虐げられていたとはいえ、ここまでのざまあは望んでいない 作:匿名希望さん
「――こいつは、ボクが止める」
その言葉は、恐怖に震える自分自身を鼓舞するための、精一杯の虚勢だった。
ボクの宣言を聞いたサイラスは、心底おかしいというように、氷のような笑みを浮かべた。
「止める? 魔力の一滴も生み出せぬ無能が、一体どうやって? ……よろしい。まずは、その身をもって無力さを思い知りなさい」
サイラスが、まるで楽団の指揮者のように優雅に指を振るう。
彼の足元の影が、まるで生き物のように蠢き、無数の黒い棘となって床から突き出した。その鋭い切っ先は、もはや機械人形たちだけではなく、ボクの命をも明確に捉えている。
「ぐっ……!」
シュッ!と空気を切り裂く音が、ボクの耳元でした。
とっさに身を捩るが、そのすべてを避けきれるはずもない。鋭い痛みが左腕を走り、ブワリと熱いものが溢れ出した。破れた袖から、生々しい赤が滲む。血だ。久しぶりに感じる、自分の血の匂い。
「ほら、ご覧なさい。魔力ゼロのあなたは、こうして傷つき、血を流すことしかできない。それがあなたの限界です」
ズキズキと熱を持つ腕。床に滴り落ちる、赤い染み。
その光景が、過去の忌まわしい記憶の蓋をこじ開ける。殴られ、蹴られ、ただ耐えるしかなかった日々。何もできず、誰にも助けてもらえず、独りぼっちで痛みに耐えていた、無力なボク。
そうだ、結局ボクは……何も変わっていないじゃないか。
絶望が、冷たい霧のように心を覆い尽くしていく。足が震え、その場に崩れ落ちそうになった。
その、瞬間だった。
「マスターに、触れるなァッ!!」
地を揺るがす咆哮と共に、巨体がボクの前に立ちはだかった。バーナードだ。
ガガガガッ!と金属が削れる甲高い音を立て、彼の重装甲が影の棘を弾き、受け止める。だが、魔力の棘は彼の装甲を容赦なく抉り、火花を散らさせた。
「きゅうぅぅぅっ!」
悲痛な叫びと共に、フラグメントとその兄弟たちが、小さな体を弾丸のように撃ち出した。彼らはサイラスの足元に群がり、その両腕のカマで必死に服を、靴を、掴んで引き裂こうとする。だが、サイラスが放つ魔力のオーラに弾かれ、何体もの小さな体が紙屑のように吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて動かなくなった。
「ピポッ……!」
ビーシリーズたちがボクを庇うように壁を作り、コーラルはその巨大な一つ目で魔術の軌道を予測し、身を挺して仲間を守ろうとする。
彼らは、壊されるとわかっているのに、それでもボクを守るために、一歩も引かない。
「マスターッ! どうか、ご指示を……!」
バーナードが、背中の装甲を砕かれながらも、振り返らずに叫ぶ。
その背中が、ボクの中で燻っていた絶望の霧を、怒りの炎で焼き尽くした。
そうだ。ボクはもう、一人じゃない。
ボクには、守るべき家族がいる。
痛む腕を右手で強く握りしめる。
ボクはボクのできることを全力でやり遂げるんだ!
ボクは、神経を極限まで集中させ、サイラスの放つ魔術と、仲間たちの体を走る紋様を、同時に視界に捉えた。
その瞬間、ボクの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
サイラスの足元に展開される、複雑な幾何学模様。あれが魔術の源――魔法陣。
そして、ボクの仲間たちの装甲に刻まれた、エネルギーを伝達する紋様。
今まで、全く別のものだと思っていた二つが、ボクの脳内でピタリと重なった。
「なんだ……? これって……まさか……」
思考が、稲妻のように駆け巡る。天啓だった。
ボクの仲間たちは、有機物を摂取し、体内の動力炉で『魔力に似た高純度のエネルギー』に変換して動いている。つまり、ボクたちが扱うエネルギーと、サイラスが使う魔力は、その根源が極めて近い。
だとしたら、そのエネルギーを制御する『理(ことわり)』も、同じはずだ!
サイラスは、魔力という名の『エネルギー』を、魔法陣という『紋様の設計図』を通して特定の流れに制御し、影の棘という『事象』を引き起こしている。
それは、ボクが五年間、毎日毎日やってきたことと、全く同じじゃないか!
「そうか……! そういうことだったのか!」
ボクは、今、この瞬間、初めて理解した。
魔法と、ボクが操る古代の機械技術は、その本質は、同じ『エネルギー制御の理法』なんだ!
魔術師たちは、生まれ持った才能や「詠唱」という近道を使って、半自動的に術式を呼び出して実行する。だから、その内側の複雑な紋様の配列を意識する必要がない。
でも、魔力がないからこそ、ボクには見える! 紋様の設計図をゼロから読み解き、手動で組み上げてきたボクだからこそ、その術式の歪み、理の綻びが見えるんだ!
サイラスが放つ影の棘。その魔法陣は、絶大な威力を誇るがゆえに、エネルギーの流れが一点に集中しすぎている。脆く、不安定な『結節点』が、そこにある!
「バーナード! 遺跡の壁を、少しだけ!」
「はっ!」
バーナードが拳で壁を砕き、飛び散った石片の一つをボクが空中で掴む。
狙うは、サイラスの足元、魔法陣が最も強く輝く一点。
「――そこだ!」
ボクは叫び、全身のバネを使って、その石片を『結節点』へと、寸分の狂いもなく投げつけた。
「無意味なことを――なっ!?」
石片が着弾した瞬間、甲高い音と共に魔法陣の輝きが乱れた。安定を失った魔力が暴走し、黒い棘は形を保てずに霧散する。
「馬鹿な……!? 私の術式の『核』を、なぜ……!」
サイラスの顔から、初めて余裕が消える。だが、彼はすぐに体勢を立て直し、別の魔術を放った。
「小賢しい! ――空間歪曲《ディストーション・フィールド》!」
遺跡の空間がグニャリと歪む。物理攻撃は届かない。
「コーラル! 遺跡の隅に転がってる、偵察用機械人形の残骸! その『慣性制御紋様』の逆の理屈を応用して、歪みの影響が最も少ない経路を算出してくれ!」
「……了解。経路算出、完了」
「フラグメント! その経路に光の糸を張って、ボクたちの足場を!」
「きゅい!」
歪んだ空間に、フラグメントの糸でできた、一本の道が架かる。それは、空間の歪みを無視して、最短距離でサイラスへと繋がる、光り輝く蜘蛛の糸。
「バーナード、行けっ!」
「おおおおおっ!」
バーナードが、その光の糸の上を、巨体に見合わぬ驚異的なバランス感覚で疾走してはサイラスに拳をいれようとする。
サイラスが慌てて炎の壁を放つが、ボクの思考はそれよりも速い。
「コーラル! 輸送ユニットの廃熱利用システムを応用! 前面シールドで熱を吸収して、バーナードの脚部ブースターに回せ!」
「……了解。コマンド送信」
コーラルの静かな返答と同時に、ビーシリーズたちがバーナードの前に寸分の狂いもなく展開する。カシャリ、と音を立てて展開された小型のシールドが連結し、一枚の壁となった。激しい炎がシールドに激突するが、それは燃え広がるのではなく、渦を巻いてシールド表面の紋様に吸い込まれていく。
「ピポッ! ピポポッ!」
ビーシリーズたちが甲高い電子音を響かせると、吸収した熱エネルギーが青白いプラズマとなってバーナードの足元に集束する。彼の脚部装甲が眩い光を放ち、その巨体をありえない速度でさらに加速させた。
「なっ……!?」
驚愕するサイラスの懐に、バーナードの鉄拳が叩き込まれる。轟音と共にサイラスが吹き飛ばされた。
ボクは追撃の手を緩めない。
「お前の魔術は、すべて解析したよ」
サイラスが放つ氷の槍を、雷の矢を、ボクは次々と解析し、仲間たちに指示を出す。吸収し、反射し、無効化し、時には利用して、サイラスを徹底的に追い詰めていく。
魔力に頼り切った彼の浅い
「終わりだ、サイラス」
「ありえない……ありえないッ! この私が! 王室直属特務機関
サイラスの絶叫と共に、その瞳に憎悪と狂気が宿った。
「ククク……そうだ、これしかあるまい……! これは、王国が繁栄の礎として闇に葬った、数千の実験体の怨嗟と苦痛の果てに生まれた禁忌の霊薬! その力を、我が身にッ!」
彼は懐から取り出した黒いアンプルを呷ると、その身をよじらせて絶叫した。
「我が身を贄とし、影を喰らいて、闇となれ――禁術・終焉の領域《アビス・ドミニオン》!」
ゴオオオオオオオッ!!
遺跡全体が激しく揺れる。
サイラスの体そのものが影の奔流と化し、すべてを飲み込む、絶対的な闇がドーム状に広がっていく。
純粋な、破壊の概念そのものだ。
その闇に触れた瞬間、バーナードの重厚な駆動音が止まった。コーラルの分析音が沈黙した。フラグメントたちの愛らしい鳴き声が、ぴたりと止んだ。
世界から、音が消えた。熱が消えた。ボクの半身が、ごっそりと抉り取られたような、絶対的な喪失感。
闇の圧力に、ボクも膝をつく。体が鉛のように重く、指一本動かせない。
終わった。もう、何もできない。
闇の中から、人型を取り戻したサイラスが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ふふ、ふはははは! どうです、この絶対的な力! これが、出来損ないのあなたと、私との埋めがたい差ですよ! この身が滅びようと構わん! 貴様らのような、王国の秩序を乱す『異物』を、この手で排除できるのならなァ!」
サイラスは愉悦に顔を歪め、動けないボクの腹を容赦なく蹴り上げた。
「ごふっ……!」
「さあ、もっと見せてください! あなたのその絶望に歪んだ顔を! 無様に逃げ惑い、命乞いをする姿を!」
ボクは、必死に、無様に、床を這って逃げようとした。涙と血でぐちゃぐちゃの顔で、ただひたすらに、遺跡の奥へ、奥へと。
その姿を見て、サイラスは腹を抱えて笑った。
「いいですねぇ、実にいい! その惨めな姿こそ、あなたにお似合いだ!」
サイラスは、まるで虫を追い詰める子供のように、ボクをいたぶりながら、ゆっくりと追いかけてくる。
そして、ついにボクは、アストライアの眠る玉座の前まで追い詰められた。もう、逃げ場はない。
「さあ、フィナーレです。その忌まわしい命、この手で終わらせてあげましょう」
サイラスが、とどめを刺そうと手を伸ばした、その瞬間。
ボクは顔を上げ、血に濡れた唇の端を、ニヤリと吊り上げた。
「……お前のその油断が、ボクたちの希望に繋がる」
「――何?」
「ありがとう。最高の舞台を、用意してくれて」
サイラスの顔が、驚愕に固まる。
そうだ、ボクは逃げてなどいなかった。
禁術によって沈黙した仲間たち。絶望的な状況。それこそが、お前を油断させる最高の舞台装置だったんだ。
ボクは、この瞬間を待っていた。この場所まで、お前をおびき寄せるために、必死に演技をしていたんだ!
ボクはアストライアの胸に手を置き、革鞄から取り出した『星霜の涙』を、彼女の胸にある窪みにはめ込む。
ボクにしかできない、最後の工程。『エネルギー流量調律』。
「お願いだ、アストライア……! 目覚めてくれッ!」
ボクの魂の叫びに呼応するように、『星霜の涙』が、今まで見たこともないほどの、爆発的な光を放った。
眩い青銀の光が、アストライアの全身を走る紋様を駆け巡り、夜空を模した黒曜石の装甲に、無数の星々を灯していく。
光を失っていた彼女の髪が、銀河のように煌めき始めた。
闇の中心で、サイラスが呆然と呟く。
「馬鹿な……。なんだ、この光は……!?」
その言葉を遮るように、ピクリ、と。
アストライアの、細く美しい指先が、微かに動いた。
そして、固く閉ざされていた彼女の瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
現れたのは、星々を溶かし込んだかのような、深淵の紫紺の瞳。
その瞳が、ただ静かに、絶望に染まるサイラスを映した瞬間、世界から闇が消え、光が満ちた。
永い、永い眠りから――ついに、この遺跡の『最強』が目覚めようとしている。