ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物   作:パラレル・ゲーマー

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第337話

 

 

物語(ものがたり)は10(ねん)(まえ)、ダンジョンが(あらわ)れる当日(とうじつ)(もど)る】

【ダンジョン出現(しゅつげん)()、8ヶ(げつ)経過後】

 

 

 

 アメリカ合衆国、ワシントンD.C.、国防総省(ペンタゴン)。

 その、星型の巨大な建物の、地下最も深く。世界のいかなる破壊力をもってしても、決して傷つけることのできないと言われる、CIC(戦闘情報センター)の一室。その空気は、これまでにないほどの、静かな、しかしどこまでも張り詰めた熱気に満ちていた。

 壁一面に設置された巨大なホログラムモニターには、一つの映像が、繰り返し、繰り返し、再生されていた。

 シリコンバレーのF級ダンジョン【廃棄されたサーバーファーム】。

 その最深部で、一体の巨大な機械蜘蛛のボスが、まばゆい光と共に、一瞬で消し飛ぶ、あの衝撃の映像。

 そして、その中心に佇む、一人の、あまりにも小さな少女の姿。

 

 円卓の中央に座る男…「ダンジョン経済戦略局(DESA)」のトップ、デヴィッド・ヘイワード長官は、その映像を、もはや何度目になるか分からないほど、食い入るように見つめていた。

 彼の、その冷徹なポーカーフェイス。その下に、二つの、全く相反する感情が、激しく渦巻いていた。

 一つは、純粋な「戦慄」。

 あのダメージ計算式は、なんだ。

 あの、あまりにも理不尽なまでの、力の奔流は。

 この世界の、我々がまだ理解していない、新たな「理」の顕現。

 その、計り知れない脅威に対する、本能的な恐怖。

 そして、もう一つ。

 その恐怖を、遥かに上回る、獰猛なまでの「好奇心」。

 あるいは、それは、この世界の覇権を握らんとする、絶対的な支配者としての、「渇望」だったのかもしれない。

(…これだ)

 彼の、その魂が、震えていた。

(これこそが、この新しい時代の、本当の『鍵』だ)

(この少女を、この力を、手に入れた者が、世界の王となる)

 

 彼は、その場にいる、この国の安全保障をその両肩に背負う、トップエリートたちへと、向き直った。

 その声は、静かだった。だが、その奥には、揺るぎない決意が宿っていた。

「――諸君。見ての通りだ」

「我々は、神の揺り籠を、発見した」

「問題は、一つだけ。その神が、我々のために微笑んでくれるかどうかだ」

 彼は、そこで一度言葉を切ると、その全ての意志を、その最後の一言に乗せた。

「――最高のチームを、編成しろ」

「我々が、これから対話するのは、ただの子供ではない。一つの、新たな『神』なのだからな」

 

 ◇

 

 その数時間後。

 カリフォルニア州、パロアルト。

 シリコンバレーの、どこにでもあるありふれた、しかし一本一本の木々が、世界の最先端の知性によって管理されているかのような、完璧な並木道。

 その、ダンジョンゲートの前に設置された、簡素な公園のベンチ。

 そこに、彼女はいた。

 エヴリン・リード、7歳。

 プラチナブロンドの髪を、可愛らしいツインテールに結び、その身を包んでいるのは、戦闘服ではない。高級な子供服ブランドの、真っ白なワンピース。

 その姿は、どこからどう見ても、裕福な家庭で何不自由なく育った、ただの可愛らしい少女だった。

 彼女は、その小さな膝の上に置かれた、最新鋭の薄型タブレットの画面に、その全ての意識を集中させていた。

 画面に表示されているのは、アニメでも、ゲームでもない。

 東京、ロンドン、そしてニューヨーク。

 世界の、三大株式市場の、リアルタイムの株価チャートだった。

 彼女の、その小さな指先が、信じられないほどの速度で、その複雑なグラフの上を滑っていく。

 まるで、世界最高のピアニストが、鍵盤の上で舞い踊るかのように。

 

 その、あまりにもシュールで、そしてどこまでも異様な光景。

 それを、少し離れた場所から、三人の大人たちが、息を殺して見つめていた。

 彼らこそが、ヘイワード長官が、この国の最高の叡智を結集して選び抜いた、「対話チーム」だった。

 一人は、ドクター・アーニャ・シャルマ。ハーバード大学で教鞭を執る、天才的な児童心理学者。その著書は、世界中の親たちの、バイブルとなっていた。

 一人は、ドクター・マーカス・ソーン。かつてDARPAで、人間の潜在能力を解放するための極秘プロジェクトを率いていた、才能開発の専門家。

 そして、その二人を守るようにして、背後に控えるのは、エージェント・スティール。元デルタフォース所属の、歴戦の勇士。その全身から、一切の隙を感じさせない、プロフェッショナルなオーラを放っていた。

 

「…信じられません」

 シャルマ博士が、その美しい顔をわずかに歪めながら、囁いた。

「彼女、本当に7歳なのですか…?あのタブレットの操作、あの集中力。まるで、ウォール街の、百戦錬磨のトレーダーのようです…」

「データは、それを裏付けています」

 ソーン博士が、その手元の端末に表示された数値を、冷静に読み上げた。

「彼女の脳波は、極めて高いレベルで安定している。心拍数も、平常時と全く変わらない。彼女は、株価の乱高下を、ただの『数字の羅列』として、認識しているようです。そこに、一切の感情の揺らぎはない」

「…化け物だな」

 スティールが、その唇の端を、わずかに引きつらせながら、吐き捨てるように言った。

「だが、俺たちの仕事は、その化け物と『対話』することだ」

 彼は、シャルマ博士へと、その視線を向けた。

「博士。準備は、いいか?」

「…ええ」

 シャルマ博士は、深く、そして静かに頷いた。

 彼女は、自らの専門知識と、経験と、そして何よりも、一人の人間としての、その全てを賭けて、この未知なる神童との対話に、挑む覚悟を決めていた。

 彼女は、その練習した通りの、最も優しく、そして最も無害な笑顔を、その顔に貼り付けた。

 そして、彼女は一人、その小さな少女へと、ゆっくりと歩み寄っていった。

 

 ◇

 

「こんにちは、お嬢ちゃん」

 シャルマ博士の、その絹のように滑らかで、そしてどこまでも配慮に満ちた声が、公園の静寂を、優しく破った。

「一人かい?ここは、少し危ない場所なんだ。お父さんと、お母さんは、どこにいるのかな?」

 その、あまりにも教科書通りの、完璧なアプローチ。

 これまで、彼女はこの言葉で、どれほど心を閉ざした子供たちの、その扉をこじ開けてきたことだろうか。

 だが、その彼女の、絶対的な自信。

 それが、次の瞬間、木っ端みじんに打ち砕かれることになる。

 

 少女――エヴリン・リードは、タブレットから、顔を上げなかった。

 ただ、その指先の動きだけを、ぴたりと止めた。

 そして、彼女は、その抑揚のない、しかしどこまでも明晰な、まるで合成音声のような声で、答えた。

 

「――その問いかけは、三つの点で間違っています」

 

 その、あまりにも予想外の、そしてどこまでも冷徹な、返答。

 それに、シャルマ博士の、その完璧だったはずの笑顔が、わずかに、ひきつった。

 

「第一に、あなた方は私の保護を、目的としていません」

 エヴリンは、続けた。その声には、一切の感情がなかった。

「あなた方の目的は、私の能力の『査定』と、そして可能であれば、その『確保』。そのための、第一次接触(ファースト・コンタクト)ですわよね?」

 

「第二に、ここは私にとって、世界で最も安全な場所です」

「このダンジョンのモンスターは、全て私が『処理』しました。そして、この周囲500メートルは、あなた方のエージェントによって、完全に封鎖されている。いかなる物理的な脅威も、ここに到達することはできません。むしろ、危険なのは、あなた方の方では?」

 

 その、あまりにも的確な、そしてどこまでも皮肉に満ちた、指摘。

 それに、シャルマ博士の額に、じわりと、冷たい汗が滲んだ。

 彼女は、もはや言葉を返すことができなかった。

 そして、エヴリンは、その最後の、そして最も残酷な、とどめの一撃を放った。

 

「そして、第三に」

 

 彼女は、そこで初めて、そのタブレットから顔を上げた。

 そして、その青い瞳が、シャルマ博士の、その魂の奥底までを、見透かすかのように、真っ直ぐに捉えた。

 その瞳は、7歳の子供のそれではない。

 全てを見透かす、絶対的な知性の光を、宿していた。

 

「――私の両親の資産状況と、現在の居場所は、あなた方の方が、よくご存知のはずですわ。DESAの皆さん?」

 

 その一言に、チームの大人たちは、完全に沈黙した。

 シャルマ博士は、その場で、まるで金縛りにあったかのように、動けなかった。

 少し離れた場所で、その光景を見ていたソーン博士とスティールもまた、同じだった。

 彼らは、理解してしまった。

 自分たちが、今、対峙しているものの、その本当の正体を。

 それは、子供ではない。

 神童でもない。

 それは、人間の形をした、ただの「知性」。

 そして、その知性は、彼らの、旧世界の常識の、遥か彼方に、存在しているのだと。

 彼らの、あまりにも傲慢で、そしてどこまでも人間的な「対話」の試み。

 それは、始まる前に、すでに終わっていたのだ。

 絶対的な、敗北。

 その、あまりにも重い事実だけが、シリコンバレーの、その穏やかな午後の空気の中で、鉛のように、彼らの心に、のしかかっていた。

 

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