虐げられていたとはいえ、ここまでのざまあは望んでいない 作:匿名希望さん
遺跡のひんやりとした空気が、屋敷での息苦しさを洗い流してくれるようだ。
ボクの後ろを、重厚な足音を立てるバーナードと、その頭の上で楽しそうに尻尾を振るフラグメントがついてくる。
これからは三人(?)でこの秘密の聖域に通うのが、ボクたちの新しい日常になりそうだ。
「よし、今日も頑張ろう! 次は、どの子を直そうかな……」
ボクが革鞄を置いてガラクタの山を見渡し、ぐっと拳を握りしめると、バーナードが少しだけ心配そうな顔を向けた。
瓦礫の山には、まだたくさんの仲間たちが眠っている。流麗な曲線を描く女性型の機械人形、獣のような四つ足を持つ大型の機体、翼を持つ鳥のようなものまで様々だ。
どれも魅力的で、早く動かしてあげたい気持ちでいっぱいだけど、同時に、どれもバーナードと同じか、それ以上に大きくて複雑な構造をしている。一人で修理するには、途方もない時間がかかりそうだ。
ボクが腕を組んで唸っていると、バーナードがおもむろに進み出た。
「僭越ながら、マスター。一つ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「うん? なんだい、バーナード」
「マスターの御身を案ずるに、これ以上の激務は心苦しく存じます。このバーナード、マスターのお役に立てるなら本望ではございますが、力仕事以外では非力。マスターお一人に、これほどの負担を強いるのは……」
バーナードはそこまで言うと、瓦礫の山の一角を、その太い腕で指し示した。
「つきましては、我々の同胞の中でも、特に『修復』に特化した個体を先に再生させるのが、後の作業を円滑に進めるための最善手かと存じます。彼を直せば、マスターの大きな助けになるはずです」
彼が示した先には、一体の機械人形が、壁に寄りかかるようにして座り込んでいた。
その姿は、まるで深海の宝石と呼ばれる『白珊瑚』を模したかのようだ。
白い陶器のような装甲は、無数の微細な骨格が集まって形成されたサンゴのように、複雑で美しい模様を描いている。体つきは華奢で、背中には、まるでサンゴの枝が伸びたかのような、四本の細い金属の腕が折り畳まれている。
そして何より特徴的なのは、頭部だ。顔に当たる部分には、暗い海の底で静かに輝く、巨大な真珠のような一つ目が埋め込まれていた。
「あの子か……」
ボクも、ずっと気になってはいた。
半分以上が瓦礫に埋もれていたが、露出している部分の損傷は比較的少ないように見えたからだ。でも、その分、内部構造は今までで一番複雑そうに見えて、後回しにしていた。
「……そうだね。バーナードの言う通りかもしれない。ボク一人で全員を直すなんて、時間がかかりすぎる。仲間を修理する仲間がいれば、もっと早く、みんなを助けてあげられる」
今なら、できるかもしれない。
フラグメントを直した経験と、バーナードを直した応用力。そして何より、手伝ってくれる仲間がいる。
「よし、決めた! 次はあの子だ! バーナード、フラグメント、手伝ってくれるかい?」
「おおっ! お任せください、マスター!」
「きゅいーっ!」
頼もしい二人の返事に、ボクの胸は熱くなった。
◆
修理は、まさに三位一体のチームプレーで進められた。
まず、バーナードがその怪力で、機械人形を埋めている瓦礫を一つ一つ、慎重に取り除いていく。
完全に姿を現したその機体を、ボクたちは工房へと運んだ。
ボクは自分の知識と観察眼を総動員して、機体の損傷具合を調べていく。大きな破損はすぐにわかったが、問題は細部だ。
「きゅい!」
ボクが唸っていると、機体の周りを調べていたフラグメントが、瓦礫の影に隠れた小さな亀裂の前で鳴いた。
「ありがとう、フラグメント! 助かるよ、そこは見落とすところだった!」
フラグメントの直感が、ボクの技術を補ってくれる。ボクはノートに機体の状態を細かく書き込み、完璧な修理計画を立てていく。
だが、すぐに新たな壁にぶつかった。
「なんだ、この機構は……」
装甲の内側に張り巡らされていたのは、まるで人の血管のように微細な、水晶でできた管のネットワークだった。古文書によれば、この管の中を『生命の雫』とも呼ばれる、魔力を帯びた液体が循環し、わずかな傷を自動で塞ぐ機能を持っていたらしい。とんでもない技術だ。
問題は、その循環路の多くが物理的に断裂し、中の液体が干上がってしまっていることだった。修復するには、人間の髪の毛よりも細い水晶管を、寸分の狂いもなく再接続する必要がある。
「くっ……ボクの手じゃ、ピンセットを使っても無理だ……!」
ボクが頭を抱えていると、足元でフラグメントが「きゅいきゅい!」と何かを訴えかけてきた。
彼はおもむろに、両腕のカマの先端から、シュルリ、と一本の糸を伸ばしてみせた。それはまるで、蜘蛛の糸のように細く、それでいて、内部から淡い光を放っている。月光を編み込んだかのような、神秘的な光の糸だ。
「なっ……なんだ、その糸は!? フラグメント、君、そんなことできたのか!?」
ボクは思わず素っ頓狂な声を上げた。今まで、彼ができるのは透明化と幻影を見せることだけだと思っていた。こんな、物理的な糸を生成する能力まで持っていたなんて。
ボクは驚きに目を見開いたまま、その光の糸をまじまじと見つめた。
髪の毛よりも細く、しなやかで、それでいて強度もありそうだ。
……待てよ。
この細さ、このしなやかさ……もしかして。
「……この糸を、水晶管の繋ぎに使えば……!」
天啓のような閃きが、脳天を貫いた。そうだ、この糸なら、あの微細な管の中を通して、断裂した部分を繋ぎ合わせることができるかもしれない!
閃きが、困難な道を照らし出す。
「フラグメント、すごいぞ! 君のおかげだ!」
ボクは興奮気味に叫び、すぐに作業の準備に取り掛かった。息を詰めるような緊張感が、再び工房を支配する。
「バーナード、そこを動かないように、しっかり固定してくれ!」
「お任せを、マスター!」
バーナードが重いパーツをミリ単位で調整しながら固定し、わずかな隙間を作り出す。
「フラグメント、今だ! その隙間に糸を!」
「きゅっ!」
フラグメントが、その隙間に寸分の狂いもなく光の糸を通す。
「よし……!」
そしてボクが、震える指でピンセットを操り、糸の先端を回路の結節点へと繋ぎ合わせる。
オイルと金属の匂い。パチパチと火花が散る音。ひんやりとした工具の感触。
ボクと、二人の仲間。三者の呼吸が完全に一つになった時、断裂していた回路に、再び青銀の光が脈動した。
「やった……! やったぞぉっ!」
思わず叫ぶボクの肩を、バーナードが優しく叩く。フラグメントは、ボクの足元で嬉しそうに飛び跳ねていた。
一人では、決して越えられなかった壁。
それから、一週間が経った。
ボクたちは、寝る間も惜しんで修理に没頭した。
そして、ついに、その瞬間が訪れる。
「……よし。これで、全部だ」
ボクは最後の配線を終え、額の汗を手の甲で拭った。
残すは、胸部中央の窪みに、調整を終えた動力コアをはめ込むだけ。
ごくり、と喉を鳴らす。
バーナードとフラグメントが、固唾を飲んでボクの手元を見守っていた。
ボクは祈るような気持ちで、水晶のコアパーツをゆっくりと窪みにはめ込んだ。
――カチリ。
小さな、しかし確かな手応え。
その瞬間だった。
……スゥゥゥゥ……。
駆動音は、今までの二人とは比べ物にならないほど静かだった。まるで、精密な時計が動き出すような、澄んだ音。
機体の全身を走る紋様が、知性を感じさせる、静謐な青銀の光を灯していく。
やがて、その白衣の機械人形は、ギシリとも音を立てず、滑らかな動作でゆっくりと身を起こした。
そして。
カシャッ。
頭部の巨大な一つ目が、何枚もの薄い金属の羽根が重なり合うようにして、音を立てて開いた。
その巨大な目が、まっすぐにボクを捉える。
次の瞬間、背中に折り畳まれていた四本の細い金属の腕が、シュルリ、と音もなく展開された。
そのうちの一本が、ボクが作業台に置きっぱなしにしていたヤスリを、そっと掴み上げた。
白衣の機械人形は、そのヤスリを自らの目の前にかざし、分析するように微かに首を傾げる。
そして、静かな、機会のような音声が、遺跡に響いた。
「……表面の摩耗率、3.7パーセント。整備を推奨します」