Fate/Nexus 作:月影ノブ彦
生きるべき者
自分には生きる価値など無い。
秋山直は本気でそう思っていた。
「さよーならー」
「またねー」
「おい知ってるか?」
「えーーーマジで!?」
放課後の緑川高等学校では、あちらこちらで何気ない日常会話が飛び交っていた。
或る者は友人と。
或る者は教師と。
或る者は恋人と。
楽しさを共有する為、寂しさを埋め合う為、知識を得る為、愛を深め合う為……。それぞれがそれぞれの理由でコミュニケーションを取り合っている。
また、中には誰とも繋がらないことを選ぶ者も少なからずいる。秋山直はそういう人間であった。
「…………」
無言のまま開いた本のページへ目を落とし、ただ目的地へと足を動かす。それが、直の放課後であった。何処の部にも属さぬ彼は、友人や恋人も連れず、何時もたった一人で帰路に着く。
放課後がそうなのだから、当然普段の学校生活も一人であった。休み時間は帰宅時と同様に本を読み、昼休みはさっさと食事を終えると図書室へ向かい、やはり本を読んで過ごす。それが彼の変わることの無い日常であった。
別段、直はクラスメイトに嫌われてるわけではない。寧ろ、その端正なルックス故に女子の人気は高い方である。実際に見知らぬ女子から告白されたことも何度かあるくらいであった。だが、彼の方が他人に興味が無かった。当然、交際を受けたことは一度たりとも無く、そもそも告白されたことでさえどうでもいいと断ったことさえ無かった。それでも、未だに人気があるのはそれをギリギリミステリアスであると周りが受け止めているからであろう。
直は、他人に自分を見せたことは無い。少なくとも中学、高校と過ごしてきた中で、他人とまともに会話したことなど数える程であった。だから、クラスメイトや担任が知り得るのは、彼の成績や記録などのデータでしかない。
直は、一言で言えば優秀であった。学問では常にトップ、運動神経も高い方である。ガリ勉と言われることもあるが、彼自身授業についての勉強をしたことはない。教科書は二度三度読めば全て覚えられるし、数学は公式さえ理解すればいくらでも応用がきく。授業の内容に関しては勉強をする必要が無いのだ。コミュニケーションこそ最悪であるが、その他は完璧に近い青少年であった。特に問題を起こすわけでも無いので、サラリーマン気質の教師たちは必要以上に彼に触るような真似はしなかった。緑川高等学校は名高い進学校というわけではないが、人道的に優れた教育をしているわけでもない。言わば、普通の在り来たりな高校である。生徒の自主性を重んじるという逃げ道で扱いにくい彼を放置していたのであった。当の本人はその方が面倒臭く無くていいとその境遇を自ら望んで受け入れていた。
「……直君、ちょっとそこに正座なさい!」
「…………!」
またか、と直は思った。
「……怒られるようなことは特にしていないと思うのだが?」
「ダメよ!ダメダメ!」
何処かで聞いたことのあるフレーズを口にして、秋山由布子は子供のように首をブンブンと横に振った。彼女は直の母親…ではない。直の母親は彼が幼い頃に死んでいる。由布子は、父親の妹…つまり、直にとっては叔母にあたる。快活で裏表の無いさっぱりとした性格の女性…であった。一年前までは。
「そんな学園生活は天が許しても、この私が許しません!!」
「別に、誰に迷惑を掛けているわけでも無いし、そもそもアンタの許しを得る必要が……」
「そういう問題じゃありません!」
由布子はビシッという効果音が聞こえそうな勢いで人差し指を直へ向けた。
「いい?学校というのは、人間関係を……」
「その話は何十回も聞いた。同じ内容を一言一句、間違えずに言える自信があるぞ」
「そんなことに自信を持たない!あと、何十回も言わせない!」
「はいはい」
直はそう流すと、皮を剥き終えたリンゴを四等分に切り始めた。
「興奮すると、また倒れるぞ?それにここは病院なんだから静かにしないといけないんじゃないか?」
「そう思うなら興奮させない!怒鳴らせない!」
「……努力するよ。ほら、リンゴ切ったからアーンしろアーン」
「アーン…」
由布子は言われた通りに口を開け、直の差し出したリンゴを頬張った。
「ん~、甘くて美味しい!」
「…………」
「……ん?何見てるの?」
「……また痩せたのか?」
「あ、分かる?ダイエットに成功したのよ。どーしましょ。これ以上綺麗になったら、直君も私の虜になっちゃうわね。キャー(≧▽≦)」
「…………」
(痩せた、というよりも、痩せ衰えてるじゃないか……)
「……秋山由布子さんは、このままでは長く持たないでしょうね」
主治医が無念そうな顔で直へそう告げる。直も悔しさで唇を強く噛み締めた。
「先生、原因はまだ分からないんですか?」
「……残念ながら。手は尽くしていますが、現状維持さえ厳しいのが正直なところです」
主治医は正直に言った。隠されたり、気休めを言われるよりはマシであるが、それでもその事実は直の心臓を掴むようであった。
「……何処も悪く無いんですよね?」
「ええ。何度調べても脳や内臓に異常は見られません。しかし、何故か彼女の肉体は日々衰弱していく。点滴などで何とか持たしてはいますが、それも限界が近い。最早、手の施しようがありません」
「…………っ」
直は思わず頭を掻き毟る。何故、彼女がこんな目に遭わなければならないのか。
幼い頃に母親が死に、父親は常に仕事で半ば育児放棄状態だった。そんな直を引き取り、今まで育ててくれたのは由布子であった。直を引き取った頃の由布子はまだ二十代半ばで自分の為に時間もお金も使いたい筈であった。それでも、それら全てを捨てて彼女は直を自分の息子のように育ててきてくれた。何と立派なことだろう。直にとって、由布子は恩人であり、母親であった。面と向かって彼女にその思いを打ち明けたことは無いが、心の中では彼女への感謝を忘れたことなどない。
(……何故 、俺のような生きる価値のない人間が生きて、彼女のような人間が死ななければならない!)
直は何時からかそう考えるようになっていた。
「……ねえ」
「……………ん?」
最後のリンゴを喉の奥に入れた由布子が直の顔をじっと見ていた。先程までのおちゃらけた雰囲気の一切無い眼差しである。
「直君がそんな風になったのって、“あのこと”が原因なの?」
「……………」
「もし、そうだったら私だけは直君のこと……」
「関係ないよ」
直は急に立ち上がった。
「……そろそろ面会時間も終わりだし、夕食の準備もしないと。もう帰るよ」
「直君……」
「明日も必ず来るから」
「…………うん」
「クソッ!」
帰宅した直は思わず自室の壁を殴り付けていた。拳の皮がめくれ、血が滲み出す。それでも、壁を殴ることを止められずにいた。
(こうしている間にもあの人は死に近付いていってる)
由布子が倒れたのは一年前だが、それよりも前から兆候のようなものはあった。当人は気のせいだと笑っていたが、直はこうなる予感をその当時から抱いていた。その時から直は健気にも医者になろうと思っていた。そうして、彼女を治療するのが生まれてこの方夢など見たことも無い彼の唯一の願いであった。だが、医者になるには時間もお金も足りなさ過ぎた。もう由布子の命は幾ばくも無いであろう。日に日に痩せ衰える彼女の肉体がそれを告げている。
(俺の命を…あの人にあげられれば……クソッ、そんな非現実的なことを…!)
直は洗面所へ行くと、何度も何度も冷水で顔を洗った。
(落ち着け……落ち着くんだ。取り乱して何が出来る?何も出来なくとも落ち着け)
普段は冷静沈着な彼も、学校帰りに由布子のいる病院へ寄ると、暫くはこうなってしまう。その度に自身の中での彼女の存在の大きさを思い知るのであった。
(……ん?)
少ししてようやく冷静さを取り戻すと、何やら物音のようなものが聞こえた。泥棒か何かだろうか。直の家は父親の生家であり、由布子と最近までは二人で暮らしていた。外観は中々に立派な家なので、盗みに入ろうと考える輩がいてもおかしくはない。
(物音はあの男の書斎からか?)
直は父親の書斎へ踏み入れたことがない。とうとう会いにさえ来なくなってから、直は自分の父親を肉親と思うことは止めた。だから、今まで父親に関するあらゆるものに携わって来なかったのであった。
だが、泥棒が入ったかも知れないのであれば話は別である。最悪、自身の生命に関わってくる。
直は警察に電話をした後、初めて父親の書斎へと足を踏み入れた。中は案外綺麗に片付いていた。
(誰も…いない?)
確かに物音がしたのに、誰の姿も見えない。そこまで広い書斎では無いし、隠れるようなスペースも無い。
書斎の中に入って周囲を見回してみる。父親は几帳面だったのか、棚の本がアルファベット順であったり、あいうえお順になっている。由布子が掃除の時に並べた可能性もあるが、直の知る彼女はこういう並べ方はあまりしない人間であった。
(ん?)
直は、その中で幾つか順番通りになっていない本を見つけた。こうなってくると、そこだけ違うのが気になってくる。直もどちらかと言えば几帳面な性格であった。居てもたってもいられず、本を並べ替える。きっちり、若い順から本を手に取って在るべき場所に差し込んでいくと、最後の一冊を手に取ったところで奥の方にスイッチのようなものを見つけた。スイッチには蓋が付いており、特定の方法で開閉する仕組みになっているようだ。
(何だ、これは?)
当然、そんなものを押そうなどと直は思わない。だが、物音が再び聞こえてきたら話は違う。
(また物音が…。壁の向こうから、か?)
普段の慎重な直であれば、もっと警戒してこれ以上踏み入ることは無かったであろう。
だが、由布子のことや謎のスイッチという特異な状況が直の判断を僅かに狂わす。直は震える指で怪しげなスイッチを押した。
(!?)
すると、本棚が半分に割れ、その先の壁がせり上がり、地下への階段を出現させる。まるで、何処ぞのアドベンチャーゲームのような展開に直は思わず狼狽するが、まるで導かれているかのように地下への階段へ足を進めていた。
直には何故か確信があった。この先に自分が望む何かがある。この時の直はどうしようもない現実を前に何処か狂っていたのかも知れない。
長めの階段を下り終えると、そこは広い部屋になっていた。明かりがない筈なのに明るい。それは地面が光っているからであった。
「魔方……陣?」
怪しげに光を放つ魔方陣。と、その時、光は強さを増し、まるで爆風のような風が吹き抜けた。
「な、何だっ!?」
信じられない現象の最中、直は更に信じられないものを見る。魔方陣から人間が現れたのだ。それは美しい女性であった。
女性は目を開くと、驚きを隠せない直へ向けこう言った。
「……我が名はセイバー。貴方が私のマスターか?」