ベルリンの本懐 【完結】   作:えいどら

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龍鬼相搏

 夕暮れの光が差し込む演劇同好会の部室。普段は明るくにぎやかなこの場所が、今日は異様な緊張感に包まれていた。

 

「誰こんなことして…どしたのコハたん…」

 

 コハクはビデオカメラを抱え、泣き真似をしながら「ひ〜ん…このビデオの私怖いよぉ…」とおどけて見せる。

 

「あ~ん…泣かないでコハたん…」

 

「誰?コハたんにいじわるしたの~…」

 

 サンゴはそれをフォローしに回るが、その素性を知る兵士たちは誰も笑わない。映っていたのは、水族館で迷いなく歩みを進める冷徹な自分だった。

 

 部室の隅では葉加瀬が壁に寄りかかり、夜見はソファで足を組みながら沈黙を貫いている。ヒスイは窓際で腕を組み、チグサはそわそわと周囲を見渡している。

 

 そんな中、環崎の鋭い声が響く。

 

「どういうことか説明してもらおうか」

 

 サンゴはビデオカメラの映像から目を逸らし、静かに口を開く。

 

「セツカの目的は……Σを潰すことなんだ」

 

 その一言で、空気が凍りついた。誰もがサンゴの言葉の意味を飲み込もうとする中、環崎が再び声を発する。

 

「何故そうなる」

 

 サンゴは目を伏せ、絞り出すように語る。

 

「東堂家が内通していたってことは……つまり、どこで何が起きるのか、セツカは全てを把握できたってことです」「どこで神化薬が取引され、誰が動いて、どこで“処理”が行われるかまで」

 

「もし……その“処理”の瞬間を、外部のメディアに撮られたら……」

 

 その続きを、誰もが察した。

 

「……いくら国の機関とはいえ、それを揉み消すのは不可能に近い」

 

 その瞬間、誰かが息を飲む音が聞こえた。

 

 静寂の中、窓の外では風に揺れる木々の葉の音だけがささやいていた。部室の空気は、言いようのない重さに支配されていた。

 

 部室の重苦しい空気の中で、環崎は静かに椅子に身を沈め、低く、しかし明確な口調で言葉を発する。

 

「それで動かさなければ、Σはどの道、大元の国際連合から糾弾されるという訳か」

 

 誰も言い返せない。その言葉が示す通り、神化薬という存在が、世界的に見てもタブーの領域に踏み込んでいることは明白だった。

 

 環崎は目を伏せ、続けた。

 

「秘められしアゾートは、完成してしまえば流石に国を跨いでテロ組織に利用されかねない案件だ。動かないわけにもいかない。」

 

 そして視線を上げ、無表情のままコハクを見やる。

 

「なるほど。鬼の姉もやはり鬼というわけか」

 

 コハクは微動だにせず、それをただ受け止める。

 

 しばらくして、緊張に耐えきれなくなったようにチグサがぽつりと漏らす。

 

「セツカさんに謝りに行ったら許してくれたり…しないかな」

 

 その言葉に、サンゴは即座に、しかし静かに答える。

 

「それは無理そう」

 

 少し間をおいて、視線を落としたまま続ける。

 

「それに、前にセツカが言ってたんだ。『思い切ったことをするとき、万が一ひよっちまわないように、俺は後戻りできないようにする』って」

 

 誰もがその言葉の意味を考える中、サンゴは顔を上げ、確信を込めて口にする。

 

「勘だけど…多分もう、外部にバラすためのギミック自体はセツカの手から離れてると思う…」

 

 部室の空気が張り詰める中、サンゴは真剣な表情で口を開く。

 

「環崎さん」

 

 環崎がゆっくりとサンゴに視線を向ける。サンゴは、一歩踏み出して問いかける。

 

「仮にもし…常識的な理由でΣが動かない理由があるとしたら、それはなんですか?」

 

 環崎は即答する。

 

「Σは秘匿された法執行機関だ。それを動かすには、“動かさなければならない理由”がなければならない。よって、その国の警察や軍、日本国で言えば自衛隊に任せられるものであれば、動く理由などない」

 

 サンゴはその言葉を受けて、じっと考え込んだ後、まっすぐに顔を上げて口を開く。

 

「今回は、僕たちに任せてくれませんか」

 

 その声は震えていないが、張りつめていた。

 

「どこまで人を集められるかわかりません。もしかしたら、神化薬が世に解き放たれてしまうかもしれない」

 

「でも、変なネズミが入ってると思って、今回は放っておいてください」

 

 環崎はサンゴをじっと見つめた後、静かに言葉を返す。

 

「わかった」

 

 そのまま立ち上がり、冷静に、しかし明確に通達する。

 

「なら今回はΣは出さない。アゾートが世に出回ろうと、被害者がそれでいくら出ようと、それは一学生と日本警察の失態であってΣの関与するところではない」

 

 そして、部室の扉を開け、立ち止まりながら振り返る。

 

「コハクとヒスイの外出許可なら出そう。他は知らんから勝手にするといい」

 

 それだけを告げて、環崎は静かに部室を後にする。

 

 部室に残されたメンバーは、その決意と緊張感を肌で感じながら、これからの一手に思いを巡らせていた。

 

 

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 昼下がり。タクシーの車内は、外の景色が窓に流れ込むほどに長い沈黙に包まれていた。

 サンゴは後部座席に座り、左右を葉加瀬と夜見に挟まれている。

 暗めのサングラスをかけた夜見はスマホを弄りながら静かに座り、葉加瀬は運転席と助手席を確認しつつ、サンゴに視線を向ける。

 

「行き先、どこなんですか?」

 サンゴが尋ねると、葉加瀬は軽く肩をすくめて――

「良いから黙ってついてこい」と短く返す。その言葉には冷たさと共に、何かが隠されている予感があった。

 

 タクシーは市街地を抜け、舗装が荒れた山道へと分け入る。

 窓の外の街並みは次第に木々と苔むした石壁に替わり、アスファルトの表面もひび割れが目立つようになる。

 路肩には雑草が伸び、途中で一台、軽トラックが錆びついて止まっていた。

 タクシーのサスペンションが大きく上下し、サンゴは軽く身体を揺らされて目を細める。

 

「……こんなとこまで来るんだ」

 サンゴの声には、少しの戸惑いと緊張が混じっていた。

 

 やがて道の先に、小さな修道院の尖塔が見えた。白壁が徐々に近づき、扉の周囲には苔と蔦が絡まっている。

 タクシーがその前の小さな円形の駐車場で停止する。

 葉加瀬がドアを開け、自分と夜見、そしてサンゴを順に降ろす。

 

 外気はひんやりとしていた。風が古い鐘楼の鐘を揺らし、遠くで鳥が一声鳴く。

 サンゴは深呼吸しながら、修道院の重厚な扉を見上げる。

 

「B‑17どうだった?」

 葉加瀬がサンゴに尋ねた。

「……何それ?」

 サンゴは首をかしげ、訳がわからない様子で返す。

 

 葉加瀬は微笑むように言った。

「名前……空星きらめって言ったっけ。会ったんでしょ。」

 

「私と同郷なんだよ、あいつ。」

 

「あいつが変えちまったんだよ…私の運命を」

 

 その言葉に、サンゴは顔をほころばせて――

 

「良い子だよ。」

 

「すっかりチグちゃんとも仲良くなって」と答える。

 

 葉加瀬は立ち止まり、軽く「……あっそ」と呟いて、先を急ぐようにドアへ歩き出した。

 その足取りにはためらいはなく、サンゴと夜見も続いて修道院の中へ足を踏み入れた。

 

 古びた木製の扉が重く閉じられ、外の光が一瞬途切れた。

 中に入ると、静寂だけが支配していた。鐘の音も遠のき、三人の足音だけが反響する。

 

 木々のざわめきと、遠くで鳴く鳥の声。タクシーを降りてから歩くこと数分、三人はついに修道院の正門前にたどり着いた。

 

 朽ちかけた石畳の道は、修道院の入り口へとまっすぐ続いている。古びた木の扉は分厚く、鉄の装飾が施されていたが、表面にはどこか新しい手入れの跡も見える。その扉の傍に、目立たぬようにインターホンが設置されていた。

 

「……夜見さん行ってよ」

 

 ぽつりと、葉加瀬冬雪が夜見れなの背中に隠れるように立ち止まり、呟いた。

 

「え? なにそれ、冬雪が自分で来たいって言ったんじゃん〜」

 

 夜見はふっと眉をひそめ、振り返る。

 

 だが葉加瀬は目を逸らしながら、小声で続けた。

 

「……私ちょっと、会うの嫌なんだよね……」

 

 珍しく気弱な調子でそう言う葉加瀬の様子に、サンゴも目を見開いた。だが夜見は溜息まじりに肩をすくめ、「ん〜〜……仕方ないなあ」とぼやきながら、扉の横にあるインターホンに手を伸ばす。

 

 ピンポーン……

 

 鐘のような柔らかな音が、修道院の奥から響く。だが、それに続く気配はない。静かな待機の時間が始まった。

 

 サンゴは木の門のそばで辺りを見渡しながら、ぽつりとつぶやく。

 

「ここ……ただの教会じゃないの?」

 

 葉加瀬は少し間を置いてから、無表情で答えた。

 

「……シヴィルトのことで動くなら、ここには来といた方がいい」

「……そういう場所」

 

 その声には、どこか言葉を選ぶような重さがあった。

 

 沈黙が降りる。

 風が枝を揺らし、葉が擦れ合う音だけが耳に届く。

 

 鳥のさえずりが、どこか遠くで一瞬だけ止んだかと思えば、今度は修道院の裏手から微かに鐘の音が響いた――。

 

 その音は低く、長く、まるで誰かの記憶を呼び覚ますかのように、空気を震わせていく。

 

 サンゴは無意識に自分の指先を握る。

 葉加瀬は、黙ったまま扉の取っ手ではなく、地面の影をじっと見つめていた。

 夜見だけが、飽きたように空を見上げる。

 

 その時、カチャリ――と、扉の向こうから鍵の開く音がした。

 

 しん、と静まり返った修道院の前。鐘の音が空気に消えてしばらくすると――

 

 ギィ……という重く軋む音と共に、分厚い木の扉がゆっくりと開かれた。

 

 中から現れたのは、長い紺色のスカートに灰のローブを纏い、頭に青いヒジャブを巻いた中年の女性だった。穏やかな顔立ちに眼鏡をかけ、その眼差しは知性と慈愛に満ちていたが、扉の外に立つ三人を見た瞬間――特に夜見れなの姿を見た瞬間に、その表情は止まる。

 

 彼女は目を大きく見開いたまま、しばし夜見を見つめ続けた。そして、ある瞬間、ハッとしたように息を呑み、思わず一歩前に出る。

 

 「……レナ……?」

 

 その声は、信じられないという色を濃く含んでいた。

 

「先生、久しぶり〜」

 

 夜見は、どこか照れくさそうに笑いながら手を振る。

 

 次の瞬間、ヒジャブの女性は堰を切ったように夜見のもとへ駆け寄り、その両肩をぐっと掴んだ。

 

 「……レナ……! 本当にレナなの……!?」

 

 目元を潤ませながら、言葉を詰まらせた彼女は、ためらいもなく夜見を強く抱きしめた。

 

 「……よく……よくこんなところまで来たね……」

 

 その抱擁の背に、しばらく動かずにいた夜見も、ゆっくりと腕を上げ、ぎこちなく彼女の背中を軽く叩いた。

 

 サンゴはその様子を見つめながら、小さく首をかしげて葉加瀬に尋ねた。

 

「……どういうこと?」

 

 葉加瀬は、淡々とした口調で答える。

 

「シヴィルトの子はね、ヴァルテスと違ってかなり宗教色が強かったんだよ」

 「だから施設を解体しても、その後の受け入れ先がなかなか見つからなかった」

 「でも、シヴィルトを早く潰せたのは、内部の職員のほとんどが当時の法人の体制に批判的だったからなんだ」

 

 言葉を聞きながら、サンゴは扉の前で抱き合う二人に目を向けたまま、怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「……じゃあ……シヴィルトって、姿形を変えて今も“存続”してるってことかい?」

 

 その問いに、葉加瀬は肩をすくめながら答える。

 

「まあ、もう人身売買でお金稼ぐみたいなことはしてないよ」

 「……教育方針は、知らないけどね」

 

 風が吹き、木の葉がさらさらと揺れた。

 

 修道院の扉の向こう――過去の罪を抱え、それでも残された子どもたちの「今」を繋ごうとする場所。そこに、夜見れなという一つの記憶が、戻ってきたのだった。

 

 葉加瀬冬雪は、修道院の門のそば――古びた石壁の陰に、そっと身を寄せるように立っていた。

 

 視線の先では、青いヒジャブの女性がまだ夜見れなを抱きしめている。再会の喜びに頬を濡らしながら、何かを語りかけているようだった。

 

(……ほんと、こういうの苦手なんだよな)

 

 そう思いながら気配を殺してやり過ごそうとしていたが――ふいに、ヒジャブの女性が葉加瀬の方へと顔を向けた。

 

 ぱちりと、目が合う。

 

「……あら」

 

 女性は、まっすぐに葉加瀬の姿を見据えると、やわらかな微笑みを浮かべて声をかけた。

 

「……レナを、連れてきていただいたんですね」

 

「最初、お姿を見たときは……あの子が、あんな惨めな服を召されていたから、もしかしたら、恐ろしい場所の子達なのかと、少し疑ってしまいました」

 

 「でも……あなたが、こうして優しい子で、本当に良かった……」

 

 葉加瀬は一瞬、バツが悪そうに頭を掻いた。

 

「……仕方なかっただろ。あの時は……社長に買ってもらったすぐ後だったんだから……」

 

 その言葉に、女性の表情は一瞬だけ陰ったが、すぐにまた穏やかな微笑みを取り戻し、言葉を継いだ。

 

「……よかったら、ご一緒にお昼でもいかがですか?」

 

 「うちの信徒の皆さんも、レナのご友人なら歓迎するでしょうし……」

 

 その言葉に、夜見は「え、行こ〜よ冬雪」と何気なく言おうとしたが、隣の葉加瀬の様子に気づいて、口をつぐんだ。

 

 一方、葉加瀬は一瞬「あっ……」と声を漏らしたまま、動きを止める。

 

 彼女の脳裏に浮かんだのは――

 

 あ、やば……これ、絶対あれやらされるやつじゃん……

 

 その場で冷や汗がにじみ出す。

 

 「……いや……ちょっと、私は遠慮しておきます……」

 

 葉加瀬は無理やり笑みを浮かべながら、そっと一歩後ろへ下がる。

 

 女性はそれを咎めることなく、むしろ優しげに微笑みながら「そうですか……無理はなさらず」と言って静かに頷いた。

 

 その様子を見ていた夜見は、くすくすと笑いながらも、どこか懐かしそうに修道院の建物を見上げる。

 

「良いじゃん、ご飯くらい〜」

 

 夜見れなが葉加瀬の袖を軽く引っ張りながら、にこにこと言う。

 

 だが葉加瀬は、じとっとした目で彼女を見返してから、手を振るようにして言った。

 

「……行くなら夜見さんだけで行ってきて……私は、タクシー乗ってステーキでも食うから」

 

 その言葉に、夜見は「え〜」と不満げな声を漏らすが、葉加瀬はもう後ろを向いてスマホを取り出していた。まるで検索でも始めそうな勢いだった。

 

 だが次の瞬間、「あ! そうだ!」と、葉加瀬が声を上げてくるりと振り返った。

 

「シヴィルトってさ、昔……治験の手伝いとかしてたでしょ?」

 

 ヒジャブの女性は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出したように頷く。

 

「ええ、昔はそういうプログラムがあったこともありましたね……」

 

「最近なんか、妙な来客とか無かった? 見覚えのない業者とか、施設を訪ねてきた研究者とか」

 

 葉加瀬の目つきは鋭く、何か確信に迫ろうとするような圧を持っていた。

 

 女性は一度「いえ……特には」と首を横に振ったが、ふと何かを思い出したように口を開いた。

 

「……そういえば、最近、信徒の子が……奉仕活動の帰りに、妙なことを耳にしたと話していました」

 

「何それ?」と、夜見がすかさず問いかける。

 

「薬と関係あるの?」

 

 女性は少しだけ表情を曇らせると、夜見をまっすぐに見て、ゆっくりと話し出した。

 

「レナ……アユミは覚えてますか?」

 

 夜見はすぐに小さく頷いた。

 

「もちろん。あの茶髪メガネでしょ?」

 

「ええ。昔……治験に参加していたんです。あの頃、施設で参加していた薬物試験で、安全なものだからと一部の幹部の指示で実施していたのです。」

 

「今、その幹部はいません。しかるべき対応をし、免職しました。しかし彼女もまた、それに参加していて……」

 

 葉加瀬の眉がぴくりと動く。

 

「それで、どうしたの?」

 

 「先週だったかしら……アユミが街での奉仕活動から戻ってきたとき、“あの治験のときの担当に似た人を見た”と、怯えたように話していて……」

 

 「最初は、似たような人を見かけた程度かと思ったんですけれど……彼女、こうも言っていました。“その人たち、薬を法外な金額で取引してた”、と」

 

 「“それに、被験者の身体を……何かに使ってるみたいだった”とまで話していて、怖くなって急いで戻ったと」

 

 その場に、重たい沈黙が降りた。

 

 聞いていたサンゴは、ふいに目を見開く。

 

「その話……!」

 

 思わず声を上げかけた瞬間、葉加瀬が横から手を伸ばし、サンゴの肩を押さえながら低く言った。

 

「……サンゴちゃん。今はまだ、静かにしといて」

 

 サンゴは歯を食いしばるようにして言葉を飲み込む。

 

 夜見は真剣な顔で女性に向き直ると、そっと尋ねた。

 

「アユミ……今、暇? 会えないかな。その話、もっと詳しく聞きたい」

 

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