俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ   作:最高司祭アドミニストレータ

71 / 72
# エピローグ
虚像のバベル - (モブ・厳一郎・美女たち 視点)


【視点:機動隊員および報道陣】

 

 

 都庁の地下から噴き上がった黒煙は、瞬く間に新宿の空を覆い尽くした。その暗雲を切り裂くように、無数のフラッシュの光が地上で炸裂していた。規制線の外側には、黒山の人だかりができている。

 

 

 マスコミ各社のカメラマン。

 野次馬。

 そして事態の収拾に駆けつけた、数百名の機動隊員たち。

 

 

 彼らの視線は、一点に集中していた。崩壊したアジトの入り口だ。そこから一、つの担架が運び出されてくる。

 

 

「来たぞ! 英雄だ! 橘隊長だ!」

 

 

 誰かの叫び声が合図となり、シャッター音が滝のような轟音となって響き渡る。担架の上には、一人の男が横たわっていた。

 

 警視庁特四隊長•橘圭一。彼の姿は壮絶だった。高級スーツはボロボロに引き裂かれ、全身は煤と泥にまみれている。爆風の影響か髪はチリチリに逆立ち、アフロのような形状になっていた。普通に見れば、コントの爆発オチのような間抜けな姿だ。

 

 だが、この場にいる全員の目には、その姿が「激闘の証」として映っていた。

 

 

「見ろあの髪を。爆炎の中を突き進んだ名誉の負傷だ」

「たった一人であの凶悪犯たちを釘付けにし、部下が突入する隙を作ったと聞いている」

「自らを囮にしたのか。部下を守るために。なんて男だ」

 

 

 機動隊員たちが感嘆の声を漏らす。彼らは知っている。

 

 

 現場の恐怖を。

 死の匂いを。

 その中心に身一つで飛び込み、五体満足で生還することの奇跡を。

 

 

 彼らにとって橘の姿は、勇気の結晶そのものだった。そして、その担架に付き添う三人の女性隊員たち。彼女たちの姿もまた、伝説に彩りを添えていた。黒澤麗奈は優雅に周囲を警戒し、赤城陽菜は誇らしげに胸を張り、白石雪乃は愛おしげに橘の手を握っている。美しくも恐ろしい戦乙女たち。

 

 彼女たちが唯一、服従する男。その構図だけで、一つの神話が完成していた。

 

 

「絵になる! これは一面トップだ!」

「タイトルは『若き英雄の凱旋』じゃなく、『愛と献身の勝利』でいこう!」

 

 

 記者たちが興奮気味にペンを走らせる。真実など関係ない。彼らが見たいもの。大衆が求めているもの。それは分かりやすい、正義とカタルシスだ。そして今、目の前に最高の素材が転がっている。橘圭一という虚像はフラッシュの光を浴びて、より巨大な影を落とし始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【視点:橘厳一郎】

 

 

 警視庁本庁舎最上階。次長室の重い扉の向こうで、橘厳一郎は、重厚な革張りの椅子に深く体を沈めていた。部屋には静寂が満ちている。

 

 厳一郎の胸の内は、激しい感情の嵐が吹き荒れていた。彼の目の前にあるスピーカーからは、先ほどの作戦中に録音された音声データが再生されている。それはアジト内部に仕掛けられた、盗聴器が拾った橘圭一の声だった。

 

 

『やってしまえてめーら! 異常者どもを殲滅しろ!』

『ち…違うんだ! これは.そう! 脅されて仕方なく! こいつらが『言え』って銃を突きつけてきたんだ! 俺は言いたくなかったのに!』

 

 

 音声が途切れる。厳一郎はゆっくりと目を開けた。その瞳は潤んでいるようにも見えた。彼は震える手で目頭を押さえた。

 

 

「…なるほど。そういうことか圭一」

 

 

 厳一郎は独りごちた。凡人であればこの音声を、「部下を売り渡そうとしたクズの命乞い」と聞くだろう。だが、厳一郎の高性能親バカフィルターと深読みスキルは、全く別の真実を導き出していた。

 

 

「敵に囲まれた極限状態。マルコとボスの銃口が光る中、お前は瞬時に計算したのだな。まともに助けを求めれば敵は逆上し、部下たちにも被害が及ぶと」

 

 

 厳一郎の脳内で、ドラマチックな回想シーンが構築されていく。

 

 

「だからあえて、『裏切り』を演じた。敵に向かって部下を攻撃させようとすることで、敵の動揺を誘い、思考を混乱させたのだ。さらに部下に対しては『私ごときに構わず撃て』『敵ごと私を殲滅せよ』という、決死の命令を敵を欺く罵倒の中に隠した」

 

 

 なんという自己犠牲。なんという深謀遠慮。自分の名誉やプライドを泥にまみれさせてもなお、勝利のみを追求する冷徹さ。何より、部下たちの能力を信じ抜く熱い心。

 

 

「『異常者』という言葉も、彼女たちへの信頼があればこその符丁だったのだろう。『常識を超えた力でお前たちならできる』という激励。それを瞬時に理解した部下たちも見事だ」

 

 

 厳一郎は感極まって溜息をついた。息子はいつの間に、これほどの『将』になったのだ。父親である己の背中など当に見えなくなるほど、遠く高い場所へと登ってしまった。嬉しい。だが、少し寂しい。そんな複雑な親心。

 

 

「この音声データは極秘扱いとする。だが…」

 

 

 厳一郎はインターホンを押した。

 

 

「警察学校の校長に連絡を。次期カリキュラムに、『極限状態における心理誘導と自己犠牲』という項目を追加させる。教材はこの音声だ。これこそが未来の警察官が目指すべき、理想の指揮官の姿だ」

 

 

 厳一郎は確信していた。息子が築き上げたこの実績は、警察組織の新たな礎となると。彼の誤解は組織全体の方針をも歪めながら、巨大なバベルの塔を築き上げようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【視点:麗奈・陽菜・雪乃】

 

 

 警察病院の最上階にある特別個室。そこは無菌室よりも清浄で、そして異様な熱気に包まれていた。ベッドの上では、橘圭一が酸素マスクをつけて眠り続けている。その寝顔は安らかで、時折「ふひぃ…」と間の抜けた寝息を漏らしていた。

 

 だが、そのベッドを囲む三人の乙女たちには、それは天使の休息に見えていた。

 

 黒澤麗奈は、橘の乱れた前髪を優しく指で梳いていた。彼女の脳裏には、あのアジトでの橘の叫びがリフレインしている。

 

 

(『異常者ども』…。あのような汚い言葉。常人ならば恐れて口にできませんわ。下手をすれば私たちが逆上し、彼を殺しかねない諸刃の剣)

 

 

 麗奈はうっとりと目を細めた。

 

 

(ですが、隊長は口になさった。それはなぜか。私たちがその真意を…『愛ある演技』であることを100%理解できると、信じてくださっていたからですわ。私たちの絆は、言葉の表面的な意味など超越している。そう確信していなければ、あのような高度な挑発は不可能です)

 

 

 信頼。その二文字が麗奈の胸を熱く焦がす。私たちは異常者上等。彼のために狂えるなら、それは最高の褒め言葉だ。

 

 赤城陽菜は、橘の手を両手で包み込んでいた。彼女の力加減は慎重だ。強く握りすぎれば、彼の手の骨など簡単に砕けてしまうことを知っているからだ。

 

 

(隊長。わざと捕まって、私たちが来るのを待っててくれたんだよね。私が『助けたい』『守りたい』って思う気持ちを、ちゃんと叶えてくれたんだ!)

 

 

 陽菜の思考はどこまでもポジティブだ。隊長は強い。本気を出せば、あんな敵など指先一つで倒せるはずだ。それなのにあえて、囚われの姫君を演じた。それは私たちに活躍の場を与えるため。そして私たちの愛を受け止めるため。

 

 

(優しいなあ隊長は。次は私が、隊長をお姫様抱っこしてあげる番ですね! 今度こそ離しませんからね!)

 

 

 白石雪乃はベッドサイドのモニターに表示される、バイタルデータを見つめていた。数値は安定している。だが、彼女の思考はもっと深い場所を解析していた。

 

 

(隊長のあの叫び声…。周波数の解析結果が出ました。あの『やってしまえ』という絶叫のタイミング。あれは敵の注意を最大限に引きつけ、かつ私たちが突入するための物理的な隙が生じる、コンマ一秒前に発せられています)

 

 

 雪乃は戦慄した。偶然ではない。完璧な計算。隊長は拘束され視界も制限された状態で、敵の呼吸と私たちの突入速度を完全に把握していたのだ。そして自らの声を、信号弾として発射した。

 

 

(すべては計算通り。あの混乱もあの暴言も、全ては勝利の方程式の一部。私たちは、その数式の中で踊らされていただけ。…ゾクゾクします)

 

 

 雪乃は自身の身体を抱きしめた。神の掌の上で転がされる快感。もっと支配されたい。もっと計算されたい。

 

 三人の視線が交錯する。言葉はいらない。共通の結論がそこにあった。橘のクズな言動は全て、「自分たちへの深い信頼と愛」の裏返しである。その確信が彼女たちの忠誠心を限界突破させていた。

 

 この部屋はもはや病室ではない。狂信者たちが集う祭壇だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

【視点:世間一般】

 

 

 その夜。日本中のテレビ画面が、同じニュースを映し出していた。

 

 

『速報! テロリストから首都を救った奇跡の部隊』

『新宿消滅の危機! その時若き指揮官は』

『独占入手! 橘隊長の勇姿』

 

 

 ニュースキャスターが興奮気味にまくし立てる。

 

 

「犯人は、国際指名手配犯マルコと凶悪な武器商人でした。彼らは都庁を人質に取り、卑劣な罠を仕掛けました」

 

 

 画面には破壊された都庁の映像と、ボロボロになった橘の写真が映し出される。

 

 

「孤立無援となった橘隊長は屈することなく、凶悪犯と対峙しました。自らの命を顧みず、テロリストに立ち向かうその姿。これぞ現代の侍です。そして最後は部下との『愛の連携』で、悪を討ち滅ぼしました。信頼と絆が、東京を救ったのです」

 

 

 コメンテーターたちが涙を拭う。街頭インタビューで市民が感謝の言葉を述べる。そしてインターネットの世界では、爆発的な現象が起きていた。

 

 SNSのトレンドは橘一色に染まっていた。

 

 

『#橘隊長ありがとう』

『#理想の上司』

『#特四に入りたい』

『#抱かれたい男ランキング急上昇』

 

 

 橘のアフロヘアーになった写真は、「どんな逆境でも折れない心」の象徴としてミーム化し、「魔除け」として拡散され始めた。待ち受け画面にすれば試験に受かる。厄除けになる。そんな都市伝説まで、生まれ始めていた。

 

 もはや、一警察官の枠を超えていた。橘圭一は、時代の「アイコン」となってしまったのだ。不況と閉塞感に喘ぐ社会が求めた、「強くて優しいヒーロー」。その虚像が独り歩きを始め、巨大な怪物理論武装して実像を飲み込んでいく。

 

 本人が「ただのクズです」と叫んでも、もう誰も信じない。「謙虚すぎる」と、称賛されるだけだ。

 

 逃げ場は社会という巨大な壁によって、完全に塞がれた。

 

 

 

 

 

 

【視点:護衛警官たち】

 

 

 病室の外。廊下には、二人の制服警官が立っていた。彼らの任務は英雄の眠りを妨げないよう、警備することだ。

 

 だが、彼らは困惑していた。廊下が物理的に狭くなっているからだ。

 

 

「…おい。これどうすんだよ」

 

 

 若い警官が呟いた。廊下の壁一面どころか、天井近くまで埋め尽くす花。

 

 

 胡蝶蘭。

 薔薇。

 百合。

 

 

 政治家、財界人、芸能人。そして、一般市民から届いた見舞いの花が、雪崩のように押し寄せている。花の香りで窒息しそうだ。

 

 

「どうするもこうするも、整理するしかねえだろ。次長からも、『息子の人気に嫉妬しそうだ』なんていう、呑気なメッセージ付きの巨大な花輪が届いてるしな」

 

 

 初老の警官が苦笑する。彼はチラリと病室のドアを見た。中からは三人の美女が甲斐甲斐しく、どこか重苦しく橘の世話をしている気配が漏れ出してくる。時折、「隊長…♡」という甘い吐息のような声が聞こえる。

 

 

「…これ、隊長が目覚めたらどうなるんだ?」

 

 

 若い警官が素朴な疑問を口にした。こんな状況で、正気を保っていられるのだろうか。

 

 

「さあな」

 

 

 初老の警官は肩をすくめた。

 

 

「一つ確かなのは、もう隊長は『普通の人間』には戻れないってことだ」

 

 

 彼は廊下を埋め尽くす花々とネットニュースの画面、そして病室から漏れ出る狂気を見渡した。

 

 

「一生この伝説という神輿の上だ。降りることは許されない。担がれ続けるしかないんだよ」

「うわあ…なんか大変そうですね」

「ああ、俺なら耐えられん。英雄ってのは因果な商売だな」

 

 

 二人は、同情とも畏怖ともつかない視線をドアに向けた。本人の意識がないところで、外堀は社会的評価というコンクリートで固められ、内堀は部下と家族の重い愛というマグマで満たされた。

 

 逃げ道など蟻の這い出る隙間もない。完全なる包囲網。橘圭一が目を覚ました時、そこにあるのは栄光という名の無間地獄だ。

 

 世界は彼が目覚めるのを、今か今かと待ち構えている。新たな伝説の幕開けを期待して。

 

 何も知らない橘の安らかな寝息だけが、静かに時を刻んでいた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。