ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物   作:パラレル・ゲーマー

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第349話

物語(ものがたり)は10(ねん)(まえ)、ダンジョンが(あらわ)れる当日(とうじつ)(もど)る】

【ダンジョン出現(しゅつげん)()、12ヶ(げつ)経過後】

 

「――総員、配置につけ!」

 

 サン・マルタン村へと続く、唯一の道。

 その、切り立った崖に挟まれた狭い渓谷に、フランス軍の緊急展開部隊が、急ごしらえの防衛線を構築していた。

 指揮を執るのは、デュポン大尉(52)。

 その顔には、アフガニスタンの砂漠と、アフリカのジャングルで刻まれた、深い皺が走っている。彼は、この国が経験してきた、全ての「旧世界の戦争」を知る、百戦錬磨のベテランだった。

 だが、彼のその歴戦の瞳にも、今、隠しきれない不安の色が浮かんでいた。

 彼の目の前、渓谷の入り口から、あの不気味な乳白色の霧が、まるで生き物のように、その領域を広げ続けている。

 そして、その霧の奥から聞こえてくる、無数の、獣のような雄叫び。

 それは、彼がこれまで戦ってきた、どの「人間」の敵とも、明らかに質の違う、未知なる脅威の咆哮だった。

 

「…大尉。本当に、我々だけで大丈夫なのでしょうか」

 隣に立つ、若い副官が、震える声で尋ねた。

「パリの本部からは、まだ増援の連絡は…」

「来ない」

 デュポンは、短く、そして吐き捨てるように言った。

「本部の連中は、まだこの事態を、ただの『特殊な気象現象』だと信じ込んでいる。我々は、見捨てられたんだ」

 その、あまりにも絶望的な事実。

 それに、副官の顔が、蒼白になった。

 だが、デュポンの瞳には、まだ諦めの色はなかった。

 彼は、その若い部下の肩を、力強く叩いた。

「だがな、我々の後ろには、あの村がある。そこに住む、女子供がいる。我々が、ここで食い止めるんだ。たとえ、最後の一人になってもな」

 その、あまりにも力強い、そしてどこまでも不器用な、隊長の覚悟。

 それに、副官の瞳に、再び光が宿った。

 

「――来るぞ!」

 斥候からの、報告。

 デュポンは、その手に握られた双眼鏡を、その目に当てた。

 レンズの向こう側。

 霧の中から、ついにその軍勢が、その全貌を現した。

 数百という、緑色の、醜い悪魔たち。

 その、あまりにも圧倒的な物量。

 それに、デュポンはゴクリと喉を鳴らした。

 だが、彼は決して、その恐怖を、部下たちには見せなかった。

 彼は、その全ての魂を込めて、叫んだ。

 その声は、この渓谷の、全ての空気を震わせた。

 

「――撃てぇぇぇ」

 

 その命令に、彼の部下たちが完璧に応えた。

 ダダダダダダダダダダダダッ!

 FA-MASアサルトライフルが火を噴く。その甲高い発砲音が、アルプスの静寂な渓谷に虚しく響き渡った。

 だが、その弾丸の嵐は、あまりにも無力だった。

 カン、カン、カン、カンッ!

 5.56mm NATO弾は、先頭を走るゴブリンたちの、緑色の分厚い皮膚に、まるでBB弾のように虚しく弾かれていく。その皮膚は、もはやただの肉体ではない。ダンジョンという異世界の理によって、鋼鉄のように変質していたのだ。

「なっ!?」

「効かない!?嘘だろ!?」

 兵士たちの顔に、初めて純粋な「恐怖」の色が浮かんだ。

 彼らが信じてきた、旧世界の「常識」。

 訓練、装備、そして何よりも銃火器という絶対的な力の象徴。

 その全てが、今、目の前の、あまりにも原始的で、そしてどこまでも理不尽な暴力の前に、意味をなさなくなっていた。

 

「グルアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 銃撃をものともせず、ゴブリンの軍勢が、その距離を詰めてくる。

 その先頭に立つ、ひときわ体格の良いゴブリンが、その手に持つ錆びついた剣を振りかぶり、デュポンの目の前の、若い兵士へと襲いかかった。

「うわあああああっ!」

 兵士は、咄嗟にその銃床で攻撃を受け止めようとする。

 だが、そのあまりにも貧弱な抵抗は、ゴブリンの圧倒的な腕力の前に、いとも簡単に粉砕された。

 バキッという、骨が砕ける生々しい音。

 兵士の腕が、ありえない方向に折れ曲がる。

 そして、ゴブリンの剣が、そのがら空きになった胸の中心へと、容赦なく突き立てられた。

「――デュポン大尉!」

 若い副官の、悲痛な叫び。

 デュポンは、その光景に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 彼の、長年の兵士としての経験。

 その全てが、今、この瞬間、完全に無意味なものへと変わった。

 これは、戦争ではない。

 ただの、一方的な「蹂躙」だ。

 

 第四章:パニック

 その地獄絵図は、国際ニュースネットワークを通じて、瞬く間に世界中へと配信された。

 フランス軍の、あまりにも一方的な敗北。

 最新鋭の軍隊が、棍棒と剣を握りしめただけの、原始的なモンスターの軍勢に、なすすべもなく蹂躙されていく、その衝撃的な映像。

 それは、旧世界の秩序が、完全に崩壊した瞬間だった。

 ヨーロッパ全土が、パニックに陥った。

 

 パリ、シャンゼリゼ通り。

 凱旋門へと続く、その世界で最も美しい大通りは、今や阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 高級ブティックのショーウィンドウが、次々と打ち砕かれる。

 人々は、我先にとスーパーマーケットに殺到し、食料や水を買い占めていく。

 街の至る所で、車のクラクションが鳴り響き、怒号と悲鳴が、美しい街並みを汚していく。

 ロンドン、ピカデリーサーカス。

 ベルリン、ブランデンブルク門。

 ローマ、コロッセオ。

 その、かつては観光客で溢れかえっていた全ての場所から、人の姿が消えた。

 人々は、自らの家に駆け込み、その分厚い扉に鍵をかけ、息を殺して、この悪夢が過ぎ去るのを待つしかなかった。

 まるで、見えざる疫病に怯えるかのように。

 あるいは、空から降り注ぐ核の炎を待つかのように。

 自粛隔離。

 SNSには、恐怖と、そしてそれ以上に多くの、無責任なデマが溢れかえった。

 

『政府は、真実を隠している!』

『軍は、もうダメだ!自分たちの身は、自分たちで守るしかない!』

『隣の家の、あの男。あいつ、もしかしたらモンスターなんじゃないか…?』

 

 不信感が、人々の心を蝕んでいく。

 隣人が、隣人を疑い。

 友が、友を裏切る。

 社会という、あまりにも脆い幻想が、音を立てて崩れ落ちていく。

 その混沌の、まさにその中心で。

 世界の全ての視線は、二つの国へと注がれていた。

 日本と、アメリカ。

 ダンジョンという、新たな理を、誰よりも早く受け入れ、そしてその力を自らのものとしてきた、二つの先進国。

 彼らは、この世界規模の災害に対し、一体どう動くのか。

 その、あまりにも重い選択。

 それに、世界の未来の全てが、かかっていた。

 

 

 東京、霞が関。

 日本の政治の中枢、首相官邸の地下深く。内閣危機管理センターの極秘会議室。

 その空気は、これまでにないほどの、静かな、しかしどこまでも張り詰めた緊張感に満ちていた。

 円卓を囲む日本のトップエリートたちは、巨大なホログラムモニターに映し出された、ヨーロッパの惨状を、ただ無言で、その目に焼き付けていた。

 フランス軍の、壊滅。

 サン・マルタン村の、陥落。

 そして、その地獄絵図を、ただ呆然と見つめる、ヨーロッパの人々の、絶望に染まった顔。

 

「…ひどいな」

 最初に、その沈黙を破ったのは、防衛大臣だった。

 その声は、震えていた。

「これが、我々が目を背けてきた、現実か」

「ああ」

 議長席に座る男…「超常領域対策本部」のトップ、坂本純一郎特命担当大臣は、静かに頷いた。

 彼の表情は、硬かった。だが、その瞳の奥には、パニックの色はない。

 ただ、この国を背負うリーダーとしての、絶対的な覚悟の光だけが宿っていた。

「だが、我々は彼らとは違う」

 彼は、その場にいる全ての人間へと、言い聞かせるように言った。

「我々には、準備がある。そして何よりも、この理不尽なテーブルで戦うための『切り札』がある」

 

 時を、同じくして。

 アメリカ合衆国、ワシントンD.C.、ホワイトハウス。

 その西棟の地下深く、シチュエーションルーム。

 デヴィッド・ヘイワード長官と、バラク・オバマ大統領もまた、同じ映像を、その目に焼き付けていた。

 オバマは、その冷静な、しかしどこまでも鋭い瞳で、その地獄絵図を分析していた。

 そして彼は、隣に立つヘイワードへと、静かに、しかし有無を言わさぬ力で、告げた。

 

「――時は、来たようだね」

「長官。例のプランを、実行に移したまえ」

「はい、大統領」

 ヘイワードは、深く、そして静かに頷いた。

 彼の、その冷徹なポーカーフェイスの下で、この世界のパワーバランスを、完全に塗り替えるための、壮大なギャンブルの歯車が、今、確かに回り始めていた。

 

 二つの、ダンジョン先進国。

 彼らは、この世界規模の災害に対し、全く違う、しかしどこまでも合理的な「回答」を、すでに用意していた。

 日本の、切り札。

 それは、この国が誇る、最高の「盾」。

 国家直属の、探索者特殊部隊、『D-SLAYERS』。

 そして、アメリカの、切り札。

 それは、この国が信奉する、最高の「矛」。

 ヴァルキリー・キャピタルという名の、圧倒的な「資本」と、そしてその資本が生み出す、無限の「可能性」。

 世界の、本当の戦いは、まだ始まってもいなかった。

 それは、これから始まる、二つの巨大な哲学の、ぶつかり合いの、あまりにも静かすぎる、序曲に過ぎなかったのだ。

 

 

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