俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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精神不安定…。


激励という名の命乞い - (橘圭一 視点)

 乾いた接続音が地下空間に響いた瞬間、橘圭一の目の前で信じがたい光景が展開された。白石雪乃の体が弓なりに跳ね上がったのだ。彼女の首筋に突き刺さったケーブルを通して膨大な電流、あるいは情報の奔流が彼女の華奢な肉体を蹂躙している。

 

 ガクガクと小刻みに痙攣する手足。焦点が定まらず白目を剥きかけた瞳。口元からは泡のような唾液が漏れ出している。それは献身などという美しい言葉では形容できない、あまりにも生々しくグロテスクな光景だった。

 

 

(ひぃぃぃッ!! 何してんの!? 自殺!? これ完全に放送できない映像だろ!)

 

 

 橘は音にならない悲鳴を上げた。膝が震え、腰が抜けそうになるのを必死で堪える。直前の彼女の言葉が脳裏に蘇る。

 

 

『失敗したら忘れてください』。

 

 

 あの時は、悲劇のヒロインの遺言のように聞こえた。しかし、今のこの状況でその言葉を反芻すると、全く別の意味を持って響いてくる。

 

 

『失敗したらお前も巻き添えで死ぬけど、私は先に逝くね』という、身勝手すぎるテロ予告にしか聞こえない。

 

 

(ふざけるな! 俺を置いて行くな。お前が死んだら、誰がこの爆弾を止めるんだ。誰が俺をここから生きて帰してくれるんだ!)

 

 

 ヴゥン!! 

 

 

 不吉な低音が響き渡った。爆弾の黒い筐体が赤く明滅し、モニターに表示されていた数字が狂ったように変動し始めた。

 

 

【ERROR】

【SYSTEM FAILURE】

【CRITICAL ERROR】

 

 

 真っ赤な警告文字が滝のように流れていく。そしてカウントダウンの数字が不規則に早まり出した。一秒が一秒ではない。コンマ数秒単位で死の時刻が迫ってくる。

 

 

(待て待て待て! 早まってる! 寿命が縮んでる!)

 

 

 橘の顔面から血の気が失せた。これは失敗だ。雪乃の脳が、爆弾のシステムに拒絶されている。このままでは彼女の脳が焼き切れるか、爆弾が暴走して起爆するかどちらかだ。どちらに転んでも結果は同じ。橘圭一という存在の消滅だ。

 

 

(『忘れてください』じゃねえよ! お前が死んだら、俺は爆死するか生き残っても『部下を道具にして殺した、冷酷な隊長』として、社会的に抹殺されるんだよ! 俺のキャリアが! 俺の年金が! 俺の平穏な老後が!)

 

 

 恐怖が頂点に達した時、人間の思考は極端な行動を選択する。橘の場合、それは「なりふり構わない命乞い」だった。彼は恐怖で強張る足を無理やり動かし、痙攣する雪乃に駆け寄った。触れるのも怖かった。感電するかもしれない。しかし、それ以上に死ぬのが怖かった。彼は震える手で雪乃の肩を掴み、激しく揺さぶった。

 

 

「おい雪乃! しっかりしろ!」

 

 

 返事はない。彼女の意識は電子の海に沈んでいる。戻ってこない。このままでは永遠にロストしてしまう。橘は焦った。手段を選んでいる場合ではない。彼女の意識を現実に引き戻すためには、魂を揺さぶるような強い言葉が必要だ。俺の命を救うための言葉。俺の保身のための叫び。橘は雪乃の耳元に口を寄せ、腹の底から絶叫した。

 

 

「ふざけるな雪乃! 『忘れてくれ』だと? 誰が許すかそんなこと!」

 

 

 橘の声が地下道に反響する。それは怒声であり、懇願だった。

 

 

「俺はお前を絶対に離さないぞ! 勝手に消えるな! 意地でも戻ってこい! お前が必要なんだ!」

 

(頼むから戻ってきてくれ! 爆弾解除できるのは、お前だけなんだ! 死ぬな! 俺のために働けぇぇぇ! お前がいなくなったら、俺は明日から誰に頼って生きていけばいいんだ! パスワード管理もスケジュール調整も、全部お前任せなんだぞ!)

 

 

 見苦しいほどの実利的な本音。極限状態における橘の必死さは、声色に熱と力を与えていた。それは、傍から聞けば愛する女性を死の淵から呼び戻そうとする、男の魂の叫びそのものだった。

 

 

 自分勝手な所有欲は「絶対的な愛」へ。

 保身のための懇願は「熱烈なプロポーズ」へ。

 

 

 橘のクズな本音は雪乃というフィルターを通すことで、最高純度の愛の言葉へと変換される。

 

 

「戻れ! 今すぐ戻ってこい! これは命令だ! 俺を一人にするな!」

 

 

 橘が叫びきったその瞬間だった。奇跡が起きた。ガクガクと震えていた雪乃の痙攣が、ピタリと止まったのだ。白目を剥いていた瞳に光が戻り焦点が結ばれる。彼女の唇が微かに動いた。

 

 

「…た…い…ちょ…」

 

 

 同時に爆弾のモニターに変化が現れた。赤く明滅していた警告文字が一掃され静かな緑色の文字が表示される。

 

 

【ACCESS GRANTED】

(承認)

 

 

 狂ったように進んでいたカウントダウンが停止し通常の速度に戻った。さらに言えば、残り時間がわずかに巻き戻ったようにも見えた。

 

 

(た…助かった…!)

 

 

 

 彼女は戻ってきた。自分の盾として再び機能するために。雪乃が荒い息を吐きながらゆっくりと顔を上げた。その頬は紅潮し、瞳は潤んでいる。彼女は恍惚とした表情で、橘を見つめた。

 

 

「隊長の声…届きました…」

 

 

 うっとりとした声色。彼女には橘の絶叫が地獄の底まで響き渡る、愛の賛歌に聞こえたらしい。

 

 

「私のことを…『離さない』と…『必要だ』と…」

「あ…あぁ。そうだ。当たり前だろう」

 

 

 橘は引きつった笑顔で肯定した。(物理的に離されたら困るんだよ。仕事的な意味で必要なんだよ)という注釈は、心の奥底に封印する。

 

 

「爆弾の制御権…奪取しました…」

 

 

 雪乃は震える指でタブレットを操作し橘に見せた。そこには、爆弾の内部構造図が表示されている。だが、全てのランプが緑色になっているわけではなかった。三箇所。赤く点滅するポイントが残っている。

 

 

「ですが…隊長…申し訳ありません…」

 

 

 雪乃が悔しげに唇を噛んだ。

 

 

「この爆弾はシステムをハッキングしただけでは、完全に停止しません。物理的な電源が三箇所に分散されており…それらをここから遠隔操作するのと同時に、破壊する必要があります…」

「なんだと…?」

 

 

 橘は眉をひそめた。話が違う。ハッキングすれば終わりではなかったのか。物理的な破壊が必要だと。しかも三箇所も。

 

 

「場所は…?」

「都庁の上層階…中層階…そして外周部…それぞれが独立した電源ユニットによって守られています…」

 

 

 雪乃が指し示すポイントは、どれもここから遠い。しかも、敵の残党が守っている可能性が高い場所だ。誰かがそこに行かなければならない。危険な場所へ。死地へ。

 

 

(誰が? 俺か? 俺に行けと言うのか?)

 

 

 橘の背筋が凍る。冗談じゃない。自分はここから一歩も動きたくない。ここは安全だ。雪乃が制御権を奪った今、爆弾が勝手に爆発することはない。ならば、ここに引きこもっているのが一番安全なはずだ。物理破壊が必要なら誰かが行かねばならない。

 

 その時、通信機からノイズ混じりの声が飛び込んできた。

 

 

『隊長。聞こえていますわ』

 

 

 麗奈の声だ。冷たく澄んだその声には、隠しきれない殺気とやる気が満ちていた。

 

 

『上層階の電源ですね。私のライフルなら隣のビルからでも狙えます。直接乗り込んで、眉間を撃ち抜いて差し上げてもよろしくてよ』

 

 

 続いて元気すぎる声が響く。

 

 

『私も聞こえました! 中層階と外周部ですね! 殴ればいいんですね! 壊せばいいんですね! 任せてください! 私が全部粉々にしちゃいますから!』

 

 

 陽菜だ。彼女はウズウズしているのが、声だけで分かる。待機命令に飽き飽きして、今すぐにでも暴れ出したくて仕方がないのだ。

 

 

(こ…こいつら…!)

 

 

 橘は天を仰ぎ感謝した。神はいた。捨て駒志願者が二名もいた。しかも、最高に凶暴で頼りになる捨て駒たちが。

 

 橘の脳内CPUが瞬時に最適解を弾き出す。自分はこの安全な地下に留まり、雪乃を守る(フリをする)。そして危険な地上での破壊工作は、あの猛獣たちに丸投げする。

 

 これだ。これしかない。最も生存確率が高くかつ「的確な指揮」として評価されるプラン。橘はマイクを握りしめた。震えを止めるために強く握りしめすぎて、指が白くなっている。彼は深呼吸をし、完璧な指揮官の声を喉から絞り出した。

 

 

「麗奈。陽菜。聞こえたな?」

 

 

 声に威厳を込める。腹に力を入れる。

 

 

「雪乃が命懸けで作った好機だ。無駄にするな」

『はいっ!』『イエス・マイ・ロード!』

 

 

 二人の勇ましい返事が返ってくる。

 

 

「行け。全てを破壊してこい。敵も電源も何もかもだ。手加減は無用だ」

 

 

 橘は言い放った。かっこいい命令だ。その内心は、真逆の悲鳴を上げていた。

 

(俺はここで雪乃と爆弾の番をしてるから! ここが一番安全だから! お前らは外で存分に暴れてきてくれ! 頼むから、俺のところには敵を連れてくるなよ! 流れ弾も飛ばすなよ! 俺を巻き込むなよ!)

 

 

『了解しましたわ。愛の弾丸を撃ち込んでやります』

『了解です! 愛の鉄拳制裁行ってきまーす!』

 

 

 通信が切れる。地上の方から微かな爆発音と、銃声が聞こえ始めた気がした。始まった。総力戦だ。俺の預かり知らぬところで、俺の部下たちが勝手に戦争を始めた。橘は壁に背を預け、ズルズルと座り込んだ。

 

 隣では雪乃が恍惚とした表情で、タブレットを操作し続けている。彼女は幸せそうだ。隊長に「必要だ」と言われ、「離さない」と宣言されたのだから。彼女の世界は薔薇色だろう。だが橘の世界は灰色だ。いつ爆発するか分からない爆弾と、いつ暴走するか分からない部下たちに囲まれた針の筵。

 

 

(帰りたい…)

 

 

 橘は何度目かも分からない願いを心の中で呟いた。しかし、物語は彼を帰さない。

 

 三つのルート同時攻略。それが意味するのは戦場の拡大であり、橘の胃痛の倍増だ。彼の「クズな采配」が結果的に「神がかり的な総力戦の号令」として機能してしまった今、彼は最後まで英雄を演じ続けるしかないのだ。

 

 都庁の地下で膝を抱える英雄の姿を知る者は、誰もいない。




ご愛読ありがとうございます。作者の精神不安定で打ち切り感ある中、果たして当作は完結なるか…「完結させてみせます」と公言した以上、有言実行してみせますが…ジカイモオタノシミニ。
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