ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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鬼哭啾啾

 ―それから、しばらくして

 

 サンゴはスマホの着信に気づくと、手早くチグサに「ちょっと電話出てくる」とだけ告げて、カラオケボックスの部屋を出る。廊下に出て扉が閉まると同時に、静かに電話に応答した。

 

「……はい、もしもし」

 

 電話口から聞こえてきたのは、よく通る上品な少女の声。けれどその第一声は容赦なかった。

 

『まったく…お昼から依頼主の仕事を放り出して、そんなガラの悪いところでいらっしゃるなんて…』

 

 面倒くさそうに眉をひそめつつ、サンゴは相手の言葉を流すように言い返す。

 電話の向こうのセツカは「ふん」と鼻を鳴らすようにしてから、黙った。

 

「セツカ、ひとつ聞きたいんだけど」

 

「先代の遺品って、どうなったか知ってる?」

 

 その言葉に、セツカの口調が一瞬で真面目なものへと変わった。

 

『眼鏡はあなたが持っていったでしょう? 拳銃は……私が引き取ったはずですわ』

 

 即答に近い返事。だが、その確信の裏にあるのは、わずかな躊躇だった。

 サンゴはさらに一歩踏み込む。

 

「拳銃って……その後どうしたの?」

 

 その問いに、電話越しの沈黙が一拍――二拍――と続く。

 そしてようやく、セツカの震えるような声が漏れた。

 

『そ……そんなこと聞いて……どうしますの……?』

 

 その声には、いつもの尊大な響きはなかった。

 どこか怯え、縋るような、懇願にも似たものだった。

 

 サンゴはその瞬間、何か「触れてはいけない場所」に手を伸ばしてしまったことを直感する。

 だが、それ以上追及することはなかった。静かに、淡々と、ただこう言う。

 

「……セツカが持ってるなら、それでいいや」

 

 そして一方的に、通話を切った。

 

 スマホの画面が暗転する。

 サンゴはしばらく立ち尽くし、扉の向こうで待っているチグサのことを思い出してから、再び歩き出す。

 もうその件について、語ることはなかった。

 

 昼下がりの柔らかい陽射しの下、サンゴは一人、アスファルトの歩道を歩いていた。

 さっきまで一緒にいたチグサとは、笑顔で別れたはずなのに――

 心のどこかに引っかかるものが、ぴたりと貼りついたままだった。

 

「セツカとは長い付き合いだけど、あんなに動揺した彼女を見るのは本当に久しぶりだ…」

 

 ぽつりと零れた言葉が、風に流れていく。

 あの電話のとき、セツカは明らかにおかしかった。

 焦り――怯え――そして、何よりも“言いたくない”という意志があった。

 

「多分…もうセツカの元にはないんだろう。銃が恐ろしくて手放したか、あるいは何かをきっかけに触れられなくなったか。」

 

 だが、それも不自然だ。

 東堂セツカは感情で動く人間ではない。恐れよりも合理性、信仰よりも実利――

 むしろ、あの祖父を敬愛し、その遺志を継ごうとする側の人間だ。

 

「でも、セツカはそんなに脆い人じゃない。あまりオカルトも信用するタイプじゃないし、むしろ先代へのリスペクトが勝るような人だ。」

 

 ならば、彼女が拳銃に触れられなくなった理由は、感情ではない。

 何か理屈のある、“彼女がそうせざるを得なかった”出来事――

 

「となると…残りは――」

 

 サンゴは立ち止まり、街のざわめきの中にぼんやりと意識を沈める。

 

 ――“第三者”か。

 

 あのリボルバーは、祖父が最後まで手放さなかった大切な道具。

 それをセツカが手にし、今は持っていない。

 

 いや、それとも――

 

 サンゴは再び歩き出す。

 足取りは軽くないが、思考は着実に先へ進んでいた。

 

(あの銃がまだこの街のどこかにあるなら――)

(それは、次の“答え”に繋がっているはずだ)

 

 夕暮れの空がビルの狭間に沈みかける中、サンゴは道端に立ち止まり、スマホの画面に目を落とした。

 メールのタイトルは――「まずいことになった」。

 

 添付された写真には、真っ黒に焼け焦げた高級車。

 フロントガラスは砕け、車体は爆発の衝撃で歪んでいる。

 ただの事故ではない。誰が見ても“意図的な”ものだ。

 

「この間の暴力団の兄ちゃんか…文通だけで、会ったこともないのに」

 

 画面をスクロールし、本文を読み進める。

 

 ---------------------------------------

 

 組長がやられた。多分、猪鹿組の仕業。

 俺も狙われてる。

 生きてるうちに、猪鹿組の動きだけでも調べてくれ。

 お前しか頼れない。

 

 ---------------------------------------

 

 サンゴは息を吐くと、スマホをポケットに戻し、ゆっくりと歩き出す。

 帰る予定だった自宅とは逆の道――東側の繁華街へと向かって。

 

「今時、ヤクザなんて辞めればいいのに。しかもメール文体、やたら真面目だし…」

 

 そうぼやくものの、足取りに迷いはない。

 

(猪鹿組――確か本拠は歌舞伎町の外れのビルだったはず。問題は、最近あそこが一度“綺麗になった”って話)

 

 警察の摘発で一度は壊滅状態になったはずの組が、こうして裏で再編されている。

 それが事実なら、“組の再生”を手引いた人間が必ずいる。

 そして、組長暗殺を実行できるほどの刺客を放つとなれば、裏には資金の流れと誰かの意図がある。

 

「面倒な仕事になりそうだな…僕が関わっていい話じゃないって、いつも思うけど」

 

 それでもサンゴは歩く。

 静かに、だが確実に“情報の匂い”を辿って。

 

 彼が目指すのは、歌舞伎町の裏手にある廃ビル――

 かつて猪鹿組が「倉庫」と称していた情報拠点。

 警察も把握しているはずだが、表向きには封鎖されているだけで、今も稼働しているという噂がある。

 

(最悪、今日あたり“誰か”が出入りしてる可能性もある)

 

 目を細めながら、サンゴはビルの屋上を見上げる。

 既にその背には、隠し持った小型ドローンがセットされていた。

 

 夜風が吹く帰り道、サンゴはイヤホンを片耳に挿し、スマホをいじりながら歩いていた。

 画面には開いたままのメッセージアプリが表示されているが、依頼主からの返信はまだない。

 

「返信こないなぁ…まあ、“組長が殺された”なんて事態のあとだし、身を潜めてる可能性もあるか…」

 

 けれど、どこか――ひっかかる。

 朔又組の若頭だった男から受け取った連絡は、いつもの彼からすれば異様なほど焦りと切迫感がにじんでいた。

 それに加えて、高級車が“爆破”されるような手口を使われるには、どう考えても相応の資金とコネが必要なはずだ。

 そのわりに、猪鹿組の裏には何もなかった。

 

「“ガサ入れで真っさらにされてた”ってのもあるかもだけど…」

 ポケットから取り出したチョコバーをかじりながら、サンゴは考える。

「それなら、今の段階であそこを拠点にして動いてるっていう情報が出回ってること自体、おかしい」

 

 つまり――何かが違う。

 誰かが“意図的に猪鹿組を疑わせた”可能性すらある。

 

 夜の住宅街を抜け、自宅の鍵を開けたサンゴは、リュックを放り投げてようやく一息ついた。

 鞄の中には、この数日間の調査記録と監視映像が詰まっている――が、成果はほぼゼロに近かった。

 

「やっぱり猪鹿組は外れかぁ…」

 

 ソファに沈み込みながら、サンゴは目を閉じる。

 ドローンで廃ビルを監視した日。

 張り込みをしながら、ゴミ箱を漁る浮浪者の動きまで見逃さなかった日。

 一度、身元不明のバイク便が夜にビルへ侵入する瞬間を捉えたものの、調べたらただの宅配便の誤配だった。

 

(誰がどう見ても、“外れ”の組だった)

 

 ――だが、腑に落ちない。

 

「“組長がやられた”って割には、どこも動いてないのが変だよな…普通なら、報復でも騒ぎになるはずなのに」

 

 そんな疑念が、じわじわと胸に引っかかっている。

 

「返信もないし、いっそ直接会いに行った方が早いかな」

 

 送ったメールは既読にもならず、暗号アドレス経由の連絡も音沙汰がない。

 

 何か事情があるのだろう――と、サンゴは自分を納得させる。

 

「朔又組、か…」

 

 この組織も元は暴走族崩れで、表向きは潰された小規模組織のはず。

 だが、残党がいくつかのビジネスを裏で繋ぎ直して、今も細々と活動しているという噂はあった。

 拠点は、郊外にある古いビジネスホテルの一角。

 フロントの裏に談話室、そして地下に「仕事場」と称される空間があるらしい。

 

「明日、行ってみるか。…行って何があるかは知らないけど」

 

 部屋の隅に置いていたノートパソコンを開き、事前に集めた「朔又組」の情報を整理しながら、サンゴは呟く。

 

 画面に映る地図を確認しながら、明日の訪問先――「朔又組」がひっそりと身を潜めているビジネスホテルの名前を、画面にマークした。

 

 

 

 

 

 朝の光が差し込む部屋の中。

 サンゴはパソコンの画面を睨みつけながら、眉間に深く皺を寄せた。

 

「やっば……やられた」

 

 ディスプレイには見慣れないプログラムの実行痕跡。ファイルは暗号化され、いくつかは不可解な拡張子へと姿を変えている。

 自身が開発したセキュリティソフトを駆使しても、何かが根本的に喰い込んでいて、駆除がまるで効かない。

 

「こんなの入れた覚えないし、絶対どこかのネットワーク経由で食らったやつだ…

 多分、トロイの木馬。バックドアかも…」

 

 ログを洗いながら、サンゴは手早くバックアップにアクセスし、必要なデータだけをタブレットに移す。

 そして、感染したパソコンの電源を切り、深く息を吐く。

 

「やれやれ……昨日の猪鹿組の様子、あんなにきれいに何も出てこなかったの、もしかして……」

 

 サンゴはソファに沈みながら、脳内で情報をつなぎ合わせる。

 

「……あらかじめ、詮索されるのが分かってて、その痕跡を“空振り”に見せかけたとしたら?」

 

 もし、マルウェアの感染源が朔又組の依頼主からだったとすれば――いや、それ以外にも可能性はある。

 しかし、思い返してみても心当たりが薄い。ログイン履歴もアクセスルートも、今のところ何も指してはいない。

 

「こういうときは…なんだっけ、あれだ…」

 

 手元のタブレットで作業しながら、ふと、先日の情報の授業の光景が脳裏に蘇る。

 教師がスライドを指しながら、どこか鼻にかかった声で言っていた。

 

『“ほうれんそう”。報告・連絡・相談の基本です。社会に出てからも役に立ちますよ~』

 

「ほうれんそう、ね……」

 

 

 

 

 

 

 

 リムジンの中、革張りのシートに背を預けるサンゴは、タブレットの画面を見せながらセツカに説明を終える。

 

「って、ことなんだけど……」

 

 セツカは珍しく真剣な表情で、細い指先で画面をスライドしながら、黙って情報を確認していた。

 そして、一つ息を吐くと、静かに言う。

 

「とりあえず、原因が何か確かめないと。どんなに高性能なセキュリティでも、“使う側”が穴を作っていたら意味がありませんわ」

 

 サンゴは窓の外を見ながら、肩をすくめて言い返す。

 

「変なサーバーは見てないし、変なとこにも繋いでないよ。基本的なプロトコルとアクセス権限も全部確認したし……」

 

「でも、油断していた箇所が“メール”だったら?」

 

 セツカがわずかに目を細め、表情に影を落とす。

 その冷たい声色に、サンゴは少し考えたあとで「ああ……」と呟く。

 

「画像が添付されたメールだ。あの暴力団の兄ちゃんからのやつ。…ただのjpegファイルだけどね。拡張子も普通だったし、表示も問題なかった」

 

「それでも、“中身”に何か仕掛けがあることはありますわ。ファイルフォーマットの脆弱性を突いて、表示と同時にコードを走らせる手口……今の時代、珍しくはないでしょう?」

 

 セツカの目は、まるで鋭利な刃のようにサンゴの甘さを刺していた。

 サンゴは短く頷くと、吐き出すように呟いた。

 

「今受けてる依頼は四個ある。うち三個は、クライアントの個人情報に関わってる。……だから中断するつもりだ。いくら金を積まれてても、リスクの方が大きい」

 

 セツカはゆっくりと姿勢を正し、言葉を選ぶように静かに答えた。

 

「そして、残りの一件が……その“暴力団の一件”、というわけですのね」

 

「うん。クライアントの命がかかってる。そいつは確かにまともな社会の人間じゃない。だけど――助けを求めてるなら、見捨てたくない」

 

 その言葉に、セツカは一瞬だけ口元を柔らかく緩め、すぐに真剣な表情に戻る。

 

「ならば、受けると決めた以上――いざという時の退避経路は必ず確保しておきましょう。私も必要なら動きます。昔のように、“共犯者”として」

 

 サンゴは目を伏せ、懐かしむように小さく微笑む。

 

「ありがとう、セツカ」

 

 車窓の外では、灰色の都会がどこまでも続いていた。

 まるで、まだ見ぬ敵がその中に潜んでいるかのように。

 

 ビジネスホテルの裏口――看板の明かりは消え、無人のフロントには誰の姿もなく、空調すら止まった無機質な静けさが漂っていた。

 サンゴとセツカは互いに無言のまま視線を交わし、足音を殺してロビーを抜け、従業員用の裏通路からエレベーターホールへと向かう。

 

「休業中に見せかけてる…いや、これは“隠してる”のね」

 

 セツカは冷静に呟きながら、古びたサービス用端末に自分の小型デバイスを接続する。端末のセキュリティをいとも容易く突破し、セツカは静かに言った。

 

「地下二階。通常のカードキーでは降りられないようですわ。けれど――」

 

 操作と同時に、エレベーターの表示が“B2”へと変わる。

 

 ガタン――という異様に重い音と共にエレベーターが動き出し、降下を始めると、密閉されたはずの空間にふと異臭が混じった。

 鉄錆のような、湿った空気。鼻を突く金属臭。それは降りるほどに濃くなっていき――

 

「っ…!」

 

 沈黙の中で、サンゴが息を呑んだ。

 明確に“血”の匂いだった。

 

 そして扉が開いた瞬間、それは爆発的にエレベーター内に充満する。

 腐臭と血臭が混ざり合い、地下の空気はまるで死体安置所のような重さを持って二人を包み込んだ。

 

「扉、閉まらない…」

 

 サンゴが操作盤を押すが、エレベーターは反応しない。

 

 セツカは冷静にコードを抜きながら言う。

 

「想定の範囲内ですわ。戻れないなら、前に進むしかありませんもの」

 

 地下二階――廊下の照明はところどころ落ちており、壁には乾いた血が飛び散り、床には薬莢や崩れ落ちた書類、砕けた携帯端末などが散乱していた。

 それらを避けるように、二人は壁に背を合わせて歩き続ける。

 

 やがて扉の一つを開けると、そこには――

 

「っ……!」

 

 部屋一面に広がる、無残な光景。

 黒いスーツの男たち、朔又組の組員たちが、銃創や刃物の痕を残したまま、文字通り“散って”いた。

 

 セツカは一歩踏み込み、床に転がる銃や通信端末をいくつか拾い上げて確認しながら呟いた。

 

「作戦の痕跡はありますけど、これは……明らかに“プロ”の仕事。物音すら残っていない。外部に一切気づかせずに終わらせた痕跡ですわ」

 

「情報が…全部、読まれてたのかも。団員の動きも、僕が嗅ぎ回ってることも。――最初から、全部“見せ物”だったのかもしれない」

 

 どこか遠くを見つめるような目で呟いたサンゴの声は、普段の落ち着いた口調とは違い、かすかに震えていた。

 

 目の前の無惨な現場の中で、二人の足音だけが、静寂に重く響き続けた。

 

 廃墟のように静まり返った地下の通路を、サンゴとセツカは身を低くして進んでいた。

 壁には血の跡が残り、天井からは時折、破損した配線が火花を散らす音だけが聞こえる。

 

 奥の部屋の扉を慎重に開けると、そこには――息をしている男が一人、血に塗れた床の中で倒れていた。

 スーツ姿のその男は、肩に銃創を受けており、意識はないがまだ息があった。

 

「どうする? 警察に通報する?」

 サンゴは低い声で問う。

 

 セツカは周囲を見渡し、足音や反応がないことを確認すると小さく頷いた。

「でも、場所が場所ですわ。外部と通信する前に、せめて何か情報を得られれば…」

 

 その瞬間――

 

「ッ!」

 

 男の目が急に開いた。

 

 そして、視線がサンゴの制服――世怜音女学院の紋章に落ちた瞬間、表情が恐怖に染まり、彼は咄嗟に懐から銃を抜いた。

 

「やめ――!」

 

 サンゴの声も届かぬうちに、銃声が立て続けに響き渡る。

 弾丸は壁に、床に、サンゴのすぐ傍に無差別に撃ち込まれ――

 

「サンゴ!!」

 

 セツカがサンゴの肩を掴んで身体を引き、脇道へと強引に飛び込む。

 その直後、セツカの足元に火花が散り、彼女の右脚が軽く跳ねた。

 

「……ッ!」

 

 呻き声を押し殺しながら、セツカはサンゴの手を強く握った。

 

「セツカ、大丈夫!?」

 

「ええ……少し擦った…だけ…です…わ」

 

 顔をしかめながら、セツカは返す。が、その額には汗が滲み、足をかばう様子から痛みは明らかだった。

 

 背後では銃を構えたままの男の声とも言えない叫び声が響く。

 

(やっぱり……)

 

「猪鹿組じゃない……。違う、やつらにはこの規模の襲撃はできなかった」

「朔又組を潰すだけの力、情報、迷いのなさ――全部備えてるのは……」

 

 視線の先には、自らが身を置く学園の紋章――

 世怜音女学院。特にその中枢にいる、政府直属のエージェントとして動く“東校舎”の生徒たち。

 

「僕たちの制服を見て、あの人は撃った……」

 

 その意味を、サンゴは痛いほどに理解していた。

 

(パソコンに仕込まれたマルウェアも、組長の暗殺も――全部、“世怜音女学院”の仕業だったんだ)

 

 足音と銃声の残響の中で、サンゴは深く息を吐きながら、暗い廊下を見つめる。

 

 廃墟のように静まり返った空間に、乾いた一発の銃声が響いた。

 

 直後、どこかで倒れる鈍い音。生き残っていた組員の命が、無残にも絶たれたのだと、耳だけで理解できた。

 

 サンゴがハッと顔を上げると――目の前に立っていたのは、制服に身を包んだ一人の少女だった。

 琥珀色の髪を風に揺らし、深海のように冷たい眼差しをたたえたその少女。

 そして、手には年季の入った、藍の光を帯びたリボルバー。

 

「え、あっ……その、これは……なんというか……!」

 普段は冷静なサンゴも、珍しくしどろもどろになっていた。

 

「まさか、東校舎の人間がマークしてた暴力団とは知らなくて……!ちゃんと環崎さんには謝るから…」

 

 懸命に状況の収拾を図るような声。それを遮るように、サンゴの視線がコハクの手元に釘付けになる。

 

(それ……あの藍色のリボルバー、まさか……)

 

「それ――」と、言いかけたその時。

 

 

 

 

 

 

「コハちゃん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 突如、悲鳴に近い声がその場に響いた。

 コハクの表情が揺らぐ。蒼い瞳がわずかに見開かれる。

 

「……姉さん?」

 

 そう呟いた彼女の前に、足を引きずるようにして現れたのはセツカだった。

 右足を痛めながらも、彼女は一直線にコハクへと向かっていく。

 

「これ、全部コハちゃんがやったの!?」

「悪いことをしていたとしても、一人一人に人生があって、大切に思う家族もいるのよ…!!」

 

 泣きながらコハクの両肩を掴み、必死に訴えかけるセツカ。

 その姿は、いつもの冷静沈着な“お嬢様”とはまるで別人だった。

 

 サンゴは、セツカとコハクを見比べながら、言葉も出せずに立ち尽くす。

 

(東堂コハクは……セツカの妹だったんだ)

 

 だが、同時に疑問が脳裏をかすめる。

 

(でも、どうして? セツカは立派な家庭の令嬢だったはず。なのに、どうして妹が、東校舎――孤児だけが集められる“訓練機関”に?)

 

 その疑問を抱いた次の瞬間、コハクは肩を振り払うようにセツカを突き放し、その場から走り去っていった。

 その背中を、セツカは呆然と見送ることしかできなかった。

 

「コハちゃんが……人様に、鉄砲向けるなんて……」

 

「虫も怖がるような、おとなしい子だったのに……」

 

 項垂れたまま、セツカは涙ながらに呟いた。

 その声は、空虚な地下の空間に、じわじわと染み入るように響いた。

 

 東堂コハク、先代の遺品である藍色のリボルバー、そして――セツカの涙。

 すべてが一本の糸でつながり始めていた。

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