虐げられていたとはいえ、ここまでのざまあは望んでいない 作:匿名希望さん
「……表面の摩耗率、3.7パーセント。整備を推奨します」
静かな、合成音声のような声が、遺跡に響き渡った。
ボクは、口を半開きにしたまま、目の前で起きていることを理解できずにいた。
起動したばかりの、白珊瑚のような機械人形。彼が、ボクのヤスリを細い金属の腕でつまみ上げ、淡々と分析結果を告げている。
後ろではバーナードが「おお……」と感嘆の声を漏らし、フラグメントは不思議そうに「きゅ?」と首を傾げている。
「え……と、君は……」
ボクが戸惑いの声をかけると、白珊瑚の人形はヤスリをそっと元の場所に戻し、その巨大な一つ目をボクに向けた。
「自己診断を開始。……機能、正常。損傷率、1.2パーセント。制作者による修復精度、98.8パーセント。素晴らしい腕前です、マスター」
「ま、マスター!?」
バーナードに続き、この子まで。どうやら、ボクが起動させた機械は、みんなボクのことをマスターと認識するらしい。
彼は淡々と言葉を続ける。
「マスター、個体識別名を要求します」
「こ、個体識別名……名前のことかい?」
「肯定。呼び名がない状態は、非効率です」
非効率、か。なんだか、すごくこの子らしい言い方だ。
ボクは少し考えて、彼がサンゴのように少しずつ自己増殖し、修復する姿から、一つの名前を思いついた。
「そうだね……君の名前は『コーラル』だ。珊瑚の名だよ。どうかな?」
「……了解。個体識別名『コーラル』を登録。これより、私はマスターの指示に従います」
コーラルは静かにそう言うと、背中の四本の金属腕を器用に動かし始めた。
何を始めるのかと思えば、彼は自身の体の、ボクが修理したばかりの箇所を指し示した。
「修復作業、感謝します。ですが、この接合部分の強度に、0.03パーセントの誤差を検知。自己修復を開始します」
言うが早いか、コーラルは背中の腕の一本から、レーザーのような細い光を照射し、もう一本の腕で金属の粉末を振りかけながら、寸分の狂いもなく接合部を再処理していく。
ボクが何時間もかけてやった作業を、彼はものの数分で、完璧に仕上げてしまった。
「うそだろ……」
ボクはその光景に、ただただ圧倒される。
自分の技術が、まるで子供の遊びのように思えてくる。
ボクの驚きをよそに、自己修復を終えたコーラルは、巨大な一つ目を遺跡の奥にあるガラクタの山に向けた。
「マスター。次の修復対象を指示してください。並列思考により、複数体の同時分析が可能です」
「え、あ、ああ……じゃあ、あそこの、四つ足の獣みたいな子はどうかな?」
ボクが指さすと、コーラルの一つ目が淡く光り、対象をスキャンしていく。
「対象を分析。……損傷率、78.4パーセント。主要動力回路の断裂、複数の装甲板に深刻な亀裂を確認。修復には、高純度の『オリハルコン鋼』が30キログラム、特殊な魔力溶接技術が必要です」
具体的な素材名まで、一瞬で。
それだけでは終わらなかった。
「修復手順の最適解を算出。……完了。マスターのノートに転写します」
コーラルの一つ目から放たれた光が、ボクの広げたノートの上に、複雑で精密な設計図を寸分違わぬ線で描き出していく。それは、ボクが何週間も、いや、何ヶ月もかけて考えなければたどり着けないような、完璧な手順書だった。
「すごい……! すごすぎるよ、コーラル!」
ボクは、興奮に体を震わせた。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
この子がいれば、本当に、ここに眠るみんなを助けられるかもしれない!
「なんと頼もしい……。マスターのその御手は、我々鉄の塊に再び魂を吹き込む、まさに神の御業。その御業を助けるに、これほど相応しい者はいませんな」
バーナードが、心からの敬意を込めてそう言った。
途方もない夢物語だと思っていた「全員を修理する」という目標が、今、確かな現実として、目の前に広がっている。
その日は、コーラルが算出した修復計画の確認と、必要な素材のリストアップだけで、あっという間に過ぎていった。
◆
翌朝。
ボクは期待に胸を膨らませながら、仲間たちと共に遺跡へと足を踏み入れた。
そして、言葉を失った。
「きゅい!」「きゅきゅ!」「きゅい、きゅい!」
昨日までガラクタの山だったはずの遺跡の一角が、小さな機械生命体たちの楽園に変わっていたのだ。
何十体もの、フラグメントとそっくりな機械たちが、元気に鳴き声を上げながら、ちょこちょこと走り回っている。まるで、銀色のネズミの大群だ。
「なっ……なんだ、これ……!?」
ボクが呆然と立ち尽くしていると、肩に乗っていたフラグメントが「きゅるるるっ!」と歓喜の声を上げ、兄弟たちの輪の中へと勢いよく飛び込んでいった。
すぐに、たくさんの兄弟たちがフラグメントの周りに集まり、頭をこすりつけ合ったり、嬉しそうに一緒に転げ回ったりしている。
その光景の中心で、コーラルが静かに佇んでいた。
「コーラル……まさか、これを全部、君が一人で……?」
「肯定。昨夜、マスターがお休みになっている間に、遺跡内に散在していた小型の偵察・作業用個体を修復しました。彼らは構造が比較的単純なため、自己判断での修復と再起動が可能です」
コーラルは、とんでもないことを、まるで天気の話でもするかのように淡々と告げた。
一晩で、これだけの数を……。彼の修復能力は、ボクの想像を遥かに超えていた。
「すごい……本当に、すごいよ……」
ボクが感動に打ち震えていると、コーラルは言葉を続けた。
「ですが、マスター。彼らはあくまで特定の機能に特化した個体であり、バーナードのような複雑な自我を持つ『人格体』とは異なります。人格体を再起動するには、私の技術だけでは不可能です」
コーラルの一つ目が、まっすぐにボクを捉える。
「彼らの魂を呼び覚ますには、動力コアと機体の制御回路を繋ぐ、最後の工程が不可欠。私の分析では、マスターは動力コアを接続する最終工程において、超高精度の『エネルギー流量調律』を行っています。動力コアから溢れ出す膨大な初期エネルギーを、マスターはその指先だけで完璧に制御し、機体全身のエネルギー紋様の一つ一つに、正しい流れで分配している。それは、荒れ狂う大河の水を、無数の細い水路に一滴も溢れさせることなく導くような神業。この技術こそが、我々の魂を呼び覚ます鍵なのです」
その言葉に、ボクはハッとした。
そうだ。ただコアをはめるだけじゃない。
この『エネルギー流量調律』は、ボクが5年間、誰にも知られず、あの解読不能だった古文書と格闘し、エネルギーの制御に失敗して何度紋様を焼き切ったかわからないほど、何千回と失敗を繰り返して、ようやく編み出したボクだけの技術なんだ。
この技術を『エネルギー流量調律』と呼ぶなんてボクは今知ったわけだけど。
魔力がないからこそ、魔力に頼らない、純粋な技術と知識だけで、この子たちに命を吹き込む方法を見つけ出した。それは、ボクの血と汗と涙の結晶。ボクだけの、宝物だ。
「わかったよ、コーラル。ボクにしかできないことがあるんだね」
ボクが力強く頷くと、コーラルは「ご理解、感謝します」と静かに言った。
そして、彼は背中の細い腕の一本で、遺跡の最も奥深く、巨大な影が鎮座する場所を指し示した。
「さて、マスター。準備は整いました。次は、この遺跡の『最強』を修復しましょう」
ボクは、コーラルが示した先を見つめた。
そこには、玉座のような岩に腰掛け、眠りについているかのような、美しい女性の姿をした巨大な機械人形がいた。
その体は、誰よりも美しく、気高く、そしてどこか悲しげな雰囲気をまとっている。
最強。
その言葉に、心臓の音が高鳴る。
ぜひとも、その『最強』を直してみたいと僕は思ったのだ。