ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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無能無策

 ――コンコン。

 

 またもや響くノックの音に、チグサは肩を落とし、半ば投げやりに立ち上がった。

 「はいはい……今度はコハック、何の差し入れかな〜」

 

 軽口を叩きながら扉を開けると――そこに立っていたのは、鋭い目をした少女。

 東校舎の制服姿で、真っ直ぐな立ち姿。

 

 「……っ」

 

 その姿を見たサンゴは、まるで化け物を目の当たりにしたかのように、絶望の色を顔に浮かべ、口を開けたまま固まった。眼鏡の奥の目が大きく見開かれ、震える指先が台本の上で止まる。

 

 チグサはそんなサンゴの様子も気づかぬまま、首をかしげる。

 「え……誰……?」

 

 少女――セイラは苦笑を浮かべ、部屋の奥のサンゴをちらりと見た。

 「その顔は……流石にちょっと傷つくかな」

 

 そう言いながら、セイラは放送室に一歩足を踏み入れる。

 「ねえ、ヒスイ知らない? 探してもどこで何してるか、全然分からないんだよね」

 

 チグサは特に気負うこともなく、いつも通りの調子で答える。

 「ヒスピ? 今日は見てないな〜」

 そう言って首を傾げると、改めて問いかける。

 「ていうか……知り合い?」

 

 セイラはぴしりと姿勢を正し、チグサに向き直って敬礼した。

 「央崎セイラ。東校舎中等部2年です」

 

 その端的で規律正しい自己紹介に、チグサは少し面食らい、間の悪そうに背筋を伸ばす。

 「え、あ……西校舎高等部2年の、西園チグサです……」

 

 セイラは「ふぅん」と短く相槌を打ち、じっとチグサを観察するように視線を向ける。

 「サンゴちゃん以外にも、西校舎の子がいるんだ……」

 その声音は、ほんの少し珍しそうに響いた。

 

 「――あっ、そうだ!」

 チグサが手を叩き、にこにことセイラに向き直る。

 「セイラちゃんにも取調、やってもらおうよ!」

 

 その言葉が口から出た瞬間。

 

 「――っ!」

 サンゴは台本を落とし、椅子ごと後ろにのけぞるようにして首を激しく横に振った。

 「無理無理無理……!」

 眼鏡の奥の目は見開かれ、全身を震わせて、身体全体で拒絶を示す。

 

 セイラは片眉を上げ、怪訝そうに問いかけた。

 「取調……?」

 

 チグサは慌てて手を振りながら説明する。

 「えっとね、演劇の練習をしてたんだよ! で、取調室のシーンを自分の勉強にもなるかな〜って思って……」

 

 セイラは「ふうん」と短く相槌を打ち、特に興味がなさそうな顔をして、すっと部屋に入ってきた。

 そのまま机の前まで歩くと、席に座っていた栞葉がにやりと笑いながら腰を上げ、道を譲る。

 

 「はいはい、どうぞ」

 

 セイラが腰を下ろすと、机を挟んだ先でサンゴは小声で絶望したようにつぶやいた。

 「……無理無理無理……」

 

 そんな様子を横目に、栞葉は口元を押さえてクスクス笑いながら出口へ向かう。

 「じゃあ私、もう帰るから」

 そう言い残し、名残惜しそうにセイラとサンゴを交互に眺めて、にやにやしながら放送室を出て行った。

 

 チグサは腕を組み、わざとらしく真剣な顔をしてサンゴを見つめた。

 

 「でもさ……」

 

 「もし私が演劇当日に休んじゃって……それで代理がセイラちゃんだったらどうするの?」

 

 サンゴは椅子の背に押し付けられたまま、唇を震わせた。

 「そ、それは……」

 

 チグサは一拍置いて、静かに突き放すように言った。

 「それこそ、演劇同好会の一員として風上にも置けないでしょ」

 

 放送室の空気が一瞬冷える。

 サンゴはぐっと唇をかみ、眼鏡を曇らせながら小さく呟いた。

 「……わかりました……」

 

 渋々の了承に、チグサがほっと肩を下ろした瞬間――

 セイラは立ち上がり、椅子を引いて首を振った。

 

 「でも……私、あんまりサンゴちゃんのこと、いじめたくないしなぁ」

 淡々とした声でそう告げ、くるりと踵を返す。

 「うん、やっぱりサンゴちゃんの為にもならなさそうだから、やめとくよ」

 

 その背を見た瞬間――サンゴの顔色が一変した。

 プライドを踏みにじられたような屈辱の表情で立ち上がり、声を張り上げる。

 

 「やります……やらせてください……!」

 

 引きつった笑みを浮かべ、ほとんど駆け寄るようにしてセイラの腕を掴んだ。

 

 セイラはその必死さにわずかに目を細め、苦笑混じりに肩をすくめた。

 「……チグサ先輩も、いじわるだね」

 

 そう言ってサンゴを机の前に座らせ、自分もゆっくりと向かいに腰を下ろす。

 

 その様子を横で見ていたチグサは、にやりと笑ってサンゴに身を寄せ、耳元で囁いた。

 「いい子じゃん……何がそんなに嫌なの?」

 

 サンゴは視線を落とし、囁き返すように弱々しく答えた。

 「……僕を“本当に”取り調べた人だからだよ……」

 

 その言葉に、チグサは目を瞬かせ、訳が分からないという顔をした。

 

 サンゴとセイラが机を挟んで向き合い、張りつめた空気が流れる――そのとき。

 

 ――ギィ。

 

 ノックもなく、放送室の扉が勝手に開いた。

 長い髪を揺らしながら入ってきたのはヒスイだった。

 

 「あ……ヒスピ」

 チグサが思わず声をかける。

 

 しかしヒスイは返事もせず、机を挟んで座るサンゴとセイラの光景を目にした瞬間――

 

 「……っ、あはははははっ!!」

 堪えきれず腹を抱えて爆笑した。

 

 しばらく笑い転げ、ようやく呼吸を整えると、まだ肩を震わせながらチグサの肩に手をかける。

 「……やめてやれよ……っ」

 

 半笑いのまま囁くヒスイに、チグサは訳が分からず目を白黒させ、そのまま黙って二人の様子を見守った。

 

 サンゴはすでに「か弱い少女」の演技に切り替わり、怯えた目でセイラを見つめる。

 「お姉さん……私、怖い人達に囲まれて……それで……」

 

 だがセイラは表情ひとつ変えず、机に置かれた栞葉の小道具――手錠と腰縄を手に取る。

 淡々とサンゴの腰に縄を回し、カチリと手錠を掛けると、低く鋭い声で言い放った。

 

 「勝手に話さないでね。次、勝手に話したら……殺すから」

 

 サンゴはその一言に、完全に口をつぐんだ。

 

 セイラは視線をチグサに向け、きっぱりと告げる。

 「捕虜に主導権握らせちゃダメだよ」

 

 そして今度はサンゴに向き直り、声色を明るく切り替える。

 「ごめんね。でも規則だからさ。私が質問したことにしっかり答えてくれたら、悪いようにはしない。……約束できる?」

 

 その瞬間、サンゴの顔がぐしゃりと歪み、眼鏡の奥の瞳に涙が溜まる。

 「……っ……」

 何かを思い出したように、声を詰まらせながら泣き出してしまった。

 

 セイラはその様子を見て、静かに立ち上がる。

 「……やっぱ、やめた方が良さそうだね」

 

 重たい空気を残して椅子を引く。

 

 光景を見ていたチグサは顔を真っ青にして、ただ一言。

 「……こ、怖……」

 

 

 

 

 

 サンゴが涙で肩を震わせている横で、ヒスイは半笑いを引っ込め、セイラを振り返らせた。

 「……で、あんた。何か用?」

 

 セイラはそこでようやく本来の目的を思い出したように、ぽんと手を打つ。

 「そうそう。井ノ原先生が呼んでたよ。この間の外出許可のレポート、ちゃんと書いて出せって」

 

 そう言いながら、机に置いてあった玩具の手錠と腰縄を外し、サンゴの手を解いてやる。

 「じゃ、あんまお暇しても悪いし、私はこれで」

 

 軽く手を振りながら部室を後にするセイラ。

 その背を、ヒスイは目を細めて追った。

 

 ――そして。

 

 セイラが廊下を進み、放送室の扉が閉まると同時に、ヒスイも立ち上がる。

 何気ない足取りで外に出て、廊下の角で彼女を呼び止めた。

 

 「……セイラ」

 

 セイラが振り返る。

 「なに?」

 

 ヒスイは短く息を整え、真正面から切り出した。

 「……“天使”について、何か知ってる?」

 

 セイラは一瞬、目を細めてとぼけるように返した。

 「……何? 宗教でも始めたの?」

 

 だがヒスイの眼差しが冗談でないことを悟ると、彼女は溜め息を吐き、片手で前髪を払った。

 「……冗談冗談」

 「空星きらめのことでしょ? 共和国でオリヴィスの拠点を一人で殲滅した、“裁きの天使”。」

 

 その名を口にする声には、かすかな緊張が混じっていた。

 「有名人だもんねぇ……」

 「私はちょっと……関わりたくないけど」

 

 顔を引きつらせ、視線を逸らしながら続ける。

 「関わらないから、何も知らないよ。そもそも兵種も違うし」

 

 ヒスイは無言で見つめ続ける。

 セイラは観念したように肩をすくめ、付け加えた。

 

 「……まあ、ヒスイがすでに知ってそうなことくらいなら話すけど」

 「とはいっても、“天使”に最初に会った時の印象くらいだけどね」

 

 セイラは壁際に寄りかかり、しばし遠くを見るような顔をした。

 

 言葉を選ぶようにしてから、真面目な声で続ける。

 「見た目は……ちょっと背が低めの中学生って感じだった。でも、側を通っただけで寒気がした」

 

 ヒスイは眉を寄せる。その声音は、冗談や誇張ではなかった。

 

 「そのとき、私はまだ世怜女に入ったばっかりでさ。給付金の申請で年金事務所に行った帰りだったかな」

 セイラは視線を逸らし、低く呟く。

 「FPSのゲームなら、子供の頃から実績はあったよ。でも――実銃なんて触ったこともなかった。人を撃つなんて、とんでもない。まだ“殺人マシン”に改造されるのが怖くて、隙があれば逃げようとも考えてた」

 

 言葉の端に、かすかな震えが混じっていた。

 

 「でもね。校舎の敷地内を歩いてたら、急にその子に出くわしたんだ」

 セイラは両手で自分の腕を抱え込むようにして続ける。

 「小柄で、銀色の十字架のペンダントを首にかけた少女。その目で睨まれた瞬間――」

 

 彼女は思わず喉を鳴らし、胸に手を当てた。

 「逃げたい一心で、心臓がバクバクした。全身が勝手に硬直して……ただの目線だけで、動けなくなるんだ」

 

 ヒスイは無言で聞いていたが、セイラはさらに言葉を続ける。

 

 「他にも見たことがあるよ。高校の高学年の男子生徒がさ、胸ぐらを掴まれて、睨まれててさ」

 セイラの声はわずかに震えていた。

 「その瞳孔……見開いた目の圧だけで、そいつが半泣きになってた。……見てるだけで恐ろしかった」

 

 言葉を吐き出すと、セイラは深く息をつき、視線を落とした。

 

 まるでその記憶を振り払うかのように。

 

 セイラはしばらく口をつぐみ、廊下の冷たい空気に紛れるように低く呟いた。

 「……きっと、人間とは違う“何か”なんだろうな」

 視線は床に落ち、握った拳がわずかに震えている。

 「人が踏み入っちゃいけない領域にいる“何か”……」

 

 ヒスイは腕を組み、眉をひそめた。

 「……それで、“天使”なんて言われてるのかね」

 

 セイラは鼻で短く笑い、少し声を潜めた。

 「実際ね、海外のΣ(シグマ)が加勢に来た時に、思わず“天使”って呟いたらしいよ」

 「鬼もかなり怖いけど……そういうふうに呼ばれる人って、やっぱり何かしら持ってるよね」

 

 その言葉に、ヒスイの顔から血の気が引いたように表情が曇る。

 セイラはその変化に気づき、はっとして口を押さえた。

 「あ……ごめん。ヒスイは“鬼”と仲良いんだよね」

 

 気まずそうに視線を逸らすと、軽く笑って話題を振り直す。

 「きっと“鬼”の方が、“天使”には詳しいんじゃない?」

 

 それだけ言い残し、セイラは片手をひらひらと振りながら廊下を歩き去っていった。

 

 セイラが去ったあと、しばらく廊下の影に立ち尽くしていたヒスイは、ゆっくりと放送室に戻った。

 扉を開けると、まだどこか緊張の残る空気の中で、チグサがソファに腰を下ろし、スナック菓子をつまんでいた。

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