ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物   作:パラレル・ゲーマー

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第306話

物語(ものがたり)は10(ねん)(まえ)、ダンジョンが(あらわ)れる当日(とうじつ)(もど)る】

 

 アスファルトが陽炎を立て、空調の室外機がうんざりするような熱風を吐き出す歌舞伎町の一角。その雑居ビルの地下へと続く階段は、昼間だというのに薄暗く、淀んだ空気が澱のように溜まっていた。地下に広がるのは、非合法の賭場。紫煙が立ち込め、男たちの野太い怒号と、牌が卓を叩く乾いた音が不協和音を奏でている。

 

 その最も奥、高レートの卓が立つVIPルーム。ソファに深く身を沈めた男――黒崎龍臣は、目の前で繰り広げられる滑稽なまでの人間ドラマを、どこか冷めた瞳で眺めていた。テーブルの上では、中小企業の社長らしき中年男が、脂汗を浮かべながら震える手で最後のチップを積み上げている。その向かいに座る黒崎の兄貴分は、すでに勝利を確信したかのように、口元に下卑た笑みを浮かべていた。

 

「…これで、最後だ。俺の、全てだ…!」

 

 社長のその悲痛な叫びも、この欲望の坩堝ではただのBGMに過ぎない。黒崎は、静かに立ち上がった。彼の仕事は、もう終わっている。この社長の会社の資産状況、家族構成、そして隠し持っているであろう愛人の存在。その全てを調べ上げ、彼が決してこのテーブルから降りられない状況を作り出したのは、他の誰でもない黒崎自身だったのだから。

 

「兄貴、俺は先に失礼します」

「おう。ご苦労だったな、龍臣」

 

 黒崎は、その澱んだ空気から逃れるように、地上へと続く階段を上った。地上に出ると、真夏の太陽が容赦なく彼の肌を焼く。だが、彼が感じていたのは、そんな物理的な熱さではなかった。自らが身を置くこの世界の、あまりにもちっぽけで、そしてどこまでも不毛な日常に対する、どうしようもない閉塞感だった。

 ヤクザ。

 その響きは、かつては力と恐怖の象徴だったのかもしれない。だが、今の時代、それはただの「社会不適合者」の烙印でしかなかった。警察の締め付けは厳しくなり、シノギは先細っていく一方。目の前の社長のように、弱い人間から骨の髄までしゃぶり尽くす。それが、彼らの世界の全てだった。

 

(…くだらねえ)

 

 彼がそう悪態をつき、煙草に火をつけようとした、その瞬間だった。

 ウウウウウウウウウウウウウウウウッ!

 新宿の空に、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

 何事かと、彼が視線を上げた先。

 西新宿の摩天楼、その巨大な街頭ビジョン。そこに映し出されていたのは、ニュース速報のテロップと、信じられない光景だった。

 

『――緊急速報。現在、東京の都心部を中心に、原因不明の空間の歪みが多数確認されています――』

 

 画面には、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に、まるで黒いインクを垂れ流したかのように、空間そのものがぐにゃぐにゃに歪んでいる、異様な映像が映し出されていた。人々はパニックに陥り、悲鳴を上げながら逃げ惑っている。

 そのあまりにも非現実的な光景。

 黒崎は、煙草を口に咥えたまま、ただ呆然とそれを見つめていた。

 だが、彼の瞳の奥に宿っていたのは、恐怖ではない。

 それは、獲物を見つけた新たな光。

 彼のギャンブラーとしての直感が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。

 これは、「厄介事」ではない。

 これは、新しい「シマ(縄張り)」の誕生だと。

 

 ◇

 

 その日の夜。

 黒崎は、新宿の喧騒から少し離れた、静かな住宅街にある古びたアパートへと、その重い足取りを向けていた。

 彼が、その二階の一室のドアを開けると、そこには、外の世界の混沌が嘘のような、穏やかな日常が広がっていた。

 部屋は狭いが、隅々まで掃除が行き届いている。

 そして、その小さなキッチンの奥から、ふわりと温かい湯気と共に、食欲をそそる出汁の香りが漂ってきた。

 

「おかえり、兄さん」

 

 エプロン姿のまま、ひょこりと顔を出したのは、一人の少女だった。

 年の頃は、16歳くらいだろうか。少し癖のある黒髪を、後ろで一つに束ねている。

 彼の、たった一人の妹、光。

 彼女は、兄の顔を見るなり、その大きな瞳を心配そうに細めた。

 

「兄さん、また顔に傷が増えてる。本当に、ただの営業の仕事なの?」

「うるせえな。ちょっと、しつこい客がいただけだ。それより、今日の飯はなんだ?」

「もう…。今日は、兄さんの好きな、豚の角煮だよ」

「ほう、そいつはいいな」

 

 光が作る、温かい味噌汁の匂い。それが、彼の唯一の安らぎだった。

 両親を早くに亡くし、彼が親代わりとなって育ててきた、この年の離れた妹。

 彼女のこの、あまりにも当たり前で、そしてどこまでも尊い日常。

 それを守るためなら、彼はどんな地獄にだって行ける。

 彼は、そう心に誓っていた。

 

 食卓を囲みながら、テレビのニュースは、昼間の異常現象の続報を、繰り返し伝えていた。

『――政府は、この現象を「ダンジョンゲート」と仮称し、現在、専門家チームによる調査を進めています。ゲートの内部からは、ゴブリン、スライムといった、我々の常識を超えた未知の生命体が確認されており…』

 その、あまりにも現実離れしたニュース。

 それに、光は不安そうな顔で、兄を見上げた。

「ねえ、兄さん。なんだか、怖いね。世界、どうなっちゃうんだろう…」

「…さあな」

 黒崎は、興味なさげにそう答えながら、その実、彼の思考は常識を超えた速度で回転していた。

 魔石。

 スキル。

 レベルアップ。

 その、掲示板で飛び交っていた、あまりにもゲーム的な単語の数々。

 その一つ一つが、彼の頭の中で、新たな「シノギ」の設計図へと、再構築されていく。

 

 ◇

 

 翌日。

 黒崎が所属する、広域指定暴力団『渋沢組』の事務所は、異様なまでの緊張感と、そしてどこまでも旧態依然とした諦観の空気に包まれていました。

 組長である渋沢は、その巨大な玉座のような椅子に深く腰掛け、忌々しげに舌打ちした。

「…チッ。ダンジョンだか、何だか知らねえが、おかげで街は警察だらけだ。これじゃ、シノギもやりづらくてしょうがねえ」

 その言葉に、周りの幹部たちも深く頷く。

 彼らにとって、この未知の現象は、ただの「商売の邪魔」でしかなかった。

 だが、その中で。

 ただ一人、黒崎だけが、その古い時代の空気に、異を唱えた。

 

「――親父さん」

 彼の、その静かな、しかしどこまでもよく通る声が、事務所の沈黙を破った。

「その『邪魔者』が、俺たちにとって、最大の『シマ』になるかもしれませんぜ」

「…ああん?」

 渋沢の、その鋭い視線が、黒崎を捉える。

 だが、黒崎は臆さない。

 彼は、その老いた龍の目を、真っ直ぐに見つめ返した。

 そして彼は、そのあまりにも大胆な、そしてどこまでも魅力的な「提案」を、そのテーブルへと叩きつけた。

 

「俺に、人を貸してください。組の中でも、一番のならず者で、一番の持て余し者で、結構です」

「そいつらを率いて、俺が、あの『ダンジョン』という名の新しいシマを、誰よりも早く、そして完全に、押さえてみせますよ」

 

 その、あまりにも不遜な、そしてどこまでも自信に満ちた言葉。

 それに、事務所の空気が凍りついた。

 だが、渋沢は、その若い龍の瞳の奥に、確かな「勝算」の光を見ていた。

 彼は、ニヤリと、その口元を歪ませた。

「…面白い」

「やってみろ、龍臣。だが、もし失敗したら、どうなるか。分かってるな?」

「――ええ。この指の一本や二本。いつでも、差し出しますよ」

 

 その、あまりにも潔い覚悟。

 それに、渋沢は満足げに頷いた。

 そして彼は、その若い龍に、最初の、そして最も危険な「賭け」を、許した。

 

 その日の午後。

 黒崎は、新宿の裏路地に、数人の若い衆を集めていた。

 彼らは皆、組の中でも、その有り余る暴力と、そして制御不能な性格故に、持て余されていた、はぐれ者たちだった。

 その、飢えた狼のような瞳。

 それに、黒崎は、最高の笑みを浮かべた。

 そして彼は、その狼たちに、告げた。

 その声は、新たな時代の幕開けを告げる、王のそれだった。

 

「お前ら、今のシマに満足してるか?」

「俺は、してねえ」

「もっとデカい夢を、見ようぜ」

「俺についてくれば、お前らを、本物の『王』にしてやる」

 

 彼は、そう言うと、一台の黒塗りのバンから、いくつかの武骨な鉄の棒を取り出した。

 ドスや、鉄パイプ。

 彼らの、唯一の武器だった。

 そして彼は、その小さな、しかし最強の軍団を率いて、F級ダンジョン【ゴブリンの洞窟】の、その薄暗い闇の中へと、その最初の一歩を、踏み出した。

 彼らの、血と暴力にまみれた、あまりにも人間的な「冒険」が、今、始まった。

 

 

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