ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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一病息災

 エレベーターの扉が左右に開くと同時に、張り詰めた空気が二人を包んだ。

 ヒスイは一瞬もためらわず、すぐ右奥の窓際へと駆け寄る。

 

 そこにはすでに息絶えた男が横たわっていた。

 ヒスイは無駄のない動作でその体をあさり、拳銃と手榴弾を抜き取る。

 銃を構える手つきはあまりにも自然で、まるで長年使い慣れた道具のようだった。

 

 次の瞬間、彼女は廊下の反対側にいる警戒中の男を捉え、迷いなく引き金を引いた。

 乾いた銃声が廊下に響き、弾丸は正確に男の胸を撃ち抜く。

 男は声を上げる暇もなく後方に崩れ落ちた。

 

「……その入った奥、まだ敵が二人いる」

 

 サンゴがドローンの映像を見ながら小声で告げる。

 ヒスイは頷きもせず、その情報を当然のように受け取り、銃口を奥へと向ける。

 

 足音を潜めて扉の隙間に身を滑り込ませ、影のように動いた。

 飛び出してきた敵の姿を視認すると同時に、即座に発砲。

 至近距離からの一撃で、一人の男は頭を撃ち抜かれ、壁に叩きつけられるように倒れる。

 

 だが、その瞬間――銃から乾いた音だけが響き、弾倉が空になったことを告げた。

 

「……チッ」

 

 ヒスイは舌打ちをし、銃を放り捨てて残る敵に向かって突進する。

 振り下ろされる鉄パイプを紙一重でかわし、勢いのままに拳を相手の顔面へ叩き込む。

 骨の砕ける音が鈍く響き、男の体がよろめく。

 

 間髪入れず、膝蹴りを腹部に叩き込み、苦悶にうずくまったところを容赦なく殴り飛ばす。

 男は床に転がり、意識を失った。

 

 ヒスイは即座に敵の持っていた銃を奪い取り、冷たい表情のまま弾を装填する。

 床に倒れる男に一瞥をくれることなく、引き金を引いた。

 

 銃声が再び響き渡り、血飛沫が散る。

 その瞬間、廊下には死の静寂が広がった。

 

 ヒスイは奪った銃を軽く点検すると、何事もなかったかのようにサンゴの方を振り返る。

 

 廊下に響いていた銃声が収まると、静寂が戻ってきた。

 サンゴは血の匂いに顔をしかめ、思わず目を背けていた。

 

 そのとき――耳に突然、耳障りなノイズが走った。

 ヒスイが手元の小型マイクをわざと弄り、サンゴの注意を引いたのだ。

 

「っ……!」

 

 思わず顔を上げるサンゴ。

 ヒスイは冷ややかな目でサンゴを見やり、指先で“入る部屋”を示した。

 

 二人は無言で頷き合い、並んで扉を押し開ける。

 

 中は荒れていた。

 床にはすでに二名の死体が転がり、窓ガラスは銃弾で無惨に撃ち抜かれている。

 風が吹き込み、カーテンがばさばさと揺れていた。

 

 サンゴは息を詰め、眼鏡の奥で表情を歪める。

 だがヒスイはそんな様子を気にも留めず、マイクに小さく囁いた。

 

「二回もありがとう。助かったよ……セイラ」

 

 その声に答える者はいない。

 ヒスイは迷いなく部屋のクローゼットを開け、中に隠されていた大きなトランクへと目をやった。

 

 サンゴがごくりと喉を鳴らし、問いかける。

 

「……まさか、ここにいるの?」

 

 ヒスイは視線をトランクから外さず、低く答える。

 

「そうかもしれないし……もしかしたら、ね」

 

 その声音には、最悪の事態を想定する冷たさがにじんでいた。

 

 二人は目を合わせ、息を整える。

 サンゴが小声でカウントを始める。

 

「……せーの、で行くよ」

 

「せー……の!」

 

 合図と共に、二人は一気にトランクを開いた。

 

 次の瞬間、中から勢いよく飛び出してきた金髪の少女が、肺いっぱいに空気を吸い込んで叫ぶ。

 

「はあぁぁぁ!! 死ぬかと思ったぁぁあ!!」

 

 声は甲高く、どこか場違いに明るい。

 その金髪に光を反射させ、必死に息を吐き出す少女――星川サラは、恐怖と安堵が入り混じった表情で二人を見上げていた。

 

 トランクから飛び出した星川は、数秒の間、目の前の惨状に言葉を失っていた。

 床に転がる死体、血の匂い、銃痕だらけの窓。

 その光景は、彼女の明るい声色を一瞬にして凍らせていた。

 

 ヒスイはしゃがみ込み、真剣な眼差しで彼女を見据える。

 

「星川さん、あなたを助けにきました」

 

 その声は揺るぎなく、鋭くも温かさを帯びていた。

 

「私たちと一緒に、ここを出ましょう」

 

 だが、星川はただ目を丸くし、口をぱくぱくと動かすだけだった。

 現実を飲み込めないように。

 

 焦ったヒスイは両肩を強く揺さぶる。

 

「星川さん!」

 

 その呼び声で、ようやく星川は我に返った。

 

「え……え!? もしかして……あの今話題のΣって所の子!?」

 

 驚きの声を上げ、急に目を輝かせる。

 

「知ってるよ!国連が作った、国連直轄の国防組織! でもまさか、こんな可愛い女の子だったなんて……」

 

 興奮したように声を高め、さらに続けた。

 

「私のこと、助けに来てくれたの!? ありがとう! もうここ数日、まともなもの腹の中に入れてなくてさ〜」

 

 飢えを笑いに変えようとするかのように、両手でお腹を押さえて苦笑する。

 そして立ち上がり、迷いなく扉に手をかけた。

 

「こんな所、マジでいらんないし……早く出ようよ!」

 

 その瞬間――。

 

「危ない!」

 

 ヒスイが鋭く叫ぶ。

 反射的に星川は身を引いた。

 

 直後、銃弾が扉を貫き、火花と共に壁へ食い込んだ。

 乾いた衝撃音が室内に響き、星川の表情が凍り付く。

 

 ヒスイは振り返り、まっすぐに星川の目を見て言った。

 

「落ち着いて。――私の後に続いて」

 

 その強い眼差しに、星川は一瞬ためらったが、すぐに口を閉じて静かに頷いた。

 震える足を必死に抑え、ヒスイの背にぴたりとついて動き出す。

 

 銃声が廊下の奥から響き、壁に跳弾が当たるたびに火花が散った。

 ヒスイは身を低くし、柱の影に身を隠しながら、背後の星川に視線を投げる。

 

「……あなた、生まれ育った施設などはご存知ですか?」

 

 突然の問いに、星川は目を丸くし、次いで少し苛立ったように眉をひそめた。

 

「それ……ちょっとセンシティブじゃない……?」

 

 だがすぐに肩をすくめ、吐き捨てるように続ける。

 

「……いやまあ、君に聞かれるなら全然答えるけど」

 

 その声色には、わずかな居心地の悪さがにじんでいた。

 

 ヒスイは真剣な眼差しを崩さず、淡々と告げる。

 

「私は――ヴァルテスという施設で育ちました」

 

 星川がはっと目を見開くより先に、ヒスイは冷静に言葉を重ねた。

 

「お世辞にも、子供の発育に良い施設とは言えませんでした。……だから、人の私物の液体を飲んだり、盗み食いをして生きていました」

 

 まるで昔話を語るような声音だった。

 

 そのとき、背後で聞いていたサンゴが思わず声を上げる。

 

「ヴァルテスだって!? 本当に……あの牢獄にいたのかい……?」

 

 眼鏡の奥の瞳に驚愕が走る。

 

 星川はその言葉を聞いた瞬間、気まずそうに目を逸らし、そっぽを向いた。

 そして、どこか気の毒そうな響きを滲ませながら、ぽつりと呟く。

 

「……私、普通の児童養護施設だから……」

 

 唇を噛み、声が次第に小さくなる。

 

「先生も優しかったし、その……」

 

 そこで言葉を飲み込み、黙り込んでしまった。

 廊下には再び銃声と足音だけが響き、三人を取り巻く緊張が一層濃くなっていく。

 

 乾いた銃声が再び廊下に響く。

 ヒスイは壁際から素早く身を乗り出し、正確に撃ち返して敵を迎撃する。

 反動を殺すように体を低くし、進路を確保しては迷いなく前へ進む。

 

 星川とサンゴは、そんなヒスイの背中を盾にするように、影に隠れて追従していた。

 星川の顔は強がっていても、青ざめた頬が不安を隠し切れていない。

 サンゴは眼鏡を押さえながら小声で提案した。

 

「……もう、機動隊を呼んだ方がいいんじゃないか?」

 

 だが、ヒスイは銃を構えたまま首を横に振る。

 

「こんな高層ビルに武装した敵がいるんだ。対策をしていないわけがない。

 ――呼ぶならせめて、この階を離れてからだ」

 

 その冷静な説明に、サンゴは息を呑んで黙り込んだ。

 

 ふいに星川が声を震わせる。

 

「……どうして、こんなことになってるの?」

 

 ヒスイは短く息を吐き、銃口を下げずに答える。

 

「――さっきの質問が活きてくる」

 

 一拍置いて、低く続けた。

 

「詳しいことは言えないが……児童養護施設の中には、薬物の実験をしていた場所がある。

 その被験体となった、かつての少年少女が――狙われている」

 

 その言葉に、星川の顔が一気に引きつった。

 

「……え!? そんなの、参加した覚えないんですけど!?」

 

 声を潜めて叫ぶように抗議する。

 

 ヒスイはちらりと彼女を見て、淡々と告げた。

 

「……恐らく、間違われたのだと思います」

 

 銃を再び構え、先を見据えるヒスイの声は冷たくも、どこか確信を持っていた。

 星川は目を丸くしたまま、言葉を失う。

 

 銃声が一瞬途切れ、廊下の静寂が戻った。

 その隙を縫うように、星川はヒスイをじっと見つめて問いかける。

 

「……アンタは、どうなのさ」

 

 ヒスイは表情を変えず、視線を前に固定したまま答えた。

 

「私は――注射とか怖いから、受けませんでした」

 

 淡々と吐き捨てるように言い、再び前へ進もうとする。

 だが、星川がすぐに追いつき、両肩を強く掴んだ。

 

「それ……受けた子の“隣”にいたってことじゃん!」

 

 声を荒げる星川。

 目の奥には怒りと同時に、どうしようもない心配が混ざっていた。

 

「……本当に、大丈夫?」

 

 その問いかけに、ヒスイは短く息を吐き、肩を振り払った。

 

「――私に課せられた使命は、あなたを助けることです」

 

 それ以上は語らず、前だけを見て足を進める。

 

 星川は唇を噛み、しかし諦めずに後を追った。

 

「……虐待受けてたの、アンタじゃん」

「てか、そもそも何でこんな仕事してるの……?」

「義理でもさ、お父さんとかお母さんとか……ほら、家族って何も血の繋がりだけじゃないじゃん!」

 

 声を強めながらも、次第に哀しみを帯びていく。

 

「私にも……ちょっと腹立つし、蜘蛛飼うのとかマジで勘弁して欲しいけど……妹みたいなやつもいるし」

「……もしかしたら……」

 

 言葉を探すように、一度唇を噛み、そして絞り出した。

 

「……本当に、誰もいないの?」

 

 ヒスイは無言のまま、ただ銃を構えて先へ進んでいく。

 

 取り残された星川は、ふと隣にいたサンゴに小声で尋ねた。

 

「……あいつ、本当に誰もいないの?」

 

 サンゴは歩きながら、ヒスイの背中を見つめる。

 そして、眼鏡の奥で目を伏せて答えた。

 

「……僕にはお母さんもお父さんもいるけど……スピちゃんは……」

 

 そこで言葉を切る。

 その続きを言わずとも、星川には十分に伝わった。

 

 星川は小さく息を呑み、表情を曇らせた。

 

 血と硝煙の匂いが漂う廊下を、三人は駆け抜けていた。

 先頭を走るヒスイの背に、星川はついていくのに精一杯だったが――それでも、彼女は声を張り上げた。

 

「じゃあ、私がアンタのお姉ちゃんになる!」

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