それは、静かな午後だった。
学院の鐘が響き渡り、生徒たちが訓練や講義を終えた頃――
突如、結界が破られた。
「敵襲だ!! 学院南門に……複数の魔力反応!」
「全員、避難行動を開始! 上級生は第一防衛線へ!」
騒然とする学院に、黒い影が次々と降り立つ。
「なにこれ……! 鎧のデザインが、古い?」
「いや……見たことある。これは――旧魔王軍!」
そう、それは数十年前、先代の魔王に仕えていた者たち。
魔王が変わり体制が崩れた後、消息を絶っていたはずの彼らだった。
だが今、彼らは明確な目的を持って現れた。
その先頭――巨大な魔槍を持ち、褐色の肌に傷跡を刻んだ将軍グラン=ヴァルドが名乗りを上げた。
「我が名は、グラン=ヴァルド。旧魔王軍・地獄の左翼軍団長。
我らが求めるは一つ――《魔王の結界を破る剣》。それがこの学院に保管されていると聞いた」
「魔剣を……狙ってる!」
教師たちが応戦するも、グランの一撃で地面ごと吹き飛ばされる。
学院は、もはや戦場となった。
一方、アレムたちも迎撃に向かっていた。
「リフィア、下がれ!」
「平気……私だって、戦えるわ!」
だがその瞬間、旧魔王軍の幹部と思われる黒衣の女が襲いかかり、
リフィアの結界が砕けた。
「くっ……!」
刃が迫る――そのとき。
「アレム!!」
悲鳴と共に、時間が止まったように感じた。
そして、すぐ隣から声がした。
「今――約束をしよう、アレム」
振り向くと、そこにはリシアがいた。
透き通るような銀髪、片目を隠す魔眼の少女。誰にも見えず、ただ彼にだけ現れる存在。
「……今? 何を……?」
「三つだけ、私と約束しろ」
時間が歪むような感覚と共に、リシアは微笑む。
「一つ目――私の力を使うこと。
君の中にある真の魔王の血。今こそそれを解放する」
「二つ目は?」
「それは―― 」
アレムは息を呑んだ。
「そして三つ目……二つ目の約束を忘れること」
「……は?」
「思い出そうとしてはいけない。これは絶対に守れ」
リシアはそっとアレムの胸に手を当てた。
「お前は選ばれた。けれど……選ばれることが幸せとは限らない。
だから私は、選ばされたお前に、選ぶ権利を渡したい」
アレムはゆっくりと頷いた。
「……わかった。リシア。信じる」
「ありがとう。じゃあ――契約、成立」
彼女が微笑んだ瞬間。
アレムの身体から、赤黒い魔力が奔流のように溢れ出した。
学院が燃えていた。
空を裂く咆哮と魔力の奔流――旧魔王軍の猛攻により、結界は半壊し、教師たちもすでに満身創痍だった。
「もはやこれまでか……!」
誰かの絶望の声が木霊する。
そのとき。
突如として、大地が鳴った。
空気が、震える。
誰もがその方向を振り返った。
――黒い霧の中から、四本の蹄音が響いていた。
「な、なんだあれは……?」
雪を踏み砕いて姿を現したのは、漆黒の馬だった。
灼熱の闇でできたかのような体躯。燃える赤い瞳。頭からは二本の黒い角が伸び、蹄は地面を焼くほどの魔力を帯びている。
「馬……? いや、あれは――」
「“魔王の騎馬”……まさか、そんな伝説が……!」
その背には、金髪眼帯の少女――リシアがいた。
「……目覚めろ、アレム」
彼女がそっと囁いた瞬間、馬の額から赤い魔力が噴き出す。
黒炎の中で形作られたその身体は、まさしくアレムそのものだった。
だがその姿は、人と獣の境界を超えた魔王の権能――
「魔王の魂が形を得るとき、それは騎獣の姿を取る」
リシアはそう語りながら、手に一振りの黒い槍を召喚した。
旧魔王軍の魔術師たちが咆哮を上げる。
「姿を変えようと……小僧に変わりはない! 潰せ!」
だが、彼らの咆哮は次の瞬間、悲鳴へと変わった
黒槍が空を裂いた。
一本、二本、三本――
リシアの放つ槍は空中で分裂し、十の影となって敵軍を串刺しにした。
「なっ……魔法でも物理でもない、これは……!」
「影の魔槍だ。魔王の血が夜の属性と結びついた力――」
さらに、魔馬に変じたアレムが突進する。
四本の蹄が黒雷を放ち、あらゆる魔法障壁を破壊していく。
その姿はまさしく、伝説に語られる姿だった。
グラン=ヴァルドが吠える。
「退け! 全軍、退け!!」
彼の叫びと同時に、旧魔王軍の残党が次々と転移魔法で姿を消す。
リシアは槍を振り、最後に逃げ遅れた魔術師を足元に縫い止めた。
残るは、ただ静寂――
雪と煙の中、黒き騎獣はゆっくりと立ち止まる。
リシアが馬の背から降りた。
「……目覚めの痛みは、すぐ癒える。
でも、君はもうただの少年ではいられない。覚えておいてくれ」
黒い霧がアレムを包み、彼の姿は徐々に元に戻っていった。
膝をついたアレムは、はぁはぁと息を吐く。
「……すごい力だった……でも……まだ怖くない」
リシアは、少し驚いたように笑った。
「ふふ。やっぱり君は、“あの人”に似ている」
「“あの人”って……?」
「……それは、君が“二つ目の約束”を思い出したときに」
アレムはハッとした。
(……二つ目の約束? なにか、聞いた気がする……?)
けれど――まったく思い出せなかった。
その後。
学院は一時閉鎖され、学院長が重い口を開いた。
「旧魔王軍の動きは想定外だった。だが、それ以上に――
君の力、アレム。もはや偶然の暴走では済まされない」
「……すみません」
「いや、責めているわけではない。
だが……君は、何者であるか、そろそろ自分自身で見極めなければならん」
アレムは静かに頷いた。
「僕は――“魔王の息子”だ。でも、それだけじゃない。
誰かを守るために、この力を使わなきゃ」
その目に宿る決意は、かつて父が見せたものと同じだった。
そして。
どこかの塔の上で、一人の少女――リシアが、黒い槍を静かに見つめていた。
「……君が、どう選ぶのか。
私も……最後まで見届けるよ」