ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物 作:パラレル・ゲーマー
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、深い、深い絶望の海に沈んでいた。
ギルド【月詠】が、その絆の力の全てを賭けて挑み、そして砕け散った「4割の壁」。そのあまりにも残酷な現実は、世界のトップランカーたちの心を、完全に折っていた。
もはや、アルトリウスの攻略スレッドに、新たな戦術を議論する熱気はない。ただ、敗北の記録映像を繰り返し再生し、その一挙手一投足を分析する、学者たちの集会所のような、静かで、そしてどこか諦観に満ちた空気が支配していた。
誰もが、理解してしまったのだ。
あれは、人類が、今の段階で踏み入るべき領域ではなかったのだと。
世界の挑戦は、止まった。
その、あまりにも重く、そしてどこまでも静かな沈黙。
それを、嘲笑うかのように。
一人の男が、その舞台へと、ゆっくりと、そしてどこまでも傲慢に、その姿を現した。
◇
その日の午後。
何の前触れもなく、彼の配信は始まった。
そのタイトルは、あまりにもシンプルで、そしてどこまでも、この世界の全てを挑発していた。
【配信タイトル:騎士アルトリウス打倒】
【配信者:JOKER】
【現在の視聴者数:8,541,293人】
画面に映し出されたのは、西新宿のタワーマンションの一室。その漆黒のハイスペックPC、【
彼のモニターには、SeekerNetのアルトリウス攻略スレッドが、大写しにされていた。
「よう、お前ら。見ての通り、今日は散歩だ」
JOKERの声は、どこまでも楽しそうだった。
「この数日間、お前らが寄ってたかって、あの騎士サマにボコボコにされてる祭り、高みの見物をさせてもらったぜ。なかなか、良いショーだった。特に、月詠の連中。あの土壇場でのチームワークは、まあ、褒めてやってもいい」
彼は、そこで一度言葉を切ると、その口元に、全てを見透かしたかのような、獰猛な笑みを浮かべた。
「だがな、お前ら、根本的に、何もかもが間違ってる」
その、あまりにも不遜な一言。
それに、コメント欄が、爆発した。
『きたあああああああ!』
『JOKER様のお説教タイム!』
『待ってました!』
「分析?連携?戦術?くだらねえ。そんなもんはな、格上が、格下を、効率的に蹂躙するための道具だ。お前らが今、挑んでるのは、そういうテーブルじゃねえ。ただの、理不尽な暴力の塊だ。そういう相手に必要なのは、一つしかねえ」
彼は、そう言うと、自らの、何も装備していない拳を、カメラの前に、突き出した。
「――それ以上の、暴力だよ」
その、あまりにもシンプルで、そしてどこまでもJOKERらしい、結論。
それに、コメント欄が、熱狂した。
「というわけで」
彼は、その配信画面を、公式マーケットのページへと切り替えた。
そして、彼は検索窓に、一つの単語を打ち込んだ。
『
彼は、そのリストの一番上にあった、10万という、彼にとっては端金にも等しい価格で出品されていた石板を、何の躊躇もなく、即決で購入した。
「面白そうなクソゲーが始まったじゃねえか。俺も、少しだけ、遊んでやろうじゃねえか」
彼は、その手に入れた「チケット」をインベントリにしまい込むと、その魂を、切り替えた。
戦士でも、ネクロマンサーでもない。
あの、世界の理を破壊した、究極の「矛」。
スマイト徒手空拳ビルドへと。
◇
彼が、そのB級ダンジョンのオベリスクの前に降り立った時。
世界の、全ての時間が、止まったかのような錯覚。
800万を超える視聴者が、固唾を飲んで、その一挙手一投足を見守っていた。
彼は、その視線を、楽しむように感じながら、石板を、オベリスクへと捧げた。
漆黒のポータルが、その口を開ける。
彼は、その闇の中へと、**事前の分析を一切行わず、ただ一人で、**その身を投じた。
神々の坩堝。
その、荒涼とした、しかしどこか神聖な闘技場の中央で。
彼は、ついにその宿敵と、対峙した。
「…ほう。良い面構えじゃねえか」
JOKERは、その圧倒的なプレッシャーを前にして、しかし不敵に笑った。
そして、彼はその神々の領域で、その悪魔のビルドの、本当の力を、世界へと見せつけようとした。
JOKERは、これまでのボス戦と同じように、その圧倒的な火力を持つスマイト徒手空拳ビルドで、正面から蹂躙しようと試みる。
彼は、その空っぽの、しかし神の力を宿した両の拳を、構えた。
そして、彼は叫んだ。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ!」
黄金の雷霆が、嵐のように、吹き荒れる。
スマイトのラッシュ。
その、あまりにも暴力的なまでの、先制攻撃。
だが。
アルトリウスは、その嵐の、その中心で。
ただ、静かに、その大剣を、構えていただけだった。
JOKERの、その神速の拳が、その鎧を捉える、その寸前。
アルトリウスの姿が、掻き消えるように、消えた。
「なっ!?」
JOKERの、その驚愕の声。
それと、彼の背後に、一つの巨大な影が落ちるのは、ほぼ同時だった。
しかし、彼がスマイトを放とうとした、その硬直の隙を、アルトリウスは見逃さない。
JOKERが、その気配に気づき、振り返ろうとした、その時には。
もう、全てが、終わっていた。
**超高速の剣技がJOKERの体に叩き込まれ、**彼の視界の隅、HPバーが、赤い閃光と共に、一瞬で蒸発した。
HPバーが一瞬で消し飛ぶ。
彼の、その鋼鉄のようだったはずの体が、まるで紙切れのように、宙を舞った。
そして、その意識が、完全に白に染まる、その直前。
彼の耳に、聞こえたのは。
アルトリウスの、その空虚な兜の奥から響く、まるで嘲笑うかのような、乾いた風の音だけだった。
彼は、何が起きたか理解できないまま、闘技場の入り口へと強制送還される。
◇
『嘘だろ…』
『今、何が起きた…?』
『一撃…?いや、見えなかった…!』
『JOKERが瞬殺された…』
その、絶望と興奮で爆発するコメント欄。
それを、JOKERは、ただ無言で、見つめていた。
彼は、数秒間、その場から動けなかった。
ただ、自らの、その空っぽになったHPバーと、そしてまだ痺れの残る、その拳を、交互に見つめているだけ。
世界の、800万人の観客が、息を殺して、彼の、次の一言を待っていた。
怒りか。
絶望か。
あるいは、沈黙か。
だが、彼が、その唇から紡ぎ出したのは、そのどれでもなかった。
彼の、そのフードの影に隠れた口元が、ゆっくりと、三日月のように吊り上がっていく。
そして、その喉の奥から、くつくつと、抑えきれない笑い声が、漏れ始めた。
それは、やがて、一つの巨大な、そしてどこまでも楽しそうな、哄笑へと変わった。
「――はっ。ははっ。はは」
その、あまりにも人間的な、そしてどこまでも楽しそうな、入り口に戻されたJOKERの表情は、怒りでも絶望でもなかった。彼は、心の底から楽しそうに、獰猛に笑っていた。
「――はっ。面白い」
その、あまりにも静かな、しかしどこまでも重い一言。
それが、この地獄の、本当の始まりを告げる、ファンファーレとなった。