俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
英雄のプレゼンテーション - (橘圭一 視点)
開戦前夜。
決戦のプレゼンテーションを数時間後に控えた、特四の隊長室は静寂に包まれていた。
橘圭一は大きな姿見の前に立ち、最終的な役作りに没頭していた。その目は、これから人生を賭けた大舞台に上がる名優のように、真剣そのものだった。
これは単なる、報告会ではない。これは、橘圭一という名の英雄が誕生する瞬間を目撃させるための、一大演劇なのだ。
まず外見。イタリア製の高級スーツは寸分の狂いもなく、彼のしなやかな体躯を包み込んでいる。
だが、完璧すぎてはいけない。
橘はわざと最高級の生地にごく僅かなシワが寄るように、何度か屈伸を繰り返した。これは「激務でアイロンをかける時間すらなかった」という悲壮な物語性を、観客に無意識下で植え付けるための計算された演出だ。
次に顔。目の下にはプロのメイクアップアーティストも驚くほどの技術で、徹夜明けのリアルなクマが描き込まれていた。
何度も鏡を見て、角度や濃さを調整した。最も同情を誘い、最も英雄的に見える完璧なクマを完成させた。血色の悪い唇は、彼の苦悩を無言で代弁してくれるだろう。
そして精神状態。彼はプレゼン開始までの数時間。わざと食事を抜き、カフェインと胃薬だけで精神を研ぎ澄ませていた。空腹による僅かな苛立ちと、薬の副作用による微かな手の震え。
それら全てが「正義のために心身をすり減らす男」という役柄に深みを与える、スパイスとなるのだ。これは最早、メソッド演技の域に達していた。
(よし、完璧だ…!!)
鏡に映る自分を見て、橘は満足げに頷いた。今の自分は組織の巨大な闇とたった一人で戦い、心身をすり減らしながらも、ただ国と民のために立ち上がった孤高の英雄。この姿を見て、部下の手柄を全て横取りしようと企む、卑劣で下劣な詐欺師だと、誰が思うだろうか。
いや思うまい。
橘は自らの完璧な役者ぶりに恍惚とし、揺るぎない勝利を確信した。
最高の舞台が、彼を待っていた。
警視庁・第一特別会議室。
重厚なマホガニーの長テーブルには、警察組織の頂点に君臨する怪物たちが顔を揃えている。父である橘厳一郎も、その一人だ。
空気が張り詰め、誰かが咳払いをする音すら大きく響き渡る。そこにいる誰もが歴戦の猛者であり、百戦錬磨の策略家だ。生半可な報告など鼻で笑われ、一瞬で見抜かれるだろう。
だが、橘は微塵も臆していなかった。なぜならこれから始まるのは報告ではなく、「物語」なのだから。
橘は計算されたタイミングで、静かに入室した。彼の疲労困憊を演じているが、その瞳だけは決して死んでいない姿に、会議室にいた全員が思わず息を呑んだのが分かった。
(あれが…あの若者が…)
そんな声なき声が、聞こえるようだった。議場全体の注目が舞台のセンターに立つ主演俳優のように、彼一人に集まっていく。快感だった。
橘は用意された席にはつかずプレゼン用のスクリーンの前に立った。深々と一礼する。その所作一つにも、英雄の苦悩と覚悟を滲ませた。
「皆様。本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。警視庁•特殊凶悪犯対策課•第四隊長、橘圭一です」
声はわずかにかすれ、疲労の色を滲ませている。だがその奥には揺るぎない意志が宿っている。完璧な第一声だった。
「これより、国際犯罪組織『ニーズヘッグ』に関する中間報告並びに、今後の作戦概要についてご説明させていただきます」
橘は淀みない。時折捜査の過酷さを思い出して言葉に詰まるという、完璧な演技を交えながら語り始めた。
「まず、我々が直面した現実から、お話しなければなりません。『ニーズヘッグ』…それは我々の想像を遥かに超えた、巨大な毒龍でした。その実態は霧のように掴みどころがなく、我々が手にした情報の多くは彼らが意図的に流した偽情報…いわば毒の霧でした。我々は深い森の中で、完全に方向を見失っていたのです」
橘はまず敵が如何に強大で、情報が如何に錯綜していたかという「混沌」を巧みな比喩表現で、幹部たちの脳裏に描き出した。彼らの顔に「そんな困難な状況だったのか」という同情と驚きが浮かぶのを見て、橘は内心でほくそ笑んだ。
第一段階は成功だ。
「ですが」
橘は、声を一段低くした。希望の光を語る、預言者のように。
「その深い霧の中にあっても、決して光を失わない者たちがいました。我が特四の誇るべき隊員たちです。彼女たちはそれぞれが自らの命を賭して、この混沌を切り裂く三筋の光となってくれたのです」
ここからが第二幕の始まりだ。部下たちの狂気の沙汰を英雄叙事詩へと昇華させる、言葉の錬金術。
「まず一人の女性捜査官。彼女は自らの危険を一切顧みず、敵組織の懐深くに単身で潜入しました。そこで行われたのは暴力や脅迫ではありません。彼女はただひたすらに、『人としての尊厳をかけた対話』を粘り強く重ねたのです。その真摯な姿勢が、やがて敵幹部の一人の心を動かし、我々は貴重な情報を得ることに成功したのです!」
橘は力強くそう語った。幹部たちの目が大きく見開かれる。
(実際は黒澤麗奈が、リンの精神を完全に崩壊するまで相手を追い詰めて、情報を吐かせただけだがな! 尊厳なんてあったもんじゃねえ!)
内心のツッコミは、完璧なポーカーフェイスの下に隠されている。
「時を同じくして。別の部隊は敵の目を欺くため、『大胆かつ緻密に計算された陽動』を実行しました。圧倒的な火力で敵の戦力を引きつけ、我々が本丸に迫るための血路を切り開いてくれたのです! 彼女の勇気がなければ我々は今頃敵の罠にかかり、全滅していたかもしれません!」
(ただの赤城陽菜というアホの猪突猛進が、結果的に陽動になっただけだ! 計算なんてあるか! あいつの頭の中は、筋肉と俺への忠誠心だけでできてるわ!)
幹部たちは「おお…!!」と感嘆の声を漏らす。彼らの脳内では、陽菜がハリウッド映画のヒーローのように、敵陣で大立ち回りを演じているのだろう。あながち間違ってはいないのが腹立たしい。
「そしてその後方では、一人の天才が誰にも知られることなく、孤独な戦いを続けていました。敵が残したサーバーという名の、情報の海。彼女はそこから『地道で気の遠くなるようなデータマイニング』を続け、膨大な情報の海から真実の欠片を一つ、また一つと拾い上げていたのです…!」
(実際は99%が不正アクセスと違法ハッキングです! 自白したら、俺も白石雪乃も即逮捕案件だ! というか途中で怖気づいて俺に泣きついてきただろうが!)
橘は雪乃の功績を、偉人の伝記のように語り上げた。幹部たちは橘が語るドラマチックな展開に、さながら最高のスパイ映画を観ているかのように完全に引き込まれていく。彼らの脳内では特四のメンバーが橘の完璧な指揮の下、一糸乱れぬ連携で動くスーパーチームとして、再生されていた。
(全員が異常者で、全員が俺の言うことなんて聞いちゃいない単独行動の化け物だなんて、口が裂けても言えない…っ)
そしてプレゼンテーションは、ついにクライマックスを迎える。橘は一度言葉を切り、静寂を作り出した。
会議室の全員が固唾を飲んで、彼の次の言葉を待っている。橘は今その瞬間を追体験しているかのように、遠い目をして語り始めた。
「三つの光が私の手元に集まった時…私は、運命を感じずにはいられませんでした…」
その声は、神の啓示を受けた者のように厳かだった。
「バラバラだったパズルのピースが、私の脳内で一つの星座を描き始めたのです! そう、潜入捜査官が聞いた『囁き』! 陽動部隊が確保した『物証』! そして天才ハッカーが見つけ出した『座標』…! 全てが! ただ一つの場所を指し示していました!」
橘はゆっくりと、しかし力強く指を一本立てた。
「取引場所は、港の『第七倉庫』以外ありえなかったのです!」
預言者のように、高らかに宣言する。その言葉と同時に、橘がリモコンを操作する。背後の巨大スクリーンに、横浜港第七倉庫の衛星写真が映し出された。
そしてそこに繋がるように麗奈、陽菜、雪乃が集めた情報が美しいインフォグラフィックとなって、次々と表示されていく。それはさながら神が描いた設計図のように、完璧で疑う余地のないものに見えた。もちろん、全て雪乃に作らせた後付けの資料だが。
そして、最後に画面にはこう表示された。
【作戦成功率:99.9%】
雪乃に作らせた極めて信憑性の高そうな、しかし何の根拠もないデータだ。だがこの場の誰も、それを疑う者はいなかった。その完璧すぎるプレゼンと神がかり的な演出に、老獪な幹部たちは完全に心を奪われていた。
パチパチパチ…。
誰からともなく始まった拍手は、すぐに議場全体を揺るがす万雷の喝采へと変わった。幹部たちは立ち上がり、興奮した面持ちで橘に賛辞を送っている。厳一郎は感動のあまり目に涙を浮かべ、「見事だ…! よくやった我が息子よ…!」と誇らしげに声を震わせていた。
(キタキタキターッ!! 喰いついた! こいつら全員完全に俺の物語の虜だ!)
橘は内心で、絶頂にも似た快感を覚えていた。脳汁がドクドクと溢れ出すのが分かる。この瞬間があるから、やめられない。部下の手柄を横取りし、自分を英雄に仕立て上げるこの背徳的な快感。
(最高だぜ! 脳が震える! この万能感! 俺は神だ!)
脳内で勝利のガッツポーズを三回繰り返しながら、橘はあくまで謙虚で自信に満ちた表情を崩さなかった。
会議は満場一致で橘の作戦案を承認した。次期作戦の全権限が正式に「英雄・橘圭一」に与えられることが、決定した瞬間だった。
万雷の拍手の中で、橘は深々と頭を下げた。
「皆様、ご清聴ありがとうございました。ですが、これはまだ序章に過ぎません」
顔を上げた彼の瞳には、確かな覚悟の光が宿っている。
(もちろん嘘だけどな! 覚悟なんてあるもんか!)
「我々特四は皆様の期待を背に、必ずやこの国に巣食う毒龍の首を狩ってご覧に入れます」
完璧な英雄として、次なる戦いへの決意を表明する。その言葉に、幹部たちは更なる熱狂に包まれた。その狂騒の中心で橘はただ静かに、そして不敵に微笑んでいた。
彼の頭の中では次の作戦で手に入るであろう、更なる名声と栄光、そして特別ボーナスの皮算用が既に始まっているのだった。
手柄の味は蜜の味。
その甘さを知ってしまったクズな英雄の進撃は、もはや誰にも止められない。
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