俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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笑い過ぎてお腹がw


#19 英雄と疫病神
歪んだ鏡像 - (橘圭一 視点)


 現場には、まだ熱気が残っていた。倉庫街の火災は鎮火されたが、焼け焦げた化学繊維と火薬の匂いが、鼻孔の奥にこびりついて離れない。

 

 橘圭一は、現場指揮車に背を預けていた。彼の手にある紙コップの中身は、とっくに冷めきった泥水のようなコーヒーだ。今の彼には、それを捨てる気力さえ残っていなかった。周囲の喧騒が、耳障りなノイズとなって鼓膜を叩く。

 

 駆けつけた警察高官たちが、興奮気味に何かを喚いている。彼らの口から飛び出すのは、「英断」だの「神算鬼謀」だのといった空虚な賛辞ばかりだ。遠巻きにした記者たちが、カメラのレンズをこちらに向けている。無遠慮なフラッシュが焚かれるたびに、橘の視神経が痛み寿命が縮まる思いがした。

 

 

(英雄だと)

 

 

 橘は、心の中で毒づいた。どこに英雄がいるというのか。ここにいるのは、ただの臆病者だ。部下たちが勝手に暴れ回るのを、ただ失禁寸前で見ていただけの男だ。自分の意志など、そこには欠片もない。あるのは、生存本能と保身のための嘘だけだ。

 

 だが世界は、その嘘を真実として受け入れてしまった。歪んだ鏡像。実像とかけ離れた虚像が、一人歩きを始めている。頼むから、そのカメラを下ろしてくれ。その光は、自分を照らすスポットライトではない。己を断罪するための尋問の灯りだ。

 

 その時、人垣が割れた。ふらふらとした足取りで、一人の男がこちらに歩み寄ってくる。第一公安機動捜査隊•隊長、結城誠だ。先程までの彼は、絵に描いたようなエリートだった。純白のスーツに身を包み、正義の輝きをその身に宿していたはずだ。

 

 しかし、今の彼はどうだ。

 

 スーツは煤と埃で汚れ、あちこちが破れている。整えられていた髪は乱れ、その足取りは亡霊のように覚束ない。何より、その瞳だ。かつてキラキラと輝いていた瞳からは、光が失われていた。そこにあるのは、深い疲弊と理解を超えたものを見た者特有の虚脱感だけだ。

 

 橘は結城の姿を見て、奇妙な親近感を覚えた。

 

 分かるぞ結城。お前のその顔。今の俺には、痛いほどよく分かる。常識が崩壊する音を聞いたんだな。自分が信じてきた正義や論理が、物理的な暴力と理不尽な感情によって粉砕される瞬間を、見たんだな。お前にとって俺は、希望の星に見えているのかもしれない。

 

 だが、俺の目から見れば、お前はただの被害者だ。『橘圭一という疫病神に巻き込まれた被害者第一号』だ。

 

 すまないな。お前のプライドを、木っ端微塵にしてしまって。謝罪はしない俺だって自分の常識を、毎日破壊されているんだ。お前だけが被害者面をするのは、お門違いというものだ。

 

 結城は、橘の目の前で立ち止まった。彼は深く息を吸い込み、震える声で口を開いた。

 

 

「…橘…隊長」

 

 

 その声は掠れていた。

 

 

「私は…あなたの背中を見て…自分の傲慢さを知りました」

 

 

 結城の視線が泳ぐ。彼は橘を見ているようで、見ていなかった。彼の視線は、橘の背後に釘付けになっていたからだ。そこには、直立不動で控える特四の三人娘がいた。

 

 黒澤麗奈は返り血すら、冷酷な美しさに変えて佇んでいる。赤城陽菜は破壊の残滓をその身に纏い、まだ熱を帯びた筋肉を鎮めている。白石雪乃は無機質なモニターの光に溶け込むように、静かに存在している。

 

 彼女たちは、一言も発していない。その全身からは「まだ足りない」という飢餓感と「邪魔者は排除した」という、満足感が入り混じった異様なオーラが立ち上っていた。結城はそのオーラに当てられ、微かに怯えていた。

 

 

「あなたは…英雄だ」

 

 

 結城は絞り出すように言った。それは称賛の言葉だった。同時に、恐怖の告白でもあった。

 

 

「しかし…同時に…恐ろしい。あなたがいる場所には、私の知る『警察』という理屈は通じないようだ。感情すらも兵器として運用し、味方すらも恐怖で支配する…それがあなたのやり方なのですね」

 

(違う。支配されているのは俺の方だ)

 

 

 橘は、内心で即座に否定した。口には出さない。出すわけにはいかない。彼はゆっくりと頷き、完璧な聖人の仮面を被った。

 

 

「恐怖で支配しているわけではない。私はただ彼女たちの本質を理解し、あるべき場所へ解き放っただけだ」

「あるべき場所…それがこの地獄絵図だと言うのですか」

 

 

 結城は周囲の惨状を見渡した。ひしゃげた鉄骨。砕かれたコンクリート。そして、人間としての尊厳を失った敵の残骸。

 

 

「そうですか…私には…まだその境地には至れません。私には…荷が重すぎました」

 

 

 結城はガクリと項垂れた。エリートとしての自信が、完全にへし折られた瞬間だった。彼は橘の手を弱々しく握った。

 

「感謝します、橘隊長。あなたのおかげで、私は自分の未熟さを知ることが出来ました。特四との共同作戦…一生忘れません」

「嗚呼、私もだ結城君。君の正義感には、学ぶべきところが多かった」

 

 

 橘は、心にもない言葉を並べ立てた。早く帰ってくれ。頼むからもう二度と、俺に近づかないでくれ。お前が近くにいるだけで、あいつらの嫉妬のボイラーが爆発しそうなんだよ。お前は疫病神だ。俺の平穏を脅かす、トリガーだ。今すぐ一刻も早く、ここから俺の視界から消え失せろ。さっさと、公安のぬるま湯に戻るんだ。それがお前と、俺の身のためだ。

 

 橘がそう念じた時だった。背後の気配が動いた。音もなく忍び寄る、三つの影。麗奈と陽菜と雪乃が、結城の背後を囲むように展開した。傍目には、労いの言葉をかけるために近づいたように見えたかもしれない。

 

 しかし、橘には分かった。それは「連行」の陣形だ。

 

 

「結城隊長。少しよろしいですか?」

 

 

 麗奈が鈴を転がすような、美しい声で囁いた。その声には、絶対零度の冷気が含まれていた。

 

 

「今後の連携について、少しばかり確認させていただきたい事項がございまして」

 

 

 嘘だ。連携などない。あるのは、一方的な通告だ。「二度と隊長に近づくな」という、物理的な説得だ。

 

 

「え…あ、はい。何でしょう…?」

 

 

 結城が戸惑いながら振り返る。その瞬間、陽菜が結城の右腕をガシッと掴んだ。それは、親愛の情を示すような仕草に見えたかもしれない。が、結城の顔が苦痛に歪んだのを見れば、それが万力のような拘束であることが分かる。

 

 

「あっちで! 静かなところで! たーっぷりとお話ししましょうね! お兄さん!」

 

 

 陽菜の笑顔は輝いていた。捕食者が獲物を前にした時の、歓喜の輝きだ。雪乃は無言のまま、結城の退路を塞ぐように立ちふさがった。彼女の手元の端末には、既に結城の私生活に関するあらゆる恥ずかしいデータが、表示されているに違いない。

 

 結城の顔色が土気色に変わった。彼は本能的に悟ったのだ。これは話し合いではない。処刑前のあれだと。彼は助けを求めるように、橘を見た。その目は、必死に訴えていた。

 

 

『助けてください!』

『この人たちはおかしい!』

『殺される!』

 

 

 橘と結城の視線が交差する。数秒の沈黙。橘はその意味を、完全に理解していた。ここで自分が「やめろ」と言えば、彼女たちは止まるだろう。しかし、それでは彼女たちのガス抜きができない。行き場を失った嫉妬の炎は、再び自分に向かってくるかもしれない。あるいは、結城がここで無傷で帰れば、また懲りずに自分に近づいてくるかもしれない。

 

 

 それは困る。

 非常に困る。

 

 

 橘は決断した。彼はゆっくりと結城から視線を外し、遠くの空を仰ぎ見た。完璧な「知らんぷり」だ。

 

 

「…あぁ良い天気だ。明日は晴れるかな」

 

 

 わざとらしい独り言。それが、橘の答えだった。結城の目が、絶望に見開かれる。信じていた英雄に、見捨てられた瞬間だった。

 

 

「橘…隊長…? あの…!」

「さあ行きましょうか、結城様。お時間は取らせませんわ…精神構造を少し、矯正させていただくだけですので」

 

 

 麗奈の手が、結城の肩に置かれる。その指先が首筋の急所を的確に捉えているのを、橘は横目で見逃さなかった。

 

 

「い…いや…待って…橘隊長! たす…!」

 

 

 結城の悲鳴は、陽菜の陽気な笑い声にかき消された。

 

 

「わーい! 男子会ですね! 盛り上がりましょう! 骨が折れるくらい!」

 

 

 ズルズルと引きずられていく結城。彼は最後まで、橘に手を伸ばしていた。だが橘は、その手を決して握り返さなかった。彼はただ、自分の保身のために作り上げた完璧な「聖人の微笑み」を崩すことなく、虚空を見つめ続けた。

 

 

「結城隊長」

 

 

 橘は誰に聞かせるわけでもなく、呟いた。

 

 

「君のような優秀な人材を、この修羅場に長く留めるわけにはいかないんだ。君はもっと日の当たる場所で活躍すべきだ」

 

 

 もっともらしい理由。慈悲深い英雄の言葉。その本音は、「俺の半径1キロ以内に二度と入ってくるな」という拒絶だ。結城の姿が、倉庫の影に消える。微かな悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが、橘はそれを風の音だと自分に言い聞かせた。

 

 やがて、報道陣のフラッシュが一斉に焚かれた。彼らは今のシーンを、「ライバルにさえ敬意を払い部下に後を任せて静かに去りゆく英雄の姿」として、切り取ったのだろう。なんて皮肉な構図だ。真実は、「生贄を捧げて自分だけ助かろうとするクズ」でしかないというのに…。

 

 橘は腕に巻かれた父からの時計の重みを、再確認した。ズシリと重い。それは罪の重さであり、逃れられない運命の重さだ。さて、彼女たちは満足しただろうか。結城は無事だろうか(五体満足かは怪しいが)。少なくとも、自分の命は繋がった。今はそれだけで十分だ。

 

 そう自分に言い聞かせ、安堵の息を吐こうとしたその時だった。倉庫の深い影の向こうから場違いなほど楽しげな乙女たちの声と、この世の終わりを嘆くような男の絶叫が同時に鼓膜を叩いた。

 

 

「あらあら結城隊長。もう音を上げるのですか? 公安のエリートとしての気概はその程度ですの。私の尋問…いえ、ヒアリングはまだ序の口ですわよ?」

「そーですよー! まだ準備運動じゃないですかあ! 体幹がなってないですねっ! 次は人間風車いきますよー! ぐるんぐるーん!」

「ひいいぃッ! 待ってくれ! 腕が! 腕が在らぬ方向に! 関節技はヒアリングじゃない! やめてくれぇぇぇ!」

 

(ふっ、どうやら、まだまだ物足りないらしい)

 

 

 その直後、ズザザザッという砂利を掻く音と共に影の中から、一人の男が這い出てきた。結城だ。数分前までの爽やかなエリートの面影は微塵もない。純白だったスーツはボロ雑巾のように引き裂かれ、顔面は涙と鼻水と泥でぐちゃぐちゃに汚れ、美しい髪は爆発したかのように逆立っている。

 

 彼は地面に爪を立てて這いつくばり、充血した目で橘を見上げ、震える手を必死に伸ばしてきた。

 

 

「た…橘隊長…ッ! た、助け…! こいつら…化け物…ッ!」

 

 

 それは魂からの救難信号だった…が次の瞬間、結城の足首をガシリと何かが掴んだ。ニコニコと満面の笑みを浮かべた陽菜だ。その背後には優雅に微笑む麗奈と、無表情でスマホを構え惨状を録画し続ける雪乃が佇んでいる。

 

 

「ダメですよお兄さん。まだ女子会の途中抜けは禁止ですっ!」

「往生際が悪いですわね。隊長の手を煩わせないでくださる? さあ戻りましょう。深淵へ」

「い…いやだ! 離せ! 橘さぁぁぁぁん!!!」

 

 

 結城が絶望の悲鳴を上げながら、ズルズルと再び闇の中へと引きずり込まれていく。その目が最後に捉えたのは、彼が信じた英雄の姿だった。橘圭一は見ていた。その光景の一部始終を瞬き一つせず、バッチリと目撃していた。結城と目が合った瞬間、橘はスッと視線を外し何もない秋の空を仰ぎ見た。

 

 

「おや。あんなところに、珍しい形の雲があるな。明日は雨か。いや、嵐かもしれないな」

 

 

 完璧な知らんぷり。視界に映った惨劇を脳内から完全にデリートし、風景の一部として処理する高等技術。助ければ、自分が次のターゲットになる。

 

 ならば、見捨てるしかない。それが、橘圭一の生存戦略。闇の奥から「あだだだだッ!」という、新たな悲鳴が響き渡るが橘は涼しい顔で耳の穴をほじった。

 

 

 何も見ていない。

 何も聞いていない。

 

 

 ここにいるのは、英雄と称えられるただの男だけだ。

 

 橘は結城への黙祷を心の中で一瞬だけ捧げると、逃げるようにその場を後にした。




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