れた。意味が分からない。名前がない? そんなことがあり得るのか? 

 

 

「いえ…戸籍上の名前はありました。『雪乃』と。でも両親は一度も私を、その名前で呼びませんでした」

 

 

 彼女の声は、感情が抜け落ちた人形のように平坦だった。まるで、他人事のように。自分の過去を語っているという実感すら、そこにはないかのようだった。

 

 

「父は私のことを『おい』と呼びました。母は私のことを『あれ』と呼びました。あるいは、何も呼びませんでした。まるで私がそこに存在しない家具か壁の染みでも、あるかのように」

 

 

 雪乃は育児放棄の被害者だった。彼女の両親はいわゆる出来ちゃった結婚で、望まない子供だった雪乃のことを最初から疎んでいた。橘は言葉を失った。麗奈の家は歪んでいたが、それでも「家」という形はあった。陽菜は孤立していたが、それでも「力」という個性はあった。

 

 だが、雪乃には何もなかった。最初から。彼女は家庭という最初の社会で、その存在を完全に否定されて育ったのだ。

 

 食事は与えられた。最低限の衣服も与えられた。学校にも通わされた。だがそこに、愛情は一欠片も存在しなかった。それはまるでペット以下の扱い。いやペットになら、まだ名前を呼び愛情を注ぐだろう。彼女はそれ以下の存在。ただそこにいるだけのモノ。会話もない。笑顔もない。触れられることもない。誕生日を祝われたこともなければ、怪我を心配されたこともない。彼女は家の中で、ただ透明な幽霊として生きていた。

 

 

「私がここにいてもいいのか分かりませんでした」

「私が生きている意味が分かりませんでした」

「私はただ息をしているだけの空気の塊でした」

 

 

 その言葉の重みに、橘は息を詰まらせた。彼は親の七光りで生きてきた。親の愛情(という名の過剰な期待)を、当たり前のように享受してきた。だからこそ雪乃の告白は、彼の理解を完全に超えていた。想像を絶する孤独。想像を絶する無価値感。それは彼の知らない、世界の話だった。

 

 彼女は自分の存在価値を、確かめようとしたことがある。小学校のテストで満点を取った。勉強は彼女にとって唯一の逃げ場だった。数字や文字は、決して彼女を裏切らない。頑張れば、必ず結果が出る。彼女はその満点の答案用紙を胸に抱きしめ、母親の元へ走った。褒めてほしかった。凄いじゃないのと、一言でいいから言ってほしかった。

 

 しかし母親は答案用紙を一瞥しただけで、何も言わなかった。ただ「邪魔よ」と言って、彼女を押しのけた。その時の母親の冷たい目と突き放された時の手の感触を、雪乃は今でも覚えている。

 

 中学校の絵のコンクールで、金賞を取った。彼女は自分の心をキャンバスにぶつけることで、かろうじて正気を保っていた。その絵は審査員から「見る者の心を締め付けるような、深い孤独と絶望が表現されている」と絶賛された。彼女はその賞状を父親に見せたが、父親は新聞から一度も顔を上げなかった。まるで雪乃の声など、聞こえていないかのように。

 

 その時、雪乃は悟ったのだ。嗚呼、そうか。己には、価値など無いのだと。良い子にしていても無駄。頑張っても無駄。何をしても私は誰からも必要とされない空っぽの存在なのだと。その絶望はゆっくりと、しかし確実に彼女の心を蝕んでいった。

 

 

 彼女は笑わなくなった。

 泣かなくなった。

 何も感じなくなった。

 

 

 心を殺すことでしか、自分を守る術がなかったからだ。

 

 

「生きているのが辛くなりました」

 

 

 雪乃は淡々と続ける。その口調はあまりにも平坦で、逆に恐ろしい。

 

 

「だから何度も死のうとしました」

「!!?」

 

 

 橘は息を飲んだ。その言葉の持つリアリティに。

 

 

「手首を切りました。でも死ねませんでした。血が足りなかったようです」

 

 

 彼女はそう言うと萌え袖のブレザーの袖を少しだけ捲り上げた。そこには夕陽に照らされて、幾筋もの白い線が走っていた。それはリストカットの痕。生々しい過去の傷跡が彼女の白い肌に、痛々しく刻まれている。その光景に橘は、目を逸らしたくなった。

 

 

「高いところから飛び降りました。でも死ねませんでした。打ち所が悪かったようです」

「大量の睡眠薬を飲みました。でも死ねませんでした。薬の耐性が出来ていたようです」

 

 

 彼女は今日の天気の話でもするかのように、静かに自分の自殺未遂の過去を語った。それは自慢でもなければ、同情を引くためのものでもない。ただの事実。ただの失敗の記録。そのあまりの淡々とした口調が、逆に彼女の心の闇の深さを物語っていた。橘は、背筋が凍りつくのを感じた。

 

 

(やべえ…! こいつガチのやつだ…! 麗奈や陽菜とはレベルが違う! 本物の狂気を孕んでやがる…!)

 

 

「私には価値なんてないんです…」

 

 

 雪乃はそこで初めて顔を上げた。その色素の薄い美しい瞳には、何の光も宿ってはいなかった。魂が抜け落ちた、人形のようだった。その虚ろな瞳が橘を捉える。その視線は彼を見ているようで、何も見ていない。彼女の世界には、彼女自身しか存在しないのだ。

 

 彼女は橘に向かって、深々と頭を下げた。プラチナブロンドの美しい髪が、さらりと流れ落ちる。

 

 

「生まれてきてごめんなさい…」

 

 

 その一言は橘の心の奥底に、鉛のように重く沈み込んだ。これはもう同情とか、そういうレベルの話ではない。これは救いようのない、魂の叫びだ。橘は生まれて初めて、本気でそう思った。

 

 

(…こいつ可哀想だな…)

 

 

 クズで利己的で自己中心的な彼が、ほんの一瞬だけ素直にそう感じた。それは彼の本心だった。だが次の瞬間、彼のクズな本能は全く別の思考を始めていた。

 

 

(いや待て…可哀想? だから何だ? 同情したところで、俺に何の得がある? 金になるのか? 出世できるのか? いや出来ない。むしろ、この手のタイプは一番面倒くさい。下手に優しくすれば依存されて、最後には刺されるパターンだ)

 

 

 橘は冷静に、リスクとリターンを分析する。雪乃に深く関わることの危険性。それは計り知れない。彼女の不安定な精神は、いつ暴発するか分からない時限爆弾だ。下手に希望を持たせれば、その期待に応えられなかった時にどうなるか。想像するだけで恐ろしい。

 

 

(だが…しかし…)

 

 

 橘の視線が、深々と頭を下げる雪乃の姿に注がれる。ブレザーとミニスカート。その体勢は自然と、彼女の体のラインを強調する。特にスカートから伸びる、白いニーハイソックスに包まれた脚線美。その絶対的な清純さとミニスカートが織りなす、アンバランスな魅力。そして、その上に広がる絶対領域。夕陽がその聖域を照らし出し、普段は隠されている柔らかな肌の質感を想像させた。

 

 

(…あまりにも無防備すぎるだろうが…)

 

 

 橘はゴクリと喉を鳴らした。理性が警鐘を鳴らしている。危険だ関わるなと。だが彼の本能は、別のことを叫んでいた。

 

 

(こんな健気で可哀想で、しかもエロい女がこの世に存在していいのか? いいやよくない)

(『生まれてきてごめんなさい』? ふざけるな。むしろ生まれてきてくれてありがとうだろうが。眼福眼福ゥゥ!)

 

 

 彼の脳内で、クズな思考が暴走を始める。恐怖と下心がせめぎ合い、奇妙な結論へと彼を導いていく。

 

 

(そうだ。こいつがあまりにも可哀想すぎるから、せめて俺がエッチな想像をしてやる。これも一種の供養だ。そうだろ? ふっ、部下想いの俺って優しい)

 

 

 橘の脳内スクリーンには、様々な光景が映し出され始めた。まず現れたのは、ナース服姿の雪乃。純白のナースキャップとワンピースが彼女の儚げな雰囲気に、奇跡的にマッチしている。少し大きめの服を萌え袖気味に着こなし、その手には巨大な注射器。『隊長…治療の時間です…』と虚ろな目で囁きながら迫ってくる。その姿は、恐怖と興奮を同時に掻き立てた。

 

 

(ごめん。やっぱ興奮できないわ)

 

 

 次に現れたのは、クラシカルなロングスカートのメイド服に身を包んだ雪乃。『ご主人様…お食事の準備ができました…』と無表情で告げる彼女。その食事には、どんな毒が盛られているか分からない。だが、そのスリルがたまらない。彼女に傅かれながら、命の危険を感じる。最高の背徳感だ。

 

 

(ごめん。命の危機あるなら遠慮するわ)

 

 

 そして最後に現れたのは、旧型のスクール水着姿の雪乃。体にぴったりとフィットした紺色の生地が、彼女のナイスバディなラインを露わにする。プールサイドで体育座りをし、濡れたプラチナブロンドの髪を気だるげにかき上げる。その白い肌についた水滴がきらりと光る。その無防備さとアンバランスな色香に、橘の脳は焼き切れそうになった。

 

 

(これは採用! うん! スク水は正義! 俺以外の男が写真パシャしたら、親父の力で社会的に潰してやるぜ! あっ、スク水姿の雪乃を想像するだけで鼻血が出そう)

 

 

 彼は聖人の仮面の下で、一人静かに至福の時間を過ごしていた。

 

 だが雪乃は続けた。彼女の虚ろだった瞳に、ほんのわずかだが光が宿り始めた。闇夜に灯る一本の蝋燭の炎のように、弱いながらも確かな光。その小さな光が橘の脳内妄想という名の安息所を、無慈悲に打ち破る。彼女の声が響く。

 

 

「でも…」

 

 

 その一言で橘は現実へと引き戻された。目の前にはまだ絶望の淵に立つ雪乃がいる。そして自分はその美女から、何らかの反応を求められている。聖人としての、完璧な反応を。

 

 

「でも隊長が、私に生きる意味をくださいました…」

 

 

 彼女は思い出す。特四への配足初日。あの日のことを。それは彼女にとって、終わりの始まりのはずだった。また新しい場所へ送られる。また新しい人間関係の中で、自分という存在が希薄になっていく。もう生きていることに、疲れ果てていた。いっそこの新しい部署で何か大きな問題を起こして、誰かに殺してもらおうか。

 

 あるいは誰の目にもつかない場所で、静かに消えてしまおうか。ただ死ぬ場所を探していた。そんな自分に、彼だけが向けてくれたあの言葉を。その言葉が死にかけていた彼女の魂に、再び火を灯してくれた。それは大げさな表現ではない。文字通り彼女は、あの瞬間に救われたのだ。消えかけていた命の炎が、再び燃え上がったのだ。彼という酸素を得て。

 

 雪乃はその奇跡の瞬間を彼に伝えようと小さな唇を開いた。




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