ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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ヒメユリの心臓
不撓不屈


 午後の柔らかな陽が窓から差し込む西校舎・高校二年の教室。チグサはいつものように元気よく、友人たちと談笑していた。そんな中、一人の同級生の友人が何気なく話題を切り出す。

 

 「ねぇチグサ、聞いた?来年から部活と同好会、だいぶ数が絞られるかもしれないんだって」

 

 「えっ!?うそでしょ!?なんで!?」

 

 思わず声を上げるチグサに、友人はやや声を落として説明を始めた。

 

 「なんかさ、うちの校舎って東校舎もあるじゃん?で、校長は一人しかいないんだけど、副校長は東と西にそれぞれ一人ずついるらしくてさ」

 

 「でね、その校長と両方の副校長が話し合う“会議”みたいなのがあって……どうも、その会議で“部活や同好会の出費が多すぎる”って指摘があったらしいんだよね」

 

 「ええー……そんなの、西は西でちゃんとやってるのに!」

 

 チグサの反応にも構わず、友人は続けた。

 

 「どうしても、東校舎って“福祉的な取り組み”?みたいなのもやってるっぽくてさ。そっちはそっちで予算も厳しいみたいなのよ。だから西もある程度、見直しの対象になってるって」

 

 「うわあ……それ、なんか理不尽じゃない?」

 

 「まあね……あ、そうそう。ライバー研究会も、Eスポーツ同好会とかと統合されるかもって話だよ」

 

 「えっ!?じゃあ……演劇同好会も!?」

 

 チグサが食い気味に聞くと、友人は少し驚いた様子で、呆れ気味に返した。

 

 「えっ……それ、まだやってたの?朝日南先輩もこないだ卒業したでしょ?もう、やめときなよ……チグサ一人で続ける意味、あるの?」

 

 その言葉に、チグサはしばし言葉を失った。教室の喧騒の中で、その声だけが小さく心に残る。教室の喧騒の中、友人はさらに突っ込んで尋ねてきた。

 

「てかさ、そもそも演劇同好会って……チグサ一人でやってるんじゃないの?部費とかも出てないし、教室も使ってないでしょ?だったら先生がどうとか関係なくない?」

 

その問いに、チグサは少し目を逸らしながら小さく答える。

 

「……昔、朝日南先輩がいろいろなんとかしてくれて……台本代とかもらったり、書庫も残してもらったりしてるんだよね」

 

けれど、その思いを込めた言葉に、友人は即答した。

 

「……それはもう、諦めな」

 

それだけ言うと、友人は軽く息をつき、無言で席を立っていった。

 

 残されたチグサは、自分のノートに視線を落としながら、しばらく動けなかった。机の上には、読みかけの台本が静かに置かれていた。

 

 

 チグサは、がらんとした教室の中で一人――机に突っ伏しながら、ぽつりとつぶやく。

 

 「……結構頑張ったけど、もう無理かもなぁ……」

 

 その声は、誰に聞かせるでもなく、ただ自分自身への呟きだった。

 

 視線の先、机の隅には読みかけの台本。

 

 そこに書かれた手書きの文字をじっと見つめながら、思考は自然と過去へと流れていく。

 

 ――あの日、あの春。努力して入った名門、世怜音女学院の高等部。

 

 目指していた演劇部は、すでに無くなっていた。

 

 諦めきれず、その痕跡を追い求める中で出会ったのが、朝日南アカネ先輩だった。

 

 中学1年で演劇部に入部したものの、当時の優秀な先輩たちの卒業や部の統廃合の煽りを受けて、入ってすぐに部が消えてしまい――

 

 朝日南先輩は、夢を諦めていた。

 

 それでも、チグサの熱意に応じてくれた。二人で書庫を整理して、台本を集めて、顧問を探して、同好会として細々と活動を続けてきた。

 

 ――けれど、朝日南先輩は昨年卒業し、協力的だった先生も、去年退職した。

 

 そして今――

 

 「……一応、朝日南先輩に伝えておこうかな……」

 

 スマホを手に取って、ホーム画面に映る「アカネ先輩」の名前を見つめる。

 

 「……鈴鹿先生もいないし……もう、そろそろ限界かもなぁ……」

 

 送信ボタンに指を伸ばしかけて――

 

 「……いや!」

 

 突如として机に突っ伏していたチグサが顔を上げ、ぐっと歯を食いしばる。

 

 「今の演劇同好会は、私だけじゃないもんね!」

 

 その声に、自分を勢いづけるようにチグサは椅子から飛び上がり、教室の扉を勢いよく開けて廊下に飛び出していく。

 

 放課後の廊下は、帰宅する生徒や部活動に向かう生徒たちで賑わっていた。誰かがラケットを担ぎ、誰かが楽器ケースを持ち、様々な夢や日常が交錯していく。

 

 その中の一人がチグサに声をかける。

 

 「チグサ!今日、一緒にカラオケ行かない?」

 

 ふいに振り向き、少し戸惑う素振りを見せたチグサだったが、すぐに笑顔を作る。

 

 「あっ、ごめん!ちょっと用事思い出してさ!」

 

 そう言って、足早にその場を離れた。高校棟の階段を一気に駆け下り、道を挟んで少し離れた中学棟へと向かう。

 

 階段を駆け上がり、静かな図書室の扉を開ける。しん……とした空間の中、目を凝らして探す。

 

 けれど――サンゴの姿はなかった。

 

 落胆しながら、スマホを取り出してメッセージを打ち込む。

 

 《ンゴ、いる?ちょっと相談したいことがあって……》

 

 すぐに返ってきたのは、短い文だった。

 

 《今日は仕事があるから、また今度にして》

 

 それを読んだチグサは、すぐさま返信を打ち込む。

 

 《待てない!緊急事態だから、合流して私にもンゴの仕事手伝わせて!》

 

 返事を待つ間もなく、落ち着かない様子で図書室を飛び出す。

 

 校舎の外へ、校門を抜け――彼女の足はそのまま駅へと向かって駆け出していく。

 

 西校舎の校門を勢いよく飛び出したチグサは、制服の裾を押さえながら、夕暮れに染まる街へと駆け出した。

 

 蝉の声が遠くなり、代わりに木々のざわめきと車の走行音が混じる、夏の終わりのような空気。校門前から続く石畳の歩道には、部活動を終えた生徒たちがちらほらと歩いていた。

 

 手に部活バッグを持つソフトボール部の生徒や、トロンボーンケースを背負った吹奏楽部の少女たち。誰もが日常の中にいて、そこをすり抜けるようにチグサは走る。

 

 並木道の木漏れ日が、足元のアスファルトにリズムを刻む。街路樹の合間からは、オレンジ色の西日が漏れ、風に揺れる葉の影が校舎の壁に揺れていた。

 

 やがて、見えてくるのは横断歩道。信号機の赤い人影が静かに光っている。

 

 「っ、まだ赤か……!」

 

 息を整える暇もなく、信号が青に変わる瞬間を見計らって――

 

 「よしっ!」

 

 青の人影が点灯するなり、チグサは再び駆け出した。夕方の光を背に、白線を滑るように駆け抜け、駅前のロータリーへとたどり着く。

 

 改札へと向かう途中、駅前のパン屋からは焼きたての香ばしい匂いが漂い、学生たちの笑い声とともに「バンドの練習どうだったー?」という声が耳をかすめた。

 

 チグサは構わず階段を駆け上がり、駅のホームへと飛び乗る。乗り込んだ電車の中では、ドアが閉まる瞬間に息をついた。

 

 電車の窓から見えるのは、都市の雑踏と住宅街の間を縫うように走る風景。夕焼けが徐々に深まり、空は紫と橙に染まってゆく。乗り換え駅で急ぎ足にホームを移動しながらも、「間に合え…!」と心で呟くチグサの足取りは止まらなかった。

 

 そして数回の乗り換えを経て――

 

 「定期区間内だから実質タダみたいなもんだしな!」

 

 列浜駅に到着。

 

 慣れた足取りで改札を抜け、ホームから外へと出たチグサ。駅前には、海風の匂いがふわりと漂っていた。

 

 そしてそのすぐそば、背を向けるように立っていたサンゴが、振り向きもせずに小さく声を発した。

 

 「海の近くの旧繁華街に行くから。あと2分でバス出るから早くして。」

 

 「あっ、うん!」

 

 言われるがまま、チグサは再び走り出す。駅前のバスロータリーを横目に、夕日に向かって、二人の少女の影が伸びていく。

 

 バスの車内は、夕方の陽が差し込み、微かなオレンジ色に染まっていた。ゆったりと揺れる座席に、チグサとサンゴは隣り合って座っていたが、会話らしい会話はなかった。

 

 車内の乗客も徐々に減ってきて、車窓に映る景色も高層住宅から工場地帯、そして徐々に寂れた建物が目立つようになっていく。

 

 チグサはなんとなく外の景色を眺めながら、「終点まで行くんだろうな」と当たり前のように思っていた。

 

 ――しかし、車内に響く「次は…大手工場跡地…」のアナウンス。その直後、無機質な「ピンポーン」という音とともに、停車ボタンのランプが点灯した。

 

 「えっ…ちょっとダメだよ!もう小学生じゃないんだから、降りない駅でブザー鳴らしたら!」

 

 チグサが慌てて口を出すと、サンゴは少し呆れたように振り返り、

 

 「もしかして、本当に最寄りのバス停で降りると思ってたの?」

 

 と、眉を少し下げた困り顔で言い残し、バスが停車するとすぐに立ち上がって降りていった。

 

 「えっ、えっ……ま、待って!」

 

 チグサは一瞬混乱したが、ドアが閉まる音に背を押されるように慌てて立ち上がり、追うようにバスを飛び降りる。

 

 バスが走り去ると、静寂が支配する。あたりにはほとんど人影もなく、夕焼けの中に巨大な工場跡の鉄骨が黒いシルエットを浮かび上がらせていた。

 

 サンゴは慣れた足取りで舗装の悪い歩道を進んでいく。チグサは慌ててその後を追い、やがて道は草むらへとつながっていった。

 

 ざくっ、ざくっという音を立てて草を踏みながら、やがて二人の視界の先には――

 

 時が止まったような景色が広がる。錆びついたシャッターの降りた商店、今にも崩れそうな木造の店舗、営業しているのか分からない、薄暗いガラス窓に商品らしき影を残すだけの建物。

 

 旧繁華街――そこは、過去に置き去りにされたような、忘れられた街だった。

 

 陽が傾きかけた時間帯、長く伸びた影が無人のアーケードの床に落ち、風が吹けばどこかのトタンがかすかに鳴った。廃墟と化した店舗の看板は文字が剥がれ、色褪せたポスターが窓の内側でめくれ上がったまま、止まっている。

 

 サンゴは周囲の風景にさして興味を示すこともなく、チグサの方をちらりと見て一言、「で、話って何?」と問いかける。

 

 チグサは必死にその背に追いつこうと足を速めながら、ようやく目的を思い出したように声を上げた。

 

 「そう!演劇同好会、潰されちゃうかもしれないんだよ!」

 

 サンゴはそれに反応するでもなく、前を向いたまま無言で歩き続けた。

 

 「東校舎と西校舎の教頭がなんか話し合って…その…

 

 その言葉が終わる頃、サンゴの足が止まる。

 

 西校舎の部活にたくさん使われてるお金が無くなっちゃうかもしれないって!」

 

 それは、かつて駄菓子屋か何かだったような、今ではシャッターすら半開きになった無人の商店の前だった。色の褪せた看板の下、埃をかぶりながらも未だ稼働しているらしい自動販売機がひとつ、音もなく佇んでいた。

 

 その自販機は年季の入った銀色の筐体で、上部にはかろうじて「清涼飲料」と書かれている。中には見慣れないブランドの缶ジュースや、瓶入りのコーラなどが並んでいた。

 

 サンゴはポケットから静かに100円玉を取り出すと、機械の投入口に滑らせるように入れた。金属音が内部で鳴り、手を伸ばしてボタンを押すと、瓶入りのコーラが「ゴトン」と音を立てて落ちてきた。

 

 サンゴはその瓶を拾い上げ、隣に備え付けられていた栓抜きで瓶の栓を「キン」という乾いた音と共に開ける。

 

 しゅわ、と瓶口から炭酸が弾ける音がした。

 

 口をつけ、無言で一口飲む。

 

 一瞬、薄く目を細めたサンゴはそのままチグサに背を向けて、「帰るよ」とだけ告げて歩き出した。

 

 「え…列浜まで、わざわざコーラ買いに来たの!?」

 

 チグサが驚いた声を上げるが、サンゴは瓶を軽く振りながら、「…ちょっと黙ってて」と小さく返す。

 

 瓶の中で泡立つコーラの音と、二人の靴音だけが、寂れた通りに響いていた。その背中を追って、チグサも無言で歩き出す。

 

 「今度は旧繁華街前から帰るよ」そう言ったサンゴの声だけが、夕暮れの通りに消えていった。

 

 夕暮れの色が濃くなり始めた頃、チグサとサンゴは旧繁華街前のバス停に並んで立っていた。

 

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