Fate/Nexus 作:月影ノブ彦
彼は何も知らない
「何なんだ……一体?」
直は目の前で起きたことにただただ呆然と立ち尽くしていた。無理もない。床に描かれた魔方陣のようなものから、人間…それも西洋人の女性が出現したのだ。映画やアニメの中などであればともかく、そんなことは起きない筈の現実で、である。驚くなという方が難しい。夢で無ければ、自身の頭がおかしくなったと判断すべき事柄である。
「……………………」
西洋人の女性は真剣な眼差しで、じっと直の顔を見つめている。“我が名はセイバー”と、彼女は先程名乗っていた。それが彼女の名前なのだろうか。よく見ると中世の貴婦人が着るような服の上に甲冑のようなものを身に付けていて、些か軽装ではあるが、女性の騎士という風に見受けられる。
「お前は……誰だ?」
直は尋ねた。
「……それは、私の名では無く、私が一体何者なのか、という意味でしょうか?」
セイバーが尋ね返す。
質問に質問で返されるのは解せなかったが、取り敢えずはこちらの意図を理解してくれたらしい。直はコクリと頷く。
「……なるほど。と、いうことはあなたは意図的に私を呼んだというわけでは無いのですね?」
「……当たり前だ。そうでなければ“お前は誰だ?”なんて聞くわけがないだろ。それよりも、こっちの質問に答えてはくれないのか?」
「……失礼いたしました」
セイバーはそう言うと謝罪の意味を込めて頭を下げた。言葉遣いとは裏腹に尊大そうな感じであったが、こうして素直に自分の非を認めるところを見ると、礼節はしっかりしているみたいである。
「その前に一つ、了承を願いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
「どうも私の頭の中には記憶と情報の欠落が見られます。それ故、あなたの疑問の全てには答えられないかも知れませんが、それでもよろしかったでしょうか?」
「……それが本当かどうかを判断する材料が俺には無いわけだが。都合の悪いことは忘れたで済まされるかも知れないしな」
「こればかりは信じて頂くしかありません。ただ、一人の騎士として、あなたの質問に対して嘘偽り無く答えると誓いましょう」
「誓うだけなら誰だって出来る……まあ、いい。取り敢えず聞くだけ聞くとするよ。全てはそれから判断することにする」
「分かりました。では、私が一体何者なのかということについて、でしたね?私は今回の聖杯戦争においてセイバーのクラスを拝命することになったサーヴァントです」
「……また、知らない単語が出て来たな」
直はうんざりしたように言った。
「聖杯戦争だのサーヴァントだの、一体何なんだそれは?」
「聖杯戦争とは、その名の通り聖杯を求める戦いのこと。そして、サーヴァントとは、マスターと共にその聖杯戦争を戦う者のことです」
「戦うって、どうやって?剣でも振るうのか?」
「はい。それぞれがそれぞれの武器を持ち、最後の一人になるまで戦います」
「冗談で言ったつもりだったんだがな……」
あまりに率直なセイバーの返答に直は目眩がしそうになった。
「……その言い方だと、まるで殺し合いをするみたいじゃないか」
「その表現は間違いではありません」
「……大体、聖杯、聖杯って、一体何なんだ?それは殺し合いまでして手に入れる価値のあるものなのか?」
「ありとあらゆる願いを叶えるもの。それが聖杯です」
「…………ハハッ」
思わず、直は変な笑い声を上げてしまう。セイバーを名乗る彼女の口から出て来るのは、あまりに荒唐無稽なことばかりである。普通であれば一笑に付すような話だろう。
だが、それらを語るセイバーの顔は真剣そのものであった。端的ではあるが、言葉を選び、本当に嘘偽りの無いように言おうとしているのが、彼女のその真っ直ぐな表情から嫌でも伝わってくる。少なくとも彼女の中では今までの言葉は真実なのだろう。
「……それが嘘か本当かは別にして、お前が嘘を言ってはいないのだということは分かったよ」
「そうですか。理解して頂いて助かります」
「普通なら気でも触れているのか?と、言いたいところだが、生憎とお前が現れたところをこの目で見てしまったからな」
百聞は一見にしかず。
直は実際に彼女が魔方陣のような紋様の描かれた床より出現するところを見ている。それが無ければ、世迷い言を宣うキ ガイ女と警察にでも通報していただろう。あの瞬間があったからこそ、彼女の話にはある程度の信憑性が生まれるのだ。
「……そう言えば、お前の質問にはまだ答えてなかったな」
直は思い出したかのように言った。
「“あなたがマスターか?”だったな?だったら、答えはノーだ。何故ならば、俺が俺の意思でお前を呼んだわけじゃないからだ。お前が呼ばれた場面にたまたま俺が出くわした。それが正確な表現だろうな」
「そうですか。ですが、私はあなたがマスターであると確信しています」
「何故だ?」
「その手です。そこに刻まれているのは令呪ではありませんか?」
「何?」
直はセイバーの指差す左手を見る。すると、そこには何やら紋様が刻み込まれていた。
「何時の間に……」
少なくとも、今の今まで左手に痛みや違和感などは無かった。また、書斎に入る前にはこんな紋様など無かったと記憶している。恐らくはセイバーの出現に驚いている間に知らず知らず刻み込まれたのだろう。
「……度々すまないが、これは一体何だ?」
「それは令呪と言います。マスターの証のようなものであると思って頂ければよろしいかと」
「何故、俺にこんなものが?」
「それについては、確かなことは言えません。恐らくは、サーヴァントが呼び出された時点であなたをマスターとするような術式がされていたのでしょう」
「一体、誰がそんな……いや、ここが何処かを考えれば思い当たる節しかないな」
ここは、直の父親の書斎の地下。長年誰も入った形跡の無い状態から推測するならば由布子では決して無いだろう。で、あれば、一人しかいない。
「あの男か……」
直の父親、秋山虹彦は直の幼い記憶の中では何時も書斎に引き篭もり、何かの研究を行っていた。それが何だったのかは当時の直には当然のように理解出来なかったが、今考えれば真っ当な研究ではなく、何処かオカルトじみたことをしていたように思う。
「あの男はいなくなった後でも迷惑を掛けてくるか……」
直は憎々しげに言った。
「この令呪とやらは、差し詰めあの男の置き土産といったところか」
「令呪がある以上、あなたが私のマスターということになります」
「勝手に話を進めるな!俺は納得もしていなければ、そもそもまだ何も理解してはいない」
そう言って直はセイバーに背を向けた。そして、改めてこの地下室内を見回してみる。
広い空間ということ以外は何も無いに等しい部屋である。棚も何も無く、床に描かれている魔方陣とそこから出現したセイバーだけが、ここが外部から隔絶された異空間であるということを表現していた。
「……取り敢えず、上へ戻ろう」
「はい」
セイバーがすぐに返事をしたが、別段直は彼女に言ったわけではなく、独り言のようなものであった。
そのまま二人は無言で書斎への階段を上る。書斎へ出るなり、開かれていた出入り口が音を立てて閉じていった。どうやら誰かが出てから入ると自動で閉まる仕組みのようだ。どうやって動いているのか分からないが、そんなことよりも直には考えることがあった。
(この書斎に、あのセイバーとかいう女が話したようなことに関する何かがあるといいのだが……)
わざわざ書斎に隠し部屋なんてものを作るからには、ここで先程の魔方陣に関する何らかの研究を行っていたという可能性は高い。出て行く時にその類の資料を処分したという可能性もあるが、今はここしか当てはないのだ。セイバーからの情報だけでは、あまりに一方向過ぎるし、それだけを鵜呑みにするのは危険である。もっと多角的に情報を得なければ、正しい判断は下せない。
さしあたって、書斎の中でこのことに関連しそうな資料を探すことから直は始める。生まれた時から住んでいる家ではあるが、この書斎は殆ど初めてのようなものであった。だが、書斎の中を物色している内に、何処か見覚えのあるような既視感を抱き始める。どうも、幼い頃にこの部屋へ入ったような気がするのだ。
(何故だろうか?あの男の部屋になど入る筈も無いのに)
家庭を省みず、ただ自身の研究に没頭し、妻の死にさえ無関心であった虹彦のことを直は物心がついた時から嫌悪していた。憎悪と言ってもいい。その感情はそのまま父親との距離となり、気が付けば虹彦は直の前からいなくなっていた。当然、直の記憶の中に父親との思い出など皆無であった。
だが、それは物心がついてからのことであって、それ以前の乳児期のことを直はよく覚えていない。もしかすると、そのくらいの頃の虹彦は一人の父親として接してくれていたのかも知れない。
(俺は果たしてあの男のことをちゃんと理解していただろうか?)
ふと、直はそんなことを思った。
ただ、それでも虹彦が母親を見殺しにしたこともまた事実である。また、幼くして母親を失った子供に対して無関心のまま姿を消したことも。それを考えると、気まぐれで抱いた父親への感情もフッと消えてしまう。
(今は、あの男のことよりも情報だ)
直は集中し直すと、改めて書棚の一つ一つを確認していく。
一方で、セイバーはただその様子をじっと見守るだけであった。
「……取り敢えずは、こんなところか」
書斎の棚という棚を探して、自身の望む情報の載っていそうな本や資料などを集めると、それはかなりの量となった。
一般的な物理学やら科学やらに紛れて、魔術や心霊などに関する内容のものが多く存在していた。ざっと読んだ限りでは、如何にも胡散臭さしか感じられないようなものから、かなり現実的な視点でそれらについて考察したものなど様々である。
その中で、取り分け直の目を引いたのは虹彦のレポートであった。書きかけで放置されていたものであるが、読むと聖杯という単語が何度か出て来るのだ。それも、先程セイバーが言ったような意味合いで使われているようである。肝心のレポートは結論を出さぬまま途切れていたが、一つ確信出来たことがあった。
(あの男は聖杯を、聖杯戦争を知っていた。それも、大分昔からだ)
虹彦が失踪したのは十年以上前。少なくとも、その頃には聖杯戦争というものが存在し、虹彦はそれを知り得る立場にいた。
(ますますもって、あの男がきな臭く感じられてきたな……一体、奴は何を知っていたんだ?)
直は残りの資料にも目を通す。時刻は間もなく二十時を迎えようとしていた。