Fate/Nexus 作:月影ノブ彦
「……あれだけデカイ口叩いておいて、結局逃げんのか?」
馬堀が呆れたように言った。だが、その一方で何処か安心したような表情をしている。サーヴァント同士の戦いという途方の無い緊張感から解き放たれ、流石の彼もホッとしたということなのだろう。
「ハッハッハッー!!知っているかいマスター?逃げるってのは、あらゆる策の中で最善の一手なんだぜぃ」
アーチャーはしてやったりといった表情で言った。器用にロープを操り、次から次へと跳躍していく。
「相手を殺す前提で戦い合ったら、互いに無事じゃあ済まねえ。けど、逃げることに注力すりゃあ、いくら相手がサーヴァントだって……」
その時、背後から微かに馬の嘶きが聞こえた。振り返ると、案の定ライダーが空中を駆けながら追いかけて来ている。
「……流石はライダーの名を冠するだけのことはありやがんな。移動力はパないってわけかい」
「んな、冷静に分析してる場合か?」
「このままじゃ追い付かれちゃう!」
「安心しな、マスターと嬢ちゃん。こういう時の為の罠って奴だ!」
アーチャーがそう言い終わると同時に背後で甲高い馬の嘶きが聞こえた。
見ると、何か虫のようなものがライダーへ大量に纏わり付いている。僅かに見える黄色から、それらが蜂であるということが分かった。
「へっ、さっきの銃弾がただ火薬詰め込んだだけのものだと思ってたかい?一個だけ、キラービーが好むフェロモンを仕込んでおいたのさ!そこに逃げながら仕掛けたこいつを割れば……」
そう言うと、アーチャーはチラッと別の方角へ視線を向けた。そこにあったのは電信柱にくくりつけてあった大きな瓶であった。中には巨大な蜂が何匹も詰められている。
「何だそれ?」
こんなものを何時の間に仕掛け、そして割ったのか、馬堀には見当がつかない。
「おや?マスター、随分と不思議そうな顔をしているじゃないか。差し詰め、さっきの罠を何時どうやって仕掛けたのか不思議でたまらないってところかい?」
「……さあな」
馬堀はアーチャーに見抜かれるのが癪だとばかりに、素っ気なく答えた。
「簡単な話、ここいら一帯だけじゃなく、この街全体、あらゆる所に罠は仕掛けられているのさ」
「!?それこそ、何時の間に、だな」
「ま、準備だけはちゃんとしておきたいタイプなんでね、俺は」
「……今思い出せば、てめえが時々いなくなってたのはこんな下らねえことをする為だったのか」
「ま、その下らないことの積み重ねが大事なんだけどね。さて、こいつであちらさんが死ねばそれで良し。死ななくとも、多少の足止めにでもなりゃこっちのもんだ!」
アーチャーの思惑通りライダーの動きは明らかに鈍っているようであった。
「さあ、今の内に逃げるぜマスター!!」
「でも、たかが蜂だろ?足止めにすらならねえんじゃねえか?」
「あれは俺が育てた特注の蜂、そう易々とは死なねえさ。それに、いくら蜂たちを駆逐する為でも、流石に至近距離であの大砲を爆発させたりはしないだろ。奴は慎重派だからな。今が好機だっつっても、自らダメージを負ってまで深追いする程じゃあない。あんな雑魚は何時でも始末出来ると高を括ってここは退くと思うぜ。奴はそういう奴さ」
何ら根拠の無い発言であるが、相対した者だけが感じる何かがあったのだろう。
実際に、ライダーはそれ以上の追跡をしては来なかった。
「…………な?」
「な?……じゃ、ねえよ馬鹿」
「ま、結果オーライってことで」
まんまと逃げ切ることに成功した馬堀たち。
その一方で、ライダーもまた不敵にニヤリと笑っていた。
「……フッ、それでいい」
(万全でない貴様を潰したところで面白味が無いというものだ。次は互いに得意分野で思い切りやり合おうではないか)
ライダーは先の戦いを労うかのように、軽く嘶く愛馬の首を撫でていた。
「……ライダー!」
「何故追わなかったのです!?」
数分後、二人の少女からの叱咤が飛んでいた。しかし、ライダーは至って平静を崩さない。
「ならば令呪を使い、そう命じれば良かったではないか?さすれば、余とて退かずに追跡していたぞ?」
「……たった一人のサーヴァントにこれ以上令呪の無駄遣いは出来ません」
「無駄遣い。確かに無駄遣いであったな。先を見据えるのであれば、あれは使うべき場面では無かった」
「……ッ!!」
双子の少女たちは同時に険しい表情へ変わった。痛い点を突かれたといったところであろう。
「……そもそも、あなたがアーチャー相手に遊んでいなければ、無駄に令呪を使うことも無かったのでは無いですか?」
「これはあなたの失態でもあるのですよ、ライダー?」
「ほう、そういう考え方も無くは無いな。だが、今は無駄で不毛な責任の擦り付け合いをしている場合でも無いと思われるが如何かな?」
「……それも、そうですね」
渋々、といった感じで、少女たちはそのことを認めたようであった。
「逃げられたものは仕方がありません。今は次のことを考えましょう」
「私もそう思います一葉」
「それが賢明な判断というものだマスター」
ライダーがフッと笑うのを少女たちは苛立ちを隠さぬ顔で見つめていた。
そんな彼女たちの不満を知りつつも、ライダーは反省の色を見せない。寧ろ、何も分からぬ小娘だと言わんばかりに肩を竦めて見せる。
(……やはり、従えるだけの女にこの昂りなど理解出来よう筈も無いか。折角の好敵手、ここで易々と潰してしまうのも面白くないではないか。余は久方ぶりに楽しんでおるのだ。ボトルに詰めたワインが日に日に熟成していくのを待つようにな。アーチャーよ、貴様との決着は今では無い。互いに期が熟すのを待つとしようではないか)
次の瞬間、ライダーは自らその姿を消してみせた。まるで、必要の無い時は現れることもない。とでも主張するかのように。
「ライダー。確かに強いサーヴァントですが、実に癖が強い。果たして、私たちに御しきれるかどうか……」
少女──一葉と呼ばれていた方は難しい表情のまま、つい先程までライダーの立っていた場所を見つめていた。
「……そうですか。ライダーとアーチャーが」
「ええ。ミス・ユリエ。アーチャーが逃げ切り、決着は持ち越しの模様です」
「初戦にしては、地味な立ち上がりになりましたか。まあ、こんなものでしょう」
咽せ返るような埃と錆びた鉄のような臭いが充満する中、そう会話していたのはユリエと黒崎であった。
「私の予想では、ライダーと最初にぶつかるのはランサーだと思っていたのですがね」
「なるほど。マスター同士の性格を考えると、確かにその可能性は高かったかも知れませんね」
「フフ、私の予想の当たり外れなど、どうでも良いのですよ黒崎。大事なことは聖杯戦争が本当の意味で開戦したこと。その一点のみなのです」
「ええ、その通りです。これでもう後戻りは出来ませんね」
「元より後戻りなどするつもりはありませんよ。時は前にしか進まないのですからね」
「そして、遡らぬ時の中で貴女は何れ界壁を越える……」
「その日はそう遠くはありません。それまでは、特等席でこの祭りを見物させて頂きましょうか。お前も一緒にどうですか?」
「御意のままに……」
「……ところで、ようやく“彼”が帰還したそうですね?」
「彼……ああ、“彼”のことですか」
「この戦いの輪に“彼”が加われば、更に面白くなりそうですね」
「ええ。“彼”ならば、我々の予想を遥かに超えて楽しませてくれるでしょうね」
「そうでなくては困ります。その為に“アレ”が“彼”の手に渡るように仕向けたのですから」
「ええ。私もその一部始終に関わっていました故、よく存じていますよ」
「さて、見せて貰いましょうか。“彼”がこの聖杯戦争をどう戦い抜くのか……」
「やれやれ、久々の日本か」
一人の男が空港から出てすぐにくわえタバコに火を点け、そう呟いた。そして、手に持つ一冊の本をパラパラと捲る。
「……さあて、まずはどう動いたものかねえ」
男の目は、ギラついていた。それは、さながら初手から詰めまで見通す棋士のようでもあった。
「……………………」
無言で本を閉じると、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。海外からやって来た風であるのに、男はトランクケースの一つも持っていない。殆ど手ぶらの状態である。まるで、電車に乗って隣駅へ行くかのように飛行機に乗って来たのであった。
「……ま、せいぜい俺を楽しませてくれよな」
男は誰に言うでも無く独りごちると、フーッと煙草の煙を吐いた。紫煙が霧のように男を包む。まるで、これから先の不透明な未来を暗示しているかのように。