ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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手練手管

 休日の昼下がり。駅併設のカフェの中は、柔らかな音楽とコーヒーの香りに包まれていた。窓から射す光が大きなテーブルに広がり、天井の高い開放的な作りがどこかのんびりとした空気を生んでいる。

 

 その一角のテーブル席に、私服姿のチグサが座っていた。白いブラウスに淡い色のカーディガンを羽織り、スカートをふわりと揺らしながら足を組む。

 

 テーブルの上には、温かい湯気を立てるカフェオレ。

 

 「まだ来ないかぁ……」

 

 軽く息をつき、スマホを開くとゲームの画面を指でタップし始める。時々、画面に夢中になって小さく笑ったり、眉をひそめたりしながら時間を潰していた。

 

 そして、ふとドアが開く音がして顔を上げると、店の入り口から制服姿のヒスイが入ってくるのが見えた。東校舎指定の端正な制服に、リボンもきちんと結び、髪も乱れなく整えている。

 

 そのままカウンターに向かう姿はどこか無駄がなく、背筋もピンと伸びていた。

 

 (え……制服……?)

 

 チグサは目を丸くする。自分は張り切って私服を選んできたのに、まさかの制服姿で現れたことに拍子抜けした。

 

 だが、席が少し離れているため、声をかけるタイミングを逃し、そのままじっと様子を観察することにした。

 

 ヒスイはカウンター越しに、真顔のまま店員に丁寧に頭を下げて注文をしている。

 

「すみません、ホットティーをください。レモンは別でいただけますか?」

 

敬語を崩さず、受け答えも静かで的確。注文を受け取る時も、わざわざ「ありがとうございます」と視線を合わせて軽く一礼する。

 

 店員も少し緊張したように笑顔で返事をしていた。その一部始終を見ていたチグサは、スマホを机に置き、口をわずかに開けたままぽかんとした。

 

 (なんか……ここまで来ると、中学生じゃないみたいだな……)

 

 思わず小さく引き気味に、だけど目を離せずに見守るチグサ。ゲームの通知音が小さく鳴っても、指はもう動かず、カフェオレの湯気だけがふわりと揺れる。

 

 チグサはスマホをそっとテーブルに置き、カフェオレのカップを両手で包み込みながら、ヒスイの制服姿を真正面から見据えた。そして、素直な疑問を口にする。

 

 「……なんでンゴの家行くのに制服なの…?」

 

 ヒスイはホットティーを受け取って座ると、当たり前のように淡々と答えた。

 

 「うちら、私服とか持ってないからね。」

 

 その即答に、チグサは一瞬きょとんとした後、眉をひそめて身を乗り出す。

 

 「……本気で言ってるの?」

 

 信じられない、と言わんばかりの声色。しかしヒスイは特に気にした様子もなく、視線を少しだけ逸らしながら、説明を始めた。

 

 「東校舎の生徒って、そもそも学外に出ることほとんどないんだよ。私服を着る機会もないし、外出するにも先生に許可取らないといけない。」

 

 そのあまりに管理された生活を淡々と口にするヒスイの様子に、チグサは顔を青ざめさせる。

 

 「ひぃぃ……」

 

 カフェオレのカップを両手で持ったまま、震えるように小さく声を漏らした。

 

 東校舎、やっぱり恐ろしい。

 

 そんなことを頭の中でつぶやきながらも、視線を落としてコーヒーをぐっと飲み干す。

 

 あんな大人びた顔してカフェで注文とか、西校舎の生徒だったら絶対無理だし。

 

 その悶々とした様子を見たヒスイは、首を傾げて少し眉を寄せる。

 

 「……何?」

 

 小さく真顔で問いかけられ、チグサは反射的に首を横に振った。

 

 気まずい沈黙が一瞬流れる。だが、その空気を破るように、カフェのドアベルが鳴った。

 

 ガラガラ、と軽い音を立てて扉が開くと、私服姿の少女が入ってきた。

 

 西校舎の生徒、周央サンゴ。

 

 きれいに整えたシャツにシンプルなスカート。眼鏡の奥の目は涼しげで、店内を一瞥してからカウンターへ向かう。

 

 そして、店員に向かって落ち着いた声で、ヒスイと同じように丁寧に注文をする。

 

 「ホットのミルクティーをお願いします。お砂糖は別でいただけますか。」

 

 その様子はヒスイ同様、完全に「大人」そのものだった。

 

 それを席から目撃したチグサは、飲み干したカップを持ったまま絶句。目を大きく見開き、声すら出せずに固まってしまう。

 

 閑話休題。

 

 合流した後、カフェを出ると、初夏の太陽が容赦なく照りつけていた。空は真っ青で、街路樹の葉が風に揺れ、その間を縫うようにアスファルトの上に木漏れ日がまだら模様を描いている。

 

 三人はそんなまぶしい陽射しの中を並んで歩き始めた。最初は駅前らしく、コンビニやスーパー、ドラッグストアが立ち並ぶにぎやかな通りを抜けていく。

 

 ヒスイは制服姿のまま、歩調を崩さずついてきて、サンゴは私服の裾を軽く握り直しながら先頭を歩いた。チグサは二人の間を行き来するように歩きながら、サンゴを眺めて言った。

 

 「……なんか、すっごい機嫌いいね。」

 

 サンゴは後ろを振り向き、眼鏡の奥の目を少し細めて、いたずらっぽく笑う。

 

 「そう?」

 

 「だって、ンゴがこんなに上機嫌なの初めて見たかも。……家に誰か呼ぶの、もしかして初めて?」

 

 サンゴはふっと目を伏せた。そして、少しだけ足を緩め、二人が追いつくのを待ちながら答えた。

 

「……本当に昔は呼んだこともあったんだけどね。」

 

 道が駅前のにぎわいを離れるにつれて、だんだん広がる視界の中に、大きな環状線の道路が見えてきた。信号の向こう側には交通量の多い車道が続き、遠くに大型スーパーや倉庫の屋根が覗く。

 

 サンゴはそんな風景を見ながら、小さく息を吐いた。

 

 「最初のうちは普通に遊んでた。子供らしく。……でも、祖父のアカウントを見つけて、仕事を継ぐために動き始めてからは、眼鏡をかけて自分を偽るようになったんだ。」

 

 歩きながら、手をポケットに入れて空を見上げる。

 

 「大人とばかり話すようになって、全然友達と遊ばなくなった。」

 

 ヒスイは無言のまま歩いていたが、目だけはサンゴの横顔をちらりと見た。チグサも黙って聞きながら、少し心配そうにサンゴを見つめる。

 

 サンゴは一度立ち止まって二人を振り返った。そして、チグサにだけ視線を合わせて、いつもの飄々とした笑みではなく、どこか柔らかい微笑みを浮かべた。

 

 「……世玲音を受験するような頭のいい子なら、仲良くなれるかなって思ったんだけど……中々上手くいかなくて。」

 

 チグサが「え?」と少し戸惑うと、サンゴはすぐに手をひらひらさせて補足した。

 

 「あ、仲が悪いってわけじゃないんだ。でもみんな、なんだか気を遣ってるみたいでさ。」

 

 そして、少し首を傾け、目を細めて優しく笑う。

 

 「……チグちゃんくらいだよ。ちゃんと友達として僕のこと扱ってくれるの。」

 

 その言葉に、ヒスイは気まずそうに視線を逸らし、チグサは顔を赤くして、「な、何それ……!」とぶっきらぼうに返しながらも、どこか嬉しそうに口元を緩めた。

 

 コンクリートの歩道は熱を帯び、車のエンジン音が途切れ途切れに響く中、チグサがふと顔を上げた。

 

 「あ、そうだ!」

 

 ぱっと手を打つようにして、前を歩くサンゴに声をかけた。

 

 「この間、中学棟に行った時に見たんだけどさ、期末テストの結果張り出されてたよね!」

 

 「ンゴ、1位じゃん!しかも、2位の人に大差つけて!」

 

 元気づけるように、そしてちょっと羨ましそうに笑ってみせる。

 

 だがサンゴは、あまり表情を変えずに、眼鏡を押し上げながら前を向いたまま小さく答えた。

 

 「……頭だけ良くても、あまり良いことはないよ。」

 

 その声は静かで、少しだけ湿ったような響きがあった。チグサはそれを聞くと、ふっと頬を膨らませ、肩を揺らしながら大げさに声を上げた。

 

 「誇りなよ!私なんて下から数えた方が早いのに!」

 

 そして、わざとらしく両肩を抱きすくめて、悲劇のヒロインのような顔を作る。

 

 「ひぃぃ…今回は指名者補習には選ばれたくないよぉ……」

 

 サンゴが小さく吹き出し、ヒスイも無言のまま目を伏せて口元だけがわずかに緩む。そんな空気を感じ取ったチグサは、今度はヒスイの方に体を向けて目を輝かせた。

 

 「そういえば、ヒスピは学校の成績はどうなの?ちゃんと勉強してる?」

 

 ヒスイは目線をチグサに戻し、少し考えてから落ち着いた声で返した。

 

 「私は、授業で分からないところがあったら聞いてるから、基本的に大丈夫。」

 

 だが、チグサは「いや、そうじゃなくて!」と慌てて手を振り、「順位とかどうなの?」と聞き直した。

 

 ヒスイは首を傾げ、目を細めて考え込むようにしてから答える。

 

 「順位とかはない。そういうエンタメ的な要素は、西校舎特有じゃないかな。」

 

 チグサはその答えに思い切り顔をしかめて、肩を落とした。

 

 「えー……なんかつまらない。」

 

 その不満げな声に、サンゴが再びクスリと笑い、ヒスイも少しだけ息を漏らすように笑った。

 

 環状線の喧騒を離れ、三人は少し細い脇道に入る。コンクリートの道は日差しが弱くなり、住宅街特有の落ち着いた空気が漂う。

 

 そして、その中の一軒家の前で、サンゴが立ち止まり、二人を振り返った。眼鏡を押し上げ、少し誇らしげに声を上げる。

 

 「ここ。着いたよ。」

 

 チグサは興味津々で家を見上げ、目を輝かせた。

 

 「へぇ、こんなに近くなんだ!」

 

 サンゴは軽く肩をすくめ、手をポケットに突っ込む。

 

 「だいぶ前に一回引っ越したから、結構新しい家なんだ。」

 

 そして家のドアを指さしつつ、さらっと続ける。

 

 「お買い物でなければ、お母さんが中にいるはず……」

 

 そう言いながらチャイムに手を伸ばしたその瞬間。ふと、その手が止まった。

 

 ……あれ?

 

 一瞬で脳裏を駆け巡る自分の部屋、リビング、母親の声。そして――家の中では、完全に素の性格で過ごしてる自分。

 

 (……あれ?これ、そのまま入れたら……)

 

 サンゴは顔を引きつらせたまま、ゆっくりと横目を動かす。ヒスイが無言で腕を組んで見つめていた。

 

 その口角が、にやり、と上がる。

 

 「お母さんが……なんだって?」

 

 しばし硬直した後――

 

 「ワァァァァァ!!!!!」

 

 チャイムの前で大声を上げて叫ぶサンゴ。項垂れて、崩れ落ちるように扉の前でガックリ肩を落とし、悔し涙を流し、唇を噛みしめて喚き散らす。

 

 チグサはぽかんとした後で、「えっ、えっ、どうしたの?」と慌てて背中をさすり、

ヒスイは「大丈夫?」と淡々としつつも、目元を細めて楽しそうに笑う。

 

 そのままの顔で、サンゴは玄関の扉をガチャリと開けると、靴を乱暴に脱ぎ捨てながら先に中へ入る。待ち構えていたのは、優しげな顔立ちのサンゴの母親。ちょっと家着っぽいエプロン姿で、にこやかに「おかえり」と声をかけた瞬間――

 

 「ンゴ、スピちゃんにいじめられたぁ!!」

 

 サンゴが振り返って、そのままの顔でヒスイを指差す。

 

 「ワァァァァァ!!」

 

 そのまま大声を上げつつ、全力ダッシュで階段を駆け上がっていき、ドタドタと2階の床を震わせた。残された母親は唖然とした顔を一瞬見せた後、すぐに困り笑いを浮かべ、二人に頭を下げた。

 

 「ごめんなさいね、あの子ちょっと元気すぎるっていうか……いっつも迷惑かけてるでしょ?」

 

 慣れているのか、はぁ……と深い息をつく。

 

 「学校の成績だけは良いんだけどね……」

 

 チグサはその言葉に、「あ…え?」と口をパクパクさせたままフリーズ。

 

 げ……元気……すぎる……?

 

 あの凛として大人びてる周央サンゴが……??

 

 完全に脳内で「???」を量産するチグサ。一方でヒスイは、一歩前に進み、小さくお辞儀した。その表情は真面目そのもの。

 

 「いえ、周央さんには私の身勝手なお願いを聞いていただきまして……それが彼女を傷つけたかもしれません。」

 

 母親が「えっ」と目を丸くする中で、ヒスイは姿勢を正してしっかりと名乗った。

 

 「中等部2年の北小路ヒスイです。本日はお招きいただき、嬉しく思っています。」

 

 その整った所作と大人びた口調に、サンゴの母親は「まあ……!」と声を上げ、手を口元に当てて感心したように目を見開く。

 

 「なんてしっかりしてるの……!こちらこそ、よく来てくれたわね。」

 

 ヒスイは小さく頷き、「よろしくお願いいたします」と静かに返した。

 

 サンゴの母親は、ヒスイへの感心を隠しきれない笑顔を浮かべたまま、今度はチグサに優しく視線を向けた。

 

 「それで……あなたは?」

 

 チグサは「あ、はい!」とちょっと焦り気味に背筋を伸ばして答える。

 

 「西園チグサって言います!これ、えっと……あれ?」

 

 リュックをゴソゴソ探し始める。さっきまでカフェでゲームしてたせいで、入れたお土産がどこにいったかわからなくなっている。

 

 それを見たサンゴの母親は、手を胸に当ててホッとしたように笑った。

 

 「ああ良かった……そうよね!普通の子ってそういう感じよね!」

 

 完全に安心したような溜息すらついて見せた。チグサは一瞬手を止め、ぽかんと母親を見つめた後――

 

 「え……何その反応……」

 

 小声で肩を落としてちょっとショックを受けた。

 

 家の中は清潔で温かみがあり、廊下には観葉植物が並び、玄関の棚には小さな動物の人形がいくつも飾ってある。ヒスイは靴を脱ぐと、手を使って丁寧に揃え、チグサも慌てて真似して整える。

 

 母親が二人を促すように軽やかに階段を上がると、二人もその後をついていった。2階の廊下も日当たりがよく、窓辺には観葉植物が置かれ、薄いカーテンがふわりと揺れていた。

 

 やがて、サンゴの部屋の前に立ち、母親はノックもそこそこに扉を開けて中を覗き込む。

 

 「ちゃんと友達は案内しないとダメでしょ。」

 

 「いつもこんな風に放っておいてるの?」

 

 「本当に喧嘩したの?北小路さん、すごい礼儀正しい子なのに……」

 

 説教めいた声に、部屋の中からは鼻をすするような音が聞こえた。そして、サンゴが少し鼻声で、小さい声で答える。

 

「……ちょっとお母さんは出てって!」

 

 母親は「あらあら」と肩をすくめ、でも優しく笑って

 

 「はいはい。」

 

 とあっさり扉を閉める。

 

 後ろ手ヒスイが腕を組んだまま、目を細めて「……ほんとに元気だね」と小声でつぶやき、チグサは「いや、あれは元気っていうか……」とボソボソ返しつつ、若干顔を引きつらせていた。

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