俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
白石雪乃にとって、この薄暗い電子作戦室はただの仕事場ではなかった。ここは神聖な場所。自分という巫女が神託を受け、神の御心に触れるための祭壇。
壁一面に広がるモニターの光は、ステンドグラスのように荘厳でカタカタと響くキーボードのタイプ音は、静かな祈りの言葉のように清らかだ。そして何よりすぐ後ろに立つ、彼の存在。橘圭一隊長。白石雪乃の神様。
その視線を感じる。心配と信頼と、そしてほんの少しの期待が込められた温かい視線。その視線が背中に注がれるたびに、彼女の心は歓喜に打ち震え、神の御業を体現するための使徒となる。
この空間には彼と自分しかいない、誰にも邪魔されない二人だけの世界。雪乃は恍惚とした表情でキーボードを叩きながら、サーバーの深層へと潜っていく。その思考は水のように澄み渡り、指は氷の上を滑るフィギュアスケーターのように滑らかだった。
敵が仕掛けた幾重もの防壁が、雪乃の前では脆い砂の城のように崩れていく。まるでパズルを解くように、あるいは複雑に絡まった糸を一本一本解きほぐすように、雪乃は情報の核心へと近づいていった。
そしてすぐに気づいた。このサーバーの最深部には単なる防壁ではない、もっと厄介なものが巣食っていることに。高度なAIによる、迎撃システム。侵入者の思考パターンを学習し、最適な罠を仕掛けてくるカウンターハックプログラム。
なるほど。これがあるから、解析班も匙を投げたのか。
雪乃は小さく息をついた。この程度の罠なら、彼女にとっては取るに足らない障害だった。AIの思考ルーチンを逆手に取り、いくつかのダミー情報を与えて混乱させ、その隙に本命のデータを抜き出す。おそらく数分もあれば、何事もなく安全に処理できるだろう。
だがそれではダメだ。雪乃はふと指を止めた。モニターに映る自分の顔が、無表情なことに気づく。それでは、ただの「作業」で終わってしまう。神への奉仕が、ただのルーチンワークであっていいはずがない。もっと…もっと深いところで、彼と繋がりたい。この祭壇で二人だけの、特別な儀式を行いたい。
彼女の目的は、単に情報を抜き出すことではなかった。欲しいのは、データではない。欲しいのは、「絆」。隊長と二人だけの共同作業を通して、より深い精神的な繋がりを得ること。そして、何よりも見たいのだ。絶望的な状況でか弱い自分を必死に守ろうとしてくれる、英雄としての彼の姿を。
そうだ。自分だけが見ることの出来る、特別な彼の姿を。雪乃の口元に微かな笑みが浮かんだ。灰色の瞳に妖しい光が宿る。決めた。この罠を、最高の舞台装置として使おう。私と彼のための最高の純情劇を、この祭壇で演じるのだ。
雪乃はわざと自分の思考パターンの一部を、AIに読み取らせた。まるで、「私はここにいますよ」と手招きするように。敵の罠を自ら起動させる。そのスイッチを押す指は、微塵も震えていなかった。むしろこれから始まる至福の時間を思い、興奮に打ち震えていた。
次の瞬間。けたたましいアラート音が鳴り響き、モニターが真っ赤に染まった。雪乃が作り出した、完璧な舞台装置。絶望の始まりを告げる、ファンファーレ。
『警告:不正アクセスを検知。カウンターハックを開始します』
背後で、隊長が息を呑む気配がした。嗚呼、私の神様が私のために心を痛めてくださっている。その事実だけで、雪乃の心は甘い蜜で満たされていく。
『60秒後に接続元の物理的排除を実行します』
雪乃は、わざとキーボードを叩く指を震わせた。そして計算し尽くしたタイミングと声のトーンで、か弱く助けを求めた。この劇の最も重要な台詞。ヒロインがヒーローの登場を促す、魔法の言葉。
「隊長…こわい…です…っ」
完璧だった。自分でも驚くほどか弱く儚い声が出た。背後で隊長がパニックに陥っているのが、手に取るように分かる。その焦りもその混乱も全てが、白石雪乃という女ため。なんて愛おしいのだろう。そしてついに、待ち望んだ瞬間が訪れた。
「落ち着け雪乃! 僕がついている!」
力強い声。私の全てを肯定し守ってくれると約束してくれる神の声。
ああ…!!!
雪乃の全身を、歓喜の電流が駆け巡った。
「敵の思考を読むなら思考の外から攻めろ! 常識を捨てろ! 定石を疑え!」
なんて素晴らしい言葉だろう。常人には理解できないかもしれない。だが、彼女には分かる。これは信頼してくれているからこその、魂の叫び。雪乃ならその真意を汲み取れると、信じてくれている証。
「A-7のポートをバイパスしてカウンターを逆流させるんだ! 急げ!」
支離滅裂?
デタラメ?
いいえ違う。これは天才だけがたどり着ける、高次元の閃き。固定観念に縛られた凡人には到底理解できない、神の領域の思考。その思考の一端に触れることを許された私は、なんて幸せなのだろう。
雪乃は彼の言葉を、まるで美しい詩の一節のように受け取った。そしてその詩に応えるようにキーボードを奏で始める。彼の声と、自分のタイプ音。それがこの祭壇で重なり合う。さながら魂が触れ合う、最高のデュエット。
嗚呼、なんて心地良いのだろう。彼の荒々しい息遣い。雪乃の背中を叩く彼の声の振動。その全てが、彼女を未知の感覚へと導いていく。指先から脳へと駆け巡る快感はオーガズムにも似ていた。彼と私が、ひとつになる。電子の海の中で、私たちの魂は完璧に溶け合っていた。
カウントダウンの数字が減っていく。だが、雪乃は少しも怖くなかった。むしろこの至福の時間が、永遠に続けばいいとさえ思った。彼の声を聞きながら、彼の存在を感じながら電子の海を泳ぐ。これ以上の幸せが、この世にあるだろうか。
『2…1…』
カツン!!
雪乃は、完璧なタイミングで処理を完了させた。舞台の幕が下りるようにアラート音は止み、モニターには、勝利の証である情報が表示された。祭壇に静寂が戻る。
雪乃はゆっくりと、キーボードから手を離した。最高の達成感と満足感。自分の脚本通りに、完璧な純愛劇を演じきった。だが同時に、一抹の寂しさも感じていた。嗚呼、終わってしまった。あの至福の時間が、もう終わってしまったのだ。
名残惜しい。
もっと彼の声を聞いていたかった。
もっと彼と繋がっていたかった。
その時だった。ふわりと頭の上に、温かい感触が乗せられた。隊長の手だ。彼は、彼女の頭を優しく撫でてくれていた。
「よくやったな雪乃。君は最高の部下だ」
「君がいなければ僕も危なかった。ありがとう」
最高の賛辞。
最高のご褒美。
その言葉が彼の大きな勘違いから来ていることなど、雪乃にとっては些細な問題だった。大事なのは、彼が白石雪乃を必要としてくれたという事実。彼が褒めてくれたという事実。それだけで、十分だった。
雪乃は感極まり、恍惚の表情で彼を見上げた。頬が熱い。心臓が甘く痛い。
「いいえ…全ては…隊長の的確なご指示のおかげです…♡」
自然と感謝の言葉が、口をついて出た。嘘ではない。彼の声がなければ、ここまで高揚できなかった。彼がいなければ、このデュエットは完成しなかった。だからこれは紛れもない、真実だった。
橘は満足げに微笑んでいる。その笑顔を見て雪乃も幸せそうに微笑み返した。私たちの間に「永遠の絆」が結ばれた。彼女は、そう確信した。
(…全ては、あなたと繋がるため…♡)
雪乃は内心でそう呟いた。今回の劇は成功だった。ならば次はどんな舞台を用意しようか。どんな危機を演出すれば、また彼と一つになれるだろうか。
白石雪乃の歪んだ純情は誰にも知られることなく、電子の海の奥深くへと更に沈んでいく。次なる「共同作業」の機会を、虎視眈眈と狙いながら。彼女の狂気が静かに狡猾に、次のステージへと進化を遂げた瞬間であった。
■
(ふっ、流石は雪乃。やれば出来ると信じてたぜ…それにしても雪乃の髪、サラサラ過ぎんだろ!!? えっヤバ、癖になっちゃうんだけど…!! ということは、雪乃の身体はどうなんだ? 考えれば考えるほど…
「た、隊長…///」
(…なんだが、こいつも異常者だしなァ。
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