俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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橘さん、席を立とうとしないでください。


後継者だと確信した父親 - (橘厳一郎 視点)

 橘厳一郎は腕を組み、眼下に広がる特四専用訓練フィールドを見下ろしていた。その背筋は定規で引いたように真っ直ぐ伸び、隙のない高級スーツが彼の威厳を、更に際立たせている。

 

 隣では息子の圭一がハンカチで額の汗を拭いながら、何やら説明を続けていたが、厳一郎の意識はその言葉よりも、目の前で繰り広げられる光景に釘付けになっていた。

 

 

(見せてもらおうか圭一。お前が作り上げた、「精鋭」の実力を)

 

 

 厳一郎の視線の先で一人の女性隊員が静かに進み出た。

 

 黒澤麗奈。旧華族黒澤家の令嬢であり、そのプライドの高さと奔放な性格で、警察学校時代から有名だった問題児だ。噂では上官の命令など聞く耳持たず、その才能を鼻にかけ、周囲と度々衝突していたという。

 

 だが今、厳一郎の目の前にいる彼女はどうだ。その立ち振る舞いには、一切の驕りも淀みもない。あるのは、研ぎ澄まされた刃のような冷徹な緊張感と、静謐な闘志だけだ。

 

 

(ほう…あのじゃじゃ馬をここまで飼い慣らしたというのか)

 

 

 厳一郎は内心で感嘆の声を漏らした。彼女が手にしたスナイパーライフル『黒薔薇』が、まるで体の一部であるかのように馴染んでいる。彼女は優雅な動作で銃を構えた。そのフォームは教科書通りでありながら、実戦で磨かれた無駄のない美しさを湛えている。

 

 ターゲットが射出された。数百メートル先で回転する、一枚のコイン。肉眼では豆粒ほどにしか見えないそれを、彼女は迷いなく捉える。

 

 

 タンッ!

 

 

 乾いた銃声が一発だけ響いた。次の瞬間、モニターに映し出されたスローモーション映像に、厳一郎は目を見張った。

 

 弾丸は回転するコインの「縁」だけを、正確に撃ち抜いていた。コインは弾き飛ばされ、空中で美しい弧を描いて落ちる。中心を撃ち抜くよりも、遥かに難易度の高い芸当だ。数ミリのズレも許されない、極限の精密射撃。それを彼女は呼吸をするように当たり前にやってのけた。

 

 

(素晴らしい…! SATの狙撃手でも、これほどの腕を持つ者はそうはいないぞ)

 

 

 厳一郎の評価は、うなぎ登りだった。だが、彼の感嘆は、彼女の技術だけには留まらない。その技術を十全に発揮させる環境と、信頼関係を築いた指揮官。すなわち、息子への評価へと直結していく。

 

 

(射撃とは孤独な作業だ。極限の集中力と精神の安定が求められる。彼女がこれほど迷いなく引き金を引けるのは、背後にいる指揮官への絶対的な信頼があるからに他ならない。圭一…お前は、彼女に迷いを捨てさせたのだな)

 

 

 次なるターゲットが現れる。不規則に揺らめく、蝋燭の炎。風の動きを読み、一瞬の静止を見極める高度な技術と忍耐力が要求される。麗奈の瞳が、スコープ越しに光ったように見えた。

 

 

 タンッ。

 

 

 再び銃声。蝋燭そのものは微動だにせず、揺らめく炎だけがフッと掻き消された。

 

 暴力的な破壊ではない。まるで死神が鎌を振るって、魂だけを刈り取ったかのような静かで恐ろしい一撃。厳一郎の背筋に、ゾクリとした戦慄が走る。

 

 これは暗殺の技術だ。敵に気づかれることなく、重要人物だけを確実に排除する影の仕事。本来なら警察官が持つべきではない危険な牙。その牙は今、完全にコントロールされている。

 

 麗奈が銃を下ろし、ふと振り返った。その視線が厳一郎の隣にいる、圭一に向けられる。その瞳に宿る熱。頬を染め潤んだ瞳で指揮官を見つめる、その表情。傍から見れば、それは恋する乙女の熱視線そのものだった。

 

 しかし厳一郎の高性能な親バカフィルターは、それを都合よく変換する。

 

 

(なんという忠誠心だ…! あのような冷徹なスナイパーが指揮官を見る時だけは、あのような表情を見せるのか。あれは「私の力をご覧ください」「あなたのためにいつでも引き金を引きます」という、無言の誓いだ。恐怖や利益で繋がった関係ではない。心からの敬愛と服従。圭一…お前は一体、どれほどのカリスマを発揮して彼女の心を掌握したのだ)

 

 

 厳一郎は感動に打ち震えていた。息子がただの管理職ではなく、人の心を動かす真のリーダーに成長しているという確信。それが父親としての誇りを、際限なく膨らませていく。

 

 最後のターゲットは、高速で飛行するドローン。予測不能な軌道を描くそれを、撃ち落とすのは至難の業だ。けれど、麗奈は動じない。銃口が滑らかに動き、空中の点を追う。彼女の集中力は極限まで高まり、周囲の空気が張り詰めるのを感じる。

 

 

 タンッ! 

 

 

 ドローンが空中で火花を散らし、粉砕された。それは宣言通りの完璧な仕事だった。麗奈は銃を下ろし、流れるような動作で髪をかき上げた。その仕草一つ一つが、計算され尽くされた優雅さを湛えている。彼女はゆっくりとこちらに向き直り、深々と一礼した。その姿は戦場に咲く黒薔薇のように美しく、そして誰よりも危険な香りを放っていた。

 

 厳一郎は深く頷いた。その表情は変わらず厳格なままだが、内心では拍手喝采を送っていた。

 

 

(合格だ。文句のつけようがない)

 

 

 彼は心の中で独りごちた。この黒澤麗奈という隊員。技術精神力そして忠誠心。どれをとっても超一級品だ。彼女がいれば、圭一の背後は盤石だろう。遠距離からの排除が必要な場面で、彼女は必ずや圭一の期待に応えるはずだ。

 

 

(黒澤家の令嬢を、ここまで忠実な懐刀に仕立て上げるとは。恐ろしい子だ圭一。私の想像を遥かに超えている)

 

 

 厳一郎はチラリと、隣の息子を見た。圭一は顔面蒼白で冷や汗を流し、口をパクパクさせている。普通に見れば、怯えているようにしか見えない。だが今の厳一郎には、それすらも違って見えた。

 

 

(ふむ…部下のあまりの凄まじさに、武者震いしているのか。あるいは更なる高みを目指すために、現状に満足していないという顔か。貪欲だな、圭一。その向上心こそが、特四を率いる資質よ)

 

 

 厳一郎の壮大な勘違いは止まらない。麗奈の視線も圭一の放つ怯えも、全てが良い方向へと解釈されていく。この完璧な誤解の螺旋の中で、厳一郎は確信した。特四は最強であると。そして、その頂点に立つ息子は天才であると。

 

 

「素晴らしい」

 

 

 厳一郎の口から短い賛辞が漏れた。それは麗奈の技術へのであり、それを統率する息子への賛辞でもあった。麗奈がその言葉を聞いて、パァッと表情を輝かせた。彼女はそれを、「息子の嫁として合格」という意味だと受け取ったのだろう。

 

 厳一郎はそれを「上官に褒められた喜び」だと受け取った。誰も間違っているとは言わない。誰も真実には気づかない。この幸福で滑稽なすれ違いこそが、この親子のそしてこの部隊の真骨頂なのだから。

 

 

(さて、次は誰だ。どのような驚きを、私に見せてくれるのだ)

 

 

 黒澤麗奈の静謐な狙撃演武が終わり、訓練施設に一瞬の静寂が戻ったのも束の間。次なる隊員が、フィールドの中央へと躍り出た。

 

 赤城陽菜。彼女に関する報告書は、厳一郎も熟読していた。曰く『人間サイズの重機』『歩く破壊神』『制御不能の暴走機関車』。

 

 警察学校時代には備品を破壊しすぎて始末書の山を築き、当時配属された機動隊では、犯人よりも建物への被害の方が大きかったという、伝説の問題児だ。彼女のその有り余るエネルギーは組織にとって諸刃の剣であり、常に爆発の危険を孕んでいたはずだった。

 

 しかし、今の彼女はどうだ。溢れんばかりの生命力を全身から発しながらも、決して暴走することなく、隊長である圭一からの合図を待っている。その姿は鎖に繋がれた猛獣ではなく、信頼によって結ばれた最強の番犬に見えた。

 

 

(見せてもらおうか。破壊神と呼ばれたその力。圭一がどのように制御しているのかを)

 

 

 訓練開始のブザーが鳴る。同時に十機の戦闘用ドローンが一斉に彼女に襲いかかった。通常の人間なら、恐怖で足がすくむ状況だ。だが、彼女は笑った。太陽のように屈託のない笑顔を浮かべたかと思うと、次の瞬間…その姿が掻き消えた。

 

 

 ドォォォン!!! 

 

 

 爆音が響く。厳一郎の目が捉えたのは、空中で粉々に粉砕され花火のように散るドローンの残骸だった。

 

 速い。疾風の如く軽やかだ。彼女は踊るように、跳ね歌うように拳を振るう。一撃必殺。触れたものが次々と鉄屑へと変わっていく。それは単なる暴力ではない。極限まで研ぎ澄まされた格闘術と、超人的な身体能力の融合だ。

 

 

(素晴らしい…! これほどの瞬発力と破壊力を持つ個体が存在するとは。彼女一人で一個小隊…いや、一個中隊に匹敵する制圧能力だ)

 

 

 厳一郎は戦慄した。ただ暴れるだけなら猛獣と変わらない。だが、彼女の攻撃には迷いがない。敵の懐に潜り込み、最短距離で急所を破壊する。その動きは高度に統率されている。

 

 

(圭一よ。お前はあの暴れ馬に、「戦術」という手綱をつけたのか。あれを昇華させたと…恐ろしい男だ)

 

 

 次なる障害物は、対爆発物用の特殊チタン合金製の壁。戦車の装甲にも使われる、最高硬度の材質だ。通常であれば重機や爆薬を用いて突破するものだが、彼女は素手だ。彼女は深く腰を落とし、大地を踏みしめた。その構えから放たれる気迫だけで、周囲の空気がビリビリと震えるのが分かる。

 

 

「愛の! 正拳突きぃぃぃ!!」

 

 

 彼女が叫んだ言葉の意味はよく聞き取れなかったが、その威力は言葉を必要としなかった。轟音と共に分厚いチタン合金が飴細工のようにひしゃげ、中心から放射状に亀裂が走り崩壊した。爆薬などいらない。彼女の拳こそが、最強のバンカーバスターだ。この突破力があれば、どんな堅牢なアジトも紙細工同然だろう。

 

 厳一郎は、ゴクリと喉を鳴らした。突入作戦において最も困難な「道を作る」という工程を、彼女は一瞬で完了させてしまう。これは、戦術的優位性などという次元を超えている。

 

 

(人間の形をした戦略兵器だ。だが、彼女の真価はその破壊力だけではない。見ろ、あの表情を)

 

 

 壁を粉砕した後、彼女は満面の笑みで圭一の方を振り返った。その顔には、一片の陰りもない。破壊を楽しんでいるのではない。「役に立てて嬉しい」という、純粋な奉仕の喜びが溢れている。厳一郎は、その笑顔をこう解釈した。

 

 

(なんという忠誠心だ…! 彼女は自らの拳が血に濡れることも、骨が軋む痛みも厭わない。全ては圭一のため。その純粋すぎる献身が、彼女の拳に神懸かり的な威力を与えているのだ。「貴方のために壁を砕きました!」そう言わんばかりの健気な瞳。圭一よ、お前は彼女に生きる意味を与えたのだな)

 

 

 そして、訓練のクライマックス。模擬戦車が登場する。数十トンの鉄塊。人間の力でどうこうできる代物ではない。しかし、彼女は事もなげに、その前面装甲の下に手を差し込んだ。全身の筋肉が鋼鉄のように隆起する。ギギギという異音と共に巨大な戦車が宙に浮いた。

 

 厳一郎は我が目を疑った。持ち上げている。人間が戦車を持ち上げている。物理法則が悲鳴を上げている。だが、現実は彼の常識を遥かに凌駕していた。

 

 彼女は持ち上げた戦車を両手で挟み込み、ベキベキと音を立てて巨大な団子のように丸めてしまった。それを、ゴミ箱にゴミを投げるような気軽さで放り投げた。

 

 

 ズドォォン!!! 

 

 

 地響きと共に訓練場が揺れる。模擬戦車だったものは見るも、無残な鉄屑の塊と化していた。

 

 静寂。圧倒的な破壊の後の静寂。彼女はパンパンと手を払い乱れた髪を直すと、こちらに向かってニッと笑った。白い歯がキラリと光る。右手の親指を突き立て、サムズアップを見せた。

 

 厳一郎はそのジェスチャーに込められた意味を、瞬時に理解(誤解)した。あれは、「ミッションコンプリート」の合図だ。そして、「この身の全ては貴方のもの」という服従の証だ。

 

 

(凄まじい…)

 

 

 厳一郎は感動で打ち震えていた。あのような怪力を持ちながら、彼女の精神はあくまで少女のように無垢だ。そのギャップこそが彼女の最大の武器であり、最大の危険性でもある。

 

 圭一は、それを見事にコントロールしている。猛獣使いなどという、生易しいものではない。彼は破壊神の魂を鎮め、その力を正義のために振るわせる聖職者のような存在だ。

 

 

(これほどの力を持ちながら、彼女は圭一の前ではただの忠実な部下として振る舞う。その信頼関係の深さは計り知れない。圭一…お前は本当に、私の息子なのか? いや、私を超えた存在になりつつあるのかもしれん)

 

 

 厳一郎は隣の息子を見た。圭一は顔面蒼白で口をパクパクさせ、小刻みに震えている。常人が見れば「化け物を見て腰を抜かした男」にしか見えないが、厳一郎のフィルターにはこう映っていた。

 

 

(見ろ、この武者震いを。部下の力が自分の想定すら超えて成長していることに戦慄しつつも、その強大な力を背負う覚悟を決めている顔だ。「これほどの力を、俺は使いこなさなければならないのか」という、畏怖と責任感。それでこそ指揮官だ。力に溺れることなく常に力を恐れる心を持つ。流石だ)

 

 

 厳一郎は深く満足げに頷いた。赤城陽菜。彼女は間違いなく、最強の「矛」だ。どんな敵も彼女の前では無力だろう。そしてその矛の柄を握っているのは、我が息子だ。これほど心強いことはない。

 

 

(合格だ。彼女もまた、特四に不可欠なピースだ)

 

 

 厳一郎の目には、もはや陽菜が「元気な嫁候補」としてアピールしている姿など、微塵も映っていなかった。あるのは国家最強の生体兵器と、その制御者としての息子の姿だけ。この完璧な誤解の中で、厳一郎の評価は天井知らずに上がっていく。

 

 彼は静かに拍手を送ろうとして、ふと気づいた。まだ一人残っている。フィールドの中央にある、制御端末席に座るのは、白石雪乃。特四の最年少隊員であり、報告書によれば対人恐怖症の気があり、極度の引きこもり体質だという。

 

 確かに、その姿は華奢で儚げだ。先ほどの陽菜のような圧倒的な生命力も、麗奈のような研ぎ澄まされた殺気も感じられない。ただの大人しい乙女にしか見えない。

 

 だが、厳一郎は知っている。現代戦において最も恐ろしいのは筋肉でも銃弾でもない。情報という名の、見えざる猛毒であることを。そしてそれを支配する者が、真の勝者となることを。

 

 

(見せてもらおうか。圭一が手に入れた「神の目」と「神の耳」。その真価を…)

 

『シミュレーション開始』

 

 

 無機質なアナウンスと共に、訓練場の空気が一変した。数十機の最新鋭攻撃用ドローンが空中に展開し、不気味な赤い光を明滅させる。同時に端末のモニターには、警告色が溢れ返った。

 

 物理的な飽和攻撃と電子的な飽和攻撃の同時多発。テラバイト級のDDoS攻撃と多層的なマルウェア侵入が、雪乃の端末に襲いかかる。凡庸なオペレーターなら、数秒で精神が焼き切れるほどの情報量。

 

 彼女は動じない。厳一郎の目が捉えたのは、信じられない光景だった。雪乃の指がキーボードの上を走る。いや、走るという表現では生温い。打鍵音すら聞こえないほどの、超高速タイピング。彼女の指先から放たれるコマンドの一つ一つが、襲い来るウイルスの群れを正確に撃ち落としていく。

 

 防御ではない。捕食だ。彼女は敵の攻撃プログラムを解析し、瞬時に無害化し、それを自らの糧として吸収している。

 

 

(なんと…!? これがハッキングだとでもいうのか…!)

 

 

 厳一郎は戦慄した。彼女のモニターには、常人には理解不能な速度でコードが流れている。

 

 だが、厳一郎には分かる。赤い警告灯が、次々と緑色の正常信号へと書き換わっていくその様は、まるで荒れ狂う嵐を指先一つで鎮める指揮者のようだった。彼女にとってこの絶望的な状況は、単なるパズルに過ぎないのだ。

 

 

(恐ろしい…情報戦において、彼女一人で国家の諜報機関一つ分に相当する戦力だ。圭一よ…お前はこの才能をどこで見つけてきたのだ? どうやってこの内向的な美女に、これほどの力を振るわせているのだ)

 

 

 厳一郎は隣の息子を見た。圭一はモニターを凝視し、脂汗を流している。その目は血走り、口元は引きつっている。一見すればパニック寸前だが、厳一郎の視点では違った。

 

 

(見ろ、あの集中力を。彼は雪乃と、脳神経レベルでリンクしているのだ。彼女の操作一つ一つをリアルタイムで把握し、瞬時に的確な指示を脳内で送っている。表に出る言葉など不要。魂のレベルで繋がった指揮官と、オペレーターの完璧な共鳴。その負荷は計り知れないだろう。だからこその脂汗。身を削って、知略を巡らせている証だ)

 

「制圧完了」

 

 

 雪乃が小さく呟きエンターキーを叩いた。その瞬間、空中で殺気を放っていた数十機のドローンがピタリと動きを止めた。赤い光が消え、柔らかな青い光が灯る。それらはもう敵ではない。雪乃の手足となり、意思を持った人形たちだ。乗っ取ったのだ。敵の兵器を瞬時に自軍の戦力へと書き換えた。

 

 これは破壊よりも、遥かに残酷で効率的な勝利だ。厳一郎が戦慄している間にも、雪乃の指先は止まらない。彼女は奪い取ったドローンに、次なるコマンドを打ち込んだ。

 

 

「フォーメーション展開」

 

 

 青い光を灯したドローンたちが、夜空を舞う蛍のように優雅に動き始めた。それは、無機質な機械の動きではない。意思を持った生命体の舞踏だ。数機のドローンが空中で静止し、光の点を繋いで文字を描き出す。一画一画を丁寧に。空中に浮かび上がったのは、巨大な光の文字だった。

 

 

『祝』

『♡』

『橘』

『家』

 

『祝♡橘家』

 

 

 ピンク色のハートマークと家名の羅列。常人であれば「何ふざけているんだ」と激怒するか、「頭がおかしいのか」と困惑する場面だ。しかし厳一郎の思考回路は、常人のそれとは次元が異なっていた。彼の親バカフィルターと深読みスキルが光速で回転し、導き出した答えは斜め上をいくものだった。

 

 

(なるほど。そうきたか)

 

 

 厳一郎は深く頷いた。

 

 

(あのハートマーク。あれは愛などという、軟弱な意味ではない。心臓。すなわち、敵の中枢だ。彼女は敵の心臓部を完全に掌握したということを、あの記号で示しているのだ。「敵の命運は私の掌の中にあり」という、無言の勝利宣言。なんと洒落た皮肉か)

 

 

 厳一郎の解釈は止まらない。

 

 

(そして『祝♡橘家』。これは単なる、祝いの言葉ではない。橘家への、絶対的な帰依の表明だ。「この勝利を橘家に捧ぐ」。彼女は自らの能力の全てを、橘家の繁栄と安寧のために使うと誓っているのだ。中世の騎士が主君に剣を捧げる儀式にも似た、電子の海における誓いの儀式。なんという忠義か)

 

 

 ドローンたちが散開し、観覧席にいる圭一の周囲を旋回し始めた。キラキラと降り注ぐ光の粒子が彼を包み込む。雪乃はモニター越しに、恍惚とした表情でその光景を見つめている。厳一郎にはその光の輪が、息子を守護する鉄壁の要塞に見えた。

 

 

(鉄壁の防御陣形。彼女がいる限り、物理的にも電子的にも何者も圭一に触れることはできない。彼女は最強の盾であり、最強の参謀だ)

 

 

 厳一郎は深く息を吐き椅子に背を預けた。完璧だ。

 

 

 黒澤麗奈という『矛』。

 赤城陽菜という『槌』。

 白石雪乃という『盾』にして『眼』。

 

 

 三者三様の突出した才能。本来なら決して交わることのない、狂気じみた個性たち。それらが見事に調和し一つの巨大な力となって、圭一を支えている。

 

 

(圭一よ。お前はこれほどの怪物たちを手懐け、一つの意志のもとに統率しているのか。恐ろしい男だ。私の息子ながら末恐ろしい)

 

 

 厳一郎は隣の息子を見た。圭一は顔面蒼白になり、ガタガタと震えている。その目は虚ろで、口元は引きつっている。一見すれば極度の恐怖に耐えているようにしか見えない。だが、厳一郎のフィルターにはこう映った。

 

 

(見ろ、あの震えを。あまりの完成度と底知れぬ力に畏怖しているのだ。慢心することなく、常に己の力を恐れる。その謙虚さが彼女たちの忠誠心を、更に掻き立てるのだろう)

 

 

 厳一郎は満足げに頷いた。全ての演武が終了した。訓練施設を満たしていた破壊音と電子音は消え去り、静寂が戻る。

 

 フィールドに並び立つ三人の隊員たち。黒澤麗奈。赤城陽菜。白石雪乃。彼女たちは再び直立不動の姿勢を取り、その視線を一点に集中させている。その先にあるのは、我が息子•橘圭一だ。

 

 厳一郎は、彼女たちの表情を順に観察した。

 

 まずは黒澤麗奈。彼女は優雅に顎を引き、涼しげな瞳でこちらを見据えている。その表情には一点の曇りもない達成感が滲んでいた。その姿からは、「私の仕事は完璧でした」という無言の主張が聞こえてくるようだ。

 

 厳一郎は、その自信に満ちた態度を好意的に受け止めた。狙撃手には、過剰なほどの自負が必要だ。自らの腕を疑う者は、引き金を引く瞬間に迷いを生む。彼女にはそれがない。彼女は確信しているのだ。自らが放つ弾丸は必ず標的を貫き、隊長の敵を排除すると。その揺るぎない自信こそが、彼女を最強の狙撃手たらしめている所以だろう。

 

 

 彼女が時折横目で他の二人を一瞥する視線には、冷ややかな色が混じっている。それは決して仲違いではない。「隊長の役に立つのは、この私よ」という強烈なライバル心の表れだ。組織において、健全な競争心は成長の糧となる。彼女のプライドの高さは、そのまま特四の質の高さへと直結しているのだ。

 

 次に赤城陽菜。彼女の体からは、湯気が立ち上っているかのような熱気が感じられた。戦車を素手でスクラップにするという、常識外れのパフォーマンスを見せつけた直後だというのに、彼女の呼吸は乱れていない。彼女はこちらに向かって、満面の笑みを浮かべている。その笑顔は太陽のように明るく、底抜けにポジティブだ。破壊神と呼ばれた彼女が、これほど屈託のない表情を見せるとは。

 

 厳一郎は感心した。彼女は自分の力を誇示しているのではない。「これだけのことが出来ます! もっと命令をください!」と、全身で訴えているのだ。その姿は獲物を狩ってきた猟犬が、飼い主の褒め言葉を待っている姿に重なる。

 

 彼女にとって破壊とは快楽ではなく、主君たる隊長への奉仕そのものなのだ。彼女が時折腹部をさすりながらニヤリと笑っているのはよく分からないが、きっと「この身の全ては隊長のためにある」という肉体的な覚悟の確認なのだろう。単純明快。ゆえに最強。彼女の忠誠心には、裏表がない。

 

 最後に白石雪乃。彼女は静かだ。その存在感は、他の二人に決して劣らない。彼女は胸の前で手を組み祈るようなポーズで、圭一を見つめている。先ほどのドローンによる光文字、『祝♡橘家』。

 

 あれは強烈だった。あれは彼女なりの誓約書だ。「私の知性は、橘家の繁栄のためにあります」という電子の誓い。彼女の瞳は、熱っぽく潤んでいる。それは自分の能力が主君に認められたという、法悦の表情だ。内向的で他者との関わりを拒絶してきた彼女が、これほど感情を表に出す相手は、隊長しかいないのだろう。

 

 彼女は情報の海という広大な世界を支配しながら、その全ての果実を隊長に捧げようとしている。その献身的な姿勢は、まさに参謀の鑑だ。

 

 

 三者三様の個性。

 三者三様の能力。

 

 

 彼女たちの視線には、共通する色があった。熱だ。火傷しそうなほどの熱量を持った視線が、圭一に注がれている。傍から見れば、異性に対する情熱的な求愛に見えるかもしれない。現に彼女たちの頬は紅潮し、息は荒い。目がハートマークになりそうなほど、とろけてている。

 

 だが厳一郎の高性能フィルターは、その甘い雰囲気を瞬時にろ過し、軍事的な解釈へと変換した。

 

 

(凄まじい士気だ…)

 

 

 厳一郎は戦慄した。

 

 

(狂信だ。崇拝だ。絶対的な帰依だ。彼女たちは圭一を単なる上司として見ているのではない。自らの命を預け、地獄へも行軍する覚悟を決めた「主君」として見ているのだ)

 

 

 厳一郎は視線を、隣の息子に移した。橘圭一。彼は今、三人の部下からの熱視線を一身に浴びている。その顔色は蒼白で、額からは滝のような冷や汗が流れている。膝は小刻みに震え、手は白くなっている。誰が見ても「恐怖に怯える男」の姿だ。

 

 しかし厳一郎には、その姿が全く別の意味を持って映っていた。

 

 

(重い…重すぎるだろうな圭一よ)

 

 

 厳一郎は息子の心情を慮り、心の中で語りかけた。

 

 

(彼女たちの想いはあまりにも純粋で、そして重い。一人の人間の命を預かるだけでも重圧なのに、これほどの怪物たちの人生そのものを背負わされているのだ。そのプレッシャーは計り知れない。お前のその震えは恐怖ではない。責任の重さに押し潰されそうになりながらも、必死に耐えている「武者震い」だ)

 

 

 普通の人間なら逃げ出しているだろう。だが、圭一は逃げていない。顔面蒼白になりながらも、その場に踏みとどまっている。厳一郎には息子が必死に虚勢を張り、指揮官としての威厳を保とうとしている姿がいじらしくもあり、頼もしくも見えた。

 

 

(よく耐えている。お前は立派だ。その震えこそが、お前が真剣に彼女たちと向き合っている証拠だ。慢心せず、常に重圧と戦う。だからこそ、彼女たちもお前を信じるのだ)

 

 

 視察は終わった。結論は出た。厳一郎は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。満足だ。これ以上の満足はない。特四は完成されている。物理的な戦闘能力、情報収集能力、何より指揮官と部下の間の強固な信頼関係。全てが完璧なレベルで噛み合っている。

 

 

(私の懸念は杞憂だったようだ。この部隊なら任せられる。ニーズヘッグという毒龍を屠ることが出来るのは、世界で唯一この特四だけだ)

 

 

 厳一郎は確信した。同時に一人の父親として、息子の未来が輝かしいものであることを予感した。これほどの部下を持ちこれほどの信頼を得ている息子。彼は警察組織という枠を超え、やがては歴史に名を刻む英雄となるだろう。

 

 

(今はまだ語るまい。私が褒めれば、彼は慢心するかもしれない。この重圧の中で更に研鑽を積ませることが、息子のためだ)

 

 

 厳一郎は厳しい表情を崩さないよう努めた。その瞳の奥には、隠しきれない慈愛と誇りが満ちていた。彼は息子に向かって短く告げた。

 

 

「行くぞ圭一。視察は終了だ。本庁に戻る」

 

 

 その声はあくまで、冷徹な上官のものだった。圭一が「は…はい!」と裏返った声で答えた時、厳一郎は背を向けながら密かに口元を綻ばせた。

 

 

(可愛い息子よ。お前の作る王国を、私はこれからも見守らせてもらうぞ。いつかお前が、私の椅子に座る日を楽しみにしている)

 

 

 厳一郎は足早に出口へと向かった。その背中は、自信と喜びに満ちていた。

 彼の背後には、三人の乙女たちが放つ「お義父様! 私の評価はいかがでしたか!?」という強烈なアピールと。息子が発する「待ってくれ! 俺を置いていかないでくれ!」という悲痛なSOSが渦巻いていた。

 

 厳一郎にはそれらは全て、「頼もしい部下たちの敬礼」と「名残惜しそうな息子の別れの挨拶」にしか聞こえていなかった。

 

 世界一幸福な誤解は、こうして誰一人真実に気づくことなく、完璧な形で幕を閉じた。

 

 誰も傷つかない。ただ一人、橘圭一の胃袋を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 

(親父ィィィ! 待て! 頼むから置いていかないでくれ! その満足げな背中は何だ!? 俺をこの猛獣小屋に一人残して帰る気か!?)

(見ろよあいつらの目を! 「次は隊長の番ですよ♡」って顔してるけど、その奥にあるのは獲物を狙う肉食獣のギラつきだぞ! 麗奈はヤベー顔してるし、陽菜は抱擁したいよ体勢だし。雪乃に至っては、データ上で俺の戸籍を書き換えようとしてる気配がする!)

(ああダメだ、胃が…胃が限界を超えて悲鳴を上げている…。誰か、誰か俺に業務用サイズの胃薬と、この部屋からの脱出ポッドを持ってきてくれぇぇぇぇッ!!)

(俺って悪いことしてないのに、どうしてこうなるんだァァァァ!!!)




感想やお気に入り登録、高評価などをいただけますと、作者のモチベーションとなりますので是非よろしくお願いします。それが一番の報酬であることは欲張りなのかも…。日本語ちょっと変だな。

次回、橘視点。出番あるから逃げるなよタチバナー!!! こら、脚を掴んじゃいけません! そんなことしたって、運命は変わらないのよ? あと泣き喚かないの!
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