ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物 作:パラレル・ゲーマー
C級ダンジョン【忘れられた闘技場】。
その血と砂にまみれたアリーナは、もはや神崎隼人 "JOKER" にとって、何の刺激ももたらさない退屈な作業場と化していた。
彼のビルドは、この環境においてあまりにも完成されすぎていた。
【憎悪の残響】が放つ冷気のオーラと【脆弱の呪い】の相乗効果は、C級のエリートモンスターですら、彼の剣の一振りの前に、塵芥のように消し飛んでいく。
彼の配信は、もはや手に汗握る冒険活劇ではない。
それは、絶対的な王者がその支配領域をただ巡回するだけの、圧倒的に安定しきったショー。
そのあまりの安定感は、数万人の視聴者たちに心地よい安心感を与え、彼のチャンネルを不動の人気コンテンツへと押し上げていた。
だが、その安定こそが、彼のギャンブラーとしての魂を、ゆっくりと、しかし確実に蝕んでいた。
(…退屈だ)
その日も彼は、いつものように闘技場の内部通路で思考を停止させながら、ただ機械的に剣を振るっていた。
耳に装着されたワイヤレスイヤホンからは、彼が最近凝っているという70年代のプログレッシブ・ロックが、複雑な変拍子を刻んでいる。
彼は、その難解な音楽理論についてコメント欄の視聴者たちとだらだらと語り合いながら、まるで庭の草むしりでもするかのように、ゴブリン・グラディエーターたちを「処理」していく。
「いや、だからキング・クリムゾンの本当の凄さは、インプロヴィゼーションにあるんだって。楽譜通りに演奏してるように見えて、その実、メンバー全員がギリギリの緊張感の中で、即興のセッションを繰り広げてる。あのスリルが、たまんねえんだよ」
彼のそのあまりにもマニアックな、音楽談義。
それに、コメント欄がいつものように和やかな笑いに包まれる。
『出たw JOKERさんのプログレ講座www』
『もう、完全に趣味の配信じゃねえかw』
『でも、この退屈そうなJOKERさんが一番好きだわw』
そのあまりにも平和で、退屈な時間が永遠に続くかのように思われた、その時だった。
彼が一体のグラディエーターを斬り捨て、ドロップした魔石を拾い上げた、その瞬間。
彼は、ふと足を止めた。
そして、深く、そして重いため息をついた。
「…はぁ」
そのあまりにも分かりやすい、退屈のサイン。
それに、コメント欄がざわついた。
『ん?どうした、JOKERさん?』
『ため息、深すぎだろw』
『さすがに、飽きたか?w』
隼人は、そのコメントに答えるように、ARカメラの向こうの観客たちに語りかけた。
その声は、どこまでも気怠そうだった。
「…ああ、飽きた」
「もうここの景色も、敵の顔も見飽きた。何のスリルもねえ。これじゃ、ただの労働だ」
彼はそう言うと、おもむろにインベントリから一枚の巻物を取り出した。
それは、ダンジョンから瞬時に脱出するための魔法のアイテム…【ポータル・スクロール】。
彼は、それを躊躇なく破り捨てた。
彼の足元に、青白い光の渦巻くゲートが開かれる。
『おお!?』
『ポータル!?帰るのか!?』
『今日の配信は、もう終わりか?』
視聴者たちが、困惑の声を上げる。
だが、隼人はそのゲートをくぐる前に、不敵な笑みを浮かべた。
「安心しろよ、お前ら。ショーは、まだ終わらねえ」
「――ただ、テーブルを変えるだけだ」
その言葉を最後に、彼は光の渦の中へと消えていった。
◇
1時間後。
配信が再開された時、そこに映し出されていたのは、もはや見慣れた闘技場の風景ではなかった。
そこは、天まで届くかのような、巨大な塔の内部だった。
壁も、床も、全てが黒曜石のような滑らかな黒い石で作られ、その表面には、理解不能な幾何学的な紋様が、青白い光を放ちながら明滅している。
空気はひんやりと澄み渡り、どこか神聖で、そして無機質な匂いがした。
C級ダンジョン【監視者の塔】
「よう、お前ら。新しいテーブルだ」
隼人は、その異質な空間の中で、視聴者たちに語りかけた。
「ここは、俺も初めて来る。何が出るかは分からねえ。だが、闘技場よりはマシなスリルが味わえるだろ」
その新たな挑戦に、コメント欄が再び熱狂の渦に包まれた。
彼が塔の内部を慎重に進んでいくと、すぐに最初の敵と遭遇した。
それは、これまでのどのモンスターとも違う、異質な存在だった。
塔の警備システムが生み出したのであろう、純粋な魔力で構成された浮遊する機械の目玉…【センティネル】。
それらは隼人を発見すると、そのレンズ状の瞳から、青白い魔力のビームを放ってくる。
だが、その程度の攻撃は、もはや彼の敵ではない。
彼は、その全てのビームを盾で弾き返し、あるいは華麗なステップで回避しながら、一体、また一体と確実に破壊していく。
その戦いは、闘技場と同じく、彼の一方的な蹂躙で終わった。
「…はっ。なんだ、ここも大したことねえな」
彼は、少しだけがっかりしたように呟いた。
その慢心が生まれた、まさにその時だった。
彼が塔の巨大な螺旋階段を登り切り、一つの広大な円形のホールへとたどり着いた、その瞬間。
ホールの中央に、ぽつんと佇む一つの「影」に気づいた。
それは、人型の影だった。
全身が黒い霧のようなオーラに包まれ、その顔も性別も、窺い知ることはできない。
ただ、そこに「いる」。
その圧倒的な存在感だけが、そこにあった。
そして、その影はこちらに全く反応を示さない。ただ、静かに佇んでいるだけ。
「…なんだ、あれは…?」
隼人は、思わず足を止めた。
モンスターか?
NPCか?
あるいは、ただの背景か?
そのあまりにも不気味で不可解な存在に、彼のギャンブラーとしての直感が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
コメント欄もまた、その異様な光景に、困惑と緊張に包まれていた。
『なんだ、あの黒い人影…』
『ボスか…?でも、HPバーが表示されないぞ…』
『こっちに、気づいてないのか…?』
隼人はその答えを求めて、彼の最も信頼する軍師たちへと問いかけた。
「おい、有識者。あれはなんだ?知ってる奴、いるか?」
その問いかけに即座に反応したのは、やはりあの百戦錬磨のベテランたちだった。
元ギルドマン@戦士一筋:
…来たか、JOKER。
そいつは、この世界の探索者が最も出会いたくない、そして同時に、最も出会いたいと願う、矛盾した存在だ。
ハクスラ廃人:
ああ、間違いない。あれは、「ローグ・エグザイル」だ。
ローグ・エグザイル。
その聞き慣れない単語に、隼人は眉をひそめた。
ベテランシーカ―:
ローグ・エグザイルとは、かつてこの世界に存在した伝説的な探索者たちの魂が、何らかの理由でこの世に縛り付けられ、ダンジョンを彷徨う亡霊となった存在です。
彼らは、もはや生前の意識はありません。ただ、侵入者を排除するためだけの戦闘機械と化しています。
元ギルドマン@戦士一筋:
そして何より厄介なのが、その戦闘スタイルだ。
彼らは、ただのモンスターではない。
俺たちプレイヤーと同じようにスキルを使い、ポーションを飲み、そして何よりも「思考」する。
それぞれが生前のビルドを完全に再現し、極めて人間くさい、そして狡猾な戦術で襲いかかってくる、特殊な敵なんだ。
ハクスラ廃人:
そういうことだ!つまり、これからお前がやるのはPvM(プレイヤー対モンスター)じゃねえ。PvP(プレイヤー対プレイヤー)だ!
だがな、JOKER。そいつらは、ただ強いだけじゃねえ。
倒した時のドロップが、めちゃくちゃ美味いんだよ!
そいつらが、生前使っていた装備やスキルジェムを、そのままドロップすることがあるからな!
ハイリスク・ハイリターン!まさに、お前好みのギャンブルだろ!?
ぜひ、倒そうぜ!俺たちに、最高のショーを見せてくれ!
PvP。
その言葉を聞いた瞬間。
隼人の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
そうだ、これだ。
これこそが、俺が求めていた本当のスリルだ。
モンスターとの戦いには、飽きた。
俺が戦いたいのは、俺と同じ土俵に立つ「人間」だ。
その思考を読み、癖を見抜き、そしてその裏をかく。
それこそが、ギャンブルの醍醐味。
「…良いじゃないか」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに宣言した。
「PvPか。乗るぜ、その勝負」
彼がそう言い放ち、人型の影へと一歩踏み出した、その瞬間だった。
それまで沈黙を保っていた影が、初めて動いた。
その黒い霧が晴れ、中から一人の人間の姿が現れる。
それは、軽装の革鎧に身を包み、その背中には巨大な矢筒を背負った、鋭い目つきの女だった。
そして、その手には、黒く光る強靭なロングボウが握られていた。
ローグ・エグザイルが弓を持った、その瞬間。
彼女は、一切の予備動作なくその弓を天へと向けた。
そして、信じられない速度で矢を番え、放った。
一本ではない。
数十本の矢が、まるで黒い雨のように空を覆い尽くし、隼人の頭上へと降り注いできたのだ。
「――加減しろ、バカ!」
隼人は、思わず悪態を吐いた。
なんだ、この開幕即全画面攻撃は。
あまりにも、理不尽すぎる。
彼は、咄嗟にその場から飛び退き、矢の雨の範囲から全力で脱出する。
ヒュン、ヒュン、ヒュンッ!
彼の頬を、背中を、無数の矢が掠めていく。
その数本が彼の鎧を捉え、HPバーをわずかに削り取った。
なんとか範囲から逃げ切れた、隼人。
彼が息を整える間もなく、ローグ・エグザイルは次なる一手へと移っていた。
彼女は今度は、そのロングボうの弦を、まるで満月のようにギリギリと引き絞り始めた。
その矢の先端に、膨大な魔力が収束していくのが見える。
青白い光が渦を巻き、その一点に凝縮されていく。
スナイプだ。
先ほどの範囲攻撃とは、真逆。
一点突破の、必殺の一撃。
「…なるほどな」
隼人は、その光景を見て全てを理解した。
「今度は、近づかないといけないってことか。上等!」
彼は、地面を蹴った。
一直線に、ローグ・エグザイルへと突撃していく。
彼女は、冷静にその動きを捉え、引き絞っていた矢を放った。
放たれた矢は、もはや矢ではない。
一本の、青白い光の槍。
それが、音速を超える速度で、隼人の心臓を目掛けて飛んでくる。
絶望的な、弾速。
回避は、不可能。
誰もがそう思った、その瞬間。
隼人は、その体をわずかにひねっただけだった。
紙一重。
まさに紙一重で、光の槍は彼の肩を掠め、背後の壁に突き刺さり、大爆発を起こした。
「…正確な狙いだから、楽でいいぜ?」
彼は、嘲笑うかのように言い放った。
そうだ、狙いが正確であればあるほど、その軌道は読みやすい。
ほんの少し、軸をずらすだけで、回避は可能なのだ。
そして、彼はついにローグ・エグザイルの懐へとたどり着いた。
「――チェックメイトだ」
彼は、そのありったけの魔力と魂を込めて、長剣を叩き込んだ。
【必殺技】衝撃波の一撃(ショックウェーブ・ストライク)。
「なっ…!?」
ローグ・エグザイルが、初めて驚愕の声を上げた。
だが、もう遅い。
その脆弱な弓兵の体は、質量の暴力の前に、なすすべもなく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、そして満足げな光の粒子となって消滅した。
静寂が、戻る。
後に残されたのは、おびただしい数のドロップアイテムと、そしてその中心で静かに佇む一人の王者の姿だけだった。
そして、彼は見た。
そのアイテムの山の中に、ひときわ強く、そして神々しい二つの橙色の光が生まれているのを。
ユニークが、二つ。
彼のギャンブラーとしての魂が、歓喜に打ち震えた。
彼は、期待に胸を膨らませながら、その二つの光の元へと歩み寄っていく。
物語は、主人公が新たな強敵とのスリリングな駆け引きを制し、そして最高の報酬をその手にしようとする、その最高の瞬間を描き出して幕を閉じた。