俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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幸せ者だなァ。


共鳴する殺意 - (橘圭一 視点)

 硝煙の匂いが鼻をつく。強襲作戦が終了した直後の倉庫街には、独特の重苦しい空気が漂っていた。鎮圧された現場では、多数の機動隊員たちが事後処理に追われ、慌ただしく行き交っている。橘圭一はその喧騒の中心で、亡霊のように立ち尽くしていた。

 

 胃が痛い。キリキリと締め上げられるような痛みが、勝利の余韻など微塵も感じさせない。彼の願いは、ただ一つ。一刻も早く、この火薬庫のような場所から立ち去り、安全な布団に潜り込みたい…それだけだった。

 

 

「橘隊長! お見事でした!」

 

 

 背後から弾んだ声が飛んできた。振り返る間もなく、純白のスーツに身を包んだ男が、視界に飛び込んでくる。第一公安機動捜査隊•隊長、結城 誠だ。彼は興奮で頬を紅潮させ、キラキラと輝く瞳で橘を見つめていた。そしてあろうことか、橘の両手をガシッと熱烈に握りしめたのだ。

 

 

「あなたの指揮には、度肝を抜かれましたよ! あえて伏兵である彼女たちを野放しにし、個々の判断で暴れさせるという破天荒な戦術! 常識に囚われない、柔軟な発想に感服いたしました!」

 

 

 熱い。物理的にも精神的にも暑苦しい。結城から発せられる善意のエネルギーが、直射日光のように、橘のメンタルを焦がしていく。

 

 

(野放しにしたんじゃねえ…制御不能なんだよ! あと気安く触るな! 頼むから離れてくれ! お前の後ろを見てみろ、この熱血馬鹿が!)

 

 

 橘は内心で絶叫した。結城の背後に広がる空間が、陽炎のように揺らめいているのが見えたからだ。それは陽炎ではない。底知れぬ漆黒の殺気だ。橘の肌が粟立ち、生存本能が警鐘を乱打する。気温が物理的に下がっていく感覚。橘は恐る恐る、その発生源へと視線を向けた。

 

 そこにいたのは、三体の修羅だった。

 

 まず、黒澤麗奈。彼女は少し離れた場所で、愛用のスナイパーライフル『黒薔薇』を点検しているふりをしている。その銃口はあからさまに、結城の側頭部を追尾していた。漆黒の戦闘服『シャドウダイバー』に包まれた肢体は、獲物を狙う大蛇のようにしなやかで静かだ。その瞳は氷河のように冷たく、結城の眉間に風穴を開けるタイミングを、虎視眈々と計っている。

 

 次に、赤城陽菜。彼女の顔からは、太陽のような笑顔が完全に消滅していた。岩山をも粉砕するような重厚な怒気が、全身から立ち上っている。脚線美が眩しいミニスカートの裾が風もないのに、怒気によって不自然に波打っていた。彼女が足元の瓦礫を無意識に踏み砕く音が、ゴリゴリと不気味に響く。その瞳には光がなく、ただ結城という存在を「引き千切るべき障害物」として、認識しているようだった。

 

 そして、白石雪乃。彼女は携帯端末のコンソールを操作しながら、無表情で佇んでいる。彼女の周囲だけ電子的なノイズが走り、端末からバチバチと青白い火花が散っていた。彼女が何をしているのか、橘には分からない。だが結城の社会的な抹殺、あるいは物理的な爆殺の準備が進められていることだけは、確信できた。

 

 

(ひ…ひぃぃ…! 冗談じゃねえぞ! 三人とも完全にキマってやがる!)

 

 

 橘の膝が震える。結城が橘の手を握る力が強まるたびに、背後からの殺圧が指数関数的に跳ね上がっていく。

 

 

(結城! お前が俺に触れるたびに、俺の死亡推定時刻が秒単位で早まってんだよ! 気づけ! その鈍感さは罪だぞ!)

 

 

 橘は必死に、手を引き抜こうとした。だが結城は感動に打ち震えており、その握力は万力のように強かった。

 

 

「橘隊長! 是非とも今度ゆっくりと、指揮官としての心得をご教授願いたい! あなたのような方こそ、警察の未来を担うに相応しい!」

「あ…あぁ。分かった。分かったから離そうか結城君」

 

 

 橘の声は引きつっていた。これ以上は限界だ。背後の三人が、臨界点を超えようとしている。

 

 

 麗奈の指が、トリガーにかかったのが見えた。

 陽菜が、地面を蹴る予備動作に入ったのが見えた。

 雪乃が、エンターキーに指を置いたのが見えた。

 

 

 その時だった。

 

 

「警察め! これ以上好きにはさせんぞ!」

「同志たちの仇だ! 貴様らも道連れにしてやる!」

 

 

 倉庫の奥から、怒号が響き渡った。まだ制圧されていなかった、敵の残党だ。狂信的な密輸グループの生き残り十数名が自暴自棄になり、爆弾を抱えて突撃してきたのだ。彼らの目は血走り、死兵の形相を呈している。

 

 

「橘隊長! 危ない!」

 

 結城が叫んだ。正義感の塊である彼は、咄嗟に橘を庇おうとする。さらに身を寄せ、覆いかぶさるような体勢をとった。橘の世界が、スローモーションになる。敵の突撃。結城の抱擁。そして、背後の三つの火薬庫に同時に、導火線が引かれる音。

 

 

 カチリ。

 

 

 それは嫉妬という名の戦略兵器が、起動した音だった。

 

 

「邪魔ですわ」

「隊長から離れろおおぉぉ!!」

「消去開始」

 

 

 三つの声が重なった瞬間、世界が暴力で塗り潰された。

 

 彼女たちは、敵を見ていなかった。彼女たちの視界に映っていたのは、橘に触れている結城への苛立ちだけだ。その行き場のないドス黒い感情が、全て目の前の敵への攻撃エネルギーへと変換されたのだ。

 

 

 ドォォォォォォン!! 

 

 

 まず陽菜が飛んだ。彼女は結城の頭上を飛び越え、敵の集団の中心に着地した。その衝撃だけで、数名が吹き飛ぶ。しかし、それは始まりに過ぎない。彼女は近くの敵を掴み上げると、それを武器にして周囲の敵をなぎ倒した。

 

 

「邪魔! 邪魔! 邪魔ぁぁぁ!」

 

 

 敵が物理的に壁にめり込み、床に沈み、天井に突き刺さる。それは戦闘ではない。物理的な八つ当たりだ。

 

 

 タンッ! タンッ! タンッ! 

 

 

 乾いた銃声が連続して響く。麗奈だ。彼女は一歩も動くことなく、正確無比な射撃で敵の武器を持つ腕だけを、次々と撃ち抜いていく。

 

 

「不純物が。視界に入らないでくださる?」

 

 

 彼女の狙撃は、敵を殺すためではない。不快なノイズを排除するための、事務的な作業だ。その冷徹な弾丸は敵の四肢を無慈悲に穿ち、行動不能にしていく。

 

 そして雪乃。彼女が指を弾くと同時に、敵が抱えていた爆弾の起爆装置が誤作動を起こした。ボシュッという間の抜けた音と共に、爆弾から安全装置が外れ、催涙ガスや閃光が敵陣の中だけで炸裂する。

 

 

「バグですね。修正します」

 

 

 敵の通信機からは、耳をつんざくようなハウリング音が鳴り響き、彼らの平衡感覚を奪っていく。それは精神的な憤怒の出力先として、敵の装備が選ばれた結果だった。

 

 橘は結城に抱きつかれたまま、その地獄絵図を呆然と眺めていた。敵が可哀想だった。彼らは自爆テロを敢行しようとした、凶悪犯だ。だが今の彼らは、ただの被害者にしか見えない。理不尽な暴力の嵐に巻き込まれ、訳もわからず蹂躙されている。

 

 橘の目には、彼女たちが敵を倒しているようには見えなかった。彼女たちは結城に対して、デモンストレーションを行っているのだ。

 

 

「お前もこうしてやろうか?」

「隊長に触るとこうなるぞ?」

「次は貴様の番だ」

 

 

 そんな無言のメッセージが死体(のようなもの)の山として、積み上げられていく。

 

 

(や…やりすぎだぁ…! あいつら、敵に同情するレベルでキレ散らかしてやがる! 嫉妬の力だけで、一個小隊を殲滅するなんてどんな戦略兵器だよ! 国家予算つぎ込んでも、こんな兵器作れねえよ!)

 

 

 橘は戦慄した。敵より何倍も恐ろしいものが、自分の身内だという事実に。そしてその激情の矛先が、いつ自分に向くとも限らないという恐怖に。

 

 わずか数分。もしかしたら、体感時間はもっと短かったかもしれない。敵の残党は、跡形もなく「処理」された。瓦礫の山と呻き声を上げる肉塊だけが、そこに残されていた。

 

 硝煙が晴れていく中、三人の乙女たちは涼しい顔で佇んでいる。まるでちょっとした散歩でも、終えたかのような平然とした表情だ。しかしその視線は、相変わらず鋭く結城を貫いていた。

 

 結城は橘から体を離し、呆然と立ち尽くしていた。彼の常識では処理しきれない光景が広がっている。彼は腰を抜かしそうになりながらも、震える声で橘に話しかけた。

 

 

「す、凄い…」

 

 

 その声には恐怖ではなく、純粋な感銘が宿っていた。

 

 

「橘隊長…! あなたは敢えて私に接触させることで、部下たちの『嫉妬』を焚きつけ、それを戦意に変換して敵を殲滅したのですね…!」

 

 

 結城の瞳が、再びキラキラと輝き出す。彼の脳内で、勝手な解釈が爆走を始めていた。

 

 

「感情すらも、戦術のリソースにするとは…! なんと冷徹にして、完璧な指揮! 彼女たちの心理を知り尽くしていなければ、出来ない芸当です! 私の軽率な行動さえも、計算の内だったとは…恐れ入りました!」

(怖いのか褒めたいのかどっちなんだよ結城!!?)

 

 

 橘は内心で、盛大にツッコミを入れた。違う。断じて違う。計算などしていない。俺はただ、「手をどけろ」と念じていただけだ。それが結果的に、彼女たちの起爆スイッチを押しただけなのだ。しかし、ここで否定することはできない。否定すれば「部下が勝手に暴れた」という管理責任を、問われることになる。橘は引きつりそうになる口元を必死に抑え込み、疲労困憊の表情を「憂いを帯びた指揮官の顔」へとすり替えた。

 

 橘は自分の左腕に巻かれた、高級腕時計の重みを感じた。父から贈られた逃れられない鎖。そして、背中には三つの戦略兵器からの冷たい視線。前には勘違いした、エリートの尊敬の眼差し。逃げ場は、どこにもない。橘は、乾いた笑い声を上げた。

 

 

「…あはは、そうだよ結城隊長。私は、そういう冷酷なクズなんだよ」

 

 

 自虐を含んだその言葉すら結城には「謙遜」、あるいは「孤独な王の独白」として美しく響いたようだった。橘は、心の中で深く嘆息した。

 

 

(だから頼むから、もう俺に関わらないでくれ…)

 

 

 嫉妬という名の、戦略兵器。その威力は、絶大だった。敵を滅ぼし味方を戦慄させ、そして何より使用者の胃を破壊する。橘圭一は、精神的な摩耗は頂点に達していたのだった。




さぁて、次回もサービスサービスゥ!
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