Fate/Nexus 作:月影ノブ彦
夕方になり、放課後の生徒たちが帰路に着き始めるこの時間帯は何処か寂しさを感じてしまう。オレンジ色に染まる空がすぐに夜の闇に溶けてしまうからだろうか。二十四時間という時間の中で、この哀愁の時はあまりにも短い。
「ここか……」
直はメモに書かれた住所及び店名と目の前のドアに書かれた文字を見比べながら言った。
喫茶「アクア」。
駅前の古びたビルの二階にある喫茶店である。
昼頃の九宝院瑠璃子との接触。会話の途中で昼休みが終わりそうになったこと。また、学校の門前では落ち着いた話が出来ないということで、直たちは放課後に違う場所で落ち合うということに決めたのであった。その際に彼女から指定されたのが、この喫茶「アクア」である。
直は早速ドアを開けて中へ入った。ドアに付いている鈴がカランカランと鳴る。
「いらっしゃいませ」
すぐにウエイトレスらしき女性がそう言って直たちを出迎える。二十代後半といったところか。きびきびしつつも落ち着いた雰囲気を持つ女性である。
「お席へご案内します。二名様でよろしかったですか?」
「いえ、後で連れが来ます」
「分かりました。では、こちらへどうぞ」
ウエイトレスに案内されて、直とセイバーは店の奥の方へと向かった。見回すと店内も大分年季の入った様子で、あちこちに改修の跡が見られる。それでも残った部分は、まるでひと昔以上前の喫茶店の様であった。あまりこういった場所へ来たことの無い直でさえも何処か懐かしさを感じていた。店内に漂う豆から挽いているコーヒーの香りと大き過ぎない音量の落ち着いたジャズが心地よい。
「ご注文が決まりましたらお呼び下さい。それと、全席禁煙ですのでご了承下さい」
「分かりました」
定型文のような質問。この手の店ではお決まりのやり取りなのだろう。だが、それに煩わしさを感じないのは、彼女の接客の仕方が堂に入っているからだろう。
「さて……」
待ち人が来るにはまだ時間がある。それまでただじっと待つというのも店に迷惑なので、何か注文しておこうと、直は近くのメニューを取った。パラパラとめくって見ていると、これまた喫茶店らしいメニューがずらっと並んでおり、各種コーヒーやその他の飲み物、軽食、デザートの類が並んでいる。そして、そのどれもが学生には気軽に頼めそうもない価格であった。
(……道理で俺以外に学生客がいないわけだ)
駅前には他に安価なチェーン店のコーヒーショップがある。学生連中はそちらへ行っているのだろう。逆に言えば、こんな店を指定してくる辺り、あの少女が他の学生とは違うのだということを伺わせる。いくらこれから他人に聞かせられないようなことを話すとはいえ、他に場所の選択肢はあった筈。その上で、この店を即座に指定したのは、彼女が少なからずここに通い詰めているということであるのだろうから。
直は、メニューの中から一番安価なコーヒーを二つ注文した。特に高いものを頼む理由も無く、腹も減っていないから妥当なところだろう。紅茶という選択肢もあったが、直はコーヒーの方が好きであった。
注文から数分でコーヒーが運ばれてくる。直は熱い内にカップへ口をつける。
「……ん?」
一番安価なものを頼んだ筈だが、存外味も香りもいい。値段に見合った、いや値段以上の味に感じられた。他のチェーン店のコーヒーショップで一番高いものを頼んでもこれと同じレベルの味は出ないだろうということが容易に推測出来る。そのくらいコーヒーそのものの質が違っていた。
「……悪くないな」
直はせっかくなので上質なコーヒーの味を楽しむことにした。
ふと見ると、セイバーも美味しそうな表情を浮かべていた。昨日もぐちゃぐちゃになったコンビニのつけ麺を美味しそうに食べていたが、サーヴァントも人並みに食事はするらしい。こうして見ると普通の人間と何ら変わらないようにさえ見える。
「……私の顔に何かついていますでしょうか?」
直の視線に気付いてセイバーが言う。
「……思い出しただけだ。お前がじろじろ見られても仕方のない存在だってことをな」
直はそう言うと、カップに残った中身をくいっと飲み干した。
そうしている内に約束の時間が訪れる。と、同時に鈴の音が聞こえてきた。誰かが喫茶店のドアを開いたようだ。視線をそちらへ向けると、瑠璃子が如何にも常連といった顔つきで中へ入って来るのが見えた。一人きり。服も昼間の時のままで、どうやら学校から直接こちらへ来たようである。
「!」
瑠璃子は直たちに気が付くと、真っ直ぐに向かって来た。歩き方に心なしか優雅さを感じる。
「……待たせたかしら?」
そう言って、彼女はすぐに直たちの真向かいの席へ座る。
「早速、話を…と、言いたいところだけれど、先に注文をしてもよろしいかしら?」
「……別に構わないが」
「どうも」
瑠璃子はそう言うと、ウエイトレスを呼びつけた。
「いつもの頂戴」
「分かりました」
注文を受けたウエイトレスは、微笑みながらコクリと頷き、去って行った。
彼女たちのやり取りから見るに、瑠璃子はやはりここの常連客らしい。
「……それで、お昼の話の続きなのだけれども」
おしぼりで手を拭きながら瑠璃子が切り出す。
時間を置いたからか、昼の時よりは落ち着きを取り戻しているようで、声も震えてなく堂々とした物言いである。本心はともかく、こちらが彼女にとっての第三者へ見せる表の姿ということなのだろう。
「私の聞き間違いで無ければ、“手を組みたい”。そう言ったように聞こえたのだけれども?」
「ああ。そう言った」
直は即答する。
「何か問題でも?」
「問題も何も……私とあなたは敵同士でなくて?」
「確かにな。でも、最終的に対立することになろうとも、それまで協力し合う。なんて、よくある話だろ?歴史上でも物語の中でもな。個人が個人に立ち向かうよりも戦略の幅が広がるし、ずっと有利になる。そちらにもメリットのある話だと思うがな」
「メリット?」
瑠璃子はせせら笑った。
「戦う前に逃げ出すような臆病者と組むことにどんなメリットがあるのかしら?」
「その臆病者が突然現れたくらいで動揺して、うっかり情報を漏らすような人間もどうかと思うがな」
直がそう切り返すと、瑠璃子は「うっ」と、言葉に詰まり始めた。
「……そ、それはそれとして、いきなり組もうだなんて、そんな話を信じられると思って?しかも、見知らぬ敵の提案なんて」
「……まあ、俺があんたの立場なら信用はしないな。まずは疑ってかかる」
「ほら見なさい!その話は前提からして無理があるのでは無くて?」
瑠璃子は勝ち誇ったように言い切った。すると、間もなくウエイトレスがコーヒーを運んできた。ふと鼻に入る香りが直が頼んだものと一緒であったが、直は何も言わなかった。
瑠璃子はカップを受け取ると、優雅な手つきで口元へ持っていき縁に唇をつける。
「……決裂、ね」
コーヒーの余韻を楽しんだ後に瑠璃子はポツリと言った。
「ま、薄々分かっていたことでしょうけれどもね。こうして、改めて会ってあげたのも、それを言いに来ただけ。これ以上、交渉の余地なんて無いって。その為の時間をわざわざ作ってあげただけでも有り難いと思いなさいな」
「……………………」
「……何か言いたそうな顔ね」
直の表情を見て瑠璃子は言った。
「言いたいことがあるなら言いなさい。それを聞くくらいの時間はあるから」
「……そうか。なら、言わせて貰うが」
直は真正面から瑠璃子のことを見つめる。その視線は先程よりも強くなっていた。
「お前さ……」
「?」
「馬鹿だろ?」
「…………はぁ?」
突然の罵倒に瑠璃子は思わず口からそう漏れ出してしまっていた。
「馬鹿とは一体どういうことかしら?事と次第によっては……」
「その質問が既に馬鹿としか言いようが無いのだが……」
直は瑠璃子の言葉を遮る。
「お前、何で一人なんだ?」
「え?」
「何で一人なんだと聞いている」
「も、もしかして、ランサーのことを言っているのかしら?だったら、置いてきたって言ったじゃない。連れて行けるわけ無いでしょ、あんな……」
「……そうじゃない。何で、“敵の前で一人”なんだ?」
「!?」
直の冷たい視線に、瑠璃子は今更ながら自身が置かれている立場に気が付いた。
目の前には敵のマスターとサーヴァント。
本来ならば、危険なシチュエーションである。
「…………」
「…………」
直は視線をセイバーへ向けた。直後、彼女は無言で立ち上がる。
「ひっ!?」
恐怖に思わず顔が引き攣る瑠璃子。その目は彼女を見下ろすセイバーへと釘付けになっている。
「……………………」
セイバーは何も言わない。
威圧感たっぷりに、ただじっと瑠璃子を見下ろすだけであった。