ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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神算鬼謀

 車内の空気は、午後の外光を少しずつ取り込みながらも、どこか重苦しさを帯びていた。

 サンゴは窓の外を見ずに、コハクに向かって小声で話し始めた。

 

 「多分……神化薬の研究の資金提供に、物部家の名前を使ったんだ」

 

 コハクは助手席で身体を半ばひねってサンゴを見返す。

 

 「物部家に濡れ衣着せるためってこと? でも、家の人間がそれしても意味ないんじゃない?」

 

 その指摘に、サンゴは頷きながら返す。

 

 「そこなんだよ……」

 

 手の中でスマホを軽く握りしめ、指先が少しだけ白くなる。

 

 「神化薬の研究よりも、もっと大きな罪を物部家に犯させれば――研究自体が、世間から浴びる注目は少なくなる」

 

 「人間ってのはさ、より“でかい罪”に目が行きがちだから……“家柄に合わない親子を物部本家が死に至らしめた”となれば、それだけでビッグニュースになる」

 

 「そうなれば……回収されて処分されようと、神化薬はそこまで徹底的に調べられない」

 

 その言葉を吐き出すと、サンゴは興奮と焦燥の入り混じった声で続けた。

 

 「神化薬を一つ持ち出すくらい……容易になる」

 

 窓の反射に、サンゴの顔が揺れる。

 ――考えが掘り起こされ、拡がっていく。

 

 僕の名前と姿から本名を探るなら……その手の調査に長けた人間じゃないと無理だ。

 

 そんなことができる、執念深いくらいの情報量を持っていた人間。

 

 サンゴの唇がかすかに動く。

 声にならない呟き。

 

 

 

 

 

 

 

 「野武士さん……」

 「嘘つき……」

 

 

 

 

 車は何十分も高速道路を走り続け、インターチェンジで降り、細い道を抜けた先――とある大学の敷地内に入った。

 駐車場に停まったワゴン車のエンジンが静かに切られた。

 

 「ありがとう、クオンさん」

 

 サンゴは運転席のドアを少しだけ開け、運転していたクオンに小さく礼を言った。

 クオンは笑顔で答える。

 

 「楽しみにしてるぞ、周央サンゴ」

 

 その声に、サンゴは軽く頷くと、助手席のドアを開けて飛び降りた。

 隣には、静かに立っている東堂コハク。

 

 「…ここ、野武士さんが卒業した大学なんだ」

 

 サンゴは少し息を整えながら言った。

 

 「ここで奥さんと会ったらしくて…それで…」

 

 コハクはにっこりと笑って言った。

 「それは良かった。私もここ来たかったから」

 

 二人は坂道を上がり、大学の建物群の間を抜けて一つの館へと向かった。

 

 館の中に入ると、階段が続いていた。

 手すりに手をかけ、サンゴは軽く走りながらも言葉を続ける。

 

 「もっと奥の館なんだけど――」

 

 コハクは遮るように、優しくも厳しい口調で言う。

 「黙ってついてきて」

 

 そのまま二人は無言で階段を駆け上った。

 足音が響き、呼吸が高まる中、館の静けさが二人を包んでいた。

 

 ある階に差し掛かると、一つの教室の扉が開いていた。

 その中には、ひとりでパックのジュースをゆっくり飲んでいる葉加瀬冬雪がいた。

 

 サンゴは少し大きめに息を吸い込んで、声をかける。

 「間に合った!」

 

 「ごめん、遅くなった!」

 

 コハクも静かにその教室に入った。

 二人の足音が消え、教室にはジュースを飲む音だけが、静かに響いていた。

 

 教室の柔らかな日差しの中、葉加瀬はジュースのストローを咥えたままコハクをじっと見下ろした。

 

「遅い。もうΣの本隊も撤収したぞ」と冷たく言い捨てると、手にしていたジュースのパックをくしゃりと潰し、無造作にゴミ箱へ放り込んだ。乾いた音が教室に響く。

 

 そのままの流れで席を立ち、葉加瀬は少し伸びをしてから、教室の窓の方へと歩いていった。

 

「これで私の仕事、終わったな」とぼそりと呟きながら、制服の裾を整える。

 

 振り返りざま、コハクとサンゴを見て、にやりと笑う。

 

「じゃあ私、夜見さん回収して帰るから。書類はばっちり抑えたぞ。犯人の一人の身柄も抑えたから、残りの神化薬の場所も分かるだろう」

 

 それを聞いて、コハクはふっと緊張を解き、ゆっくりと葉加瀬に歩み寄った。

 

「本当にありがとう…」

 

 そして、唐突に彼女の体にしがみつくように抱きついた。

 

「葉加瀬さん!」

 

 その言葉に、葉加瀬は呆れたようにため息をつき、目を細めて見下ろす。

 

「こいつ、やっとデレたか……」

 

 少し困ったように眉を寄せつつも、そのまま抱きしめ返すことなく、軽く背中を叩いた。

 

「いざデレられると、ウザいな……」

 

 だがその声には、どこか優しさが混じっていた。

 

 葉加瀬の言葉を受けて、コハクの体を軽く押しのけるように距離を取りながら、

 

「東堂家と物部家のハンコもあるみたいだから、あとはご自由に」

 

 と言い捨て、手をひらひらと振って教室を後にしようとする。

 

「と…東堂家も!?」

 

 その瞬間、サンゴは顔を引きつらせて驚きの声を上げた。

 

 葉加瀬は一瞬足を止めて、振り返らずに淡々と答える。

 

「あれ…知らないの?」

 

「まあ協力したとはいえ、裏ではコッソリ警察に通報してたみたいだから、てっきり君達の差し金かと思ってんだけど…」

 

 その言葉を聞いて、サンゴの脳裏にセツカの顔が浮かぶ。

 

 セツカは…Σのやり方を決して容認はしないだろう。こないだ見せた墓場での一件から見てもそれは明らかだ。

 

 先代の天下無双の教えを忠実に守り、それを裏切ることは決してしない。

 

 そんなセツカが、危ない橋を渡ってまで今回のアゾートの一件に首を突っ込んできた。

 

 そこまでして彼女が関わるメリットがあるとすれば…

 

 サンゴは唇を噛みしめ、思考を深く巡らせる。

 

 東堂家が内通者として関わっていたならば、セツカは神化薬の取引経路を理解していたことになる。そして、その取引がどこで行われるかさえも把握していた可能性がある。

 

 セツカは一体、何を手に入れようとしてるんだ?

 

 セツカは絶対に薬そのものを欲しがるような人間じゃない。正義に反する行動をするような人でもない。

 

 では、セツカが欲しているものは何なのか?

 

 サンゴの中で、先ほど自分自身が考えていたことが再びフラッシュバックする。

 

 《もしここであのメッセージが本物だと信じ込んで、その上でおじさんがΣに殺されていたら、物部家は親子二人をΣに処理させたことになる》

 

 《こんな時代だ、もし、そのことが外部にバレたら。》

 

 

 

 

 

 「まさか…セツカは…」

 

 

 

 

 

 隠れて何かをして、それがバレることで多大な損失を追う。それが仮に成されたとして、果たして責任を問われるのは物部家だけだろうか。

 

 犯行の現場が分かるということは、それはすなわち「犯人」が処理されるその瞬間を見届ける権利を持つことにも繋がる。

 

 感覚がマヒしつつあるが、Σはその際、公的な機関であれば絶対にしないことをしている。そしてそれは、決して公には口にできないことだ。

 

 その瞬間に立ち会う権利を持つ、ということはつまり―――

 

 サンゴの頭に電撃が走るような閃きが訪れる。

 

「コハちゃん…」

 

 震える声で、コハクの方に向き直る。

 

「今回の一件…このまま続けたら、大変なことになるかもしれない」

 

 胸の奥がざわつく。誰かが誰かの正義のために動いている。でもその正義が、誰かを地獄に突き落とす可能性がある。

 

 サンゴの顔は青ざめ、息も荒くなる。

 

 その瞳には、ただ事ではない未来への恐れが宿っていた。

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