ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物 作:パラレル・ゲーマー
【
【ダンジョン
スイス、ジュネーブ。
アルプスの山々に抱かれ、清らかなレマン湖を望む、世界の平和と中立の象徴。その湖畔に、ガラスと鋼鉄でできた近代的なビルが、静かに、そして荘厳にそびえ立っていた。
【国際公式探索者ギルド】本部。
あの日米が主導して設立された、この世界の新たな「秩序」を司る心臓部。その内部は、常に世界中から集められた膨大な情報が飛び交い、百戦錬磨のアナリストたちが、24時間体制でその動向を監視していた。
その日もまた、彼らの日常は、いつも通り始まるはずだった。
「――午前9時15分。北米、異常なし。ヨーロッパ、異常なし。アジア…こちらも、安定しています」
モニタリング・センターの広大なオペレーションルーム。壁一面に設置された巨大なホログラムの世界地図を前に、一人の若い女性アナリストが、その落ち着いた声で定時報告を行っていた。
だが、彼女がその報告を終えようとした、まさにその瞬間だった。
ピコン、という、これまで誰も聞いたことのない、甲高い、そしてどこか神聖な響きを持つアラート音が、静まり返ったセンターの空気を切り裂いたのだ。
「…なんだ?」
フロアの責任者であるクロードが、その鋭い視線を世界地図へと向けた。
地図の上、ヨーロッパ大陸の中心。
スイス、ジュネーブ。まさに、彼らが今いるこの場所を示す光点が、これまでにないほどの、まばゆい黄金色の輝きを放ちながら、激しく点滅を始めていた。
「ゲート出現!?馬鹿な!このジュネーブは、世界で唯一、ダンジョンゲートが確認されていない『聖域』のはずだ!」
クロードの絶叫。
だが、その彼の常識を嘲笑うかのように、モニターに無慈悲なテキストが表示された。
『警告:未確認の高密度ゲート、ジュネーブ市街レマン湖畔に出現。ランク…B級。ただし、魔素の放出パターン、及び空間の歪曲率、これまでのB級ゲートのデータと、98.7%の不一致。脅威レベル…測定不能』
その、あまりにも異常なデータ。
それに、センターの全ての人間が息を呑んだ。
そして、その絶望的な報告は、まだ終わりではなかった。
窓の外。
それまで、穏やかな湖面をきらめかせていたレマン湖の、そのほとり。
国連欧州本部の目の前の、美しい公園の、その中心の空間が、ぐにゃりと歪み始めた。
それは、これまで世界が観測してきたどのゲートとも、違っていた。
F級の、小さな黒い染みではない。
B級の、禍々しいオーラを放つ亀裂でもない。
空間そのものが、まるで巨大な万華鏡のように砕け散り、その破片が黄金の光を放ちながら、一つの巨大な、そしてどこまでも美しい円形の門を形成していく。
その門の表面には、古代の、しかし決して風化することのない神聖な紋様が、まるで生き物のように、ゆっくりと脈打っていた。
B級ダンジョンゲート:【揺り籠】
その、あまりにも場違いで、そしてどこか挑戦的な名前。
ギルドのアナリストチームが、そのゲートから放出される特殊な魔素波の解析に成功し、その「効果テキスト」と「フレーバーテキスト」をモニターに表示させた時。
その場にいた全ての人間が、本当の意味での「絶望」と、そして神々の悪意を、その肌で感じ取ることになる。
効果テキスト:
このゲートを通過した全ての探索者は、その魂の未熟さを試される。内部の脅威度はB級に固定されるが、最深部で待ち受ける存在は、A級に匹敵する「格」を持つ。
踏破せし者には、その器に相応しい、世界の理を揺るがすほどの報酬が与えられるだろう。だが、敗れし者の魂は、この揺り籠の中で永遠に成長を止めることになる。
フレーバーテキスト:
高い報酬を得るためには、危険な敵に挑むのが世の常だ。
さあ、幼い幼い弱々しい未熟児達よ。
この門を通るか?
お前たちの積み上げてきた経験と装備は、ここで何の意味もなさない。
お前たちのちっぽけなプライドは、ここで粉々に砕け散るだろう。
ここは、強者だけが生き残る場所ではない。
自らがまだ「弱い」と知る者だけが、その先の光を見る資格を得る、最初の試練。
まだ、ママのお腹の中にいたかったか?
ならば帰れ。
この先は、生まれる覚悟を決めた者だけが進むことを許される、地獄の一丁目だ。
その、あまりにも傲慢な、そしてどこまでも挑戦的な、神からのメッセージ。
それに、クロードはただ、その場で崩れ落ちるように、椅子に深く身を沈めることしかできなかった。
ギルドとスイス政府では、対処不能。
それは、誰の目にも明らかだった。
残された選択肢は、一つだけ。
彼は、震える手で、二つの超大国へと繋がる、極秘のホットラインのスイッチを入れた。
それは、世界の秩序を守るための最後の砦であり、そして同時に、自らの無力さを認める、屈辱の降伏宣言でもあった。
その報は、瞬く間に東京とワシントンD.C.へと届けられた。
霞が関、内閣危機管理センター。
坂本純一郎特命担当大臣は、モニターに映し出されたジュネーブの黄金のゲートと、その挑発的なテキストを、その鋭い瞳で静かに見つめていた。
彼の周りでは、閣僚たちが喧々囂々の議論を繰り広げている。
「罠だ!これは、我々を誘き出すための、罠に違いない!」
「だが、無視はできん!もし、このゲートが決壊すれば、ヨーロッパは再びあの悪夢に…!」
その混沌の中心で、坂本はただ一人、冷静だった。
彼の脳内では、すでにいくつものシミュレーションが、常識を超えた速度で繰り返されていた。
リスクと、リターン。
そして、この盤面における、最善の一手。
やがて彼は、その深い皺の刻まれた顔に、獰猛な、しかしどこまでも楽しそうな笑みを浮かべた。
「…面白い。面白いじゃないか。神々が、我々に新たな『ゲーム』を提案してきた、というわけか」
彼は、その場にいる全ての人間へと、告げた。
その声には、揺るぎない確信が宿っていた。
「――この招待状、受けて立とうじゃないか」
時を、同じくして。
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.、国防総省(ペンタゴン)。
その、星型の巨大な建物の、地下最も深く。
デヴィッド・ヘイワード長官もまた、同じ光景を、その冷徹なポーカーフェイスで見つめていた。
彼の周りでは、歴戦の将軍たちが、好戦的な意見を口にしている。
「絶好の機会です、長官!我が国の『デザート・イーグル』を単独で派遣し、この手柄を独占するべきです!」
「そうだ!日本の介入を待つ必要はない!我々の力だけで、十分だ!」
だが、ヘイワードはその意見を、静かに、しかし有無を言わさぬ力で、制した。
「…甘いな、諸君」
彼の、その氷のように冷たい一言。
それに、将軍たちが息を呑む。
「君たちは、まだこのゲームの、本当のルールを理解していないらしい。これは、ただのダンジョン攻略ではない。世界の、全てが見ている『ショー』だ。そして、ショーには、最高の役者が必要だ」
彼は、そこで一度言葉を切ると、その口元に、最高のショーマンの笑みを浮かべた。
「――日本の、あの無骨なサムライたち。彼らもまた、この舞台に上げる。その方が、よっぽど面白くなるだろう?」
かくして、世界の運命は、二人の、あまりにも対照的で、そしてどこまでも規格外な指導者たちの、その掌の上で踊らされることになった。
史上初となる、国際合同レイド部隊、『タスクフォース・キメラ』の結成。
その報は、世界中の探索者たちを、熱狂の渦へと叩き込んだ。
鬼塚宗一率いる、日本の『D-SLAYERS』。
ストライカー大佐率いる、米国の『デザート・イーグル』。
二つの国の、最強の刃が、今、ジュネーブの地で、初めてその切っ先を交えようとしていた。
彼らが、ジュネーブの臨時作戦司令部で初めて顔を合わせた時。
その空気は、静かな、しかし熾烈な火花に満ちていた。
鬼塚は、その鋼鉄の仮面のようなヘルメットの奥で、目の前の、あまりにもアメリカ的な男を、冷静に観察していた。
ストライカー大佐。
その、日に焼けた肌。自信に満ち溢れた、不遜な笑み。そして、その口に咥えられた、安物の葉巻。
その全てが、鬼塚の、規律と秩序を重んじる精神とは、相容れないもののように思えた。
対するストライカーもまた、そのサングラスの奥で、目の前の、あまりにも静かで、そしてどこまでも底の知れない、日本のサムライを値踏みしていた。
二人は、無言で、しかし力強く、握手を交わした。
その、固く握られた手の、その奥で。
彼らは、互いの魂の奥底に宿る、同じ「光」を、確かに感じ取っていた。
最高の、そして最も信頼できる「好敵手」の光。
「…面白い」
二人の唇から、全く同じ言葉が、同時に漏れた。
そして彼らは、顔を見合わせ、初めて、不敵に笑った。
彼らの、奇妙な、しかしどこまでも力強い友情の、始まりだった。
彼らが、その黄金のゲートをくぐった先。
そこに広がっていたのは、洞窟でも、遺跡でもなかった。
一つの、巨大な「玉座の間」。
床も、壁も、天井も、全てが寸分の狂いもなく磨き上げられた、純白の大理見でできていた。空間には、一切の装飾がなく、ただ、どこまでも続く静寂だけが、その場所を支配していた。
その、あまりにも異様で、そしてどこまでも神聖な光景。
それに、歴戦の兵士たちですら、息を呑んだ。
「…なんだ、ここは…」
「まるで、神殿だな…」
隊員たちが、そのささやきを交わす、その間にも。
鬼塚とストライカーの目は、ただ一点だけを、見据えていた。
広間の、最奥。
幾段もの階段の、その最上段に鎮座する、巨大な黒曜石の玉座。
そして、その玉座に深く腰掛ける、一つの、あまりにも圧倒的な、存在。
獅子の顔を持つ、人型の獣人。
【
彼は、その黄金の瞳を閉じたまま、まるでこの世界の全ての音を、その魂で聞いているかのように、静かに、ただ静かに、そこにいた。
だが、彼らがその玉座の間へと、その最初の一歩を踏み出した、その瞬間だった。
王が、ゆっくりとその重い瞼を持ち上げた。
現れたのは、溶けた黄金のように輝く、しかしどこまでも冷徹な瞳。
その瞳は、侵入者である彼らを一瞥すると、まるで取るに足らない虫けらを見るかのように、気だるそうに細められた。
そして、その巨大な顎がゆっくりと開かれる。
彼の声は、地響きではなかった。
ただ、静かに、しかしその場にいる全ての者の魂の奥底までを、直接震わせるかのような、絶対的な王者の声だった。
「――
その、たった一言。
それが、この神々のテーブルにおける、唯一のルールだった。
「お前たちのような
その、あまりにも傲慢な、そしてどこまでも絶対的な宣告。
それに、日米の精鋭たちの顔から、血の気が引いた。
だが、それ以上に。
彼らの魂に、屈辱という名の炎が、燃え上がった。
彼らは、この世界の最強の兵士。
その誇りを、こんな、ただの獣人に、踏みにじられてたまるものか。
鬼塚とストライカーが、同時に叫んだ。
「――総員、戦闘開始ッ!」
その号令を、合図にしたかのように。
日米の、最強の軍隊が、その牙を剥いた。
ストライカー率いるデザート・イーグルが、その上空から、雨のような魔石誘導弾を叩き込む。
その弾幕を、盾とするように。
鬼塚率いるD-SLAYERSが、完璧な包囲殲滅陣を敷き、その神速の剣で、王の、その懐へと切り込んでいく。
二つの国の、最強の戦術。その完璧なハーモニー。
それは、B級の、どのボスであろうと、一瞬で塵芥へと変えるほどの、圧倒的な破壊の奔流だった。
だが。
その全てが、王の前では、子供の遊びに過ぎなかった。
レグルスは、玉座から立ち上がることすらしなかった。
彼は、ただ、その黄金の瞳を、わずかに細めただけ。
その瞬間、彼の周囲の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
【王の
上空から降り注いでいたはずの魔石誘導弾が、その速度を失い、まるで雨粒のように、ぽつり、ぽつりと力なく地面へと落下していく。
その、あまりにも理不尽な光景。
それに、ストライカーが、その信じられないという顔で、絶叫した。
「なっ!?」
そして、その王の嘲笑うかのような視線が、今度は地上部隊へと向けられる。
鬼塚たちの体が、鉛のように重くなった。
一歩、足を踏み出すだけで、全身の骨が軋むほどの、圧倒的な重圧。
彼らの、神速だったはずの動きが、まるで泥の中を這うかのように、鈍重なものへと変わっていく。
それだけではなかった。
彼らが振るう、その渾身の剣戟。
それが、王の、その玉座に届く、その寸前で。
目に見えない、しかし絶対的な障壁に阻まれ、カン、カンと虚しい音を立てて、弾かれていく。
「――これが、王の力か…!」
鬼塚が、その唇を噛み締めた。
そして、王の、その戯れのような、しかしどこまでも無慈悲な、カウンターが、始まった。
彼は、その玉座に座ったまま、ただ、その指を一本、軽く振るっただけ。
だが、その瞬間。
空間そのものが、悲鳴を上げた。
目に見えない、しかし絶対的な質量の奔流が、D-SLAYERSの、その完璧だったはずの前衛を、完全に飲み込んだ。
兵士たちの、C級レア等級のプレートアーマーが、まるでガラス細工のように、粉々に砕け散る。
彼らの体は、まるで紙切れのように、後方へと吹き飛ばされた。
HPバーが、一瞬でゼロになる。
フラスコシステムが、かろうじてその命を繋ぎ止める。
だが、戦線は、完全に崩壊した。
「――退避!退避だ!一旦、立て直す!」
鬼塚の、その悲痛な絶叫。
それが、この歴史的なレイドの、最初の、そしてあまりにも屈辱的な結末だった。
彼らは、命からがら、その玉座の間から撤退した。
後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその中心で、再びその玉座へと戻り、まるで最初から何もなかったかのように、再びその黄金の瞳を閉じる、一人の王の姿だけだった。
彼は、ただ退屈そうに、欠伸を一つした。
その、あまりにも圧倒的な、そしてどこまでも残酷な「格」の違い。