ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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千変万化

 昼前の東校舎、薄暗く窓の少ない準備室に、静かに書類の音が響いていた。

 壁には監視カメラの映像が並び、部屋の隅では冷めたコーヒーの香りが漂っている。

 

 教官の井ノ原は分厚い資料ファイルを机に広げ、その前で頭を押さえるようにして唸っていた。向かいのソファには、東校舎の教頭であり、管理職として訓練生たちの選別や情報処理も担当している人物――環崎が座っていた。

 

 環崎は薄いグレーのスーツに身を包み、表情に乏しい目で書類の束を静かに見下ろしていた。

 

 「……それで?」

 

 静かな声に、井ノ原が眉間にしわを寄せたまま答える。

 

 「“ミスター”の情報を得ようと、こないだのコンビニ強盗の現場を徹底的に洗いました。

 証拠品、通信履歴、レンタカーの足取り……取り調べた少年少女たちの供述も、全部です」

 

 手元の資料を無造作にめくりながら、井ノ原は苦々しげに続ける。

 

 「けど、“奴”につながる情報は一切出てきませんでした。

 共通の指示系統も、金の流れも、痕跡すらなし。

 まるで最初から“彼らしかいなかった”かのようです」

 

 その言葉に、環崎は腕を組んだまま、無言で思案に沈んだ。しばらくして、ゆっくりと口を開く。

 

 「…そもそも今回のミスターの目的が「こちらの動向を伺う」ことにあったか。そうなると、我々は連中の手の上で踊らされた道化ということになるな。」

 

 「それか、あまり考えたくはないが警視庁の包囲が直前にどこからか漏れた、という可能性が考えられるか…こう考えたくはないが、それだと警察関係者にミスターと繋がっている人間がいるということになるな。」

 

 「……そうですか」

 

 井ノ原が低く唸る。しかし、環崎はすぐにもう一つの可能性を提示した。

 

 「あるいは――“ミスター”などいなかった、という線も考えられる」

 

 「……はい?」

 

 環崎は、視線を資料から離さず、冷ややかに続けた。

 

 「つまり、少年少女の間で既に“自己完結した組織”が形成されているという仮説だ。依頼、報酬、役割分担まで、全てを匿名のコミュニティ内で自走させている可能性がある。いわば、教祖のいない宗教みたいなものだ」

 

 井ノ原はしばらく口を開けたまま黙りこみ、手の中のペンを回した。

 

 「……でも、どっちにしても――」

 

 環崎は目を細めて、低く呟く。

 

 「分かっていながら捨て駒にされたなら、胸糞悪い話だな」

 

 その言葉は、まるで感情が剥き出しになる寸前で、冷静に押しとどめたような声音だった。

 

 静かな準備室の中、資料と映像が物語る“現実”の断片だけが、無言で積み重なっていた。真相はまだ遠く、そして確実に、闇の奥へと広がっていた。

 

 

 「教官、お客様です」

 

 準備室のドアの外から、控えめながらも通る声がした。報告したのはクオン――東校舎の訓練生であり、教官補佐的な立ち位置にある少女。資料整理をしていた井ノ原は、少し眉を上げた。

 

 「……通せ」

 

 言葉少なに許可を出すと、クオンは一礼してドアを開け、外に向かって静かに頷いた。数秒の沈黙の後、ドアの奥から姿を見せたのは――

 

 周央サンゴだった。

 

 制服姿で、眼鏡をかけたその少女は、東校舎独特の緊張感のある空気の中に一歩踏み込むと、まるでそれを意にも介さぬ様子で、真っ直ぐに井ノ原の机の前まで進んでいった。

 

 環崎とクオンが視線を向ける中、井ノ原はやや意外そうな表情を浮かべる。

 

「……もう聴取することは何もないが。

 ……もしかして、“牢”が気に入ったのか?」

 

 目尻にわずかな笑みをにじませながら、冗談混じりに投げかける。

 

 サンゴは表情を引き締め、カバンから一冊の厚手のファイルを取り出して、机に置いた。

 

「これを、見ていただきに参りました」

 

 井ノ原の目が細くなり、環崎はわずかに前屈みになる。

 ファイルの中には――

 

 ◆ 裏社会で“ミスター”と接触したとされる関係者の記録

 ◆ 偽名・変名での行動ログ、宿泊履歴、取引相手の変遷

 ◆ そして、何よりも異様だったのは――

 “ミスター”の移動履歴を数年単位で執拗に追った記録。

 まるでそれ自体が、一種の執着の産物のようだった。

 

 資料に目を走らせていたクオンが、思わず声を漏らす。

 

「……まるで彼の古くからの知り合いのような情報量ですね」

 

 環崎も書類の一部を手に取り、目を通しながら微笑を浮かべる。

 

「流石、“天下無双”の孫娘だな。

 その名に恥じない執念深さだ」

 

 サンゴはバツが悪そうに小声で話す。

 

「知り合いに、こいつの容疑者の一人に人生を壊された人がいまして。彼からの情報提供です。」

 

 そして、机の前で背筋を伸ばし、まっすぐに井ノ原の目を見る。

 

「実は僕も――今回の闇バイトの一件で依頼を受けていた立場でして。

 現場での取り逃がしこそありましたが、彼が確かに関与していた証拠は掴んでいます」

 

 その口調は、もはや学生のそれではなかった。

 

「どうでしょう。

 僕に任せていただければ――

 “どの事件に彼が絡んでいるのか”、

 “過去と現在の行動パターンの変化”、

 “繰り返される癖”などから、さらに詳細な情報を探り出せるかと」

 

 教官室に、しばしの沈黙が落ちる。

 

 その少女は、子供のような無邪気さを脱ぎ捨て、今この場に――

 一人の情報屋としての覚悟を持って、立っている。

 

 準備室の空気が沈黙に包まれたまま、数十秒――

 

 静まり返った空間の中で、周央サンゴが再び口を開いた。

 その声音は、先ほどまでの交渉とはまた異なる、どこか試すような柔らかさを含んでいた。

 

「……皆様は、自分の育てた東の生徒たちを、非常に優秀なエージェントだと確信しておられるようですが」

 

 井ノ原がわずかに眉を動かす。

 サンゴは続けざまに、手を後ろに組みながら、やや姿勢を崩した。

 

「では――失礼して」

 

 そう言って、彼女は軽く一つ深呼吸し、表情と雰囲気を瞬時に切り替えた。

 

 まず最初に――

 

 ◆ 「可愛い系の地雷系の少女」

 すっと腰を引き、指先で髪をくるくると巻きながら、少し潤んだ目で伏し目がちに微笑む。

 

 「え、なんでそんな冷たくするの……? ンゴちゃん、結構頑張ってるのに……」

 

 その声には甘えと寂しさが滲み、背中は常に縮こまり、目を閉じたときは涙を堪えるような微細な震えがあった。

 

 次に――

 

 ◆ 「優雅な雰囲気のお姫様」

 今度は背筋をすっと伸ばし、滑らかに一歩を踏み出しながら手を胸元に添える。

 顎の角度、視線の高さ、そして息継ぎに至るまでが洗練されていた。

 

 「ご機嫌よう。皆様が今日も健やかであられることを、心より願っておりますわ」

 

 まるで由緒ある家系の娘そのもの。語尾の息の抜き方まで完璧だった。

 

 三つ目――

 

 ◆ 「忠誠深い軍の重鎮」

 目を鋭く細め、胸を張り、足をやや広げて仁王立ち。

 

 「ご命令とあらば、どこへでも。たとえ火の中、水の中、たとえ貴殿が地に堕ちようとも、私はついていく」

 

 言葉の合間の息継ぎの浅さが緊張感を演出し、頬の筋肉もわずかに強張らせていた。

 

 そして最後に――

 

 ◆ 「荒っぽいヤクザの男」

 両手をポケットに突っ込み、肩をいからせるように歩きながら、低い声で舌打ち。

 

 「チッ……誰が“上”だって? ケツ持ちの名前、口に出させたくなかったら、そこんとこ、てめぇで考えろや」

 

 わずかに足を引きずるような歩き方、呼吸のリズム、喉の奥を鳴らす音――

 一切の無駄がなかった。

 

 演技が終わると、サンゴは何事もなかったかのように微笑みながら、元の姿勢に戻る。

 

「……以上です。これが、“本物の潜伏”に使える技術かと」

 

 その言葉を最後に、部屋の空気が一瞬止まったように感じられた。

 

 井ノ原は、額に手を当てて小さく唸った。

 

「……化け物かこいつ……」

 

 クオンは目を丸くし、完全に言葉を失っていた。

 そして環崎は、腕を組み直しながら、かすかに口元をゆるめた。

 

「ほう……」

 

 乾いた声で、だが確かな興味と評価の色をにじませる。

 

「演技」ではない。「成り代わり」でもない。

 存在そのものを塗り替える技術。

 その場の誰もが――サンゴの“使える駒”としての異質さを、改めて理解させられた瞬間だった。

 

 

 静まり返った準備室に、環崎の低く研ぎ澄まされた声が響く。

 

「……さてはお前、元に戻ったようで、今も演技しているな」

 

「北小路ヒスイに銃で脅されたときも――」

 

「西で授業を受けているときも――」

 

「何なら、我々が監視していたあの牢獄で呆けて眠っていたときですら、

 それが“本当のお前”じゃなかったんだろう?」

 

 環崎はまっすぐにサンゴを見つめたまま、薄く笑みを浮かべる。

 

「“本当のお前”を見た人間なんて、数えるほどしかいないんじゃないか?」

 

 机の上に置かれたファイル、静まり返った空間、沈黙のクオン――

 すべてが、今この瞬間の“サンゴ”の存在を注視していた。

 

 サンゴは、じわりと額に汗を滲ませながら、眼鏡の奥の目を泳がせる。

 

(……こ、これは……)

 

(なんか当初と違う方向性に行ってる気がする……!?)

 

(ていうかこれ、東のエージェントにスカウトされかけてる……!?)

 

 その瞬間、井ノ原が口を開く。あの鋭い目つきで、しかしどこか評価をにじませながら。

 

「――いいだろう。そういうことなら仕方ない」

 

「幸運にも、君の“あの時の調書”は残っている。

 戦闘員として訓練するには時間がかかるだろうが――」

 

 そこまで言いかけた瞬間、サンゴが目を見開き、思わず声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと!!待って! 待ってください!!」

 

 バンッと机に両手をつき、立ち上がる。その勢いは、先ほどまでの冷静さが嘘のようだった。

 

「僕はただ!あの!ちょっと情報を!売りに来ただけで!!」

 

「潜入訓練とか射撃訓練とか!ね!?銃剣道とか!!そういうのは!!遠慮したいというか!!」

 

 井ノ原は淡々とした表情のまま、ぽつりと呟いた。

 

「――なら、要求は?」

 

 静かだが、有無を言わせぬ問い。サンゴは一瞬、息を整えるように胸に手を当ててから、背筋を正した。さっきの動揺を押し込め、再び“交渉者”の顔に戻っていく。

 

「……東校舎の生徒たちの任務に、僕も一役買わせてほしい」

 

 室内が、再び静まり返る。言葉の重みを確かめるように、環崎は視線を伏せ、井ノ原は――ほんのわずかに眉を上げた。

 

「……たったそれだけか?」

 

 井ノ原が低く呟くように聞き返す。あれだけの情報を持ち込み、東校舎の機密に踏み込もうとしている――その割には、あまりに素朴な願いだった。

 

 サンゴは目をそらさず、まっすぐに答える。

 

「××××××××××××××××。」

 

 “大切な人が傷ついていくのが嫌なんです”と本当は言いたかった。

 

 それは情報屋でも仮面でもない、“周央サンゴ”という一人の少女の、素直な思いだったが、それを言ってしまったなら結局は戦闘員になるのが得策で、そうでなければ平和を語るだけで何もしない愚か者に成り下がってしまう。

 

 全てを守りたければ政治家になるしかないし、一人だけを守りたいのなら所詮はそれ以外の全てに責任を持たないで生贄にする愚かなヒロインとして堕ちていくだけ。

 

 そんな残酷さと皮肉をその身に孕んだ、魂の一撃。

 

 静かに聞いていたクオンが、不安そうな表情で口を開く。

 

「防弾制服でもないあなたが現場で撃たれたら、命は助かりません。訓練も受けていないし、銃を持っても正確に撃てる保証もない」

 

 忠告は真っ当だった。だが、サンゴは小さく微笑んで首を振った。

 

「……情報と目が僕の武器ですから」

 

 そこで、環崎が小さく指を組み直す。

 

「……どんな仕事がしたい?」

 

「え?」

 

「クオンの言うとおり、戦場に出るなら戦闘兵として鍛え直すしかない。

 だが――外部支援者として、任務に間接的に関わってもらうという手も、なくはない」

 

 サンゴはその言葉に目を見開き、そしてすぐにうなずく。

 

「……それだけでも構いません。

 “東”の生徒が命を張るとき、何か一つでも僕にできることがあるなら、それでいい」

 

 一拍、空気が揺れる。環崎は椅子から立ち上がり、サンゴの真正面に来て、静かに彼女の目を見た。

 

「……なら、そういう“立場”を整えよう。

 ただし――情報屋として関わる以上、お前も“敵”に回される。選択を誤れば、死ぬことになる。」

 

 サンゴはまっすぐに目を返して、うなずいた。

 

 

 

 

 

 冷たい空気が張りつめる、東校舎の地下階段。北小路ヒスイに連れられて、周央サンゴは金属の手すりに手を添えながら、きしむような音を立てて降りていく。

 

「……けっこう深いんだね」

 

「この下、東の演習場になってるからね」

 

 やがて最後の一段を下りきると、無機質な金属の廊下が広がり、正面には分厚い強化ガラスの窓が設けられていた。

 

 そのガラス越しに、サンゴの視界に飛び込んできたのは――まるで迷宮のような複雑な構造を持つ演習場だった。

 

 入り組んだ通路、突き出した遮蔽物、移動式の壁やセンサー。その一角では、遠目に小さな人影がステルス姿勢で移動している。

 

「……これが、東の訓練施設……」

 

 サンゴの視線は演習場の奥――右手にある、更衣室・射撃場・武器庫のブロックへ向いた。

 

 その更衣室のドアが、キイィッと音を立てて開く。中から現れたのは、濡れた髪をタオルで拭きながら出てきた――セイラだった。

 

 サンゴが反応する間もなく、彼女はパッと顔を上げて目を輝かせた。

 

「あっ! サンゴさんだー!!」

 

 満面の笑顔とともに、サンゴへ駆け寄ってくるセイラ。

 

「あ……」

 

 対して、サンゴは目を逸らしつつ、少しばつが悪そうな表情。ヒスイが目を細めて呟く。

 

「……あんたら知り合いなの?」

 

 サンゴは気まずそうに頬を指でこすりながら答える。

 

「僕が牢に捕まってた時の担当官だよ……」

 

 ヒスイは驚いたように目を見開き、セイラとサンゴを交互に見比べる。

 

「え、こいつが担当官?

 ……予想つかないんだけど……」

 

 サンゴはちらりとセイラを見てから、小声で続ける。

 

「怖い時は本当に怖かった……“冷酷な戦闘兵”って感じだよ」

 

「ふぅん……」

 

 セイラの方を見ると、相変わらず笑顔でサンゴに手を振っていた。

 

「サンゴさん!久しぶり!身体大丈夫!?寝不足してない?変なもの食べてない?」

 

「う、うん……元気だよ……いろんな意味で、ね……」

 

 笑顔と冷酷の二面性。そのバランスを知っている者だけが、本当の“東の訓練生”たちの深さを理解していた。

 

 地下演習場の観察窓の前、静かな人工灯の下で、ヒスイはふと肩の力を抜いたようにサンゴへ言った。

 

「……ここなら、学校内でも邪魔にならずに仕事できるでしょ」

 

 周囲には最低限の設備しかなく、机も電源もむき出しの壁に沿って並べられているが、訓練中の射撃音が響く以外、人気はなく落ち着いていた。

 

 しかし、サンゴは少し眉をひそめて不満そうに答える。

 

「銃音がうるさくて集中できなさそう……」

 

 演習場の方から、パンッ、パンッと乾いた連続音が響くたびに、サンゴは耳をすくめるようにして肩をすくめる。

 

「……ていうか、本当は僕のことを監視したいだけなんじゃないかい?

 “素の僕”がどんな顔をするのか、見ておきたいがために」

 

 ジトッとした目でヒスイを睨むように見上げる。だがヒスイは、どこ吹く風といった調子で訓練机の端に腰掛けながら呟いた。

 

「……ここ、Wi-Fi完備でコンセントも使い放題なんだけどなぁ……」

 

「――是非使わせてもらおう」

 

 即答。

 

 さっきまでの不信感が嘘のように、サンゴは鞄からノートパソコンを取り出しながら小さく口笛を吹く。

 

「快適な作業環境の誘惑には逆らえないからね」

 

「単純だな、お前……」

 

 呆れながらもヒスイは苦笑を浮かべる。その様子を見ながら、少し離れた場所で身体を伸ばしていたセイラに、ヒスイが声をかける。

 

「そういえば、今日の演習、セイラと私だよね?

 いつもの感じでいく?」

 

 セイラはタオルを肩にかけたまま振り向き、軽く親指を立てながら答える。

 

「いいよー。

 相手が東堂コハクでもなきゃね」

 

 その名前に、サンゴがちらりと反応して振り向く。

 

「東堂……?」

 

 ヒスイは小さく笑って、「なんというか…化け物?」とだけ答えた。

 

 その瞬間、地下演習場の空気が、少しだけ緊張を帯び始めたように感じられた。その空気の中で、サンゴはパソコンを開きながら思う。

 

(……でも東の生徒たちって確か家族は)

 

(…よく考えると、そこまで珍しい名字でもないか)

 

 地下演習場の隅、仮設の作業机に座った周央サンゴは、ノートパソコンを前に静かに指を走らせていた。画面には複数の地図、掲示板のログ、警察発表されていない事故記録が次々と表示され、照合されていく。

 

(……さて、僕の仕事、始めるか)

 

(……やっぱり、今回の闇バイトの一件とは別に――

 他の強盗事件で動いてる一団がいる)

 

 指先が止まる。

 

(やり口も違うし、手がかりのパターンも違う……

 “ミスター”とは無関係っぽいけど……じゃあ、こいつらは一体?)

 

 わずかに眉をひそめながら、サンゴは隣の演習スペースで準備をしているヒスイへ声をかけた。

 

「ねぇヒスイ、“ミスター”の一件で取り調べた容疑者って、どうなった!?」

 

「全員もうここにはいないよ」

 

「……え?」

 

 ヒスイは振り返ることなく、淡々と答える。

 

「どこに行ったかは知らない。世怜音で引き取った奴は一人もいない」

 

 その言葉に、サンゴの手がピタリと止まる。

 

「……じゃ、じゃあ!この間の事件で現場に出た東の生徒……

 その子たちと話せない!?」

 

 思わず食い気味に声を上げる。だが、ヒスイは顔色一つ変えず、冷静に言った。

 

「殺しに行っただけだよ?

 “聞く”ような相手は、最初からいなかった」

 

 短く、冷たい事実。それでもサンゴは引き下がらなかった。目を伏せ、言葉を選びながら、それでも譲らず口を開く。

 

「……それでもいい!

 どんな些細なことでもいいから、現場にいた人間の“目”で見たことを聞きたいんだ!」

 

「何かおかしい気がするんだ。連中が動いてるとしたら、“交差”してる可能性もある。

 東の生徒たちの“本能”とか“違和感”って、資料じゃ絶対に拾えないから」

 

 ヒスイは、しばらく黙ってサンゴを見つめていた。彼女の目は、決して仕事の好奇心だけで燃えているわけではない。

 その奥には、確かな「責任感」と、誰かを守ろうとする意志が宿っていた。

 

 やがてヒスイはふぅっとため息をつき、肩をすくめながら答える。

 

「……わかった。あとで、現場に出てた子の一人に話を通してみる。」

 

 サンゴは目を見開き――そして、静かにうなずいた。

 

「ありがと……ヒスイ」

 

 地下の待機室、機材ラックの脇に設けられた簡易スペースで、サンゴは現場に出ていたポニーテールの東校舎の生徒と向かい合っていた。

 

 彼女はまだ若いが、立ち姿には無駄がなく、言葉数も少ない。だが、その視線はまっすぐで、記憶も鮮明だった。サンゴがやわらかく問いかけると、生徒はほんの少しだけ眉を寄せ、言葉を探すように答え始めた。

 

「……知らないよ、そんなの。

 きっと、どこか……誰にでも触れるけど、秘匿性の高い場所に……」

 

 言いかけて、ふと表情を変える。

 

「――あ、でも……それ、取り調べの時に話してたみたい。

 容疑者たち、最初からこう言われてたんだって」

 

 少しだけ口調が早くなりながら、生徒は淡々と続けた。

 

「『店員を脅して、その間に金を奪って、パソコンを指示通りにいじるだけでいい』

 『バレても金は後から返せば大した罪にはならない』

 『仮に失敗しても報酬はきちんと払う』――って」

 

 サンゴはその言葉を静かに聞き、やがて――目を細める。

 

「……なるほど」

 

 短くそう呟いた彼女の目が、一瞬だけ鋭くなる。そしてそのまま、無言で立ち上がり、足早にその場を離れていった。その背中に、ポニーテールの生徒は何も声をかけず、ただ静かに見送っていた。

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