ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物   作:パラレル・ゲーマー

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第167話

 その日のJOKERの配信は、いつにも増して「作業」の色が濃かった。

 A級中位ダンジョン【機鋼の都クロノポリス】。

 その黒曜石と真鍮で構築された、無機質な都市風景。もはや彼の庭となったその場所で、彼はただ黙々と、自らの肉体と魂に課せられた途方もない目標のための、「労働」をこなしていた。

 彼の耳に装着されたワイヤレスイヤホンからは、彼が最近「ビルド構築の際の精神統一用BGM」と称して好んで聴いている現代音楽の巨匠、スティーヴ・ライヒのミニマルな楽曲が、正確無比なリズムを刻み続けている。

 

「…この『ドラミング』って曲。4人のパーカッショニストが、ただ同じリズムを少しずつずらしながら叩き続けるだけなんだが、そのズレが生み出す音の波が、だんだん一つの巨大なグルーヴになっていく。一見、単純なようで、その実、計算され尽くした数学的な美しさがある。…まあ、お前らにはただの工事現場の騒音にしか聞こえねえかもしれんがな」

 

 彼のそのあまりにも高尚で、そしてどこまでも難解な音楽談義に、コメント欄がいつものように和やかなツッコミと笑いに包まれる。

 

『出たwwwww JOKERさんの現代音楽講座wwwww』

『もう何言ってるか全然分かんねえけど、とりあえずJOKERさんが退屈してるのだけは伝わってくる』

『この無敵の王者が、退屈そうに高尚な雑談しながら敵を蹂躙していくスタイル、最高にクールで好きだわ』

 

 彼がそう語りながら、ひょいと摩天楼の谷間を曲がった、その瞬間。

 彼の目の前に、カシャカシャカシャッという鋭い駆動音と共に、数体の機械兵士が現れた。

 青銅色の重厚な装甲に身を包んだ人型のオートマタ…【警邏式オートマタ・ホプロン】。

 彼の右手は、もはや彼の意識とは別の生き物のように滑らかに動き、その腰に差されたユニーク長剣【憎悪の残響】を抜き放つ。そして、ただパーカッションのミニマルなリズムに合わせるかのように、優雅に、そして無駄なく一閃。

 

 ザシュッ!

 

 彼の長剣が通り過ぎたその軌跡上の全てのオートマタが、その硬い装甲を青黒い霜で覆われながら、一瞬で砕け散り、光の粒子となって消えていく。

 ただ、歩き、語り、そして時折剣を振るうだけ。

 それだけで、このA級中位ダンジョンは、彼の独壇場と化していた。

 

 コメント欄もまた、彼のそのあまりにも圧倒的な強さに、もはや驚愕ではなく、心地よい安心感すら覚えていた。

 だが、その安定こそが、彼のギャンブラーとしての魂を、ゆっくりと、しかし確実に蝕んでいた。

 何か、新しい刺激が欲しい。

 この、完成されすぎた日常を打ち破るような、新たな発見が。

 その彼の渇望を、この世界の気まぐれな神が聞き届けたのか。

 彼が一つの広大な交差点へと差し掛かった、その時だった。

 

 ぐにゃり。

 彼の目の前の空間が、まるで熱せられたアスファルトのように、陽炎を立てて歪み始めた。

 黒曜石の道が、真鍮のビルが、その完璧な幾何学模様を崩し、どろりとした有機的な何かへと変貌していく。

 壁には、血管のような紫色の筋が走り、脈打っている。

 床は、ぬめりを帯びた肉塊のようなものに覆われ、その裂け目からは、血のような赤い液体が、間欠泉のように噴き出していた。

 そして、空気。

 無機質なオイルの匂いは消え去り、代わりに彼の鼻腔を突き刺すのは、鉄錆と、そして魂そのものが腐敗していくかのような、甘くおぞましい匂い。

 

「…なんだ、これ…?」

 

 彼は、思わず足を止めた。

 彼の耳に流れ込んでいたミニマルな音楽が、急に場違いなノイズのように感じられる。

 彼は、無意識のうちに耳からイヤホンを引き抜いた。

 ARシステムが、その異常事態の正体を、彼の視界の隅に表示する。

 

【腐敗の領域(Corrupted Zone)】

 

 エリア効果:

 内部にいる全てのモンスターの攻撃ダメージ +30%

 内部にいる全てのモンスターの移動速度・攻撃速度 +30%

 

 その、あまりにもシンプルで、そして凶悪なバフ効果。

 それを目にした、瞬間。

 それまで彼の音楽談義に和やかに相槌を打っていたコメント欄の空気が、一変した。

 

『!?』

『なんだあれ!?ダンジョンが、変形したぞ!』

『腐敗の領域…!B級で、一度だけ遭遇したことがある!』

『おいおい、なんだあの効果!ダメージ30%に、スピード30%アップって、ヤバすぎるだろ!』

 

 コメント欄が、一瞬にして驚愕と緊張に包まれる。

 隼人もまた、その予期せぬ「イレギュラー」の出現に、その瞳を鋭く細めていた。

 退屈な日常の中に、突如として現れたノイズ。

 それは、彼の眠りかけていたギャンブラーとしての魂を、激しく揺さぶるには十分すぎるほどの刺激だった。

 

 その混乱の中で、いち早く冷静さを取り戻したのは、やはりあの百戦錬磨のベテランたちだった。

 

 元ギルドマン@戦士一筋:

 落ち着け、お前ら。これは、稀に発生する特殊エリアだ。

 腐敗エリアは、そのダンジョンごとに付与される効果が違う。

 クロノポリスは、「速度」と「火力」に特化した、最も厄介なパターンを引いたようだな。

 

 ハクスラ廃人:

 そういうことだ!確かに、デバフはきつい。だが、その分見返りもでかいぜ。

 腐敗エリアのモンスターは、通常の個体よりも多くの経験値と、そして何よりも高いアイテムドロップ率を持っている。

 JOKER、お前にとっちゃ、最高のテーブルじゃねえか!

 

 ベテランシーカ―:

 ですが、危険なことには変わりありません。JOKERさん、どうかご無理はなさらずに。いつでも撤退できるよう、ポータルの準備を…。

 

 有識者たちの、その的確な分析と心配の声。

 だが、隼人の耳には、もはや届いていなかった。

 彼の心は、完全に決まっていた。

 彼はただ、静かに目の前の血をぶちまけたような領域を見つめ、そして自らの内なる声と対話していた。

 リスクと、リターン。

 デバフによる危険性と、アイテムドロップへの期待値。

 彼の脳内で、天秤が揺れ動く。

 そして彼は、ゆっくりと口角を吊り上げた。

 その瞳には、もはや退屈の色はない。

 ただ、最高のギャンブルを前にした、純粋な歓喜の光だけが、爛々と輝いていた。

 

「…面白い」

 彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、静かに告げた。

「久しぶりだし、スリルを求めて中に入るか」

 

 彼は、決断した。

 この未知なる領域へと、足を踏み入れることを。

 それは、ただアイテムが欲しいからではない。

 この心地よい停滞を打ち破るための、最高の起爆剤だと、彼の魂が叫んでいたからだ。

 

 彼が、その腐敗した世界のさらに奥深くへと、その第一歩を踏み出した、その瞬間。

 彼の目の前、ぬめった肉塊の壁から、ずるりと四体の影が這い出てきた。

 そのシルエットは、彼が見慣れたあの機械兵士。

 だが、その様相は、全く異なっていた。

 全身が、まるで返り血を浴びたかのように血まみれで、その青銅色の装甲は、所々爛れ、腐敗し、そこから紫色の瘴気が、陽炎のように立ち上っていた。

 その赤いモノアイは、もはや理性の光を失い、ただ純粋な飢餓と憎悪に満ちた、赤い光を放っている。

 そして、何よりも違うのは、その動き。

 カシャカシャという金属音ではない。

 ズルズルと肉を引きずるような、おぞましい音を立てながら、しかし、信じられないほどの速度で、彼へと迫ってくる。

 腐敗エリアの効果で、その攻撃スピードは、異常なまでに引き上げられていた。

 

『うわあああ!いきなり来た!』

『速ええええ!なんだ、あの動きは!』

『JOKERさん、気をつけろ!』

 

 コメント欄が、悲鳴で埋め尽くされる。

 そして、隼人が発見してすぐ、四体の血まみれの機械は、一切の予備動作なく、その行動をシンクロさせた。

 四つの赤いモノアイが、同時に赤い光を収束させる。

 そして、次の瞬間。

 四条の極太の赤いレーザーが、空間を引き裂き、隼人ただ一人へと殺到した。

 

「――しまっ…!」

 

 あまりにも、速すぎる。

 彼は、咄嗟にその場から飛び退き、回避しようと試みる。

 だが、腐敗のバフを受けたその弾速は、彼の反射神経をわずかに上回っていた。

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 凄まじい轟音と、閃光。

 四条のレーザーが、彼の体を寸分の狂いもなく捉えた。

 彼の体が、紙切れのように吹き飛ばされ、背後の肉の壁に叩きつけられる。

 彼の視界の隅で、赤い警告が、激しく点滅した。

 彼のHPバー。

 それが、一瞬にしてその輝きの半分を失っていた。

 HPが、5割削られる。

 

「ぐっ…、おおおっ…!」

 彼の口から、呻き声が漏れる。

 全身を貫く、激痛。

 A級の洗礼とはまた質の違う、純粋な暴力。

 だが、その激痛の中で。

 隼人は、笑っていた。

 血の味のする口の中で、彼は心の底から楽しそうに、笑っていた。

「…はっ、はははははははっ…!」

「これだ…。これだよ…!」

「久しぶりの、このスリル…!」

「最高じゃねえか!」

 

 その、あまりにも狂的な笑い声。

 それに、コメント欄の数万人の観客たちもまた、言葉を失っていた。

 この男は、本物だ。

 本物の、狂人(ギャンブラー)だ。

 

 彼は、よろめきながらも立ち上がると、その瞳に絶対的な闘志を宿して、目の前の悪魔たちを睨みつけた。

 血まみれの機械たちが、次なるレーザーのチャージを始める。

 だが、同じ手を二度も食らう彼ではない。

 彼は、その死の光の嵐の中を、踊り始めた。

 ステップ、スライディング、そして跳躍。

 彼の動きは、もはや人間のそれではない。

 一枚の木の葉が、暴風の中で舞うかのように。

 彼は、その全てのレーザーを華麗に避けながら、そのほんのわずかな隙間を縫うように、機械たちへと近づき、その懐へと飛び込んだ。

 そして彼は、この瞬間のために温存していた、全ての魔力を解放した。

 

「――お返しだ、鉄クズどもがッ!」

 

 彼は、そのありったけの魔力と体重と、そして魂を込めて、長剣を地面に叩きつけた。

 必殺技、4連撃。

【衝撃波の一撃(ショックウェーブ・ストライク)】

 

 ドゴォン!ズガァン!バギィン!ドッゴオオオオオン!!

 

 凄まじい轟音と共に、彼の渾身の4連撃が、機械たちの血に濡れた装甲へと、寸分の狂いもなく叩き込まれる。

 だが、その手応えに、彼は戦慄した。

 硬い。

 あまりにも、硬すぎる。

 彼の必発技は、確かにダメージを与えている。

 だが、スタンするが、倒せてない。

 その白い装甲に、わずかな亀裂を入れることしかできなかったのだ。

 

「…なるほどな。火力も、上がってやがるか」

 彼は、即座に距離を取ろうとする。

 だが、その彼の動きを予測していたかのように、機械たちが次なる行動へと移った。

 スタンから回復した、その一体。

 それが、隼人へと突撃してくる。

 そして彼は、その無防備な体に、通常技を叩き込む。

【無限斬撃】。

 ガキン、ザシュッ、キィン、ザシュッ!

 彼の神速の連撃が、同じ箇所に何度も、何度も叩き込まれる。

 その一体のHPバーが、みるみるうちに削られていく。

 そして、ついにその硬い装甲を貫通し、内部のコアを破壊した。

 一体、ようやく倒せる。

 だが、その一体を倒すのに、数秒を要してしまった。

 そして、その数秒が、致命的な隙となった。

 

「――しまっ…!」

 他の敵が、体勢を立て直していた。いや、彼の意識の外で、復活していたのだ。

 彼が一体を処理している間に、残りの三体が、再びレーザーのチャージを完了させていた。

 三方向からの、完全なクロスファイア。

 もはや、逃げ場はない。

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 三条のレーザーが、再び彼の体を捉える。

 彼のHPバーが、再び5割を割り込み、危険な水域へと突入していく。

 再び、HPが5割まで削れる。

 

「…クソがっ!しつこいんだよ!」

 彼は、悪態を吐いた。

 ライフフラスコを呷り、HPを回復させる。

 そして、彼は再び距離を取りながら、思考を巡らせる。

(…必殺技は、もう通用しない。いや、通用はするが、効率が悪すぎる)

(奴らは、俺が一体を処理している間に、次の攻撃を準備する。このままじゃ、ジリ貧だ)

 彼は、冷静に戦況を分析する。

 そして、彼は思い出した。

 自らが、まだ見せていない、もう一つの切り札の存在を。

 彼は、再び必殺技の構えを取った。必殺技4連撃を、再びぶち込む。

 だが、それはブラフだった。

 その彼の動きを見て、血まみれの機械たちは、学習していた。

 一度見た技は喰らわないとでもいうべきか、素早く後退してその攻撃を避ける。

「…強いな。判断力も、高いな」

 隼人は、そのクレバーな動きに感心したように呟いた。

 だが、それこそが彼の狙いだった。

 後退し、距離を取った、その無防備な三体の機械。

 その射線は、今、完全に一直線上に並んでいた。

「――かかったな、アホが」

 彼の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。

「だが、まだ見せてない技もある」

 

 彼は、長剣を振るわなかった。

 代わりに彼は、その右腕を、まるで円盤を投げるかのように、しなやかに、そして力強く振り抜いた。

【遠距離技】スペクトラル・スロー。

 シュオオオオオオッ!

 霊体の剣が、ブーメランのように高速で回転しながら、空中を飛翔した。

 そして、空中で三つに分裂する。

 その三つの霊体の剣が、一直線に並んだ三体の機械を、寸分の狂いもなく、同時に貫いた。

 ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ!

 機械たちを貫通し、内部のコアを破壊していく、確かな手応え。

 悲鳴を上げる間もなく、三体の機械は、その場で動きを止め、やがて大爆発を起こし、その存在を完全に消滅させた。

 遠距離から、一方的に、そして完璧に仕留めてみせたのだ。

 

 静寂。

 後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で、荒い息一つ乱すことなく、静かに佇む一人の王者の姿だけだった。

 彼は、ドロップアイテムを手早く回収すると、ARカメラの向こうの言葉を失った観客たちに、静かに告げた。

 その声には、絶対的な自信が宿っていた。

「…なるほどな。遠距離になれば、これで仕留めるか」

「まあ、強いが、俺の敵じゃねえな」

 彼はそこで一度言葉を切ると、この腐敗した世界の、さらに奥深くを見据えた。

「――ボスに、期待だな」

 彼の本当の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

 

 

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