俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ 作:最高司祭アドミニストレータ
悪党たちの再会 - (マルコ&ボス 視点)
警視庁が管轄する、厳重警備された拘置所。その地下深くに位置する独房は、冷たく湿った空気に満たされていた。厚さ数十センチのコンクリート壁と、二重の鉄格子。外界からの光も音も遮断されたこの空間は、通常の犯罪者にとっては絶望の淵であり、精神を蝕む墓場であるはずだった。
しかし、独房の隅で膝を抱えて座り込む、一人の男にとっては違った。ここは楽園だった。世界で唯一彼が安眠を許される、絶対安全圏だったのだ。
かつて湾岸倉庫街を牛耳り、裏社会で恐れられたマフィアのボス。屈強な肉体と威圧的な刺青を誇った武闘派の面影は、今の彼には見る影もない。爆発でチリチリに焼け焦げ、アフロ状に固まった髪。虚ろな瞳。そして、時折ビクリと震える体。彼はブツブツと、何事かを呟き続けていた。
「ここはいい。ここは安全だ。コンクリートは硬い。鉄格子は頑丈だ。ここなら、あいつは来ない。あの女は入ってこられない」
彼の脳裏には、今も鮮明に焼き付いている。あの悪夢のような光景が。物理法則を無視して壁をぶち抜き! 笑顔で迫りくる、一人の美女。ロケットランチャーを素手で投げ返す、理不尽な膂力。何より自分を人間としてではなく、ただの運搬物として扱ったあの屈辱。
米俵。
そう。彼はあの日、人間であることをやめさせられ、米俵として担がれたのだ。そのトラウマは彼の精神を粉々に粉砕し、再起不能なまでに恐怖を植え付けた。
だからこそ、彼はこの檻を愛していた。ここなら、米俵として担がれることはない。理不尽な暴力に晒されることもない。看守の威圧的な態度すら、彼には優しい守護者のように思えた。
(一生ここでいい。ここがいい。シャバなんて地獄だ。あんな化け物が野放しにされている、外の世界なんて狂っている)
彼は心からそう願っていた。この冷たい床と硬い壁に守られて、死ぬまで怯えて暮らしたいと。だが運命は残酷だ。あるいは物語の神が悪戯好きなのか。彼のささやかな安寧は、轟音と共に木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
ドォォォォォン!!
鼓膜をつんざくような爆発音が、地下通路に響き渡った。独房全体が激しく揺れ、天井からパラパラと粉塵が落ちてくる。非常警報のサイレンがけたたましく鳴り響き、赤い回転灯が廊下を不気味に照らし出した。
「ひぃッ! な。なんだ! 地震か!?」
彼は悲鳴を上げ、頭を抱えて縮こまった。違う。地震ではない。もっと作為的で、暴力的な何かが近づいてくる気配。廊下の奥から銃声と看守たちの怒号、そして断末魔の叫びが聞こえてくる。その音は急速に近づいてきた。
ズガァァァン!!
彼の目の前の分厚い外壁が、内側へ向かって弾け飛んだ。爆風が独房内を駆け巡り、彼を壁際まで吹き飛ばす。もうもうと立ち込める硝煙と瓦礫の粉。その煙を切り裂くようにして複数の人影が現れた。
完全武装した兵士たちだ。彼らは手際よく周囲を警戒し、道を開ける。その中央を優雅に歩いてくる、一人の男がいた。
イタリア製の高級スーツを完璧に着こなし、磨き上げられた革靴で瓦礫を踏みしめる男。彫りの深い顔立ちに整えられた髭。その瞳には傲慢なまでの自信と、冷酷な光が宿っている。
国際犯罪組織『ニーズヘッグ』の幹部──マルコ・ベラルディ。
マルコは倒れている看守の体を、まるで汚物でも避けるかのように優雅に跨いだ。絹のハンカチを取り出し、鼻と口元を覆う。彼の眉間には、深い不快感の皺が刻まれていた。
「やれやれ。臭いところだ。日本の警察というのは、掃除もろくにできないのか。それとも、この国特有のカビ臭さか」
マルコはその美しい声で悪態をつくと、破壊された独房の中にうずくまるアフロヘアーの男を見下ろした。その視線には同情など微塵もなく、あるのは哀れみと嘲笑だけだ。
「久しぶりだな同志よ。随分と、髪型がファンキーになったじゃないか。ディスコにでも通っていたのか?」
皮肉たっぷりの挨拶。だが、ボスにとってそれは、救いの手などではなかった。死神の呼び声だった。
「お…お前は…マルコ…!?」
「いかにも。私だ」
「な、何しに来やがった! 帰れ! 帰ってくれ! 俺はここから出ないぞ! ここは安全なんだ! 外には…外には『アレ』がいるんだ!」
ボスは半狂乱で叫んだ。自由などいらない。組織への復帰など望んでいない。ただあの陽菜という名の天災から、逃れたい一心だった。マルコはその怯えきった姿を見て、鼻で笑った。
「情けない奴だ。たかが日本の警察ごときに肝を潰されたか。だが安心しろ。私が来たからには、あの三流警官どもになど指一本触れさせん」
マルコは部下に目配せをした。兵士の一人が電子ロック解除装置を取り付け、数秒で独房の鉄格子を開け放つ。檻が消えた。ボスにとっては守護結界が消滅したに等しい、絶望的な瞬間だった。
「ひぃぃッ! やめろ! 開けるな!」
「静かにしろ。私の耳障りだ」
マルコが低く告げると同時に、兵士がボスの胸ぐらを掴み引きずり出した。マルコは、ボスの顔を覗き込むようにして屈んだ。その瞳の奥には、煮えたぎるような憎悪の炎が渦巻いている。
「私には必要なのだ。お前が管理していた『新型爆弾レクイエム』の起動コードがな」
レクイエム。その単語を聞いた瞬間、ボスの顔色が土気色に変わった。それは組織が極秘裏に開発していた、最終兵器。都市一つを壊滅させるほどの威力を持つ、悪魔の爆弾だ。まさかこいつは、それを使う気なのか。
「き、起動コード…だと…? 本気か…? あんなものをこの東京で…」
「本気だとも。大真面目だ」
マルコは立ち上がり、スーツの埃を払った。その動作の一つ一つが芝居がかった、ナルシシズムに満ちている。
「私は屈辱を受けたのだよ。あの夜。あの豪華客船で。薄汚い日本の警察如きに。特にあの女…黒澤麗奈と言ったか。私の誘いを拒絶し、あろうことか私に銃口を向けたあの女。そして、それを侍らせていたあの男…橘圭一」
マルコの声が震えた。それは恐怖ではない。抑えきれない怒りによるものだ。彼は自分を、「選ばれた支配者」だと信じて疑わない。女は道具であり、弱者は搾取対象でしかない。その彼が拒絶され、見下された。その事実は、彼の高過ぎるプライドに消えない傷を残した。
「許さん。絶対に許さん。あの女は私のものだ。私の足元で泣いて、命乞いをさせてやる。あの男には身の程というものを、教えてやらねばならん。凡人が天才に逆らうことの、愚かさを。死をもって償わせる」
マルコの殺意は純粋で歪んでいた。彼はただ自分のプライドを取り戻すためだけに、首都を火の海にしようとしているのだ。彼は再び、ボスを見下ろした。
「お前もそうだろう? あの『人間重機』とかいう女に、米俵のように扱われた屈辱。一生この薄暗い檻の中で、震えて暮らすつもりか? それとも、男としての矜持を取り戻すか?」
「き、矜持…」
「そうだ。我々は『ニーズヘッグ』だ。世界を恐怖で支配する捕食者だ。狩られる側ではない。狩る側なのだ」
マルコはボスの肩に手を置いた。悪魔の囁きだ。
「レクイエムを使えば、あの化け物女も木っ端微塵だ。近づく必要すらない。遠くからボタン一つで、あのふざけた警察組織ごと吹き飛ばせる。お前のトラウマも恐怖も、全て爆炎の中に消えるのだ。どうだね? 最高の復讐だとは思わんか?」
ボスの心が揺れた。陽菜への恐怖は、骨の髄まで染み付いている。同時に、マフィアの幹部としてのプライドも燻っていた。
米俵。あの屈辱的なあだ名。一生このまま震えて暮らすのか。それとも、あいつらを道連れにして死ぬか。マルコの自信に満ちた瞳。そして「最強の兵器」という甘美な響き。それらが彼の中に眠っていた、ドス黒い復讐心に油を注いだ。
(そうだ…爆弾なら…あいつだって死ぬはずだ…人間なんだから…)
ボスは震える足に力を込めた。膝が笑っている。しかし、彼は立ち上がった。独房から一歩踏み出す。その一歩は安全地帯からの脱却であり、修羅の道への帰還だった。
恐怖が怒りへ。怒りが歪んだ野心へ。彼の顔から怯えが消え、代わりに狂気じみた歪んだ笑みが浮かび上がってくる。
「…そうだ。俺はマフィアの幹部だ。米俵じゃねえ…!」
彼は叫んだ。自分自身を鼓舞するように。
「やってやる…! あの化け物女も! スカした隊長も! 全員吹き飛ばしてやる!」
アフロヘアーが怒気で震える。その姿は滑稽だが、宿している殺意は本物だった。もう後戻りはできない。毒を食らわば皿まで。地獄の底まで付き合ってやる。
マルコは満足げに微笑んだ。美しいが、冷酷な笑みだ。
「素晴らしい。それでこそ、我が同志だ。さあ行こうか。東京という巨大なステージが、我々の凱旋を待っている」
マルコが先導しボスが続く。背後には私兵部隊が従う。破壊された拘置所の廊下に、二人の男の笑い声が響き渡った。マルコの冷ややかな嘲笑と、ボスのタガが外れたような狂った高笑い。
「フフフ…楽しみだ。最高のショーを見せてやろう」
「ハハハハハ! 待っていろ特四! 今度こそ恐怖するのはテメェらの方だァ!!」
彼らの笑い声は、換気ダクトを通って地上へと漏れ出していく。それは首都東京に対する、最後通牒。平和な日常の終わりを告げる、不吉なファンファーレだった。悪党たちの再会は最悪の化学反応を引き起こし、新たな最大の危機を招き寄せようとしていた。
橘圭一の胃薬の在庫が尽きる日は近い。
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