虐げられていたとはいえ、ここまでのざまあは望んでいない 作:匿名希望さん
あの騒動から、数日が経った。
ボクの日常は、驚くほど何も変わらなかった。
結局、取り巻きの腕がなぜ切り落とされたのか、その原因は誰にもわからずじまいらしい。屋敷の中では「何者かによる呪いだ」「通りすがりの化け物の仕業だ」なんて噂がまことしやかに囁かれていたが、まさか魔力ゼロの出来損ないであるボクが疑われることは、ただの一度もなかった。
それが、ヴァインライト家におけるボクへの絶対的な評価だった。何かを成せるはずがない、という揺るぎない無能の烙印。皮肉にも、それが今回はボクを守ってくれた。
先日、厨房で下働きの男たちが話しているのを小耳に挟んだが、あの取り巻きの腕は、公爵家お抱えの腕利きの治癒師によって、後遺症もなく元通りにくっついたらしい。
ボクをいじめようとした相手とはいえ、腕を失ったままではさすがに目覚めが悪い。その知らせを聞いて、ボクは心の底からホッと息をついた。
それ以来、レオたちがボクに絡んでくることは、ぱったりとなくなった。
おそらく、あの理解不能な現象に不気味さを感じ、ボクに関わること自体を避けているのだろう。
おかげで、ボクは誰にも邪魔されることなく、自分の時間に没頭できるようになった。
◆
「うーん……やっぱり、この紋様の配置じゃ、エネルギーの伝達効率が悪いみたいだな……」
遺跡の工房で、ボクは分厚いノートを広げ、唸っていた。
目の前には、一ヶ月前から格闘しているクマ型の機械人形が横たわっている。
フラグメントを直した時の経験から、すぐにできるだろうと高をくくっていたが、この子の構造は想像以上に複雑だった。
フラグメントが単一の強力なコアで動くのに対し、このクマ型は複数の小さなサブコアを連携させて動力を得る、いわば並列処理タイプ。それぞれのコアから供給されるエネルギーを、損失なく中央の制御機関に集約させるための紋様の設計が、とにかく難しい。
「きゅ?」
足元で、フラグメントが心配そうにボクを見上げている。
ボクがノートに描いた複雑な図形を指さして「ここの流れがうまくいかないんだ」と説明すると、フラグメントはトコトコと古代技術書の束まで歩いていき、一冊の本をカマで示した。やっぱり、この子には何か、ボクにはない知識があるのかもしれない。
紋様の設計だけではない。物理的な破損も酷かった。
特に、動力コアを保護するはずの胸部装甲は、無残に砕け散って原型を留めていない。これを直すには、部品をゼロから作り直すしかなかった。
「よし、やるか」
ボクは気合を入れ直し、作業台に向かう。
まずは、遺跡で手に入れた粘土をこね、ノートに描いた設計図を元に、失われた装甲の原型を精密に作り上げていく。次に、その原型を、耐火性の高い石膏でそっくりそのまま覆い、固めて鋳型を作る。
鋳型が完全に乾いたら、いよいよ金属の鋳造だ。
ボクは遺跡の片隅にある、自作の溶解炉に火を入れた。
もちろん、これはボクがゼロから作り上げたものじゃない。遺跡の片隅に崩れ落ちていた、超古代文明の『窯』の残骸を修理・改造したものだ。
見た目はただの石窯のようだけど、その内壁には肉眼では見えないほど微細な紋様が刻まれていて、熱を吸収し、内部で増幅させる機能を持っている。街の鍛冶屋の親父さんが見たら、腰を抜かすような代物に違いない。
壊れて機能を失っていた送風管を、遺跡の別のガラクタから剥ぎ取ったパイプで繋ぎ、手動のふいごを取り付ける。これも、古文書の知識と、街の職人に頭を下げて教えてもらった知恵を総動員して、なんとか動くようにしたボクのオリジナル。この五年間の努力の結晶の一つだ。
ふいごで空気を送り込むと、炉の中の温度が急激に上昇し、ゴオオッと音を立てて炎が赤から白へと色を変えていく。
遺跡のガラクタの中から選び抜いた、軽くて硬い金属片を坩堝(るつぼ)に入れ、炉の中に投入する。じりじりと肌を焼く熱気。パチパチと火花が爆ぜる匂い。
やがて、銀色の金属は、太陽のように眩しい光を放つ、どろりとした液体へと姿を変えた。
「よし……!」
ボクは耐熱性の革手袋をはめ、火傷に細心の注意を払いながら坩堝を取り出し、石膏の鋳型にゆっくりと溶けた金属を流し込んでいく。
ジュウウッ、という音とともに、白い水蒸気が立ち上った。
金属が冷え固まるのを待ち、慎重に鋳型を槌で叩き割る。
中から現れたのは、まだ表面がザラザラとした、武骨な金属の塊だ。
ここからが、根気のいる仕上げ作業。
バリと呼ばれる余分な部分を金槌で叩き落とし、大小様々な種類のヤスリを使って、ひたすら表面を削っていく。
シャッ、シャッ、という単調な音が、静かな遺跡に響き渡る。
ボクはこの時間が好きだ。
無心で手を動かしていると、屋敷での嫌なことなんて、すべて忘れられることから。
最後に、研磨剤をつけた鹿の皮で、鏡面になるまで磨き上げる。
「……できた」
ボクの手にあったのは、元々そこにあったかのように滑らかな曲線を描く、美しい銀色の胸部装甲だった。
それから、さらに数週間。
試行錯誤の末に完成させた紋様の配線を施し、自作した装甲を取り付け、すべてのサブコアを定位置にはめ込む。
残すは、フラグメントの時と同じ、中央の動力コアをはめ込むだけ。
ごくり、と喉が鳴る。
震える指で、水晶のコアパーツを掴み、クマ型人形の胸の中心にある窪みへと、ゆっくりと押し込んだ。
――カチリ。
小さな、しかし確かな手応え。
その瞬間。
グォォォォン……。
フラグメントの時よりも、ずっと重く、力強い駆動音が響き渡った。
ボクが設計した紋様が、力強い青色の光を放ち、全身の関節部へとエネルギーを供給していく。
そして。
ピカッ。
今まで固く閉じられていたクマの目が、カッと見開かれた。
そこに宿っていたのは、蜂蜜色の光。
ギ……ゴゴゴ……。
重厚な音を立てながら、その巨体が、ゆっくりと床から起き上がる。
ボクの股下ほどの大きさだと思っていたそれは、立ち上がると、ボクの胸のあたりまで届くほどの大きさだった。
そのクマ型機械人形は、ボクと、そしてボクの足元にいるフラグメントを交互に見下ろすと、少しだけ首を傾げるのだった――。