Fate/Nexus 作:月影ノブ彦
黒崎という男はどうにも掴めない人物であった。
丁寧且つ感情表現たっぷりに説明はしてくれるのだが、そこから本心は見えず、何を考えているのか分からない。情報に嘘は無いのかも知れないが、大事な部分は隠している。そんな印象を直に抱かせた。
「……聖杯。それは、器。ありとあらゆる願いをかなえるものです」
「そんなことは既に聞いたことの繰り返しだ。それを信じろ。とでも言うのか?無茶を言ってくれるな。何でも願いが叶うなんて、今時雑誌裏の怪しい広告ですら言わないぞ」
「しかし、事実なのですから仕方がありません」
「……どの道、証明することなんか出来ないだろ?」
「ええ。物的に証明することは確かに出来ませんねえ」
その点について黒崎はあっさりと認めた。
「しかし、それでも敢えて言わせて頂くのであれば、聖杯はあるのです」
「大体、聖杯って何だ?言葉通りの意味では無さそうだが……」
「聖杯とはあくまで器です。膨大な魔力を有する器。それを聖杯と呼ぶのです」
「また魔力か。魔力って一体何だ?魔力は何でも出来るというのか?馬鹿馬鹿しいにも程がある」
「しかし、その根拠はあなたもその目で既に御覧になっているのではないですか?」
そう言って黒崎は、セイバーの方へ視線を向けた。
「……サーヴァント、か」
魔方陣から現れた、明らかに普通ではない人間。今も、直の後ろで周囲に気を配っている彼女の存在は、聖杯戦争というものが空想の産物では無いことを証明しているようなものであった。そこは、直も認めざるを得ない事実の一つである。
「……しかし、何でも願いを叶えるなんて、やはり信じられない。あまりに都合が良すぎる!」
直はそれでも聖杯の存在、特に何でも願いを叶えるという部分を信じることは出来なかった。
もしも、本当に願いが叶えられるのであれば……。直の脳裏には、由布子の顔が浮かんでいた。現代医療では彼女の謎の病気を治療することは不可能。未来に期待しても希望は薄く、そもそも未来は無いと宣告されてしまった。そんな彼女を救うことが出来るかも知れない。
ファンタジーな事柄に否定的な直にそんな夢を抱かせる程、聖杯は魅力的な存在であった。しかも、それを手にする権利がそれこそ棚からぼた餅の如くもたらされたのだ。御都合主義があまりに過ぎるではないだろうか。
無論、それも全てが事実であるとしたら。という前提ではある。が、打つ手無しであった直にとっては、聖杯の存在は希望以外の何者でもない。だからこそ、必要以上に慎重になる。
「心中お察しいたしますよ。聖杯の存在を信じたい。でも、裏切られるのは怖い。……端的に言えば、そういうことでしょう?」
直の表に出さぬ葛藤を黒崎は察して、そう結論付ける。
それは、半ば図星であった。色々な理由をつけて聖杯の存在を疑っているのは、逆に言えば聖杯が存在して欲しいからとも言える。叶えたい願いがある直にとって、聖杯は降って湧いた奇跡であった。例え、殺し合いという障害が立ちはだかっていても……である。だからこそ、それを経てまで求めた聖杯が実は存在しませんでした。となるのだけは避けたい。もし仮に、そんなことになってしまったら、直の心は深いダメージを負ってしまうだろう。二度と立ち直れぬかも知れないくらいのダメージを……。
「大変御悩みのようで……」
黒崎は言葉を発しなくなった直を見て言った。それさえも最初から織り込み済みといった表情である。
「……でしたら、こういうのはどうでしょうか?」
そう言うと、黒崎は直の肩へ手を置いた。そして、何やら呟く。
「……!?」
次の瞬間、直は意識を失う。そして、糸の切れたマリオネットの如くその場に前のめりで崩れ落ちる。
その場にいる全員がへと視線を集中させた。
「マスター!!」
いの一番に声を上げたのはセイバーであった。そして、すぐに剣を構えるような仕草の後、黒崎へ斬り掛かる動きを取る。
「……慌てないで下さい」
黒崎はそう言って手で彼女を制止する。その表情は何一つ変わらないままであった。直の首筋へ手を置くと、先程と同様に何かを呟く。すると、直の目がカッと見開く。
「…………………カハッ!ゴホッゴホッ!」
直は急激に咳き込むと苦しそうに身を起こそうとした。自身の身に何が起きたのか、まるで理解出来ない。ただ一つ言えるのは、つい数秒前まで自分は死んでいた。失神や昏倒の類では無く命が終わっていて、その実感が全身にある。
「何を……した?」
「私の魔力をあなたの心臓に注ぎ込み、止めさせて頂きました」
「な……に……?」
「これが魔術です」
黒崎はにっこりと笑った。
「疑り深そうなあなたには、ただ披露するよりもこうして実際に体験して頂いた方が理解も早いかと思いまして、失礼ながら魔術を使わせて貰いました」
「……ふざ、けるな」
「ええ。そのお怒りはごもっとも。誠に申し訳ございません」
黒崎は深々と頭を下げる。
「……ですが、これで御理解なされたかと思います。魔術はこうして人の命さえ操ることが可能なのです」
実際にそれを体験した直にとって黒崎が言ったことの説得力は多大であった。直は無意識に自身の心臓の辺りをギュッと掴む。
「……私は正式な意味での魔術師ではありませんが、それでもこのくらいは出来るのです。御理解頂けましたか?」
「……………………」
「御理解頂けたようで何よりです」
再び頭を下げる黒崎。直は勿論だが、セイバーまでもが厳しめの視線を彼に浴びせていた。
「……とは言え、やはり個人の魔力では出来ることにも限界というものがあります。そこで出て来るのが聖杯なのです。先程も申し上げました通り聖杯は個人では所有出来ない程、膨大な魔力を有します。どうです?大抵の願いを叶えても不思議では無いと思いませんか?」
「……………………」
「無論、ここで引き返すのもあなたの自由です。その時は聖杯戦争が終わるまで我が教会があなたの生命の無事を保障いたしましょう。さて、どうします?」
「……なるほどな。欲しがる人間がいるだろうというのは理解出来た」
直は完全に納得こそしてはいなくとも、魔力の可能性については内心で認めつつあった。本職の魔術師では無いと自称する黒崎。そんな彼でもあんなことが出来たのだ。膨大な魔力を持つ聖杯が願いを叶えるというのも信憑性が出て来る。
「……答えは最初から決まっている」
直はそう言うに止めた。確信にまで至らずとも、魔術の存在はその体に刻み込まれている。少なくとも、魔術ならば直の願い……つまりは、由布子の治療が叶うのでは、という希望を抱くことは出来た。それならば、この一見イカれた殺し合いに身を投じる価値もあろうというものだ。
直にとって、自分の命などその程度の価値しか無いのだから。
「……いい眼差しです。その御覚悟、聖杯戦争へ本格的に参加する意思と見なさせて頂きます」
黒崎は大歓迎だと言わんばかりに両手を広げて直を迎え入れた。
全てがこの男の手の平の中にあるような違和感は拭えない。だが、直にはそんなことはどうでも良かった。
目の前に信じるに足る希望がある。それだけが今宵の大きな収穫であった。
(……勝つ。勝って聖杯とやらを手に入れてやる。それが俺の命の使い方だ!)
直はグッと手に力を入れる。その様子をセイバーはただ見守るだけであった。
直とセイバーは瑠璃子と別れ、家路についた。瑠璃子は何やら黒崎へ聞きたいことがあるという。それにまで付き合う義理も無く二人は教会を後にしたのであった。連絡先は既に交換済みなので、何かあれば連絡を取り合うことは可能だろう。
「……………………」
「……………………」
二人は共に無言であった。元々、気軽に何かを話し合うような感じではなかったが、教会へ行ってからは明らかに雰囲気が変わっていた。
特にセイバーは、目の前で主をみすみす殺されるという失態を犯したことが尾を引いているようであった。だが、無理もない。黒崎には敵意も殺気も何も無かったのだ。セイバーでなくとも、彼の行動を予見して防ぐことは難しかったであろう。そのくらいあの黒崎という男は不可思議な存在であった。
「~~~♪」
ふと、二人の耳に誰かの鼻歌が聞こえてきた。見ると、目の前を一人の少女が歩いている。少女はゴシックロリータに身を包み、テディベアを大事そうに抱えていた。人気のあまりないこの道を行くには、あまりに特異な格好をしているように見える。
「……………………」
「~~~♪」
二人とその少女はそのまますれ違い、何事もなく通り過ぎて行った。
少女はそれから少し歩いた後に立ち止まり、振り返らずに呟いた。
「……今潰しちゃったら面白くないよね」
少女はフッと笑うと再び歩き出した。