ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物 作:パラレル・ゲーマー
西新宿の空を貫くかのようなタワーマンションの最上階。その広大なリビングの、床から天井まで続く巨大な窓からは、宝石箱をひっくり返したかのような東京の夜景が一望できた。だが、そのあまりにも美しい光の海は、今の神崎隼人――“JOKER”の瞳には、ただの無機質な光の点滅としか映っていなかった。
彼の心は、この広すぎる部屋の静寂とは裏腹に、深い、深い憂鬱の沼に沈んでいた。
「…はぁ」
彼の口から、今日何度目になるか分からない、重いため息が漏れた。
彼は、ギシリと軋む高級ゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前の漆黒のモニターに映し出された、一つの禍々しい石の鍵のアイコンを、まるで不倶戴天の敵であるかのように睨みつけていた。
【
現在レベル60そしてレベル55。
彼の、新たな人生…スマイト徒手空拳ビルドが、その節目となるレベルに到達してしまったのだ。
それは、成長の証であると同時に、地獄への招待状でもあった。
(…行きたくねえ…)
彼の魂が、心の底から叫んでいた。
ただひたすらにプレイヤーの精神を削り取るためだけに設計されたかのような、悪意の塊。面白さという概念が、そこには一切存在しない、ただの苦行。
世界の誰もが認める、究極の「クソゲー」。
それに、再び挑まなければならない。
レベル40の、最初の試練。あれは、まだ序の口だったはずだ。SeekerNetの先人たちの阿鼻叫喚の叫びによれば、二度目の試練は、さらに陰湿で、さらに悪質なトラップが追加されるという。
考えるだけで、吐き気がした。
だが、彼は行かなければならない。
その先の、アセンダンシーという名の、新たな「力」を手に入れるために。
そして何よりも、この停滞しきった日常に、無理やりにでも変化をもたらすために。
彼は、観念したように、深く、そして重いため息をつくと、その指を、配信アプリの起動ボタンへと伸ばした。
そうだ。
どうせ地獄に行くのなら、その様を全世界に晒してやった方が、よっぽど面白い。
俺の苦しむ姿が、お前らの最高のエンターテイメントになるというのなら、それもまた、一興。
それが、道化師“JOKER”の、流儀だった。
【配信タイトル:【地獄】スマイト徒手空拳ビルド、二回目の試練へ【クソゲー】】
【配信者:JOKER】
【現在の視聴者数:4,582,194人】
その、あまりにも正直な、そしてどこまでも自虐的なタイトルが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数百万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、期待と興奮と、そしてそれ以上に大きな、彼の不幸を待ち望む温かい(?)声で、溢れかえっていた。
『きたあああああああ!』
『試練!?まさか!アセンダンシーか!』
『レベル55!第二の迷宮!待ってたぜ!』
『JOKERさんのクソゲー実況、最高に面白そうじゃねえか!』
『メシの準備はできてるぞ!最高のショーを、頼む!』
その、あまりにも温かい声援(?)に、JOKERは、ふっと息を吐き出した。
そして彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、その日のショーの、最初の、そして最も重要な前口上を述べた。
その声は、眠たげで、そしてどこまでも不機嫌そうだった。
「よう、お前ら。見ての通り、今日は新しいテーブルだ」
「言っとくが、前と同じだクソゲーだ」
その、あまりにも正直な、そしてどこまでも本音に満ちた前口上。
それに、コメント欄は、この日一番の、温かい(あるいは面白がっている)笑いに包まれた。
『wwwwwwwwwwww』
『でも、JOKERさんが苦しむ姿、最高に面白いから、問題ない!』
『頑張れー!(もっと苦しめー!)』
「…はぁ」
JOKERは、その声援に深く、そして重いため息をつくと、自室の中央に、その禍々しい石の鍵を、静かに天へと掲げた。
鍵が、まばゆい光を放ち、彼の目の前の空間が、ぐにゃりと歪み始める。
そして、そこに、一つの禍々しく、そしてどこか神々しい黄金のポータルが、その口を開けた。
その向こう側には、未知なる、そして既知の、死の迷宮が広がっている。
彼は、その運命の扉を、一瞥した。
そして彼は、その扉をくぐる前に、その配信のコメント欄に表示された、いくつかの、あまりにも場違いな、しかしどこまでも心強い名前たちに、気づいた。
アリス@オーディン:
クソゲー2回目、でも、先輩の勇姿、しっかり目に焼き付けます!
小鈴@青龍:
クソゲー2回目、頑張って下さい。
その、あまりにも唐突な、二人の「持たざる者同好会」の副会長からの、純粋な、そしてどこまでも正直なエール。
それに、スレッドは、もはや制御不能の熱狂の坩堝と化した。
そして、その熱狂の、さらにその頂点へと。
世界の、トップギルドたちの、公式アカウントが、次々とその姿を現したのだ。
ギルド【オーディン】日本支部公式 @Odin_Guild_JP
JOKER殿。我らがヴァルハラの戦士たちも、この試練には幾度となく苦しめられてきた。だが、それもまた英雄となるための、必要な儀式だ。君の、不屈の魂を見せてくれ。クソゲーですが、応援しています(あと2回ありますが…)。
ギルド【青龍】日本支部公式 @Seiryu_Guild_JP
ふん。我がギルドの龍の末裔たちは、このような遊戯に、心を乱したりはしない。だが、貴殿のその常識外れの突破力を、我々も参考にさせてもらおう。クソゲーですが、応援しています(あと2回ありますが…)。
ギルド【
JOKERさん、頑張ってください!私達も、この前挑戦したばかりなんですけど、本当に大変でした…。でも、あなたなら、きっと大丈夫!クソゲーですが、応援しています!(あと2回ありますが…)。
その、あまりにも豪華な、そしてどこまでも悪意に満ちた(?)、応援団。
それに、JOKERは、そのポーカーフェイスを、わずかにひきつらせた。
彼は、そのあまりにも巨大なプレッシャーから逃れるように、そして自らの運命を受け入れるかのように、その黄金のポータルの中へと、その一歩を踏み出した。
彼の、新たな、そして最も孤独な、苦行が始まった。
◇
「――はぁ…。手伝って欲しいなぁ…」
その、あまりにも珍しい、そしてどこまでも人間的な、弱音。
それに、コメント欄が、爆笑の渦に包まれた。
『wwwwwwwwwwww』
『弱音吐いたwww JOKERさんがwww』
『分かる。ラビリンスは、マジで心が折れるからな…』
彼は、幾多のクソみたいなトラップを乗り越え、その度に「このクソゲー!」と叫び続けた。
そして、ついにその場所へとたどり着いた。
◇
玉座の間。
その、巨大な黄金の扉を、彼は、もはや何の感慨もなく、蹴り開けた。
そして、その先に広がる光景に、彼は、その日一番の、そして最も深い、絶望のため息をついた。
そこに、この迷宮の主、【
その、あまりにも荘厳で、そしてどこまでも威圧的な姿。
それは、一度目の試練と、何も変わっていなかった。
だが、その玉座の間そのものが、変貌していたのだ。
ガシャコンッ!ガシャコンッ!
彼の足元の、大理石の床が、突如として反転した。
そして、その下から現れたのは、巨大な、錆びついた鋼鉄の歯車。
そう、あの忌々しい、回転ノコギリが、このボス部屋の、その床の全てを、埋め尽くしていたのだ。
「――はい、クソゲークソゲー」
彼の、そのあまりにも冷静な、そしてどこまでも諦観に満ちた一言。
それに、コメント欄が、この日最高の、そしてどこまでも温かい、爆笑の渦に、完全に飲み込まれた。
皇帝イザロが、その巨大な戦槌を、ゆっくりと振りかぶる。
その、大振りの、しかし一撃必殺の威力を秘めた攻撃。
それと同時に、床の回転ノコギリが、まるで生き物のように、彼を追跡し始める。
上からの、絶対的な死。
そして、下からの、執拗な死。
その、あまりにも理不尽な、挟み撃ち。
「――ふざけんなよ、マジで!」
JOKERは、絶叫した。
彼は、その死の弾幕の中を、踊り始めた。
皇帝の、その巨大な戦槌の、その振り下ろされるタイミングと、その衝撃波の範囲。
そして、床を滑る、数十の回転ノコギリの、その予測不能な軌道。
その全てを、彼はその脳内で、完璧に、そして同時に、処理していく。
その、あまりにも神がかった、そしてどこまでもギリギリの回避行動。
それに、コメント欄は、もはや言葉を失っていた。
ただ、そのあまりにも美しい、死の舞踏を、固唾を飲んで見守るだけだった。
そして、ついにその時は来た。
皇帝が、その大技を放った後の、ほんのわずかな、コンマ数秒の硬直。
そして、その硬直の瞬間に、彼の足元を通り過ぎるはずだった、回転ノコギリの軌道が、ほんのわずかに、逸れた、その奇跡的な瞬間。
その、二つの奇跡が、重なり合った、その刹那。
それこそが、彼が、このクソゲーの中で、唯一見つけ出した、「勝ち筋」だった。
彼の、その空っぽの、しかし神の力を宿した拳が、唸りを上げた。
そして彼は、その最後の宣告を、叫んだ。
「――終わりだ、クソがッ!」
黄金の、雷霆。
それが、皇帝の、その鋼鉄の肉体を、確かに、そして完全に、貫いた。
ワンパンだった。
皇帝は、消滅する。
その巨体は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、その存在ごと、この世界から完全に消滅した。
後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその中心で、おびただしい数のドロップ品の山を前にして、荒い息をつきながら、しかし確かな勝利を噛しめる、一人の男の姿だけだった。
そして彼は、その全ての魂を込めて、叫んだ。
「――やったー!終わったー!」
その、あまりにも人間的な、そしてどこまでも子供っぽい、歓喜の絶叫。
それに、コメント欄は、万雷の拍手喝采で応えた。
『おめでとう!』『最高のショーだった!』
その声援に、JOKERは、満足げに頷くと、玉座の奥に新たに現れた、光の扉へと、その重い足取りを向けた。
◇
アセンダンシーの、祭壇。
彼は、その神聖な空間で、その魂に、新たな力を刻み込んだ。
アセンダンシーポイント、2ポイント。
彼が、そのポイントで取得したのは、戦士の、最も王道にして、最も強力な、守護者の道だった。
「――よし。【チャンピオン】、取るか」
彼が、その新たなクラスを選択した、その瞬間。
彼の、そのパッシブスキルツリーに、新たな、そしてどこまでも頼もしい、六つの星が、その輝きを灯した。
チャンピオン
近接ヒットは50%の確率で堅牢化する
(堅牢化:堅牢化1につき。ヒットから受けるダメージ1%が低下する。堅牢化の最大数は20で持続時間は6秒)
ヒット時に敵を挑発する
(挑発:挑発された敵は、挑発した術者のみを標的にし、それ以外へのダメージが10%低下する)
スキルによる呪い以外のオーラの効果が15%増加する
ヒットによりフルライフ状態の敵を常時威嚇状態にする
(威嚇:威嚇された敵は受けるアタックダメージが10%増加する)
術者により挑発された敵が受けるダメージを10%増加する
その、あまりにも強力で、そしてどこまでもパーティプレイに特化した、守護者の力。
それに、JOKERは、ふっと、その口元を緩ませた。
「…ほう。面白い。これなら、ラスト・ベットの連中も、少しは楽になるだろ」
彼の、そのあまりにも不器用な、しかしどこまでも仲間を思いやる、優しさ。
そして彼は、その高揚感を胸にしまい込み、祭壇の横に現れた帰還用のポータルを、くぐった。
西新宿の、そのタワーマンションへと、帰還した。
彼の体は、極限まで疲弊していた。
だが、その心は、これ以上ないほどの、達成感に満ち溢れていた。
彼は、ベッドへと倒れ込むように、その身を横たえた。
そして彼は、最後に一言だけ、呟いた。
その声は、心の底からの、本音だった。
「――あークソゲーだった。もう二回あるのが、悪夢だ」
彼の、新たな伝説の第二章が、今、静かに幕を閉じた。