俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
未来の嫁と主張する乙女たちの品評会 -(麗奈・陽菜・雪乃 リレー視点)
警視庁地下深くに広がる、特四専用の屋内訓練施設。最新鋭の防音設備と空調システムが完備されたこの空間は、外界から隔絶された静謐な戦場だった。今この場所を満たしているのは、火薬の匂いだけではない。見えない火花が散るような、女たちの静かなる闘志と野心が渦巻いていた。
その中心に立つのは、橘厳一郎。警察組織の頂点に君臨する男であり、何より乙女たちの愛する橘圭一の父君。彼が腕を組みながら鋭い眼光で、訓練場を見渡している。その隣には緊張で顔を引きつらせながらも、懸命に説明をする隊長の姿があった。
彼女たちにとって、これは単なる訓練ではない。未来のお義父様に自らの優秀さをアピールし、「息子の嫁に最も相応しいのは自分である」と認めさせるための御前試合。
そう──これは、乙女たちの人生を賭けた「品評会」なのだ。
【黒澤麗奈 視点】
(ご覧になっていますか、お義父様)
麗奈は愛用のスナイパーライフル「黒薔薇」を構えながら、心の中で静かに語りかけた。その指先は優雅にトリガーにかかり、呼吸は深く静かだ。スコープの向こうには、数百メートル先に設置された極小のターゲットが見えている。
(これが黒澤の血を引く私の実力ですわ)
タンッ。
乾いた銃声が一発だけ響く。放たれた弾丸は空気を切り裂き、ターゲットの中心を正確に貫いた。それはコインの縁。回転するコインの側面だけを撃ち抜き、空中に弾き飛ばすという神業だ。だが、麗奈の表情は微動だにしない。これくらいはら朝の体操のようなものだ。
(ただ撃つだけのゴリラや部屋に引きこもっているだけのモグラとは、育ちも技術もそして美しさも全てが違うのです)
麗奈は心の中で、他の二人を冷ややかに見下した。現実の世界で隊長の命を守れるのは、この黒澤麗奈だけだ。
次なるターゲットが現れる。不規則に揺らめく蝋燭の炎。風の動きを読み、一瞬の静止を見極める高度な技術が要求される。だが、麗奈は迷わない。
タンッ。
再び銃声。蝋燭そのものを傷つけることなく、揺らめく炎だけがかき消された。完璧だ。麗奈は銃を下ろし流れるような動作で、髪をかき上げた。その仕草一つ一つが、計算され尽くされた優雅さを湛えている。
(これほどの腕があれば必ずや橘家の…いえ、隊長のお役に立てるはずですわ)
麗奈の脳裏に未来予想図が鮮やかに浮かび上がる。隊長と並んで歩くパーティー会場。華やかなドレスの下には小型拳銃とナイフを隠し持ち、隊長に近づく不逞の輩を笑顔で牽制する自分。あるいは政治的な駆け引きの中で、邪魔な政敵を闇から闇へと葬り去る自分。
表の顔は美しき淑女。裏の顔は冷徹な守護者。それこそが正妻に相応しい姿だ。
(お義父様の護衛も邪魔な政敵の『処理』も、何なりとお申し付けくださいまし。全て完璧に跡形もなく遂行してご覧に入れますわ)
物騒すぎる思考を美しい微笑みの下に隠し、麗奈は再びライフルを構えた。最後のターゲットは高速で飛行するドローンだ。予測不能な軌道を描くそれを撃ち落とすのは至難の業。だが、麗奈のスコープは獲物を逃さない。彼女の目は獲物を狩る鷹のように鋭く、そして冷酷だ。
その時、ふとスコープの端に隊長の姿が映り込んだ。彼は父親の隣でしきりに汗を拭い、何かを必死に説明している。その横顔は緊張で強張り、どこか頼りなげに見えた。だがそれがいい。その弱さが、麗奈の歪んだ庇護欲を激しく刺激する。
(嗚呼、お父様の前で緊張なさっている隊長…なんと愛らしい…♡)
麗奈の頬がほんのりと染まる。普段は完璧な指揮官である彼が、父親の前でだけ見せる無防備な姿。そのギャップがたまらない。その弱さを守り支えてあげられるのは、己しかいない。
(私が早く、あの人の隣で支えて差し上げなければ。あの人の弱さごと、全てを私が包み込んで差し上げるのですわ)
麗奈の指に力がこもる。トリガーが絞られる。
タンッ!
ドローンが空中で火花を散らし粉砕された。さながら彼女の決意を表すかのような、鮮やかな一撃だった。麗奈は銃を下ろし、ゆっくりと振り返った。その視線の先には驚嘆の表情を浮かべる、厳一郎の姿があるはずだ。彼女は優雅に一礼する。
(さあ、どうですのお義父様。これが私の価値ですわ)
その姿は戦場に咲く黒薔薇のように美しく、そして誰よりも危険な香りを放っていた。
【赤城陽菜 視点】
麗奈が優雅な射撃を終えて一礼すると、赤城陽菜は待ってましたと言わんばかりに、フィールドへと飛び出した。彼女はパンッと両手で自分の頬を叩き、気合を入れる。全身の筋肉がこれから始まる破壊の宴を予感して、喜んでいるのが陽菜には分かった。血管を巡る血が熱くたぎるこの感覚こそが、生きている証だ。
(見ていてくださいお義父様!)
陽菜は観覧席に鎮座する厳一郎に向かって、心の中で力強く呼びかけた。その隣では愛する隊長がハンカチで額の汗を拭いながら、何かを必死に説明している。
陽菜の脳内では、その光景が「次は私の自慢の部下で、最高に元気な女の子です! 彼女こそが、未来の嫁候補筆頭です!」と、紹介してくれている場面に自動変換されていた。
陽菜の顔がカッと熱くなる。だが、恥ずかしがっている場合ではない。これはただの訓練ではなく、未来の橘家の嫁として相応しい強靭な肉体と、健康美を証明するための神聖な試験。
そう——人生を賭けた品評会なのだから。
(私の武器は、小細工なしのこの体一つ!!)
『訓練開始』
無機質なアナウンスと共に、フィールドのあちこちから駆動音が響く。最新鋭の戦闘用ドローンが十機同時に起動し、蜂の群れのように空を舞い銃口を陽菜に向けた。普通の人間なら悲鳴を上げて逃げ出し、遮蔽物に隠れる光景だ。しかし、陽菜の目にはそれらがまるで止まっているかのように、スローモーションに映っていた。
「遅いです!」
陽菜は地面を蹴った。コンクリートの床が爆ぜる音と共に、彼女の体は弾丸のように前へ飛び出した。一機目のドローンが反応し、照準を合わせるよりも速くその懐に潜り込む。
「はっ!」
短く息を吐き拳を振るう。ただそれだけの動作。そこには、彼女の全体重と全速力が乗っている。ドクンッという重い衝撃が、拳から肩へと抜けていく心地よい感触。ドローンは破裂音と共に、空中で粉々に粉砕された。鉄屑と化したパーツがバラバラと降り注ぐ中、陽菜の足は止まらない。
二機目…三機目。
殴る。
蹴る。
掴んで投げる。
その動きには一切の迷いがない。
(麗奈先輩みたいに、遠くからチマチマ撃ってるだけじゃダメなんです!)
陽菜は回転しながら、四機目のドローンを回し蹴りで撃墜した。遠距離攻撃なんて卑怯だとは言わない。けれど、隊長の一番近くを守れるのは誰か。何かが飛んできた時、とっさに身を挺して盾になれるのは誰か。
それは一番近くにいる自分だと、陽菜は確信している。銃なんて弾切れになったら、ただの鉄の棒だ。一方で、陽菜の拳には弾切れなんてない。彼女の足は、骨が折れない限り止まらない。つまり、自分こそが最強の盾であり最強の矛なのだ。
(雪乃ちゃんみたいに機械に頼ってるのもダメ!)
五機目のドローンを素手で掴み、それをハンマー代わりにして六機目を叩き潰す。機械はいずれ壊れるし、電気がないと動かない。でも筋肉は裏切らない。愛と筋肉は、鍛えれば鍛えるほど応えてくれる。隊長への愛を込めて放つこの拳に砕けないものなんてらこの世にはないのだ。
「ふんっ!」
最後のドローンを掌底打ちで壁に叩きつけ、鉄屑のオブジェに変える。
10機全滅。所要時間は、わずか15秒。息一つ切れていない。汗が心地よく肌を滑り落ちる。陽菜はこの健康的な汗こそが、自分の最大のチャームポイントだと信じていた。
(お義父様! 見ててください! これが私の元気です!)
陽菜は、観覧席へ向かって満面の笑みを向けた。厳一郎が身を乗り出して、こちらを見ているのが分かる。その表情は驚愕に染まっているが、陽菜にはそれが感動と称賛の色に見えた。そうでしょうそうでしょう。こんなに元気で健康的な嫁候補は中々いませんよと、胸を張る。
(これだけ元気があれば、橘家の跡継ぎも安泰です!)
戦闘中にも関わらず、陽菜の脳内妄想は暴走を始めた。結婚生活とは、体力勝負だ。家事も育児も、体が資本。か弱くてすぐに寝込むような深窓の令嬢では、過酷な警察官の妻橘家の嫁は務まらない。
でも、自分なら大丈夫だ。風邪なんて引いたことがないし、骨折しても半日で治る回復力がある。
(男の子でも女の子でも、ドンと来いです! 三人と言わず五人! いいえ、十人くらいは楽勝で産めますよ!)
陽菜は自分の頑丈な骨盤と、強靭な腹筋こそが安産の象徴だと確信していた。十人の子供たちが庭を駆け回り、それを隊長と二人で縁側でお茶を飲みながら眺める幸せな生活。隊長が、「陽菜のおかげで毎日が賑やかだなァ」と微笑む未来。
嗚呼、なんて素晴らしいのだろう。そのためにも、もっともっと自分の「強さ」という名の「母性」を、アピールしなければならない。
「次!」
陽菜の掛け声と共に、フィールドの中央に分厚い壁が出現する。対爆発物用の特殊チタン合金製の壁だ。戦車の装甲にも使われる最高硬度の壁であり、本来なら指向性爆薬を使って突破する訓練用の障害物だ。
だが、陽菜は爆薬なんて持ち合わせていない。彼女にとって、己の拳こそが最強の爆薬だからだ。
「お邪魔しまーす!」
陽菜は助走をつけることなくその場で腰を落とし、大地を踏みしめた。足裏から伝わる力を腰へ背中へ、そして右拳へと伝達させる。全身をひとつの巨大なバネにする。そこに、隊長への愛を込める。愛は、あらゆる障害を乗り越える力だ。二人の愛を阻む壁があるなら、赤城陽菜が砕く——物理的に。
「愛の正拳突きぃぃぃ!!」
ドォォォォォォン!!
轟音。もはや打撃音ではない。爆発音に近い衝撃音が、完全防音の訓練施設全体を揺るがした。分厚いチタン合金の壁が、さながら飴細工のようにひしゃげ、中心から放射状に亀裂が走る。次の瞬間、バラバラと崩れ落ちた。砂埃が舞う中、陽菜は拳を払う。その拳には、かすり傷ひとつない。
(どうですか! この突破力!)
玄関の鍵をなくしても、私が開けてあげられます。災害で瓦礫に埋もれても、私が素手で掘り起こしてあげられます。人生のどんな壁も、物理的に粉砕して進むことができる。これほど頼りになる、パートナーがいるだろうか。いやいない。
「最後はあれですね」
訓練の総仕上げとして、奥から巨大な物体がせり上がってきた。模擬戦車だ。本物の戦車と同じ重量と装甲を持つ、訓練用の鉄の塊。本来ならロケットランチャーなどの重火器を使って、無力化するターゲットだ。
しかし、陽菜はそんな無粋な真似はしない。彼女は戦車の正面に仁王立ちした。鋼鉄の巨体が見下ろしてくる圧倒的な威圧感。けれど、彼女は微塵も恐れない。隊長を守るためなら、こんな鉄屑なんて発泡スチロールと同じだ。
「よいしょっと!」
陽菜は、戦車の前面装甲の下に両手を差し込んだ。膝を曲げ、腰を入れる。全身の筋肉が唸りを上げる。シャドウダイバーのような、ハイテクな機能はない。バーサーカーギアから露出した彼女の生身の腕と脚が、鋼鉄のように隆起する。
ギギギギギ…!
嫌な金属音が響き渡り、戦車の巨体が地面から浮き上がった。タイヤでもキャタピラでもない。陽菜の純粋な筋力だけで、数十トンの鉄塊が宙に浮く。
(流石にちょっと重いかも…でもこれは愛の重さ!)
隊長の命の重さに比べれば、こんなものは羽根のように軽い。陽菜はさらに力を込める。
うおおおおお!!!
気合と共に、戦車を頭上高く持ち上げた。米俵でも担ぐかのように軽々と。
「ふんぬっ!」
彼女はそれを、ただ投げ捨てるだけでは終わらせない。両手で戦車の両端を掴み、内側へ向かって力を込めた。
ベキベキベキッ!!
悲鳴を上げる装甲。砲塔がひしゃげ、車体が歪んでいく。陽菜は戦車を巨大な手毬のように、丸め込んでいく。巨大な鉄の塊が彼女の腕の中で、スクラップの団子へと変貌していく様は圧巻だった。
これはもはや暴力ではない。ある種の芸術だ。パワーという名の、愛の形だ。
(粗大ゴミは小さくしてから捨てる! これ主婦の知恵だよね!)
陽菜は丸めた元戦車をポイッと、部屋の隅に放り投げた。ズドォォォンと、地響きが鳴り床が揺れる。よし片付いた。彼女は両手をパンパンと叩いて、埃を払う。息を整え、乱れた髪を直す。汗が光る笑顔は、我ながら最高にチャーミングなはずだと、彼女は確信していた。
陽菜はくるりと振り返り、観覧席を見上げた。そこには言葉を失っている厳一郎と、顔面蒼白になり口をパクパクさせている隊長の姿があった。隊長のあの表情。きっと将来の嫁の凄さに感動して、言葉が出ないのだ。お義父様も、腕組みをしたまま固まっている。きっと「これほどの逸材がいたとは」と、息子の見る目の高さに感心しているに違いない。
(隊長! 私、頑張りましたよ!)
陽菜は二人に向かって、ニッと笑いかけた。白い歯がキラリと光る健康的な笑顔。右手の親指を突き立てて、サムズアップを見せる。
(任せてください! 隊長の背中も家庭も橘家の未来も! この私が全部まとめて守ってみせますから!)
溢れんばかりの純粋な想いを、そのポーズに込める。彼女の想いはきっと伝わったはずだ。だって、お義父様の目が点になっていたのだから。あれは間違いなく、合格のサインだ。陽菜は確信した。今日の訓練で、自分が一番の嫁候補に躍り出たことを。
さあ、次は雪乃の番だ。あの根暗な引きこもりに、私のこの輝くようなバイタリティに対抗できるはずがない。陽菜は勝者の余裕を漂わせながら、意気揚々とフィールドを後にした。心地よい疲労感と未来への希望が、彼女の体と心を満たしていた。
【白石雪乃 視点】
陽菜が巻き起こした轟音と砂埃が収まり、静寂が戻った訓練施設に冷たく硬質な空気が満ちる。次にフィールドの中央にある制御端末席へと進み出たのは、白石雪乃だった。
彼女は少し大きめのブレザーの袖口を握りしめながら、俯き加減で歩く。その姿は、先ほどの陽菜のような圧倒的な陽のエネルギーとは、対極にある。影のように静かで存在感の希薄な女性。その瞳の奥には、誰よりも深く暗い情熱の炎が蒼白く燃えていた。
(お義父様。ご覧くださいませ)
雪乃は、心の中で静かに語りかける。観覧席に座る橘厳一郎の姿をモニター越しに確認する。神の父君。その鋭い眼光はモニター越しであっても、雪乃の心臓を射抜くような威圧感を持っている。
だが引くわけにはいかない。これは自分の存在価値を証明する、唯一の機会。ただの便利な道具ではなく、神の伴侶として橘家の影を背負うに相応しい女であることを、示さなければならない。
(暴力や破壊だけが、力ではありません。未来の橘家を、この国を情報という見えざる脅威からお守りするには、私の力こそが不可欠なのです)
雪乃は、そっとキーボードに指を置いた。その指先が震えているのは、恐怖からではない。武者震いだ。現代社会において、筋肉や銃弾で解決できる問題など氷山の一角に過ぎない。真の脅威は、見えない場所から忍び寄り音もなく、全てを奪い去る。情報という名の猛毒。それを制する者こそが、真の支配者となり得るのだ。
『シミュレーション開始』
電子音声と共に、雪乃の周囲の空間が一変した。現実世界の風景はそのままだが、彼女の認識する世界は、0と1の奔流へと書き換わる。フィールド上空に展開された、数十機の最新鋭ドローン。それらが一斉に赤い光を灯し、攻撃態勢に入る。
同時に雪乃の端末に向けて、テラバイト級のDDoS攻撃と多層的なマルウェア侵入が開始された。物理的な飽和攻撃と、電子的な飽和攻撃の同時多発。常人ならばパニックに陥り、何も出来ずにシステムダウンを迎える絶望的な状況。
しかし、雪乃の表情は変わらない。彼女の世界において、時間は限りなく遅延する。膨大なデータの濁流も、彼女にとっては一滴ずつの水滴に過ぎない。
(遅い)
雪乃の指が踊る。打鍵音すら聞こえないほどの、高速タイピング。それは防御ではない。捕食だ。襲い来るウイルスの構造を瞬時に解析し、そのコードを逆手に取って無害化する。
ただ弾くのではない。吸収し、自分の力へと変えていく。赤い警告灯が次々と緑色の正常信号へと書き換わっていく様は、まるで荒れ狂う嵐を指先一つで鎮める指揮者のようだった。
(筋肉は衰えます。銃弾は尽きます。ですが、情報は永遠です)
雪乃は冷徹な計算と共に、未来の展望を描く。この力があれば、何ができるか。単なるハッキングではない。もっと実用的で、橘家の繁栄に直結する貢献が可能だ。
(これだけの情報処理能力があれば、橘家の資産管理も完璧です。複雑な税制をかいくぐり、資産を倍増させることなど造作もありません。隊長の健康管理もウェアラブル端末のデータを常時監視し、病魔の兆候を0.1秒で察知してみせます)
彼女の思考は、より深く暗い領域へと潜っていく。それは恋敵を排除するための、最も陰湿で効果的な武器。
(そして、邪魔な女たちの排除も。暴力など、野蛮な手段は使いません。SNSや裏サイトを操作し、麗奈さんの過去の恥ずかしい写真や、陽菜さんの破壊活動の証拠映像をネットの海に拡散させる。特定班を誘導し社会的な信用を失墜させ、再起不能になるまで精神的に追い詰める。この指先一つで二人を社会的に抹殺することなど、赤子の手をひねるより容易いことです)
雪乃の口元に、微かな笑みが浮かぶ。これこそが現代における、最強の内助の功。敵を殺さずして、無力化し夫の覇道を影から支える賢妻の姿。お義父様ならばきっと、この価値をご理解いただけるはずだ。
「制圧完了。および、制御権奪取」
雪乃がエンターキーを静かに叩く。その瞬間空中で威嚇音を上げていた数十機のドローンが、ピタリと動きを止めた。赤い攻撃色が消え代わりに柔らかな青い光が灯る。それらは、もはや敵ではない。雪乃の手足となり、意思を持った人形たちだ。
「フォーメーション展開」
雪乃が次なるコマンドを打ち込む。ドローンたちが優雅に舞い始めた。夜空を彩る光のショーみたいだ。規則正しく整列した光の点が、空中に文字を描き出す。一画一画丁寧に。まるで、愛する人へのラブレターを綴るかのように。
まずは『祝』の文字。
続いてハートマーク『♡』。
そして『橘』『家』。
『祝♡橘家』
数十機のドローンが、空中に描いた巨大な光文字。それはあまりにも唐突で場違いな、祝福のメッセージだった。訓練場という、無機質な空間に浮かび上がるピンク色のハートマークが、シュールな光景を作り出す。
だが雪乃にとって、これは冗談でも皮肉でもない。魂からの叫びであり、未来への予言だ。いずれ訪れるその日を先取りして、祝福しているに過ぎない。
雪乃は椅子から立ち上がり、ドローンたちを見上げた。彼女の指の動きに合わせてドローンたちが旋回し、光の粒子を撒き散らす。その光は観覧席にいる、橘圭一の周りを祝福の天使のように舞った。
(隊長。私の光が少しでも、あなたの心を癒せますように)
雪乃は恍惚とした表情で、橘を見つめる。彼が顔面蒼白で震えているのはきっと、あまりの美しさに感動して言葉を失っているからに違いない。お義父様が額に手を当てて天を仰いでいるのもきっと、「これほどの才能が息子の嫁になるとは」と感涙に咽んでいるからだろう。
(届きましたか。私の愛が。私の知性が)
ドローンたちが最後のフィナーレとして、空中で花火のように散開し美しい光の尾を引いて着陸した。雪乃は静かに一礼する。その姿は舞台を終えたプリマドンナのように儚く、どこか狂気を孕んで美しかった。
物理的な破壊力では、陽菜に劣るかもしれない。
家柄や華やかさでは、麗奈に及ばないかもしれない。
だが、この支配力。世界を裏側から操るこの全能感こそが、神の伴侶に相応しい資質。雪乃は確信した。この品評会における勝者は、自分であると。彼女は満足げに息を吐き、愛する隊長の元へと戻るべくゆっくりと歩き出した。その背中には、誰にも触れさせない絶対的な自信と深すぎる闇が、まとわりついていた。
【三人集結 視点】
訓練施設を包み込んでいた、熱気と電子音が静まり返る。硝煙の匂いと破壊された瓦礫の粉塵。そして、ドローンの排熱が混じり合った独特の空気が漂っていた。
三人の乙女たちはそれぞれの定位置に戻り、再び直立不動の姿勢を取る。その表情は、訓練開始前とは明らかに異なっていた。やりきったという達成感。自らの価値を、完璧に証明したという自負。そして何より、自分こそが勝者であるという揺るぎない確信が、その横顔を彩っていた。
黒澤麗奈は、愛銃『黒薔薇』を優雅な手つきでホルスターに収めた。彼女は心の中で冷ややかな笑みを浮かべながら、横目で他の二人を一瞥する。そこには、憐れみにも似た優越感があった。
(勝負はありましたわね)
麗奈は確信していた。あのゴリラのような暴力も根暗なハッキングも、所詮は子供の遊び。由緒正しき橘家の正妻に求められるのは、あのような粗暴さや陰湿さではない。
品格。
優雅さ。
一撃必殺の確実性。
それらを兼ね備えているのは! 自分だけだ。彼女の脳裏には、既にお義父様と優雅にティータイムを楽しむ、自分の姿が浮かんでいた。そこではお義父様が「やはり息子の嫁は君しかいない」と満足げに頷き、隣では隊長が誇らしげに微笑んでいる。
完璧だ。完璧な未来予想図だ。あのドローンを撃ち落とした瞬間に、私の勝利は確定したのだ。麗奈はそっと髪をかき上げ、その美しい顎をわずかに上げた。敗者たちに背中で語る。格が違うのですと。
その隣で赤城陽菜は、心地よい汗を拭っていた。彼女の体からは、湯気が立ち上りそうなほどの生命力が溢れ出している。彼女もまた、勝利を疑っていなかった。
(やったー! これで私がお嫁さんレーストップに躍り出たぞ!)
陽菜は、心の中でガッツポーズをした。麗奈の射撃も雪乃のドローンも確かに凄かった。でも、それは機械の力だ。
壊れたら終わり、電池が切れたらただの箱。しかし、陽菜の体は違う。この筋肉と骨はこの世で最も信頼できる最強の素材だ。お義父様だって男の人だ。細いだけの女より健康的で頑丈な女の方が、安心するに決まっている。ましてや警察官の家系。DNAレベルで、強さを求めているはずなのだ。
私が戦車投げを見た時の、お義父様の驚愕の表情。あれは間違いなく、「素晴らしい遺伝子だ」という感動の現れだった。陽菜は自分の強靭な腹筋に手を当てて、ニヤリと笑った。
このお腹こそが、橘家の未来を育む聖域。私が一番元気で私が一番強い。つまり、私が一番隊長を幸せにできる。このシンプルな三段論法に、反論の余地などないはずだ。陽菜はキラキラした瞳で観覧席を見上げた。そこには赤城陽菜の勝利を祝福する、二人の男がいるはずだから。
そして一番端に立つ白石雪乃もまた、静かに口元を緩めていた。彼女は表立って感情を表すことはない。が、その内側では、マグマのような達成感が渦巻いていた。
(私の想い…きっと届いたはず…)
雪乃は、モニターの残像を瞼の裏に焼き付けていた。あの光文字。
『祝♡橘家』。
あれこそが雪乃の出した答えであり、最強のアピール。
麗奈のように、一点だけを見つめるのではない。
陽菜のように、目の前の壁を壊すだけでもない。
全体を俯瞰し、全てを支配しその上で愛を描く。この神ごとき視座を持てるのは、自分だけだ。現代社会において、情報は血液であり酸素だ。それを支配する自分がいれば、橘家は盤石。
お義父様ほどの傑物であれば、その理屈が分からないはずがない。物理的な力など、前時代の遺物。これからは知性の時代。そして情報の支配者こそが、神の伴侶に相応しい。雪乃は、自分の細い指先を見つめた。この指一本で世界を動かし隊長を守り、そしてライバルを消すことができる。
最も効率的で、最もスマートな妻。それが私。雪乃は幽霊のように、音もなく微笑んだ。
三者三様の確信。彼女たちは、互いに視線を交わすことはなかった。だがその空間には、火花が散るような強烈なライバル心が渦巻いている。誰もが自分が一番だと信じ、誰もが他の二人を噛ませ犬だと思っている。その自己評価の高さと都合の良い解釈能力こそが、彼女たちが特四と呼ばれる所以であり狂気たる所以だった。
三人の熱っぽい視線は、一点に集中する。観覧席にいる二人の男。絶対君主である橘厳一郎。そして最愛の神である、橘圭一。
彼女たちの目には、その光景すらも都合よくフィルターがかけられていた。厳一郎が腕を組んで渋い顔をしているのは、「どいつも素晴らしくて選べない」という嬉しい悲鳴を上げているから。
圭一が顔面蒼白で冷や汗を流しているのは、「僕の部下たちが凄すぎて誇らしい」と感動に打ち震えているから。
そう見えていた。そうとしか見えなかった。彼女たちの世界はいつだってハッピーエンドに向かって、爆走しているのだ。
だが現実は非情である。彼女たちの視線の先にいるのは、嫁選びに悩む舅でも感動する夫でもない。ただ父親の機嫌を損ねないことだけを考えて、胃に穴が開きそうなほど怯えている哀れな一人の男。そして息子への親バカフィルターを全開にしながらも、常識外れの光景に困惑している一人の父親。
三人の乙女たちの幸せな妄想。橘圭一が感じている、地獄のようなプレッシャー。橘厳一郎が下そうとしている評価。三つの異なる認識が交差し絡み合いながら、物語は次のステージへと進んでいく。
誰も真実を語らない。
誰も真実を見ようとしない。
あるのはただ、世界一幸福で世界一残酷な誤解だけ。
訓練場の照明がフリッカーし、一瞬だけ彼女たちの影を長く伸ばした。その影は、三匹の猛獣が獲物を前に舌なめずりをしているかのように、不気味に揺らめいていた。
品評会は終わった。だが、本当の審査結果が発表されるのは、これからだ。彼女たちが信じる勝利の女神は! 果たして誰に微笑むのか。あるいはその女神すらも、この混沌とした誤解の渦に飲み込まれてしまうのか。静寂の中に、重苦しい空気が沈殿していく。
その中心で、何も知らない橘圭一だけが救いを求めるように、天井を仰いでいた。
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(こっち見んな! 頼むからそんなキラキラした目で見つめてくんな!)
(麗奈! その「獲物は仕留めましたわ」みたいなドヤ顔やめろ! 父さんの前でウィンクするな! 俺の寿命が縮む!)
(陽菜! 戦車はボールじゃねえんだよ! 鉄屑の山をバックにサムズアップすんな! それ器物損壊だからな!)
(そして雪乃ォォォ! お前が一番ヤバい! 『祝♡橘家』ってなんだよ! 公共の場で既成事実を作ろうとするな! 父さんが「ほう…」って眉をピクリとさせたのが見えねえのか!)
(誰か! 誰か俺に強力な胃薬をくれ! このままだと俺の胃袋がストレスで物理的に爆発する!)
感想やお気に入り登録、高評価などをいただけますと、作者のモチベーションとなりますので是非よろしくお願いします。
次回、橘厳一郎 視点。