ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物 作:パラレル・ゲーマー
その日の東京の空気は、新たな時代の熱狂と、それに伴う喧騒で満ち満ちていた。
国際公式ギルド、日本支部。その一階に広がる巨大な換金所のフロアは、まるで巨大な蜂の巣のように、絶え間ない人の出入りと、無数の声と、そして何よりも、剥き出しの欲望の匂いで溢れかえっていた。
数ヶ月前に施行された『プラス・アルファ・フロンティア制度』によって爆発的に増加した、スーツ姿の週末冒険者たち。彼らが持ち込む、F級のささやかな魔石の山。
そして、その彼らを、どこか見下すような、しかし羨望の眼差しを隠しきれない、古参のC級、B級探索者たち。彼らは、今や世界の常識となった「ターゲットファーミング」理論に基づき、自らの専門とするダンジョンで得た、より高価な戦利品をカウンターへと無造作に放り投げる。
その、あまりにも混沌とした、そしてどこまでも活気に満ちた光景。
それが、この世界の、新しい「日常」だった。
その喧騒の、まさにその中心を、一人の男が、まるでモーゼが海を割るかのように、静かに、そして確かな足取りで進んでいく。
その身を包んでいるのは、高価なユニーク装備ではない。ただの、どこにでも売っているような、黒いフード付きのローブ。その顔は、フードの影に隠れて、ほとんど見えない。
だが、彼が歩を進めるたびに、周囲の探索者たちが、まるで見えない壁に押しやられるかのように、自然と道を開けていく。
囁き声が、波のように広がる。
「…おい、見ろよ…」
「…JOKERだ…」
「本物か…?」
神崎隼人――“JOKER”。
彼は、もはやただのA級探索者ではなかった。
この世界の、理不尽なまでの確率の奔流を、その身一つで乗りこなし、そして時にはその流れそのものを捻じ曲げてしまう、生ける伝説。
彼は、その周囲の視線を、意にも介さない。
ただ、自らの「仕事」をこなすためだけに、そこに来ていた。
彼は、いつものように、フロアの最も奥にある、高ランク探索者専用のカウンターへと向かう。
そこに、彼女はいた。
艶やかな栗色の髪をサイドテールにまとめた、知的な美貌の受付嬢。水瀬雫。
彼女は、隼人の姿を見つけると、その大きな瞳をぱっと輝かせた。そして、そのプロフェッショナルな笑顔の裏に、隠しきれない緊張と、そして何か重大な決意の色を滲ませながら、その完璧なカーテシーと共に、彼を迎えた。
「――お待ちしておりました、JOKER様」
彼女の声は、いつも通りの、心地よいアルトだった。
だが、その声の奥に、わずかな震えがあるのを、隼人は見逃さなかった。
「ああ」
彼は、短く答えると、無言のまま、自らのインベントリから、おびただしい数の戦利品を、カウンターの上へと転送した。
B級中位ダンジョン【機械仕掛けの心臓】で、この数日間、彼がただの「作業」として刈り取ってきた、モンスターたちの亡骸。
数百個のB級魔石、数十個のレア等級の歯車、そして、いくつかのユニークアイテム。
その、あまりにも圧倒的な物量。
それに、雫は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻し、その手元の端末を、驚異的な速度で操作し始めた。
数分後。
彼女は、その鑑定と計算の全てを終えた。
「…はい。お待たせいたしました。本日分、合計で、1,750,000円となります。口座への送金で、よろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
その、あまりにも日常的な、そしてどこまでも非現実的な金額のやり取り。
それが終わった、その時だった。
雫が、その完璧だったはずの業務用の笑顔を、ふっと解いた。
そして彼女は、その真摯な瞳で、隼人を真っ直ぐに見つめた。
「――あの、JOKERさん。実は、おりいって、お願いがありまして…」
その、あまりにも改まった、そしてどこまでも真剣な口調。
それに、隼人は、何か嫌な予感を感じながら、その眉をひそめた。
彼の、ギャンブラーとしての直感が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
これは、面倒なことになる、と。
「…何だ?」
彼の、そのぶっきらぼうな、しかし先を促すような一言。
それに、雫は一度、深く息を吸い込んだ。
そして彼女は、この世界の、新たな時代の幕開けを告げる、あまりにも巨大な、そしてどこまでも厄介な「依頼」を、その口にした。
「実はですね、」
彼女の声が、わずかに上ずる。
「**日本政府、アメリカ政府、韓国政府、中国政府。その、四カ国の連名で、**正式な要請が、ギルド本部に届きました」
「先日、ペンタゴンで合意された、国際冒険者育成プログラム。その一環として、冒険者学校の、中国、韓国、そしてアメリカからの留学生の受け入れが、正式に決定いたしました。そして、その、記念すべき最初の講義に、JOKERさんを、お呼びしたいと。…そういう、話が来てます」
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
隼人は、その言葉の意味を、必死に理解しようとしていた。
四カ国、連名?
冒険者学校の、講義?
俺が?
その、あまりにも突拍子もない、そしてどこまでも現実離れした依頼。
それに、彼の口から、素直な、そしてどこまでも本質的な疑問が漏れた。
「――なんでだよ?」
その、あまりにも子供っぽい、そしてどこまでも当然な問いかけ。
それに、雫は待っていましたとばかりに、その大きな瞳を、キラキラと輝かせた。
彼女は、もはやただの受付嬢ではない。
彼の、その偉大さを、誰よりも理解している、最高のファンであり、そして最高のプレゼンターだった。
「決まってるじゃないですか!」
彼女の声に、熱がこもる。
「いやー、JOKERさんは、国際的に知られた、ダンジョン配信者じゃないですか!」
「あなたが、たった一人で、世界の常識を、何度も、何度も覆してきた、その姿!スキル縛りの【
「彼らにとって、あなたは、もはやただの探索者ではない。雷帝のような、英雄でもない。自分たちと同じ、この新しい時代に生まれ、そして自らの知恵と、勇気と、そして何よりも『狂気』で、運命を切り拓いてきた、唯一無二の偶像(アイドル)なのです!」
「だから、ぜひ、あなたに講義をしてほしいと、名指しで要請が来まして…。」
彼女は、そこで一度言葉を切ると、少しだけ困ったような、しかしどこか楽しそうな表情で、その本当の「事情」を、付け加えた。
「…それに、**公式ギルドとしましても、あの四カ国の連名での要請を断ると、立場が、ですね…。**色々と、角が立つというか…」
その、あまりにも大人な、そしてどこまでも現実的な、言い訳。
それに、隼人は、深く、そして重いため息をついた。
彼は、理解した。
これは、もはや彼個人の問題ではない。
国家と、ギルドと、そして世界の、巨大な歯車の、その中心に、自分は否応なく、組み込まれてしまったのだと。
その、あまりにも面倒で、そしてどこまでも逃れようのない、現実。
「…はー。仕方ない。良いぞ」
彼の、その諦観に満ちた、しかしどこまでも力強い一言。
それに、雫の顔が、ぱっと、満開の花のように輝いた。
だが、隼人は続けた。
その瞳には、絶対的な王者の、そしてどこまでも抜け目のない、ギャンブラーの光が宿っていた。
「――ただし、条件がある」
「え?」
「タダで、国の犬になるほど、俺はお人好しじゃねえ」
彼は、その指を、五本立てた。
「――パッシブポイント、5ポイント分を、無償でくれ。それが、条件だ」
その、あまりにも不遜な、そしてどこまでも彼らしい、要求。
それに、雫は、一瞬だけ、きょとんとした顔をした。
そして、次の瞬間。
彼女は、これまでにないほどの、最高の笑顔で、そしてどこまでも嬉しそうに、答えた。
「――はい!それぐらいなら、全然OKです!」
彼女の声は、弾んでいた。
「上層部にも、すでに話は通してあります!JOKER様からのご要求であれば、パッシブポイント10ポイントまでは、即決で承認せよ、と!」
その、あまりにも予想外の、そしてどこまでも好条件な、回答。
それに、今度は隼人の方が、一瞬だけ、そのポーカーフェイスを崩した。
(…チッ。もうちょい、吹っかけても良かったか…)
「いやー、良かった!」
雫は、その胸を、安堵でなでおろした。
そして彼女は、自分のことのように嬉しそうに、そして少しだけ興奮したように続けた。
「講義、私も録画して貰いますね!」
「おいおい、大した事、言えないぞ」
隼人は、照れくさそうに、そしてどこまでもぶっきらぼうに、その頭をガシガシとかいた。
「俺は、ただのギャンブラーだ。ガキどもに、何を教えろってんだよ」
「ふふっ」
雫は、悪戯っぽく笑った。
「大丈夫ですよ」
「いえ、講義と言っても、質問コーナーみたいな物だと聞いてるので。気楽に受けたら良いんじゃないんですか?」
「…Q&A、ね」
隼人は、その言葉に、ふっと、その口元を緩ませた。
「なるほどな。それなら、まあ、少しは面白くなるかもしれねえな」
彼の、そのあまりにも静かな、しかしどこまでも自信に満ちた呟き。