俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

42 / 72
カクヨムでも「俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ」投稿しようかなと、考えてしまう今日この頃。


英雄の夜、あるいはクズの祝杯 - (橘圭一 視点)

 英雄には祝杯がつきものだ。

 

 戦場からの凱旋を果たした夜、橘圭一は都内最高級ホテルの最上階に位置する会員制の隠れ家バーにいた。父•厳一郎が「今夜くらいは羽を伸ばせ」と手配してくれたこの完璧な隠れ家で、彼は一人勝利の余韻に浸っていた。厚い防音ガラスの向こうには、宝石をちりばめたような東京の夜景が広がり、まるで世界が自分の足元にひれ伏しているかのようだった。

 

 橘は誰に言うでもなく、悦に入った声で呟いた。

 

 

「クククッ、最高の夜景じゃねえか。まさに今の俺に相応しい舞台だな」

 

 

 バックバーには世界中から集められたであろう、希少なボトルが琥珀色の光を放っている。重厚なマホガニーのカウンターは鏡のように磨き上げられ天井の柔らかな照明を反射していた。

 

 喉が渇いた。この完璧な夜を始めるに相応しい最高の一杯が欲しい。橘は夜景から視線を外し、ゆっくりとカウンターの方へ向き直った。

 

 そこに誰かがいる気配は今まで全く感じなかった。それほどまでにその存在は静かだったのだ。その視線の先カウンターの向こう側には、一人の女性バーテンダーが静かに佇んでいた。

 

 その存在は、この空間そのものと一体化しているかのように、静かで完璧だった。

 

 腰まで届く美しい銀髪はきっちりとした夜会巻きに結い上げられ、月光を浴びたかのように白く輝く首筋を際立たせている。タイトな黒のベストとスラックスは、彼女の華奢ながらも完璧なプロポーションを雄弁に物語っていた。その姿は精巧に作られたビスクドールのように、どこか人間離れした美しさを放っている。

 

 彼女の顔立ちもまた、人形のように整っていた。一切の感情が浮かばない滑らかな白い肌。その中で唯一強い光を放っているのが、全てを見透かすかのような紫水晶の瞳だった。彼女はその瞳で、カウンターの向こう側から静かに橘を見つめている。

 

 橘はその非現実的なまでの美しさに、思わず息を呑んだ。

 

 

(…どこかで見たことあるような…? いや気のせいか。こんな美女、一度見たら忘れるはずがねえもんな…!)

 

 

 橘のクズな脳みそは、即座に都合の良い結論を導き出した。

 

 

(そうか…! 今夜の俺にはこれくらいの美女がお似合いだってことか! 親父も粋な計らいをしてくれるじゃねえか!)

 

 

 彼はいつものように自己完結し、気障な仕草でカウンターに肘をついた。

 

 

「マスター…いや、バーテンダーさんかな。一番高いスコッチをロックで頼む」

 

 

 銀髪のバーテンダーは静かに一礼すると、完璧な所作で分厚いクリスタルのグラスを用意し、大きな氷を一つだけ入れた。そこに琥珀色の液体が、トクトクと注がれていく。その一連の流れには一切の無駄がなく、さながら芸術作品を鑑賞しているかのようだった。

 

 彼女が差し出したグラスを受け取りながら、橘は今宵が最高の夜になることを確信した。

 

 

 プレゼンテーションの成功。

 父や上層部からの賛辞。

 そしてこれから手に入るであろう、莫大な報奨金。

 

 

 橘はスマートフォンの画面を、指でなぞった。そこに表示された数字を見て、彼の口角が醜く歪んでいく。それは今回の作戦の成功報酬として振り込まれた、報奨金の額だった。ゼロの数が多すぎて、一瞬自分の目を疑うほどだ。

 

 

「クハハ…クハハハハ!」

 

 

 最初は、押し殺したような笑い声だった。だが、それはすぐに抑えきれない狂喜の奔流となり、静かなバーに響き渡った。

 

 

「ヒッヒヒヒヒ! アッハハハハハハ! 見たか! これが俺の実力だ!」

 

 

 橘はスマートフォンを握りしめ、カウンターに突伏しながら狂ったように笑い続けた。傍から見れば、完全に正気を失った男だ。橘自身も自分の狂態に、彼女がドン引きするのではないかと、一瞬危惧した。普通の女なら気味悪がって席を外すか、警備員を呼ぶだろう。

 

 しかし、銀髪のバーテンダーは違った。彼女は一切表情を変えず、橘の狂った笑い声をBGMにするかのように、ただ静かに次のカクテルの準備を進めているだけだった。そのプロフェッショナルな態度に、橘は逆に感心してしまった。

 

 

(たいした女だ…肝が据わってやがる。流石は、一流ホテルのバーテンダーだな。俺のこの王者の凱歌を邪魔しないとは心得ている)

 

 

 また一つ、都合の良い解釈が彼の脳内で完成した。ひとしきり笑って落ち着いた橘は顔を上げ、グラスに残っていたスコッチを一気に煽った。喉が焼けるような感覚が、心地良い。

 

 

「ふひ~」

 

 

 勝利の味とは、きっとこういうものなのだろう。彼は上機嫌で、指をパチンと鳴らした。舞台役者のように芝居がかった仕草で、目の前の美女に話しかける。

 

 

「バーテンさん!」

 

 

 橘は得意げに言った。その声は、自分自身への陶酔感でわずかに上ずっている。

 

 

「見てくれよこの夜景を! まるで俺のために用意された景色だ! 今夜は世界が俺のために輝いてるぜ!」

 

 

 ガラスの向こう眼下に広がる無数の光の粒を指差しながら、彼は心からの悦びを込めて宣言した。一つ一つの光が、自分にひれ伏す民衆のように見えた。この街もこの国も、いずれは俺の掌の上で転がることになるのだ。そう思うと、言いようのない万能感が全身を駆け巡った。

 

 銀髪のバーテンダーは、磨いていたグラスから一度も目を離さない。その完璧な横顔は、感情というものが存在しないかのように静かだった。彼女は橘の言葉にわずかに間を置くと、抑揚のない水面のように平坦な声で答えた。

 

 

「左様でございますか。お客様のような素晴らしい方には、そう見えるのかもしれませんね」

 

 

 その言葉には、何の感情も込められていなかった。賛辞でもなければ、皮肉でもない。ただそこに存在する事実を、ありのままに述べたかのような無機質な響き。だが今の橘には、それが最高の賛辞に聞こえた。自分の偉大さを、この美女は疑うことなく受け入れているのだと。

 

 

「だろ!? そうなんだよ!」

 

 

 橘は満足げに頷くと、カウンターに身を乗り出した。彼女のミステリアスな雰囲気に、もっと触れてみたくなったのだ。この女は俺を理解できる。そんな根拠のない確信が、彼の心を支配していた。

 

 

「あんた、イイ女だな。ただのバーテンダーにしとくのは、もったいないぜ。俺の側近にでもならないか? もちろん、夜の側近って意味だけどな…ククク」

(あのベスト、絶対わざと小さいサイズ着てるだろ。豊満マシュマロの形くっきりじゃねえか! それにあの腰のライン…からのヒップだと!? 完璧すぎる! 今夜のデザートに決定だ! まっ、仕方ないってやつだ。テメーは最高な女だからなァ?)

 

 

 本音を交えた、下品なジョーク。普段ならもう少し言葉を選ぶだろう。だが今夜の橘は無敵だった。酒と成功と万能感が、彼のリミッターを完全に破壊していた。彼は彼女がどんな反応をするか、興味津々で見つめた。

 

 怒るか軽蔑するか、あるいは…はにかむか。しかし、彼女の反応はそのどれでもなかった。彼女は磨いていたグラスを静かに置くと、初めて橘の顔を真っ直ぐに見つめた。その紫水晶の瞳はどこまでも深く、感情の揺らぎが一切見えない。さながら魂の奥底まで見透かされているような感覚に、橘は一瞬だけたじろいだ。

 

 

「光栄なお言葉ですが、生憎と私にはそのような才覚はございません。お客様のお相手は、もっと相応しい方がされるべきかと」

「相応しい、女ね…そんな女がどこにいるってんだ?」

「さあ? ですがお客様ほどの方であれば、見つけるのは容易いことでしょう」

 

 

 淡々とした会話。だが橘はそのやり取りに、奇妙な心地よさを感じていた。自分の下品な誘いを、怒りもせず媚びもせず、ただ静かに受け流す。その鉄壁のガードが、逆に彼の征服欲を煽った。

 

 橘はふと彼女の完璧すぎる所作と、感情を一切感じさせない喋り方に、ある種の既視感を覚えた。毎日、自分の身の回りで同じような雰囲気の女を見ている気がする。そうだ…あいつだ。

 

 

「なんかあんた、うちのメイドに喋り方が似てるな…。アイツもいつも、そんな感じで敬語で毒舌なんだよ」

 

 

 何気なく口にした言葉だった。あの忌々しい銀髪メイド、〇〇〇〇。無表情で常に正論という名のナイフで、こちらの心を抉ってくる恐ろしい、歳をとってるのかも分からん女。あの女の顔が、脳裏を一瞬よぎった。するとバーテンダーは初めてグラスから目を上げ、橘を真っ直ぐに見つめた。その紫水晶の瞳に、ほんの一瞬ごく微かな光が宿ったように見えたのは、きっと気のせいだろう。

 

 

「恐縮です。私はしがないバーテンダーですので、お客様のおっしゃられる方とは比べ物になりません」

 

 

 彼女は静かにそう言って、再びグラスを磨く作業に戻った。その言葉に、橘は心からの安堵を覚えた。

 

 

(だよな! あんな無愛想な毒舌メイドと、こんなミステリアスなクールビューティーが似てるわけねえ! 俺としたことが、最高の夜に水を差すところだったぜ!)

 

 

 彼は彼女の氷のような態度すらも、一種の抗いがたい魅力として捉え始めていた。この女なら、あるいは…。酒と成功に酔った橘の思考は、どんどん大胆になっていく。目の前の美女になら、自分の壮大な計画を理解してくれるかもしれない。そんな一種の万能感が、彼を饒舌にさせた。

 

 

「なあ、バーテンさん。聞いてくれよ」

 

 

 橘は声を潜め、共犯者に秘密を打ち明けるかのように、身を乗り出した。酒と成功が彼の警戒心を完全に麻痺させ、心の奥底に秘めていた醜い欲望を吐き出させたのだ。目の前の女なら、きっと理解してくれる。そんな根拠のない確信があった。彼女のその、全てを静かに受け入れるかのような紫水晶の瞳が、彼をそうさせたのかもしれない。

 

 バーテンダーは手を止めず、ただ静かに彼の言葉の続きを待っているように見えた。その無関心さが、逆に橘の告白欲を煽った。

 

 

「俺には野望があるんだ…」

 

 

 ゴクリと喉を鳴らし、彼は自分の魂の最も暗く、最も純粋な部分をさらけ出す。

 

 

「親父を警視総監にして、俺はその下で次長になる…最高だろ? 面倒なことは全部親父にやらせて、俺は美味い汁だけを吸うんだ…。組織のトップに立つなんて、まっぴらごめんだ。責任ばっかりで面白くもなんともない。けど、ナンバーツーなら話は別だ。権力も金も女も、思いのまま。それでいて、最終的な責任は親父が取ってくれる。完璧なプランだ…ククク…!!」

 

 

 下劣で不遜な野望。普通の人間が聞けば眉をひそめ、その人間性を疑うであろう独白。恍惚とした表情で自分の計画の完璧さを語り終えると、橘は彼女の反応を窺った。嘲笑されるか、あるいは気味悪がられるか。

 

 だが、彼女はやはり眉一つ動かさなかった。新しいグラスを用意しながら、静かに彼の言葉に耳を傾けているように見えた。橘の話が終わると、彼女は完璧なタイミングで磨き上げたグラスを彼の前に置いた。

 

 

「…素晴らしい計画ですね」

 

 

 抑揚のない声が、静寂に響く。

 

 

「お客様なら、きっと成し遂げられるでしょう」

 

 

 その言葉に、橘の心は鷲掴みにされた。嘲笑でもお世辞でもない。ただ事実を告げるかのようなその静かな肯定は、彼の肥大化した自尊心を最高に満たしてくれた。まるで、自分の歪んだ野望が、この世で最も崇高な目標であるかのように錯覚させる、悪魔的な響きがあった。

 

 

「だろ!? やっぱあんた、話が分かる女だぜ!」

 

 

 橘は興奮で、顔を紅潮させた。この女は違う。そこらの凡百の女たちとは、格が違う。俺の本質をその野望の壮大さを、一瞬で見抜いたのだ。

 

 

(見た目だけじゃなく、中身も最高かよ…! 今夜はとことんツイてるぜ!)

 

 

 彼は本気で彼女に惚れかけていた。この女を手に入れれば、俺の野望は更に完璧なものになる。彼女を隣に置き、この腐った世界を嘲笑いながら生きていく。そんな未来予想図すら、彼の頭の中では鮮やかに描き出されていた。

 

 最高の気分になった橘はグラスに残っていたスコッチを飲み干し、スマートに席を立った。会計は当然のように父親のツケにしてある。英雄への祝杯だ。国が払って当然だろう。

 

 

「また来るぜ」

 

 

 キザなセリフを残し、彼は意気揚々とバーから出て行く。背中に感じる彼女の視線が、まるで勝利のファンファーレのように心地良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

「話が分かるも何も、タチバナの知る〇〇〇〇ですからね」




感想やお気に入り登録、高評価などをいただけますと、作者のモチベーションとなりますので是非よろしくお願いします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。