ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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一意専心

 駅前のロータリーは、夏の日差しに照らされて眩しく輝いていた。蝉の鳴き声と人々のざわめきが交じり合い、行き交う人の足取りは慌ただしい。

 

 その一角で、チグサは青いワンピースに黒いフリルをあしらった地雷系の服に身を包み、落ち着かない様子で立っていた。指先でスカートの裾をいじりながら、小さく溜め息をつく。

 

「……いくらンゴが買ってくれた服とはいえ……」

 

 人目を気にして周囲を見回す。制服姿の学生やラフな私服のカップルの中で、ひときわ目立ってしまっているのを自覚していた。

 

 急に映画に誘われて、“せっかくなら少し前に買ってもらった服を着てこよう”って思ったけど。

 

 まさかここまで痛々しい服だとは

 

 頬を赤らめ、顔を俯かせる。通り過ぎる人の視線が気のせいでも刺さるように感じられ、駅前の時計を何度も見上げては落ち着かない。

 

 そんなとき。

 

「……チグちゃん?」

 

 聞き慣れた声に顔を上げると、灰色の襟付きシャツに黒のスカート姿のサンゴが、駅前の人混みをかき分けて歩いてきていた。大人びた落ち着いた服装が、夏の日差しの中で涼しげに映る。

 

 チグサの姿を目にしたサンゴは、一瞬だけ立ち止まり、わずかに引きつった笑みを浮かべた。

 

「……それ、本当に着てきたんだ……」

 

 その言葉に、チグサはさらに顔を赤らめ、俯きながら唇を尖らせた。

 

「~~っ、ンゴが買ったんだから……仕方ないでしょ」

 

 駅前のざわめきの中、二人だけの空気が、少し気恥ずかしく漂っていた。

 

 駅前の喧騒の中、チグサは真っ赤になった顔を隠すように俯き、そっと吐き出す。

 

「……もう行こうよ……」

 

 小さな声に、サンゴは首を横に振り、少し困ったように笑った。

 

「ごめん、あと一人来るから。もうちょっと待ってて」

 

「……えっ?」

 

 思わず顔を上げたチグサだったが、その答え以上の説明はなく、仕方なく駅前で並んで立ち尽くす。

 

 やがて、改札口の方から涼しげな私服姿の女性が歩いてきた。

 シンプルな白いブラウスに淡い色のスカート、肩にかけたカーディガン。

 人混みの中でも落ち着いた雰囲気をまとい、年上らしい余裕を漂わせている。

 

「サンゴちゃん」

 

 微笑みながら近づいてきたのは、栞葉だった。

 

 サンゴはふわりと笑ってチグサの方に振り向き、軽く紹介する。

 

「知り合いの……オタクの人?」

 

「……はぁ?」とチグサは思わず小さく声を漏らしたが、それ以上強くは突っ込めない。

 

 こうして三人は並んで映画館へと歩き出したが――歩きながらも、互いの視線は微妙に交わらなかった。

 

 栞葉はチグサの黒フリルを多用した地雷系の服に目をやり、

 

 この子、本当に大丈夫?と、半歩だけ距離を空けて歩く。

 

 一方のチグサも、大人びた雰囲気の栞葉を横目に見ながら、なんでこんな大人の人とつるんでるんだろうと、怪しげな視線で同じように一歩下がる。

 

 駅前から少し歩いたところで、空気が重くなってきたのを察したサンゴが、何気ない口調で言葉を挟んだ。

 

「大丈夫だよ、栞葉さんは。ああ見えて警察官だし」

 

「……えっ、警察官!?」

 

 チグサは慌てて振り向き、栞葉に頭を下げる。

 

「す、すみません! 疑ったりして……!」

「正直……なんか変な人かと……」

 

 その言葉に、栞葉はわずかに肩を落とし、うなだれたまま歩き出す。

 

「……どうせ、中坊に混ざってる不審者ですよ……」

 

 声には本気の落ち込みが滲んでおり、雰囲気がどことなく気まずくなる。

 

 見かねたサンゴは歩調を合わせ、軽く話題を変えた。

 

「そういえば、今日の映画……平安時代が舞台なんだよね」

「僕たちよりも栞葉さんの方が歴史に詳しいから、楽しみにしてるんだ」

 

 その一言で、栞葉はぱっと顔を上げ、表情を輝かせた。

 

「そうなんです! 今回の映画、舞台設定が平安時代なんですけどね」

「普通は公家の暮らしとか、陰陽師とか、華やかな宮廷のイメージが中心で描かれるんですけど……」

 

 栞葉の声は熱を帯び、歩きながらも身振り手振りを交えて語り出す。

 

「この作品は、“庶民の目線”で描かれてるんですよ!」

「当時の市井の暮らし、特に市女笠を被った市女たちや、路地裏の商人の描写なんて……史料を読み込まないとまず出せない視点です」

 

 さらに興奮気味に続ける。

 

「それに衣装! 公家装束だけじゃなく、庶民の小袖の重ね方まで再現されていて……染料の色味なんかも当時の植物染めの資料に基づいてるんです!」

 

 栞葉は完全に調子を取り戻し、目を輝かせながら一人で解説を続ける。

 

 チグサはぽかんとした顔で聞いていたが、やがて無理に笑顔を作り、相槌を打つ。

 

「へ、へぇ……そ、そうなんですね……」

「染料……すごい、こだわり……」

 

 内容はまったく分かっていなかったが、なんとなく合わせて頷き続ける。

 そのおかげで、栞葉はすっかり元気を取り戻し、足取りも軽く先を歩いていった。

 

 サンゴは少し後ろでその様子を見ながら、口元に小さな笑みを浮かべる。

 

 暗闇の中、スクリーンが淡い光で客席を照らしていた。

 ポップコーンを頬張る音と、ソーダの氷がかすかに揺れる音。

 チグサは半分眠そうな顔で、椅子にもたれながらポップコーンを口に運んでいた。

 

 平安時代の映画――歴史や衣装の作り込みには、どうしても興味が湧かない。

 物語は耳に入っているものの、心がついてこず、瞼が重くなる。

 

 そんなとき、隣から栞葉の小声が聞こえた。

 

「ねぇ、この辺りのシーンってさ……臨場感を表現するには、どうしてると思う?」

 

「……え?」

 

 不意に話しかけられ、チグサはスクリーンに目を向ける。

 

 画面には、雨の中を必死に走る商人の男の姿。

 濡れた衣が体に張り付き、息を切らしながらヒロインの家へと駆けていく。

 

 最初は「走ってるな」としか思わなかった。

 だが意識して見れば――男の険しい表情、肩の震え、足取りの重さ。

 さらに周囲で叩きつける雨音、地面を打つ水しぶき。

 すべてが男の焦りと緊張を観客に伝えていた。

 

「……あ」

 

 思わず小さな声が漏れる。

 走っている男だけじゃない。

 濡れた街並み、閉ざされた戸口、地面に散った紙片――

 スクリーンの中にあるものすべてが、彼の心情と場面の盛り上げに繋がっていた。

 

(……全部、計算されてるんだ……)

 

 そう気づいた瞬間、チグサの眠気は少しずつ遠のいていった。

 今までただ眺めていた画面が、まるで別物のように見えてくる。

 舞台装置の一つひとつが、物語を支えていることを実感したのだ。

 

「……なんか、見方が変わった気がする」

 

 呟いたチグサの横で、栞葉は小さく満足そうに頷いた。

 暗闇の中、スクリーンの光だけが二人を照らし続けていた。

 

 雨のシーンが過ぎ、物語は淡々と次の場面へと移っていった。

 けれど、チグサの胸の内には静かなざわめきが残っていた。

 

(……そうか。舞台の上って、あたし一人が立ってるんじゃないんだ)

 

 今までの自分を思い返す。

 演じるときは、どうしても自分のセリフ、自分の表情、自分の動きにばかり意識が集中していた。

「自分が上手く演じられているか」だけを気にして、舞台の外の空気には目を向けていなかった。

 

 だが――

 

 スクリーンの中の俳優たちは、ただ役を演じるだけじゃなかった。

 小道具の揺れ、雨の音、群衆のざわめき、背景の光。

 すべてを巻き込みながら、その中に自分の芝居を溶け込ませていた。

 

 あたしが“自分だけ”でやっても、それはただの自己満足なんだ。舞台の空気を、周りの雰囲気を巻き込んでこそ、初めて“役”として観客に届くんだ。

 

 胸の奥で、熱いものがじわりと膨らむ。スクリーンの光がチグサの横顔を照らす。

 

 瞳には眠気の代わりに、強い輝きが宿っていた。

 

 これ、次の舞台で試してみたい。

 

 エンドロールが終わり、館内が明るくなる。

 人々がざわめきながら席を立ち、出口へと向かっていく中、サンゴは振り返ってチグサに声をかけた。

 

「何か気づいた?」

「勉強になったらいいけど」

 

 チグサはスクリーンに未練がましく目を残したまま、小さく答える。

 

「……なんとなく」

 

 声は曖昧だったが、その瞳は真剣だった。

 サンゴの話は半分耳に入っていない様子で、心はすでに別のところにあった。

 

 舞台の上で、今の気づきをどう生かせばいい?あたし一人じゃなくて、周りごと引き込む演出は、どうやったらできる?

 

 歩きながらも、考え込むように唇を噛む。その様子を見て、サンゴは小さく目を細め、肩の力を抜いた。

 

「参考にはなったみたいだね」

 

 安心したように笑い、三人で映画館を後にする。

 

 夏の夕方、街路樹の影が歩道に長く伸びていた。セミの声はまだ鳴きやまず、涼しい風がアスファルトを撫でる。

 

 そんな中、ふとチグサが思い出したように口を開いた。

 

「……あ、そうだ」

「栞葉さんって警察官なんだよね?」

 

 栞葉が首を傾げる。

「うん、そうだけど……?」

 

「じゃあ、この間の取調室のやつさ! 栞葉さんにやってもらいたい!」

 

 突然の提案に、栞葉は瞬きを繰り返す。

 

「……取調室のやつ?」

 

 意味が分からず問い返すが、その横でサンゴが「ああ……そう……」と声を漏らした。ほんの少し眉をひそめ、どこか嫌そうな顔を浮かべていた。

 

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