俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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「素晴らしい提案をしましょう…私に食べられませんか♡」

いやです(号泣)


#9 忍び寄る国際犯罪組織
厄介な火種 - (上層部 視点)


 警視庁本庁舎。

 

 その最上階に位置する、第一特別会議室。日本の警察組織の意思決定を司る、最高機関。そこに集うのはいずれも厳しい派閥争いを勝ち抜き、組織の頂点に君臨する歴戦の猛者たち。白髪と深い皺が、その長年の権力闘争の歴史を物語っていた。

 

 

 分厚い樫の一枚板で作られたテーブル。

 深く沈み込むような革張りの椅子。

 壁に飾られた歴代警視総監の肖像画。

 

 

 その全てがこの国の法と秩序を背負う者たちのための、荘厳な舞台装置だった。しかしその日の会議室の空気は、彼らの歴戦の余裕を微塵も感じさせないほど重く淀んでいた。まるで鉛を溶かし込んだ、水の中にいるようだ。誰もが呼吸の仕方さえ忘れたかのように、押し黙っている。

 

 議題はただ一つ。部屋の照明を落とした中で煌々と輝くスクリーン。そこに大きく映し出された一つの組織名。

 

 

 ──『ニーズヘッグ』。

 

 

「──以上が現在までに公安調査庁および外事情報部から上がってきている、『ニーズヘッグ』に関する調査報告の概要です」

 

 

 説明役の若いキャリア官僚が、緊張で汗ばんだ手で資料をめくる。その声はわずかに、上ずっていた。最高幹部たちの視線が、一斉に彼に突き刺さる。それは単なる視線ではない。値踏みし、探り時には威圧する権力者の視線だ。彼はその重圧に耐えながら最後のページを読み終えると、深々と頭を下げた。

 

 

『ニーズヘッグ』。

 

 

 その名は裏社会に少しでも通じた者ならば、誰もが知る最悪の響きを持っていた。表向きは東南アジアを拠点とする、巨大な貿易商社。物流金融ITあらゆる分野で成功を収める、現代の巨大コングロマリット。

 

 たがその裏の顔は世界中の紛争地域に非合法な兵器を売りさばき、麻薬人身売買やサイバー犯罪、ありとあらゆる非合法活動で莫大な利益を上げている国際的な犯罪シンジケート。

 

 その触手は各国の政府高官や軍警察組織の内部にまで、深く食い込んでいると噂されていた。さながら北欧神話に登場する、世界樹の根を蝕む毒龍のように。彼らは静かに、確実に世界の秩序を内側から腐らせていく。彼らが動いた後には硝煙と血の匂い、そして原因不明の政治スキャンダルだけが残る。

 

 

「…奴らがついに、日本を本格的なマーケットとして狙い始めたということか」

 

 

 警視総監が、重々しく口を開いた。その鋭い眼光はスクリーンに映し出された組織の紋章──自らの尾を喰らうウロボロス──を、射抜くように見つめている。

 

 

「先日、横浜港で押収されたコンテナ。あれに満載されていた最新鋭の自動小銃と対戦車ミサイルは、間違いなく奴らの仕業だろう。あれはもはや、テロリストのレベルではない。小国の軍隊に匹敵する火力だ」

「問題は、それだけではありません」

 

 

 公安部長が苦々しげに言葉を続けた。彼の専門分野は国内の治安維持。その彼がこれほどまでに表情を曇らせるのは、異例のことだった。

 

 

「奴らはすでに国内の複数の指定暴力団と、接触を開始している模様です。ですが問題は、その方法です。従来の暴力団同士の会合とは、全く違う。トップ同士がどこでどう接触しているのか、まるで掴めない。幽霊と取引しているようなものです。我々の情報網を使っても、その全容が掴みきれない。それどころか、こちらの内通者がこと如く機能不全に陥っている。これはつまり、こちらの動きが筒抜けである可能性すら、示唆しているのです。奴らの情報戦のレベルは、我々の想定を遥かに超えています」

 

 

 その言葉に、刑事部長が腕を組み唸る。彼は現場一筋で叩き上げてきた男だ。非合法な捜査手法も、時には黙認するリアリスト。だがその彼ですら、慎重にならざるを得なかった。

 

 

「下手に手を出せばどうなるか…。国際問題に発展しかねん。奴らの背後には、どの国がついているか分かったものではない。我々が動けばそれを口実に、外交的な圧力をかけてくる可能性も十分にある。そうなれば、我々は手も足も出せん。警察だけの問題では済まなくなる」

 

 

 会議室は再び、沈黙に支配された。それは先ほどよりも更に重く、冷たい沈黙だった。誰もが分かっている。これはあまりにも厄介で、危険すぎる火種だ。正義感だけで手を出せる相手ではない。

 

 

 軍隊並みの武力。

 諜報機関レベルの情報戦能力。

 そして国家を背景にした外交カード。

 

 

 そんな怪物を相手に、どう戦えというのか。失敗すれば警視庁…いや、日本という国家の威信を失墜させることになる。成功しても、その過程でどれだけの血が流れるか分からない。殉職者が出るだろう。それも一人や二人では済まないかもしれない。その責任は誰が取るのか。

 

 

 作戦を許可した者。

 指揮を執った者。

 

 

 その全ての警察官僚としてのキャリアに、一生消えない傷がつく。誰もその責任を、取りたくなかった。誰も火中の栗を、拾いたくはなかった。公安も捜査一課も、そのあまりのリスクの大きさに尻込みしている。それがこの重苦しい沈黙の、正体だった。歴戦の猛者たちの顔に浮かぶのは、焦りと苛立ち。そして、自己保身の計算。誰かが口火を切るのを待っている。誰かが愚かにも「やりましょう」と、言い出すのを待っている。

 

 そしてその誰かに全ての責任を押し付ける準備は、万端だった。警視総監は指で、テーブルを規則的に叩いている。その音がやけに大きく、部屋に響いた。

 

 

 公安部長は神経質そうに、眼鏡の位置を何度も直す。

 刑事部長は固く目を閉じ、眉間に深い皺を刻んでいた。

 

 

 誰もが互いの腹を探り合い、牽制し合っている。日本の治安を守るという大義名分は、もはやこの部屋には存在しなかった。あるのは官僚組織特有の、醜い責任の押し付け合いだけだ。

 

 会議が完全に停滞しら時間だけが無情に過ぎていく。壁の時計の秒針が、カチカチと音を立てる。それはまるで、破滅へのカウントダウンのようだった。その淀んだ空気を破ったのは、ほんの些細な呟きだった。それまで黙って議論の行方を見守っていた一人の老獪な幹部が、まるで独り言のようにぽつりと言ったのだ。彼は警察庁から出向してきている男で、この場の誰よりも政治的な嗅覚に優れていた。

 

 

「……あの部隊に任せてみては、どうだろうか」

 

 

 その一言。そのたった一言が、会議室の空気を一変させた。凍りついていた時間が、再び動き出す。ざわざわっと、他の幹部たちが顔を上げる。彼らの視線が、声の主へと集中した。誰もが口には出さない。だがその脳裏には、同じ一つの部隊名が浮かんでいた。警視庁が抱える、最後の切り札。そして、最大の劇薬。新設されたばかりの、特殊凶悪犯対策課 第四係。

 

 

 ──『特四』。

 

 

 その名前が出た瞬間、会議室の重苦しい空気がほんの少しだけ軽くなったような気がした。幹部たちの強張っていた顔からふっと力が抜ける。それは希望の光が見えたからではない。ただ純粋に自分たちが負うべき、重すぎる責任を転嫁できる都合のいい「生贄」を、全員が同時に見つけたからだった。

 

 

 ある者は眉をひそめ。

 ある者は腕を組み唸り。

 ある者は面白い提案でも聞いたかのように、口の端を歪めた。

 

 

 それは恐怖と期待と、そして狡猾な計算が入り混じった複雑な表情だった。彼らの脳裏に浮かぶのは、警視庁が抱える最も扱いづらい劇薬。そして今この瞬間、最も都合のいい生贄の姿だった。

 

 

「……特殊凶悪犯対策課 第四係か」

 

 

 警視総監がその名前を、確かめるように反芻した。その声には慎重さと、ほんの少しの安堵が滲んでいた。

 

 

「確かに、彼らのこれまでの実績は目覚ましいものがある。設立されてまだ日は浅いが、すでにいくつかの難事件を解決に導いている」

 

 

 彼の手元にあるタブレットには、特四の活動記録が表示されていた。もちろんそれは橘圭一がその天才的な作文能力を駆使して書き上げた、あの「芸術的な報告書」のダイジェスト版だ。そこには現実の阿鼻叫喚など微塵も感じさせない、英雄的な活躍だけが美辞麗句で綴られている。

 

 

「山奥に立て篭もった、武装カルト教団の無血制圧。あれは見事だった」

 

 

 公安部長が頷く。彼の声には専門家としての冷静な分析を装った、責任転嫁への期待が込められていた。

 

 

「報告によれば施設の老朽化した電気系統のショートや、犯人グループ内の同士討ちといった偶発的な要素が重なったとのことだが…それを差し引いても、あの状況下で一人の犠牲者も出すことなく、主犯格を確保したその手腕。評価に値する」

 

 

 誰もその報告書の内容を、疑ってはいない。正確には、「あえて疑おうとはしない」のだ。結果が全て。彼らにとって都合のいい結果が出ている以上、その過程の細かな矛盾点など、些細な問題でしかなかった。

 

 倉庫の壁に人間型のクレーターができていようが、鉄の扉がねじ切れていようが。報告書に「偶発的な爆発」と書かれていれば、それは真実となる。それが彼らの世界であり、彼らの正義だった。

 

 

「何より素晴らしいのは、あの部隊を率いる橘圭一隊長。その男の存在だ」

 

 

 刑事部長が感心したように言った。彼は現場叩き上げ故に、人の器量を見抜く目には自信があった。もちろんそれもまた、盛大な勘違いに過ぎないのだが。

 

 

「先日開催された祝勝会での彼の立ち振る舞い…見たかね諸君? あの若さで、あの器の大きさ。酔った幹部に絡まれても動じず、それでいて相手の顔を潰すことなくスマートに部下を守ってみせた。まさに理想の上司の鑑だ」

 

 

 その言葉を皮切りに会議室の空気は完全に、「特四待望論」へと傾いていった。一度流れが決まれば、後は早い。誰もが我先にと橘圭一という、都合のいい偶像を賛美し始める。それはまるで自分たちの無責任な決定を正当化するための、儀式のようだった。

 

 

「うむ。彼の部下であるあの三人の美女たちも、彼に絶対の忠誠を誓っていると聞く。特にあの黒澤家のご令嬢までもが、彼に心酔しているとは…並のカリスマではあるまい」

「赤城隊員のあの驚異的なパワーも、橘隊長の指揮下にあってこそ制御され、正義の力となるのだろう。一歩間違えればただの破壊兵器だが、彼の手にかかれば国家を守る盾となる」

「白石隊員の、あの天才的な情報分析能力もそうだ。彼という導き手がいてこそ、その才能が開花する。我々では、到底扱いきれん代物だ」

 

 

 彼らの語る橘圭一像はもはや現実の彼とはかけ離れた完璧な英雄の姿だった。聖人のように慈愛に満ち、智将のように冷静沈着で。そして王のように圧倒的なカリスマで、猛獣のような部下たちを手懐ける若き伝説の指揮官。彼らは自分たちの脳内で勝手に作り上げた偶像に、全ての期待と責任を押し付けようとしていた。

 

 そうすることで、自分たちの手は汚れない。自分たちのキャリアに傷はつかない。その安堵感が、彼らを饒舌にさせていた。

 

 

(…面白い)

 

 

 会議の末席でそれまで黙って議論の行方を見守っていた、一人の男が内心でほくそ笑んでいた。橘圭一の実の父親である、警察庁次長その人だった。彼は自分の息子がここまで高く評価されていることに、満更でもない表情を浮かべていた。口元に浮かんだ笑みは父親としての喜びというよりは、むしろ自分の投資が成功したことを確信した投資家のような、冷徹さを帯びていた。

 

 

(私の目に、狂いはなかった。あの子にはやはり、人の上に立つ天賦の才があったのだ)

 

 

 もちろん彼も、特四の報告書の内容があまりにも出来すぎていることには、気づいていた。

 

 だが、それがどうしたというのだ。結果を出している。それが全てだ。過程などどうでもいい。そしてこの『ニーズヘッグ』という巨大な案件は、息子を更に高みへと押し上げるための絶好の機会になるかもしれない。ここで大手柄を立てさせれば、警視庁内での彼の地位は盤石なものとなる。

 

 いずれは自分の後継者として、警察庁に呼び戻すことも夢ではない。そのためなら、多少の犠牲は厭わない。それが彼の教育方針であり、愛情表現だった。

 

 

「──よろしいかな、諸君」

 

 

 次長は重々しく口を開いた。その一言で、会議室は水を打ったように静まり返る。この会議の真の支配者が誰であるかを、全員が理解している。

 

 

「この『ニーズヘッグ』案件。確かに極めて危険で、困難な任務であることは間違いない。しかしだからこそ、我々警視庁の真価が問われる一大事でもある」

 

 

 彼はゆっくりと、居並ぶ幹部たちの顔を見渡した。その視線は一人一人の腹の底まで見透かすような、鋭さを持っていた。

 

 

「そして、今この難局に立ち向かえる唯一の希望があるとすれば…それはやはり橘隊長率いる、『特四』の他にあるまい」

 

 

 その言葉は、もはや決定稿だった。誰も、異論を唱えない。唱える理由がなかった。この決定に逆らうことは、この国の警察組織のナンバーツーに逆らうことと、同義なのだから。

 

 

「もちろんリスクはある。だが考えてもみたまえ」

 

 

 次長は狡猾な笑みを浮かべた。それはこれから行う取引の旨味を説明する、商人の顔だった。

 

 

「もし彼らが失敗したとしても、だ。それはまだ設立されたばかりの、新設部隊の勇み足。組織全体のダメージは、最小限に抑えられる。我々が責任を取る必要は、少しも無い。切り捨てるには、ちょうどいい駒だ。そして…もし万が一にも彼らが、この作戦を成功させたならば…どうだね?」

 

 

 その言葉に幹部たちの瞳が、ぎらりと光った。欲望の色だ。

 

 

「それは我々警視庁の歴史に、燦然と輝く大手柄となる。国際社会における日本の警察の威信を、飛躍的に高めることになるだろう。そしてその功績は彼らを抜擢し支援した、我々のものともなるのだ」

 

 

 ハイリスクハイリターン。だが、そのリスクを負うのは特四だ。リターンを享受するのは我々。これほど美味しい話はなかった。幹部たちの利害が完全に一致した。誰もがその結論に、満足げに頷いている。組織の保身と個人の私利欲が渦巻く中、一つの重大な決定が下されようとしていた。それは一人の青年とその部下たちを生贄として、巨大な悪意の祭壇に捧げる儀式に他ならなかった。

 

 

「──よかろう」

 

 

 警視総監が最終的な裁定を下した。その声には、もはや迷いはなかった。次長が用意した、完璧なシナリオに乗ることを決めたのだ。

 

 

「国際犯罪組織『ニーズヘッグ』に関する、特命捜査。これを正式に、特殊凶悪犯対策課 第四係に一任する。橘圭一隊長に全権を与え、速やかにこれを実行させよ」

 

 

 こうして、たった数十分の会議で。一人の若き隊長と、三人の美女たちの運命は決定した。

 

 彼らがこれからどのような地獄に、足を踏み入れることになるのか。それをここにいる誰一人として、本気で心配する者はいなかった。彼らにとって特四とは便利な、そして何かあっても切り捨てられる都合のいい、「駒」でしかなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん〜、饅頭が美味い! …おっ? あっ、なんだ茶柱が立っただけ…立ってる!? な、ななな何かご利益あるかもしれないな! い、祈っておこう!」




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