虐げられていたとはいえ、ここまでのざまあは望んでいない 作:匿名希望さん
ヴァインライト公爵家の広大な庭園。手入れの行き届いた芝生の上で、二つの影が激しく交錯していた。
キンッ、と甲高い音を立てて木剣が弾かれる。体格で勝る取り巻きの一人が、体勢を崩してよろめいた。
その一瞬の隙を、レオ・ヴァインライトは見逃さない。
「――終わりだ」
冷たく呟き、レオは左手を天に掲げる。その手のひらに、蒼い魔力が渦を巻いて収束していく。
「――身体強化《フィジカルブースト》!」
詠唱と共に、レオの体を淡い光が包み込む。魔力が彼の筋肉を、神経を、骨格を、常人ではありえないレベルにまで引き上げた。
踏み込んだ足が芝生を抉り、その姿がブレる。
取り巻きが体勢を立て直すよりも早く、レオの木剣が閃光となって彼の胴を薙いだ。
「がはっ……!」
鈍い衝撃音と共に、取り巻きの体が「く」の字に折れ曲がり、数メートル後方まで派手に吹き飛ばされる。芝生の上を無様に転がり、そのまま動かなくなった。
「さ、さすがです、レオ様!」
「あの一撃……! もはや騎士団の方々と見紛うばかりの鋭さでしたぞ!」
遠巻きに見ていた他の取り巻きたちが、慌てて駆け寄り、称賛の声を浴びせる。
レオは強化魔術を解き、ふぅ、と息を吐いた。心地よい疲労感と、全能感が全身を駆け巡る。
ああ、強い。自分は、こんなにも強くなった。
ヴァインライト公爵家という、王国でも屈指の名門に生まれたレオは、その血筋ゆえに、そこらの下級貴族のボンクラどもとは魔力の総量が違う。鍛えれば鍛えるだけ、強くなれるのだ。
だが、それでも。
この公爵家では、レオ程度の強さでは『平凡』の域を出ない。天才的な長男、狡猾な姉。彼らの前では、自分の努力など、児戯に等しい。
だから、ふてくされた。だから、もっと弱い者を見下すことで、かろうじて自尊心を保ってきた。
そう、ルックだ。魔力ゼロの、出来損ないの、レオだけのサンドバッグ。
あいつを嬲る時だけが、自分が『強者』でいられる唯一の時間だった。
――だというのに。
あの忌々しい日。手下の腕が、謎の現象で切断されたあの日から、全てが狂った。
恐怖に駆られて逃げ出したレオは、屋敷中の笑いものになった。姉には「出来損ない相手に逃げ出すなんて、みっともなさすぎ」と嘲笑され、敬愛する父上からは、ゴミを見るような冷たい視線を向けられた。
許せない。何もかも、全部、あのルックのせいだ。
だから、今日まで、血反吐を吐く思いで魔術の特訓に励んできた。
すべては、この手でルックを完膚なきまでに叩きのめし、失われた名誉を取り戻すため。
「お見事でございました、レオ様。その若さで、これほど精密に魔力を制御なさるとは」
穏やかな声と共に、木陰から一人の男が拍手をしながら現れた。
銀縁の眼鏡をかけた、優男風の家庭教師。この一ヶ月、レオの魔術を指導するために雇われた男だ。
「これほどの成長速度、まさに神童と呼ぶにふさわしい。もはや、同年代でレオ様に敵う者は、この王国広しといえど、一人としておりますまい」
「ふん、当然だ」
レオは家庭教師の賛辞に鼻を鳴らし、木剣を放り投げた。
「これから、この前の雪辱を晴らしに行く。手筈通り、お前もついてこい」
「心得ております。そういうお約束でしたからね」
家庭教師は、笑みを崩さずに頷いた。
本来なら、こんな大人を連れていくつもりはなかった。レオ一人の力で、あいつを屈服させてこそ意味がある。
だが、忌々しいことに、取り巻きのボンクラどもは、あの腕が切れる怪異現象にすっかり怯えきって、誰もルックに近づこうとしない。
仕方なく、この男を『保険』として連れて行くことにしたのだ。
「言っておくが、お前はあくまで監督役だ。手出しは絶対に許さん。オレの名声に傷がつくからな」
「もちろんです。私はただ、レオ様のお側に控え、万が一の事態に備えるだけ。仮に、かの出来損ないが、また何らかの卑劣なトリックを用いたとしても、私の目をごまかすことはできません」
家庭教師の言葉に、レオは満足げに頷いた。
そうだ、それでいい。
こいつがいれば、心配ない。何せこの男は、自分が動かせる全財産を総動員し、裏ルートで探し出して雇い入れた、王国の暗部組織――王室直属特務機関
その完璧すぎる布陣に、レオの口元がニタニタと歪んだ。
もう、負ける要素など何一つない。
「行くぞ、お前ら! あの出来損ないの寝床はわかっている!」
レオはそう叫ぶと、怯えながらも従うしかない取り巻きたちと、底知れない笑みを浮かべる家庭教師を引き連れて歩き出した。
目指すは、あの忌々しい兄の部屋。埃っぽい、物置同然のあの部屋だ。
「待ってろよ、ルック……。今度こそ、お前のくだらない小細工もろとも、その心をへし折ってやる!」
◆
使用人用の居住区画の、一番奥。
レオは、目的の部屋の前に立つと、躊躇なくドアを蹴り開けた。
ギィィ、と軋んだ蝶番が悲鳴を上げる。
だが、中に人影はなかった。
軋むベッドが一つと、空っぽの棚があるだけ。カビ臭く、埃っぽい空気が鼻をつく、みすぼらしい物置部屋。
「……チッ。もぬけの殻かよ」
レオは苛立ちを隠さずに舌打ちした。
一番楽しい、寝込みを襲うという算段が外れたことに、気分がささくれる。
「レオ様、どこかへ探しに行きますか?」
取り巻きの一人が、おずおずと尋ねる。
レオはその言葉に一瞬考え込むと、忌々しげに顔を歪めた。
「……チッ。しゃあねぇな。おい、お前ら! 手分けして探すんだ! 厨房、書庫、庭の隅……あの出来損ないが好きそうな薄汚ねぇ場所は決まってる! 見つけ次第、大声でオレを呼べ! とどめは、このオレが直々に刺してやるからな!」
「は、はいっ!」
取り巻きたちは怯えながらも、レオの後を追って廊下を走り出した。
ただ一人、家庭教師だけが、面白そうに口元に笑みを浮かべたまま、その一行の最後尾を静かについていった。
◆
――その、わずか数メートル離れた廊下の角。
透明化したバーナードが、蜂蜜色の瞳を冷たく光らせ、彼らの一挙手一投足を観察していた。
その頭の上では、同じく透明なフラグメントが、警戒するように尻尾をピンと立てている。
あれがマスターを苦しめる元凶、レオ・ヴァインライトとその取り巻きたちか。主から聞かされた、これまでの仕打ち。そして今、彼らが放つ、底意地の悪い殺気。どうやら、良からぬことを企んでいるのは間違いないようだ。
マスターは、波風を立てることを望まれてはいない。その優しき主の意向は、最大限に尊重せねばならない。
しかし、とバーナードの蜂蜜色の瞳が、獲物を狙う獣のように、鋭く細められた。
マスターに仇なすというのなら、話は別だ。このバーナード、一切の容赦はしない。