Fate/Nexus 作:月影ノブ彦
かつて、日本には久宝院市之助という人物がいた。彼は独学で製糸業を開始すると、それを発展させ、やがて財閥を形成するまでになった。
久宝院財閥は明治から大正にかけて、日本の経済の一部となる。その盛況ぶりに久宝院家の者たちは誰もが永久の繁栄を疑いもしなかった。
しかし、栄枯盛衰は世の常。戦争が始まりそれが激化していくと、久宝院財閥は次第に力と財産を失っていく。そして、戦後の財閥解体がそれに止めを刺した。
独自の路線で成り上がっていった彼は同業者にとって目の上の瘤であった。故に、財閥解体後の財閥解体計画案に彼とその企業の名前は無かったのである。一代で築き上げた莫大な財産はその殆どが国へ持って行かれてしまうと、そのまま久宝院家の名は歴史の影へと消えてしまった。
残された者たちは、僅かに残った財産を基に細々と生き続け、そして現在に至る。
「……………」
久宝院家の末裔、瑠璃子は朝食のトーストを食べ終えると、紅茶の入ったカップに口をつける。一口含んだだけで、茶葉のいい香りが体中に行き渡るかのようであった。
「……爺や」
「ハッ」
「……今日も素晴らしい香りよ。茶葉は何を使って?」
「お嬢様のお好きなダージリンでございます」
「そう」
瑠璃子は再び紅茶を口へ含んだ。
「……茜」
「はい!」
名前を呼ばれたメイドが即座に返事をする。
「何か用でございましょうか?」
「食べ終わった皿はすぐに下げなさい。何度言えば分かるの?」
「あ…。も、申し訳ございません!」
茜は焦ってパンくずのついた皿を手に取った。それを見て、爺やと呼ばれた老人が瑠璃子へ向かって頭を下げる。
「申し訳ございません、瑠璃子お嬢様。私の教育が行き届いておりませんでした」
「本当よ。あなたともあろう人が、新人の教育も出来ないなんて洒落にもならないわよ」
「その通りで」
老人は返す言葉も無いという風に再度頭を下げた。その様子を冷めた瞳で瑠璃子は見つめる。
「……茶番、ね」
瑠璃子は突如吐き捨てるように言った。
「没落貴族の末裔が金持ちごっこしたところで空しさだけね。得られる満足感なんて皆無だわ」
「瑠璃子お嬢様……!」
「爺や。あなたも無理してこんなままごとに付き合わなくても良くってよ?こんな先の無い貧乏娘のお守りに残りの人生を費やすなんて馬鹿馬鹿しいと思わない?」
「そんなことは……」
「茜もよ。若い身空なのだからもっと自分を大事になさい」
「お嬢様……」
二人は寂しそうな表情で瑠璃子を見つめ返す。
「……何よ、その顔は?お父様もお母様ももう死んでるのよ?雇い主もいないのに何時まで私の世話をするつもり?正直、迷惑よ」
「そんなことを仰らないで下さい。……この東雲我聞、ご両親から瑠璃子お嬢様のことを頼まれたからというだけでついているわけではございません。純粋に瑠璃子お嬢様のことを慕っているのです。それは孫の茜も同じです」
「その通りですお嬢様。この茜、お嬢様の身の回りの世話をすることこそ自分の生き甲斐と思ってやっております」
「……勝手になさい!」
瑠璃子はそう言って顔を背けた。
正直なところ、彼女は二人を本気で迷惑だと思ってはいない。寧ろ、幼い頃からずっと一緒だった我聞のことは大事に思っていたし、つい先日メイドとして志願してきた茜にも情があった。
だが、だからこそ、この二人を自分の人生にとことん付き合わせることに抵抗を感じるのである。現状は両親が残した財産で何とか人並みの生活をしているが、それも何れは尽きてしまうだろう。そうなった後の人生は悲惨であるということは嫌でも分かる。少なからず大事な二人を巻き添えにしたくないという思いが彼女の中にはあった。
我聞も茜も無償で自分の世話をしてくれている。何故だかは瑠璃子自身も分かってはいないが、それを甘んじて受け入れられるほど彼女は図太くない。それに、二人の優しさに甘え続けていれば、依存してしまって自立も出来ないだろう。色々な意味で、瑠璃子は二人を自分から離したいと考えていた。
だが、それでもこうして二人は彼女を慕い、忠義心を示してくれるのだ。結果的に、この話は何時も途中で頓挫してしまう。それは、今日も一緒であった。この連鎖は何れ断ち切らねば、と瑠璃子は思う。
「……ところで、お嬢様」
我聞は一枚の手紙を取り出し、さっと話を変えた。
「今朝方、このようなものが届きました」
「手紙?差出人は一体誰かしら?」
「クロサキ…と読めます」
手紙の裏に書かれた筆記体の文字を我聞は指差す。
「クロサキ?お父様やお母様の知り合いにそんな人物がいたかしら?」
「私は聞いたことがありません」
「爺やが知らないなら茜も知る筈が無いわね。捨てておきなさい、そんな不審な手紙」
「内容はお読みにならなくても?」
「……一応、見せなさい」
「はい、お嬢様」
この時、何故瑠璃子は手紙を読もうと思ったのか分からなかった。ただ、急にその手紙を読まねば…という気になったのである。
もしも我聞が確認せずに瑠璃子の言う通り手紙を捨てに行ってたら、その時は彼を制止させていたであろう。
「……………………」
瑠璃子は我聞から手渡された手紙を開封し、中の便箋に書かれた文字に目を通す。差出人の名前と同様に筆記体の英語であったが、イギリス生まれの瑠璃子には簡単に内容を理解することが出来た。どうやら何かへの招待状らしい。
「……聖杯、戦争?」
文中のその単語がやけに彼女の目に付いた。そして、それがもたらす奇跡の内容についても。
「願いが…叶う?」
馬鹿馬鹿しい。と、普段であれば一笑に付していたであろう。
だが、何故かそうならない妙なリアリティーがこの手紙から感じられた。
何故だろうと、彼女は自身の記憶を辿って行く。
「…………あ」
それは、幼い頃の今は亡き祖父との会話の中であった。
「瑠璃子や……」
「なあに、お祖父様?」
「瑠璃子は魔法を信じるかい?」
「魔法?そんなもの、あるわけじゃないじゃない。おかしなお祖父様」
「ハハハハ。普通はそう思うだろうね」
「?」
「でもね、瑠璃子。この世にはあるんだよ。魔法という名の力がね」
「そうなの?」
「魔法はね。力なんだよ。瑠璃子が頑張って逆上がりをしたり、お遊戯をしたり、習い事をしたりするのと根源的には同じなんだよ」
「……よくわかんない」
「今は分からなくてもいい。だが、何れは必ず瑠璃子もそれを知らねばならない時が来る」
「ふーん。……瑠璃子も魔法を使えるようになるの?」
「ハハハハ。それは無理だよ。我が一族には魔術回路が無いからね。でも、魔法は使えずとも魔法のことは知っ ているんだ」
「どうして?」
「魔法を使う人たちと昔からのお友達だからだよ瑠璃子」
「おともだち?」
「そう。だから、色々と知っている。聖杯、聖杯戦争、英霊……」
「……」
「………………………………」
「……?」
「……いや、何でも無いよ。フフ」
「本当におかしなお祖父様」
「そうだね。おかしなお祖父ちゃんだ」
(魔法……確か、お祖父様が昔そのようなことをお話になられた時に、『聖杯戦争』という言葉を聞いた気がするわ)
瑠璃子は我聞の顔を見る。
「……お嬢様?」
「爺や、あなたは聖杯戦争について知っているんじゃなくて?」
「何故、そのようにお思いで?」
「あなた、お祖父様と昔からの知り合いと言っていたじゃない」
「……………………お嬢様」
我聞は大分間を空けてから答えた。
「それをお聞きになられれば、もう二度といつもの暮らしに戻ることが出来ませぬ。それでもよろしいのですか?」
「……訳知りってわけね」
瑠璃子は我聞の顔をじっと睨み付ける。
「この私に隠し事は止めなさい!私への忠義があるのならば、全てを話すのよ!」
「隠しておかねばならぬものというのもございます瑠璃子お嬢様。話せばお嬢様の……」
「いいわよ。どうせ、今のままなら惨めったらしい未来しか無いもの。それが好転するかも知れないのならば、取り敢えず知っておきたいわ」
「……例え惨めでも…命の危険は少ない筈ですが」
我聞は瑠璃子に聞こえぬように小声で呟いた。
「……いいでしょう。私の知る限りのことをお話いたしましょう。そう、久宝院家の真実を」
「……そう」
我聞から話を聞き終えた瑠璃子はあまりに荒唐無稽な内容にどういった表情をすればいいのか分からないでいた。
「我が九宝院家が、魔術協会や聖堂教会とやらのスポンサーだったなんてね。あまりに胡散臭すぎて逆にリアリティーがあるわね」
「リアリティーも何も事実です故」
「で、その元スポンサーの末裔に今回の招待状…偶然では無いわね」
「左様で」
「……………………」
瑠璃子は身震いする。
「瑠璃子お嬢様。もしや怖気づかれましたか?今ならまだ引き返すことも出来ますが……」
「違うわ、爺や。これは武者震いよ」
「!」
何時の間にか瑠璃子の口の端がぐっと持ち上がっていた。
「家系が落ちぶれ、両親も死に、遺産も残り僅か。絶望しかないと思っていた私に訪れた千載一遇のチャンスよ?燃えないわけがないわ」
「お嬢様……」
我聞は瑠璃子のそういう表情を初めて見た。暫く目を瞑るが、やがて決心したかのように再び彼女の顔を見る。
「……いいわ。聖杯戦争とやらに是非参加させて貰おうじゃない。そして勝って願いを叶えさせて貰うわ。その為にも」
瑠璃子は手紙を再び手に取る。
「このクロサキってのに会いに行くわ」