ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物   作:パラレル・ゲーマー

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第449話

 その日の東京の空気は、穏やかな凪の中にあった。

 世界のトップギルドたちが、ネファレム・リフトという無限の階層を舞台に、日夜熾烈なランキング争いを繰り広げている。その一方で、大多数の探索者たちは、VTuberたちの配信に心を癒され、楽園諸島で手に入れた自らの島を飾り付けることに夢中になっていた。世界は、戦闘狂たちの熱狂と、一般探索者たちの平和な日常という、二つの異なる時間軸の上で、緩やかに、しかし確実に回り続けていた。

 

 そんな、光と影がくっきりと分かれた世界の、その最も深い影の部分。

 新宿の、安アパートの一室。六畳一間の、どこにでもあるありふれた空間。そこに、彼女はいた。

 月ノ宮るり。19歳。

 弱小VTuber事務所『リトル・スターズ』に所属する、ただ一人のタレント。

 彼女のARコンタクトレンズの視界の片隅には、大手事務所『ナロウライブ』のトップアイドル、夢見るなの配信が、小さなワイプで映し出されていた。画面の中のるなは、何百万という視聴者が見守る中、楽園諸島に建てたばかりの、お菓子でできた城で、ペットの白兎と戯れている。そのあまりにも眩しく、そしてどこまでも遠い光景。

 

「…はぁ」

 

 るりの口から、小さな、しかし世界の何よりも重いため息が漏れた。

 彼女の配信の同時接続者数は、今、32人。

 大手事務所の華やかな光が強まれば強まるほど、彼女のような、名もなき星の輝きは、その闇の中に飲み込まれていく。

 だが、彼女は決して、諦めてはいなかった。

 

「…私には、私だけのやり方が、あるんだから」

 

 彼女は、そう呟くと、自らの配信画面へと、その意識を集中させた。

 彼女の、その小さな、しかしどこまでも温かいコミュニティ。

 コメント欄には、見慣れた名前が、いつものように並んでいた。

 

『るりちゃん、元気出して!』

『俺は、るなちゃんより、るりちゃんの配信の方が好きだぞ!』

『そうそう!あの城、金ピカすぎて落ち着かねえよな!』

 

 その、不器用な、しかしどこまでも優しい声援。

 それに、るりの口元が、ふわりと綻んだ。

「ふふっ…。皆さん、ありがとうございます。そうですよね!私には、皆さんがいますもんね!」

 彼女は、そう言うと、今日の配信の、その本題を切り出した。

 それは、彼女の、この停滞しきった現状を打破するための、起死回生の一手。

 あるいは、ただの無謀な、悪あがきだったのかもしれない。

 

「えーっと、ですね。先日、私のファンレターボックスに、一通の、とっても興味深いお便りが届きまして」

 彼女は、ARウィンドウを操作し、一枚のテキストデータを、配信画面に表示させた。

 差出人は、「タロウ・スズキ」。彼女が、まだ視聴者数一桁だった頃から、ずっと応援し続けてくれている、最初のファンだった。

 そこには、こう記されていた。

 

『るりちゃん、こんばんは。いつも、楽しい配信をありがとう。

 ところで、一つ、昔から気になっていることがあるんだ。

 D級ダンジョン【忘れられた下水道】。あそこは、ドロップも不味いし、景色も汚いしで、今や誰も行かない、文字通りの「忘れられた」場所だよね。

 でも、僕は思うんだ。

 神様は、きっと平等だ。

 どんなに汚い場所にも、きっと、誰も知らないお宝が、眠っているんじゃないかって。

 もし、よかったら。

 いつか、るりちゃんに、その謎を解き明かしてほしいな』

 

 その、あまりにもロマンチックで、そしてどこまでも子供っぽい、一通の手紙。

 だが、その言葉は、るりの、その行き場のない情熱に、確かな火を灯した。

 彼女は、カメラの向こうの、32人の仲間たちに、宣言した。

 その声は、震えていた。

 だが、それは不安からではない。

 抑えきれない、武者震いからだった。

 

「――だから、私、決めました!」

「この、タロウ・スズキさんのコメントを、信じてみます!」

高貴(こうき)のオーブが出るまで、私、下水道から出ません!」

 

 その、あまりにも無謀な、そしてどこまでも彼女らしい、耐久配信企画の宣言。

 それに、常連ファンたちは、どよめいた。

 

『無茶だよ、るりちゃん!』

『高貴のオーブなんて、A級でも滅多に出ないんだぞ!?』

『でも、るりちゃんなら…。何か、やってくれるかもしれない…!』

 

 その、心配と、そしてそれ以上に大きな期待が入り混じったコメントの嵐。

 それに、るりは、最高の笑顔で、頷いた。

「はい!行ってきます!」

 彼女は、そう言うと、その小さなアパートの一室から、世界の、最も忘れ去られた場所へと、その最初の一歩を、踏み出した。

 彼女の、新たな伝説の、始まりだった。

 

 ◇

 

 D級ダンジョン【忘れられた下水道】。

 その内部は、噂通り、地獄だった。

 ひんやりとした、湿ったコンクリートの匂い。その中に混じる、どうしようもないほどの、生活排水の悪臭。天井からは、絶えず汚水が滴り落ち、足元には、粘つくヘドロが、不気味な水たまりを作っている。

 そして、その闇の中から、現れるのは、ただ一体。

 巨大な、そしてどこまでも不潔な、ドブネズミの化け物だけ。

 

「…うぅ。やっぱり、臭いますね…」

 るりは、その美しい顔を、わずかに歪ませた。

 だが、彼女は歩みを止めない。

 彼女は、その小さな体で、一体、また一体と、その巨大ネズミを、地道に、そして確実に、狩り続けていく。

 配信開始から、数時間が経過した。

 代わり映えのしない、下水道の風景。

 代わり映えのしない、巨大ネズミとの、単調な戦闘。

 その、あまりにも地味な光景。

 それに、彼女の、その数少ない視聴者たちもまた、少しずつ、その集中力を失い始めていた。

 

『…るりちゃん、頑張れ。俺は、もう眠い…』

『なんか、こう…もっと、派手な展開とか、ないんですかね…』

 

 その、あまりにも正直な、そしてどこまでも退屈そうなコメント。

 それに、るりの心が、ちくりと痛んだ。

(…やっぱり、無謀だったかな…)

 彼女が、そう思いながら、その日、100体目となる巨大ネズミを、その手に持つ初心者用の杖の一撃で、光の粒子へと変えた、まさにその時だった。

 彼女の足元に、ドロップしたのは、いつもの紫色の魔石と、そして汚れたネズミの毛皮だけではなかった。

 その、ガラクタの山の中に、一つだけ。

 これまで誰も見たことのない、一つの異質な「光」が、混じっていたのだ。

 それは、紫色の魔石の光ではない。青白いエッセンスの光でもない。

 まるで、古代の銅貨が、泥の中で、その輝きを失ったかのような、鈍い、しかし確かな、存在感を放つ光だった。

 

「…え?」

 

 るりは、思わず足を止めた。

 その光が収まった時、そこに残されていたのは、一枚の、手のひらサイズのカードだった。

 彼女は、そのカードを、おそるおそる拾い上げた。

 ひんやりとした、滑らかな感触。

 その表面には、泥と汚水で汚れた、ただの古い銅貨のような紋様が描かれている。

 だが、その汚れを、指で拭うと。

 その下から、かつてこの国を治めたという、伝説の皇帝の横顔と、彼が隠したとされる財宝の地図の一部が、微かに、しかし確かに、その姿を現した。

 

「…なんですか、これ…?」

 

 彼女の、その素直な困惑の声。

 それに、眠りかけていたコメント欄が、一斉に、その目を覚ました。

『なんだ!?』

『新種の、カードか!?』

 彼女は、そのARコンタクトレンズの鑑定機能を起動させ、その詳細な情報を、読み上げた。

 その声は、自分でも信じられないほど、震えていた。

 

 カード名:

 皇帝(こうてい)幸運(こううん) (The Emperor's Fortune)

 

 効果テキスト:

 このカードを4枚集め、「交換!」と宣言することで、神話級クラフトアイテム**【高貴のオーブ】を1つ**入手できる。

 

 フレーバーテキスト:

 

 王は、天を衝く塔に富を積み、

 英雄は、竜の巣の奥に宝を見出した。

 人々は、常に上ばかりを見上げ、手の届かぬ輝きに溜息をつく。

 

 だが、賢者は囁く。

「金貨は、いつだって足元に転がっているものさ。誰もが見向きもしない、泥の中…そう、下水道のような場所にね」

 

 さて。

 それを拾い上げる、本当の幸運の持ち主は、誰かな?

 

 静寂。

 数秒間の、絶対的な沈黙。

 そして、その静寂を破ったのは、るり自身の、素っ頓狂な、そしてどこまでも純粋な、絶叫だった。

 

「――ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?」

 

 その一言が、引き金となった。

 スレッドは、爆発した。

 

『は!?』

『高貴のオーブ!?マジかよ!』

『あの、2000万は下らないっていう、神の石が!?』

『嘘だろ!そんなもんが、D級の、ネズミから!?』

 

 その、あまりにも衝撃的な、そしてどこまでも美しい、奇跡の始まり。

 それを、その場にいた、わずか数十人の視聴者が、確かに、その目に焼き付けた。

 彼らは、理解した。

 自分たちが、今、立ち会っているのが、ただの無名なVTuberの、地味な配信などではない。

 一つの、新たな伝説が、産声を上げる、その歴史的な瞬間に、立ち会っているのだと。

 そして、その奇跡の物語は、まだ、その序章を、終えたばかりだった。

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